D.W.スティーブンス補足 | 誰かの妄想

D.W.スティーブンス補足


「明治暗殺史 反権力とテロリズム」(森川哲郎、1969、三一新書)には、スティーブンス暗殺について以下のような記述がありました。


「親日米人スチーブンス射殺事件
伊藤の対韓政策に呼応しておどった親日米人がいた。
スチーブンス(D.W.Stevens)である。第一次韓日協約(1904年)の後、韓国政府の顧問となったのだが、彼は朝鮮を中傷する
逆宣伝を行い、韓国人から憎悪されていた。
伊藤は、朝鮮人民の反抗激化に伴う国際世論の悪化を恐れて、スチーブンスを瑕疵帰国させて、米国内における工作をさせようとした。
スチーブンスは、1908年サンフランシスコに上陸し、次のような声明を新聞記者たちに対して行った。
「朝鮮の王室と政府は腐敗堕落し、人民は愚昧に過ぎる。むしろ進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させる方が賢明である」
彼は、この後ワシントンに向かうため、オークランド停車場に姿を現したとき、朝鮮の志士田明雲、張仁俊にピストルで射殺された。明治41年3月23日のことであった。」


要するに、スティーブンスは明らかに日本の対韓政策を後押しする工作活動を行っていた、という内容です。
にもかかわらず、ネトウヨは引用に際し「朝鮮の外交顧問であったアメリカ人」などと書くわけです。


姑息と言うか、それともコピペ元以外に何も調べていないのか・・・