韓国に対する賠償問題を語るときの詐術
ネトウヨらが韓国に対する賠償は済んだ、などという主張がネットではよく聞かれます。
これは、ある意味正しく、ある意味間違いです。
端的に言えば、日本は韓国に対して「賠償」は行ってません。日本はあくまでも「独立祝賀金と途上国支援」として国内に説明しています。(韓国側(第三共和国・朴正熙政権)は賠償金と経済協力として国内に説明している。つまり、互いに面子を立てるためのレトリック。)
一方で、この「独立祝賀金と途上国支援」を機に賠償請求権問題は、基本的になくなります。
「日韓請求権並びに経済協力協定」1965年
「 第二条
1 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 」
独立祝賀金(賠償金):3億ドル
途上国支援(経済協力):2億ドル
さて、明確に対応付けられているわけではないでしょうけど、賠償に該当するのは独立祝賀金なのは間違いないでしょう。
すると、問題は「独立祝賀金」(賠償金)の3億ドルですが、これ一遍にお金が渡されたわけじゃないです。
「日韓請求権並びに経済協力協定」の第一条には次のようにあります。
「(a)現在において千八十億円(一◯八,◯◯◯,◯◯◯,◯◯◯円)に換算される三億合衆国ドル(三◯◯,◯◯◯,◯◯◯ドル)に等しい円の価値を有する日本国の生産物及び日本人の役務を,この協定の効力発生の日から十年の期間にわたつて無償で供与するものとする」
つまり、10年間の分割払いで、金ではなく「日本国の生産物及び日本人の役務」なわけです(内容は、韓国政府の要望に対し、両国政府の協議で決定する「第一議定書」)。
10年後の1975年、日本外務省は次のように公表しました。
「二,(1)無償経済協力三億ドルについては,わが国の債権である清算勘定残高(約四,五七三万ドル)が,この無償資金の一部と相殺されたため,わが国から韓国に対して供与された日本国の生産物及び日本人の役務は,約二億五,四二七万ドル(約八六三億円)であった。
(2)無償経済協力による主な供与品目及びその金額は次の通りである。
(イ)政府部門関係資本財 四一五億円
(農業用水開発・旱害対策事業用機材,農業機械化促進用機材等農業増産用機材,水産振興・漁船建造用機材,科学実験実習用機材,総合製鉄所建設用機材など)
(ロ)民間部門関係原資材,機械類 四四八億円
(繊維品,建設資材,肥料,化学薬品,繊維機械など) 」
この辺疑問ですが、現時点の自分の理解を述べると、
本来ならこれらの「独立祝賀金」から韓国政府は従軍慰安婦などの被害者救済にあてるべきだったかも知れませんが、1975年の時点では従軍慰安婦の実態は明らかになっていません。明らかになっていないのに「日本国の生産物及び日本人の役務」を充当することはできません。
また、「第一議定書」では、
「 第一条
日本国が供与する生産物及び役務を定める年度実施計画(以下「実施計画」という。)は、大韓民国政府により作成され、両締約国政府間の協議により決定されるものとする。
第二条
1 日本国が供与する生産物は、資本財及び両政府が合意するその他の生産物とする。 」
のように、韓国がどう使うかについて日本政府が関与できるようになってます。
例えばこういう意見があります。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額です。韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で死亡したものの遺族への補償に使いましたが、大部分を道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げました。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配することよりも、全国民が豊かになることを選び、それが成功したのです。そして韓国のとったこの行動は韓国自身が決めたことですから、出した日本がその使い道にあれこれ言うことはできません。」
しかし、第一議定書によれば、「日本がその使い道にあれこれ言うことは」「両締約国政府間の協議」を通じて出来たわけです。
日本に韓国の戦争犠牲者に対する補償の意図があるなら、そこで言えた筈ですがそういう話は聞きません(議事録が公開されいるかどうか・・・)。
ちなみに(有償・無償合計の5億ドルが)「韓国の国家予算の1.45倍」(国家予算は3.5億ドル)と言いますが、10年分割であることは認識しておくべきでしょう(単純計算で年間5000万ドル、韓国国家予算の7分の1)。なお、1970年(1965年と1975年の中間)の日本の国家予算は、約8兆2億円(230億ドル)です。また、1965年の日本の防衛費は3000億円(8.4億ドル)ありました。
ちなみに2、日清戦争の講和条約(下関条約)での清国が日本に払うべき賠償金は約3億円で3年分割、当時の日本政府の国家予算は約8000万円でした。(つまり、国家予算の約4倍)年間で計算しても、年間1億円、国家予算の1.25倍です。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「ですから現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らなければなりませんし、私たち日本人も貧しかった中で、一生懸命働いて賠償要求に応じてきたという事実を知っておかなければなりません。」
年間防衛費の10分の1にも満たない支払を「一生懸命働いて賠償要求に応じてきた」と言えるかどうか・・・。
さらにちなみに、1965年の日本防衛費は上記約3000億円(8.4億ドル)でしたが、独立祝賀金(賠償金)支払終了の1975年には防衛費は約1兆3000億円(44億ドル:1ドル300円計算)に膨れ上がってます。10年間平均年増加率は16%です。当時の日本は最近の中国の軍拡に近い軍拡を行っていたわけです。
日本は「一生懸命働いて賠償要求に応じてきた」割には、軍拡にいそしんでいたわけですな。白々しいなあ。
http://photo.jijisama.org/compensation.html
「30~40年前に膨大な償いを課せられた60歳以上の人々は、これに反対するのは当然のことなのです。」
どの口からそんな台詞が出てくるのだろう?
さて、話を賠償請求に戻します。
「日韓請求権並びに経済協力協定」1965年によって、日韓間の「請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決されたこと」になりました。
が、締結当時には明らかになっていなかった従軍慰安婦などの問題がその後明らかになってきたわけです。
ウィーン条約法条約は1969年で日本の加盟は1981年なので、日韓基本条約等にそのまま適用は出来ませんが、以下のような条文があります。
「第62条 事情の根本的な変化
1 条約の締結の時に存在していた事情につき生じた根本的な変化が当事国の予見しなかつたものである場合には、次の条件が満たされない限り、当該変化を条約の終了又は条約からの脱退の根拠として援用することができない。
(a) 当該事情の存在が条約に拘束されることについての当事国の同意の不可欠の基礎を成していたこと。
(b) 当該変化が、条約に基づき引き続き履行しなければならない義務の範囲を根本的に変更する効果を有するものであること。」
日韓交渉当時明らかでなかった請求権に関わる事情が、従軍慰安婦問題などで変化したという解釈は成り立ち得ます。なおかつ、この第62条の内容がウィーン条約以前に国際慣行として存在したことを証明できれば、韓国は「日韓請求権並びに経済協力協定」に拘束されることなく、日本に対する賠償請求交渉を再開できるのではないかな、と思えますがどうなんでしょうね(当然、交渉する場合、日本としてはアジア女性基金を考慮するように求めることができるでしょうから二重取りされることは、まずないでしょうね)。
こうして考えると、賠償が済んだのかどうか疑問になってきます。
最後に、賠償問題でのネトウヨの詐術は、ここです。
「昭和40(1965)年、日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本は無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払いました。そこで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」としたのです。」
まるで、日本が韓国内に持っていた財産を放棄した上に賠償金まで支払ったかのように読めますが、ここは記載されていない重要事項があります。(日本が朝鮮に持っていた資産は合計47億ドル(702.56億円:1ドル=15円)と在外財産調査会が1947年12月に出されているが、講和前であり将来請求されるであろう賠償と相殺させるために高めに見積もっている可能性は否定できない。実際、在外財産調査会が参考にした朝鮮総督府終戦事務処理本部整理部の調査では「之が財産評価の多寡は、ひいては日本政府の連合国側に提供すべき賠償財産の多寡と直接関係ある」(「終戦前後に於ける朝鮮事情概要」山名酒善男 via 「検証日韓会談」高崎宗司、p6)との認識で調査されている)
それは、植民地時代に日本が韓国から持ち出した財産に対する請求を韓国も放棄している点です。韓国が1949年3月に作成した「対日賠償要求調書」によると、「現物返還要求」に該当する要求額は、
現物返還要求:約1041億円(「3」を除く)
1.金地金249633.19861kg(1g=405.1円) 約1011.2億円
2.銀地金 89112.20512kg(1g=24円計算(1973年相場を援用)) 約21.4億円
3.書籍、美術品、骨董品、地図原版 (換算不能)
4.船舶 8億1846万1700円
5.朝鮮銀行海外店舗動産不動産 832万746円
となっています(上記はあくまでも返還要求のみであり、損害賠償は別に試算されている)。
無論、日本の試算と同様に多めに見積もっている可能性はあるでしょうが、それを考慮しても
韓国側:返還要求1041億円+損害賠償
日本側:返還要求 702億円
となり、互いに財産放棄したとしても(それ自体韓国側の譲歩であるが)、なお韓国側には損害賠償の分が残ります。
「対日賠償要求調書」によれば、損害賠償分は314億円+400万ドルであり(当時1ドル=15円)、ドルに直すと約21億ドルです。
この分を「日韓請求権並びに経済協力協定」(1965年)により、韓国側は無償3億ドルまで譲歩したわけです。
それほど、日本が恩着せがましく言えるような内容ではないし、ある意味外務省や日韓交渉担当者は頑張ったといえるでしょう(頑張った方向性が正しいかどうかは別として)。