シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記 -5ページ目

【超わたし的タマコの日記】「半沢直樹」と「あまちゃん」にみる、ゼミの三本柱

おはようございます。タマコです。
2013年はドラマの当たり年と言われています。
高視聴率を記録したTBS「半沢直樹」、一大ブームを巻き起こしたNHK「あまちゃん」。
昨今、テレビ離れが叫ばれる中、「倍返しだ!」や「じぇじぇじぇ!」が流行語になっている事は、私達シナリオを勉強している人間にとって、とても励みになりますね。

この二大ドラマを観ながら私が思った事は、研修科に入った時に習ったゼミの三本柱が両作品ともしっかりと描かれているという事です。
半沢直樹は信念を曲げないが謝ってきた人は許してしまういい人で、「あまちゃん」あきちゃんは元々地味で暗くて存在感が薄く、ちょっと天然キャラなところもあるけれど、周囲を明るく照らす太陽のような主人公で、とても魅力的に人物が描かれていました。そして、半沢直樹には銀行の上司や国税局からのこれでもかというカセが与えられていましたし「待ったなし」のシチュエーションも多く登場しました。
「アイドルになりてぇー!」と思うアキちゃんにも母の春子やプロデューサーの太巻からの障害が次々と与えられて、葛藤していました。
そして、その半沢やアキちゃんの姿が視聴者の情に訴えたというところは言わずもがなですね。
「半沢直樹」と「あまちゃん」は、ちゃんと作れば、ちゃんと伝わるのだという事を教えてくれたと思います。


【単行本】NHK連続テレビ小説「あまちゃん」完全シナリオ集第1部

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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】マヌカンが好きなお客さま

 「エレガンスの事典」よりつづきを… パリの売子さんが好きなお客さん、それは裕福な愛人とともにやってくる若い美人。新しく勝ち得たものの目を幻惑させるために、彼女のおねだりの倍も買い求め、妻と買い物をするときと比べると保守的ではあらず。ミンクのコートは激しい情熱のシンボルであり、しかしミンクのコートがすり切れるよりもずっと早く情熱はさめ、そうであればこそミンクのコートをスカイブルーで注文するというふざけたことをするのも、もっともとのこと!

 店の売上はむろんのびますが… むかしパリのオートクチュールコレクションに参加したことがあります。パフォーマンスではなく、ホテルの一室で、音楽もなく、静かに登場するモデルが、衣装を順に顧客にみせて注文をうけるという、厳粛な風景です。その場合のお金持ちとは、石油王などであり、半端ではありません。

 京都を散歩していると、おもしろい町の空気に出会います。道をはさんで一方の路地にはいかにもお妾さんが棲んでいたような小粋な民家が並び、旦那とのわかれ話のお金で小商いをしているようなお店もちらほら。反対側の路地は並はずれた高級住宅街。本妻さんたちが棲む豪勢な住宅群です。女の人の生き方もさまざまと思いを馳せて散歩していると、むかしの女の人の吐息も聴こえ、物語が生まれそうな予感がします。この町のリサイクル店には、スカイブルーのミンクじゃありませんが、奇抜なデザインの貴金属アクセサリーが陳列されています。身のまわりの整理にリサイクル店に持ちこまれるということは、ご高齢なのでしょうが、むすめや孫にゆずることもないお妾さんの孤独も感じ、またご高齢までプレゼントをたいせつにされてきた旦那さまへの忠義も感じ、むかしの女の人の生き方の潔さを感じます。孤独とは異なもので、一概にいえず、ひとりの孤独は自由ですが、だれかといる孤独は深いという説もあり、さまざまな吐息が聴こえそうな秋の夜長です。

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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】エレガンスの事典

 むかしデザイナー時代に読んだ「エレガンスの事典」という本を読みかえしてみました。ニナ・リッチのオートクチュールサロン支配人であった、G・A・ダリオーという女性が書かれた本で、エレガンスのルールがひもとかれています。読みごたえがあるのは、ルールだけではなくて、パリの大人文化を漂わせる、ウィットとエスプリをまじえた人生観がさりげなく表現されているところです。

 若いころはあまり関心のなかった、「夫(愛人)」という項目をみますと、夫に三種類あるらしく、まずは目のあいていない男性。つまり妻のファッションにまったく無関心な男性。次に理想的な男性。妻のファッションを認めつつ、なにがもっと似合うか関心をもってくれる、妻にぞっこん惚れている人生のパートナー。しかし残念ながらこのタイプはめったにいないとのこと。次に妻を強制的に自分の好みにしたいタイプ。彼の好みの裏づけは自分の母からきているので、実はかなり古い。なのに高圧的。著者の助言としては、真にエレガンスな女性はだれの意見も必要としないということです。そして、もしなんとなく決心がつきかねるようなら、男性の意見――偏らないものでなくて、偏ったものでも――を求めるのがよろしいとのこと。結局この世とは、なんだかんだいっても、クリスマスパーティで毎年、「シナリオは男と女――!!」と叫んでくださっていた、100歳のО先輩が正しいというところに落ちつきそうです。

 「赤い靴」という課題のことを調べるために読みかえしてみたのですが、「靴」の項目の「あまりに高いヒール」では、身長とヒールのバランスに触れたあと、「それに極めて下品です!」と、ダリオーさま、高いヒールの女となんかあったのかしらと穿つふしもあるような、ないような、怒りまじりが面白く、型とくずすこととは、なにごとも普遍的な問題とつくづく。レディ・ガガがこの本をみたら、蹴っ飛ばすかもしれませんが… 


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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】光る河面

 残暑お見舞い申し上げます。

 暑さのせいか、永年自分の部屋で愛用してきたパソコンが突然、起動しなくなりました。たいせつにタオルでくるんで大型電化店へ。修理センターに三週間あずけたところ、「機種がふるいため部品がありません」との返事。そこで奥の手。センターのビルに、「パソコンお助け隊」というのがあり電話したところ、パソコンは使えなくなったものの、データを全てコピーしていただきました。少しずつ書きためてきた小説やエッセーが入っていたので、朗報をくださったお助け隊のお兄ちゃんには、電話口でぺこぺこ頭をさげて、お礼を言いました。助けていただいたものの、果たしてわたしは、人のお役にたつ生き方をしているのか…

 先日、おもしろいおっちゃんが運転するタクシーに乗りました。「へぇ、そうでっか」「へぇ、そうでんねん」「ほな、やりまひょ」と、理を合点していなくても、人情と意地でことを成しとげていた昔の大阪人のお話を聴きました。今は「なぜ、しなければならない?」「なぜ、そんなことを言われなければな らない?」、それなら報復するぞとばかりに、自分をえばる時代やがな、とぼやいてらっしゃいました。スマホ片手に自転車で危ない走り方をしている人におっちゃんがタクシーの窓から注意すると、「なんで言われなあかんねん」と反対にすごまれるそうです。

 夕暮れまえの豊里大橋を渡りタクシーの向かった先は、母の入院している病院でした。「お母ちゃんの見舞いに? お母ちゃん、いくつ?」八十七ですと答えるとおっちゃんは、「がんばったはんのやな? えらい!」と大きな拍手をしてくださいました。ちゃんとハンドルを握ってないと危ないですよとは言いませんでしたけれど、すっかり小さく見えるようになった母の闘病に、見ず知らずの人が拍手を送ってくださったことに、不安のあまり入院いらい力んでいたわたしの肩はくだけそうになり、涙が滲みました。


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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】伽羅の香り 風鈴の音

 テレビからは、熱中症対策などのあたかも防災警告が、連日くりひろげられています。夏の風物詩はいずこへ? 子どものころは父の古里で夏休みをすごし、おばあちゃんが井戸で冷やしておいてくれたスイカを縁側でがぶり。姉とならんで種とばしごっこをしました。夜は蚊帳のなかで網戸からの風を感じながら枕についたものの、庭にでなければお手洗いにいけないのが怖くて、なかなか寝つけられませんでした。鄙びた映画館へ「怪談猫化け」なんかを見につれていってもらったあとはなおさら。子どものわたしではゲス板(沈める底板)が浮いてしまう五右衛門風呂につかるのも怖かった思い出です。昼間は蛙の蠢く川辺や、石塀に囲まれたお城跡や、小さなブランコのあるお寺の庭へと、大忙しで走りまわっていました。このごろは子どもさえ日中は屋外にでないようにと警告しているのを聞くと、むかしの夏休みが嘘のようです。でも扇子からの伽羅の香りや、風鈴の音に一瞬の瞑想をかさねたら、味気ない季節感からちょっと脱出できそうです。

 或る牧師さんが「ちょっとの損」を説いていました。愛という言葉を、つい崇高にとらえがちな日本人。でもちょっとの損のつみかさねが、おしまいには愛へと育つ、というお話でした。西洋人は顔をあわせば「アイラブユー」といえますが、日本人は愛という言葉を会話であまり使いません。それなのにとつぜん、身命を尽くす自己犠牲愛にまで、日本の物語では飛躍してしまいます。フィクションに身をおいているわたしたちは、愛を考えずにはいられません。どうすれば愛が描けるのか? そこでかまえてしまうと、すべることも往々。崇高なことを描けるとうぬぼれてしまうと、結果は散々。牧師さんの説く「ちょっとの損」とは、相手のためにちょっとだけ損をすることです。損とはお金ではなく、相手のために時間を使うとか、お手伝いをするとか、ほめることだそうです。それを損と呼ぶところが、かまえていても、なにものも掴めないことを説いているようで、素直に習ってみたくなります。<鳩子>

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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】海と人のお話 

 「別れのセリフ」のシナリオをたくさん読ませていただきました。別れの悲しみを描いた作品や、設定を練った作品等、セリフも含めてさまざまに工夫されていました。ただ別れる必然性を考えることはとてもむずかしいことなのだとつくづく…
 ちょうど民話について考えていたときなので、別れにはしかけが大切なのだと、ふと思いました。「鶴の恩返し」では、絶対に部屋のなかをのぞかないでください、という約束がしかけられ、「浦島太郎」では、玉手箱をあけてはいけないと乙姫様に約束させられて。タブーをしかけていなかったら、お話はおわりません。民話にもとづいた現代のドラマもよく読ませていただきますが、百年の夢も、覚めてしまうしかけがなければ、必然として不充分な別れしか描けません。でも、部屋をあけるなとか、箱をあけるな、と命令する側がたいてい女性であるところが面白いですね。あけるなと言われると、あけたくなるのがあたりまえであり、先にあけるなと言っておいたのだから、約束を破ってあけたあなたが悪いのですよ、とばかりに責任を前もっておさえているところが、よく考えるとやり手の女なので、日本のお話は怖いです。
 「浦島太郎」がマザコンのお話であるという説には納得がいき、とても面白かったです(「昔話と日本人の心)河合隼雄著)。同じ海と人のお話では、アンデルセンの「人魚姫」がありますが、浦島太郎が流されるばかりの受け身ダメ男であるのに対して、人魚姫はずいぶんポジティブで、困難を乗りこえ、ひたすら自から恋する王子様に接近していきます。悲恋であろうとハッピーエンドであろうと、西洋のお話の女性が意思を持って動いていっていることには感服。しかし禁忌を前もってしかけている日本の女性の方が、複雑であり、本当に怖い!
 日本の女性が儚げでしおらしげで、と思いこみたいあなた、危険ですよ!<鳩子>

昔話と日本人の心 (岩波現代文庫―学術)/岩波書店

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【超わたし的タマコの日記】落語を聴きに。

おはようございます!タマコです。
先日、新装オープンしたフェスティバルホールで催された「志の輔・談春 祝祭落語会」へ行って来ました。
チケットは即日完売。2700人の観客が見守るステージ上で落語会が開かれました。そもそもこの企画は歌手のさだまさしさんから「フェスは日本一どころか神様が創ったホール。ステージに居ると拍手が頭の上から降ってくる。一度お前にも体験させてやりたい」と言われた談春さんが、兄弟子の志の輔さんにも体感して貰いたいと、兄弟会として実現したそうで、談春さんも「言霊というのがあるんでしょうか。言ってれば実現するんですね」と仰っていました。
そもそも、私が落語を聴きに行くようになったきっかけは、大阪校の基礎科で仲良くなったアネさん的存在の友達に志の輔さんの独演会へ誘ってもらったのが初めてでした。それまでの私は古典と新作(創作落語)の違いもわかっていなかったのですが、初めて聴いた落語に笑ったり、しんみりしたり、びっくりしたり、感情を揺さぶられて、すっかりハマってしまったのでした。


今回のフェスティバルホールでの落語も感動し通しの貴重な体験が出来ました。そして、あの時落語という世界へ誘ってくれた友人に感謝しつつ、また足繁く落語会へ通うのです。<タマコ>

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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】五月のやさしい風

 ベランダでは今か今かと百合のつぼみがふくらんでいます。今年も満開の日々を迎えられそうです。そしてここ五年ほど育ててきた観葉植物が、今年はじめて花を咲かせました。名前は忘れてしまった植物なのですが、レモンイエロー、オレンジとインディゴブルー、濃いパープルのまじった鮮やかな色彩で、ひとつの花の長さが二十センチをこえる大きな、南洋の花を咲かせています。少し前から予告するようにぷっくりふくらんだ大きなつぼみに、オレンジの花汁をしたたらせていました。いつ突然、花を咲かせるかわからない人生! お水しかあげていないのに、咲いてくれてありがとう、という気持ちでいっぱいです。


 先日、部屋のエアコンをつけかえました。工事にこられた人が、外機工事のためにベランダに出られ、たおしてはなんだからと、小さなプランターをそっと除けられました。すると、除けた処からヘンテコなオブジェがにょっきり! 実は百歳ちかくまで長研にこられていたOさんが形見わけのようにくださったオブジェです。詳細はお伝えしにくい形をしているのですが、要するにちょっとエッチで、お茶目な形をしています。工事の人はぎょっと驚かれたのを、わたしに気づかれない風にされていたのですが、それから少し日がたちエアコンの調子が悪くなり、もう一度おなじ人が工事にきました。そのときは外機は関わりなかったのですが、工事の人はもう一度オブジェを見たかったようで、ベランダに二度も出られました。可愛らしい形だけれども、信じがたく、もう一度こっそり確認したかったようです。


 Oさんは本当にお洒落な方でした。お洒落というのは、なにを着ているのか、なにを持っているのかということではなくて、心に持つものだということを教えてくださいました。いやな気持ちになるお話を伺ったことはありませんでした。わたしはまだまだ日々、反省します。Оさん、いつまでも大阪校を見守っていてくださいね!<鳩子>

【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】春彼岸

 三月三日、雛祭りの日に叔母が亡くなりました。享年八十四歳。夭折されたお嬢さん、ご主人をおくられたあとで、しばらく悠々自適で過ごされ、おひとり安らかに逝かれました。むかしお嬢さん、つまりわたしの従妹の葬儀にも参列しました。従妹は永い患いで自宅療養をしていたのですが、たくさんの友だちが葬儀に参列してくださっていました。病と闘いながらも友だちに愛された従妹に、尊敬の念を抱いたものでした。しかし叔母が背負った、親が子を送るという哀しみが参列者に伝わり、お気の毒に思えてしかたがありませんでした。そんなおり、お通夜での読経のあと、お坊さんがご詠歌をうたってくださいました。哀しい旋律でしたが、すうっと心がおりてゆくような、安らかな気持ちになりました。


   人のこの世はながくして
   かわらぬ春とおもいしに
   無情の風はへだてなく
   はかなき夢となりにけり  (光明摂取御和讃)


 ご詠歌にはさまざまなうたわれ方があるそうです。巡礼や法会でうたわれたご詠歌や、棺をお墓までおくる際にうたわれたご詠歌など。聴かせていただいたのはキリスト教でいう処のレクイエムのようなご詠歌です。そういえば、物心つくかつかないかのころ、田舎でのお葬式のあと、大人の男の人たちが土葬の棺をかつぎ、お墓へむかう際になにかをうたっていました。忘れがたい光景でした。きっとご詠歌だったのでしょう。
 ベランダの彼岸花が春のお彼岸にも咲き、ようやく四月にはいり、冬枯れた薔薇や朝顔の蔓や枝葉を少し綺麗にしました。朝顔の種はぷくぷくはちきれ、今にも空へ飛びそう。きつく絡んだ蔓をほどいて摘みとり、五月にはまたあらたに種をまきます。夏の朝にはまっすぐ太陽に向かい、鮮やかな花を咲かせてくれることでしょう。自然の強さをならいたいものです。<鳩子>

【超わたし的タマコの日記】サクラの季節

おはようございます!タマコです。
今年の桜は咲くのが早かったですね。
毎年この時期になると花粉症に悩まされるのですが、桜の花を見ると少し気分が上向きになり「やっぱり一年のうちでこの季節が一番良い」だとか、「一番好きな花は桜だなぁ」などと思ってしまいます。まぁ、春夏秋冬それぞれで「この季節が一番」と言っている気もするのですが…。
ここ数日は歩いて通勤する道すがら、綺麗に咲いた桜の木の下で立ち止まっては写真を撮りまくっています。


日本人にとって特別に馴染み深い桜の花は昔から和歌や俳句、小説などに非常に多く登場しています。現代でも映画やドラマ、歌の歌詞のモチーフとしてたくさん使われていますね。
同じ桜の木でも、農業の神様が宿っているとか、霊を宿しているだとか、見る側の感覚によって全く違ったイメージを抱かれています。パッと咲いて潔く散る姿を良しとした武士や、世の儚さを重ねた歌人、まさに花より団子の落語に登場する長屋の住人たちなどなどそれぞれの見方によって様々なドラマが生まれています。私も桜の花をモチーフにした作品を何本か書いた事を思い出しました。さて、皆さんはどんなドラマを生み出されるのでしょうか。 <タマコ>


シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記-桜