【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】伽羅の香り 風鈴の音 | シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記

【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】伽羅の香り 風鈴の音

 テレビからは、熱中症対策などのあたかも防災警告が、連日くりひろげられています。夏の風物詩はいずこへ? 子どものころは父の古里で夏休みをすごし、おばあちゃんが井戸で冷やしておいてくれたスイカを縁側でがぶり。姉とならんで種とばしごっこをしました。夜は蚊帳のなかで網戸からの風を感じながら枕についたものの、庭にでなければお手洗いにいけないのが怖くて、なかなか寝つけられませんでした。鄙びた映画館へ「怪談猫化け」なんかを見につれていってもらったあとはなおさら。子どものわたしではゲス板(沈める底板)が浮いてしまう五右衛門風呂につかるのも怖かった思い出です。昼間は蛙の蠢く川辺や、石塀に囲まれたお城跡や、小さなブランコのあるお寺の庭へと、大忙しで走りまわっていました。このごろは子どもさえ日中は屋外にでないようにと警告しているのを聞くと、むかしの夏休みが嘘のようです。でも扇子からの伽羅の香りや、風鈴の音に一瞬の瞑想をかさねたら、味気ない季節感からちょっと脱出できそうです。

 或る牧師さんが「ちょっとの損」を説いていました。愛という言葉を、つい崇高にとらえがちな日本人。でもちょっとの損のつみかさねが、おしまいには愛へと育つ、というお話でした。西洋人は顔をあわせば「アイラブユー」といえますが、日本人は愛という言葉を会話であまり使いません。それなのにとつぜん、身命を尽くす自己犠牲愛にまで、日本の物語では飛躍してしまいます。フィクションに身をおいているわたしたちは、愛を考えずにはいられません。どうすれば愛が描けるのか? そこでかまえてしまうと、すべることも往々。崇高なことを描けるとうぬぼれてしまうと、結果は散々。牧師さんの説く「ちょっとの損」とは、相手のためにちょっとだけ損をすることです。損とはお金ではなく、相手のために時間を使うとか、お手伝いをするとか、ほめることだそうです。それを損と呼ぶところが、かまえていても、なにものも掴めないことを説いているようで、素直に習ってみたくなります。<鳩子>

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