シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記 -13ページ目

【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】冬のような春

 下町の病院でのこと。ある日、やくざのおじさんと内縁の奥さんが来院しました。おじさんは末期の癌でした。担当の女医さんがその場で入院を勧めますと、

「先生、この人だけはどんなことしてでも治してあげてください。この人に私はほんまにほんまにお世話になったんです」

お願いですから、お願いですからと、奥さんは女医さんに泣いてすがったそうです。奥さんはスナックで働いていて、障害のある息子さんがいます。おじさんは奥さんがお店に出ている間、何年もの間、血のつながらないその息子さんをお世話し、大きくされたそうです。子どもをたいせつに育ててくれた感謝の気持ちが痛いほど伝わり、母親でもある女医さんはとても辛かったのですが、もう手の施しようもない末期癌であることを奥さんに告げました。すると二人はそのまま病院へは訪れなくなりました。それから何ヶ月も経ち、奥さん一人が女医さんに挨拶にやって来たそうです。おじさんには年老いたお母さんが九州の離島にいて、そこへキャンピングカーの後ろに寝かせて、奥さんが運転して、息子さんと一緒に連れて行ってきたそうです。おじさんは考えたあげくに二人の家族と別れることを決意し、心配をかけどおしだった母の傍で息を引きとることにしました。きっと入院や介護で、たいせつな家族に迷惑をかけたくなかったのでしょう。これは知人の女医さんに聞いたお話です。キャンピングカーでの三人の旅に私の想いは馳せ、あたたかいお陽さまをうけた風景が浮かんできました。

「どんな家族なのかを一瞬に読んで、的確に病状を告げるのが一番たいへんな仕事」

 と女医さん。エリート家庭の方が、愛がおざなりにされていることが多いとか。冬めいた春。春めいた冬。人のぬくもりはどこへ…。<鳩子>

【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】ザ・職人とオタク

 マンションの自室をリフォームしました。その際、壁の職人さんやカーテン職人さん等、何人かの職人さんがいらっしゃいました。観察していると、とっても面白かったです。

 会社勤めの職人さんは悲しいかな、「ザ・職人」という個性が発揮できないようです。時間内にしあげなければ上司や社長さんに怒られるし、同時進行の他の仕事もあるし、内心は不満足でも仕事にピリオドを打たれます。


 個人の職人さんのなかには、「納得いかないので、もう一度やらせてください」とおっしゃって、時間がかかろうと満足のゆく仕事をなさる方もいらっしゃいました。昔気質の職人さんのイメージというと、自分のプライドにかけて不満足な仕事はしない、という意気地というものがあったように思います。その意気地が格好いい。お金勘定ではなくて自分の仕事に惚れて生きている姿って、ホント惚れ惚れするくらい格好いい。この世知辛い世の中、ザ・職人も希少価値とつくづく…。


 カーテン職人さんは一番面白かったです。


 カーテンを恋人みたいに愛されています。ご自分のとりつけられたカーテンを別の用事で後日来られたときに見つめて、「美しい!」とじ~っとりウルウル。恍惚忘我の表情でした。それからわたしがカーテンレールに少しだけ洗濯物のハンガーを干していたら、「これはカーテンのためのレールなのです!」と、すごく怒ってらっしゃいました。お願い、カーテンをあなどらないで!カーテンを大切にして!と、ほとんどカーテンオタクのカーテン屋さんは心のなかで叫んでいらっしゃいます。とりつける前には床に寝かせたカーテンに向かって背筋をのばしてひざまづき、おごそかにカーテンを抱きおこし、それはカーテン姫にご自分を捧げる西洋の騎士のごとく。


 オタクもザ・職人も面白い人ばっかり!<鳩子>

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【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】ピアノのような雲

 以前、構成が得意な方に描写性もと願われ、倉田先生が、


「ピアノのような雲…と云う発想を」

とポエムの一節からヒントを与えられたことを思い出しました。きっとグランドピアノの形みたいな雲のことでしょう。モーツワルトのエチュードが聴こえてきそうです。とてもいいことのあった日、恋をした日かもしれません。見あげた水色の空に、ぷっかりと浮かんでいた雲のことなんでしょう。

 脚本家の依田義賢氏は、

 「私はシナリオを書いて行き詰まると、心の中のその部屋へ逃げ込むんです。純情で、子供のような、そんな詩の部屋を持っているつもりなんです。そこへ逃げ込んで、じっとしてる。そして純な気持ちというんでしょうか。そういうものにひたって、もういいなと思うと出ていく。そういう制作態度をずっと続けてきてるんです」

(「スクリーンに夢を託して」・なにわ塾叢書 より)


と語っていらっしゃいます。

人形作家のおばあさまが創作するときの秘訣を語っておられました。

「歌うように作るんですよ」と…。

子守りしている姉やさんの人形。その人形の揺するように斜めに構えたS字型の腰の線や、薄く閉じられたやさしい目蓋からは、本当に稚児を愛しむ子守唄が聴こえてくるようでした。
いくらコンピューターが進歩しても、詩は人間にしか作れません。

人間にしか描けない心をシナリオに託しましょう。<鳩子>

【シナリオを書いているあなたへのお手紙 for you】盛り下がり

 「盛り上がりに欠けている」とはゼミでよく出る意見です。「盛り上がってますねぇ」とは宴会に遅れてやってきた人のセリフ。


 この「盛り上がり」に反して、盛り下がりの時間を摂ってみました。一人で六甲ライナーに乗って六甲アイランドへ。視界に広がる海と山。盛り下がりにふさわしくない秋晴れの日でした。客気のない家具屋や骨董品店を散策。ジャズバーでビールだけを頼みました。盛り上がりの日なら食べたくないメニューを注文するのですが、盛り下がりデーには本当に自分の欲しているものをじっくり考えます。帰途、住吉から御影まで散歩。「世の中にはこんなお金持ちもいるんだなぁ」とゴージャスなガーデニングに又しても盛り下がりつつ、心中はすっかり過去と現在とアイデンティティーを反芻、瞑想した、有意義な一日でした。


 山田太一さんが公演録の中で、「どうも最近この国では、仲間をたくさん持っていることが素晴らしいことだととる風潮がある。けれど、孤独と向き合うことは大切。必ず何かが見えてくる」とおっしゃっていました。退職されて人間的な厚みを増された方がいらっしゃいます。きっと何かを視つめられたのでしょう。多忙極まる現役時代が可能性を含めた涼やかで鋭利なカットグラスの煌きなら、退職後は、その奥深くに息吹く結晶群がその人の体温を伴い放つ鉱石の輝きです。 


 勿論シナリオではクライマックスへの計算は大事です。ただそれを表面的に描いていると、人の心には届きません。日頃からほんのひと時でも、視つめ、咀嚼する時間を摂るか否かが分岐点だと思います。そしてじっくりと、作者と観客と時代が何を本当に欲しているのかを吟味してみてください。<鳩子>

ハートのあるシナリオ

 シナリオを読み、「うまいけれど何かが欠けている」と思う時、「ハートのあるシナリオか、どうか」と云うことに行きあたります。


 ハートのあるシナリオとは? 例えば、人の心の痛みを察している。いたわりへのデリカシーがある。背後に人生へのあたたかい思想がある。のようなことでしょうか?


 歌手でもいます。うまいけれど、うまいだけ。別れの辛さ痛み、許されない恋を詫びる気持ちはそこはかないけれど、愛することをとめられない孤独、そんな歌を歌う時、人を真剣に愛して傷つけ傷つき絶望し、それでも人生とともに観客を愛せる歌手は、哀しみへのやさしさが歌えるのではないでしょうか?


 するといつも思うのですが、人は誰もがみんな、劇的で変化と苦労に富んだ生き方をできるかどうかです。「あの人は恵まれているからハートのあるシナリオはね」と云われても、誰が誰と較べて、どう恵まれているのか否か。何を幸不幸とするか。価値観は夫々に異なり、人には一つの人生しか与えられていません。文豪と呼ばれる作家でも、みんながみんな、大変な苦労をしている人かと云うと、そうとは云えません。


 とは云え、できることはありそうです。上質の絵を観て、小説を読んで、映画を観て、感じて、ハートを丁寧に上質に磨くこと。今すぐ使えるテクニックを、などと安直な目的だけで乱暴に向かっていては、ハートは磨かれません。映画は二度観ては如何でしょう? 一度目は感じるために。二度目は学ぶために。


そして、芸術よりもハートが磨けるのは人。人の聴こえない声が聴こえる人になって、初めて、聴こえないハートが聴こえるシナリオが描けるようになるのではないでしょうか?描き手として、上質に人を好きになれますよう、耳を澄ませるステキな秋になれば…

冷ややかなリアリティ

近松門左衛門の『傾城反魂香・土佐将監閑居の場』と云う歌舞伎を観ました。吃音であるが故に絵を巡る争いに破れ、閉居している浪人絵師と、彼を支える妻との夫婦愛のお話です。妻の一途なやさしさに涙し、そして、感動とは、人として当たり前の情を描いたものなのだと思いました。その感動がなぜ映えるのかと云うと、冷ややかなリアリティが一方で描かれているからです。夫婦は精根尽き果て共に自害しようと決意。最期にと一心込めて描いた自画像が、手水鉢を突き抜ける奇跡を生み、一挙に絵師は芸術家に格上げされます。それまでは夫婦揃ってボロ衣だったのですが、絵師はひとり豪華な衣装に着替え、歓喜の中、危難の姫君救出へ向かう処で幕を閉じます。その時、支え続けてくれた依然ボロ衣の女房のおかげと、絵師が露も思わない処が、男と云うものを視つめる、冷やかなリアリティだと思いました。

もうひとつは「放浪記」。このお芝居は女の生き方を教えてくれます。男に恋をしては裏切られる主人公。原作は林芙美子の自叙伝、脚色は菊田一男。菊田一男の本が素晴らしいです。承では芙美子の天性の明るさと絶対に凹まない気性を追います。カフェでどじょう掬いを踊る年増女給の芙美子。男に媚を売ることが嫌いな彼女の勝気さが伝わります。しかし、その場面の場面尻には、生活苦から新たな恋に突入。「放浪記」が出版されることを知り、男女雑居寝の貧しい宿で、大喜びででんぐり返り。有名な場面です。明るく進行するのですが、ラスト、有名作家となった芙美子は文机に小説を書かねばと伏したまま亡くなっていきます。ライバルの女流詩人がそっと毛布を肩にかけてあげて、呟きます。「幸せではなかったのね」と…。男から男へ、そして裏切られ、文筆に命を賭けては這いあがり、それでも彼女は幸せではなかったことを観客に伝え、幕はおります。冷ややかなリアリティと、承での人物像の明るさの表現。菊田一男は神様だと思いました。

弱みを見せたい相手と強みを見せたい相手

 好きなシーンです。「その夜、彼女はブランデーをグラスで大きくあおる。愛を捨て、金もうけに生きようと決心した夜だ。その時、粗野だがたくましく生きるレット・バトラーが訪ねてくる。憎みながらも惹かれているスカーレットは、酒のにおいを消すためにあわててオーデコロンでうがいをするのだ。(略)そして案の定、オーデコロンは何の役にもたたず、酔っていることをレットに見抜かれ、彼のプロポーズを受けてしまう」(日経新聞より)

 「風とともに去りぬ」のこのシーンは忘れられません。オーデコロンでうがいをするスカーレットの心理が、分かるからです。もしアシュレーが訪ねてきたら、彼女はオーデコロンでうがいをせず、酔ってしまっている弱い自分をみつめて欲しいと思ったことでしょう。あなたのせいで、私はこんなに弱っているのよ…と見せつけて同情を買い、抱きしめてもらえたなら…と起こり得ない夢想を抱き。ちょっと色気のない例えですが、関西人は初対面でもボケとツッコミの立場を素早く察知します。この人の相手をするなら、ボケルしかないなぁ…なんて。それは人間関係を円滑に進めたい本能のようなもの。


でもこのシーンの女心が果たして、強い男に強みを見せて弱い男に弱みを見せることへの本能的な察知と云うことに、単純につながるのかどうかが、男女間の奥深い処です。おそらくレットなら見抜くことを、彼女は無意識の中で知っていたのでしょう。町の娼婦とも関わりのあるレット。スカーレットはお嬢様として崇めてもらうしか、自分のプライドが守れなかったのでしょう。生きる術もなく、何もかも失ったボロボロの彼女だから。そんな彼女の弱みと戦う姿を愛しく求めるレット。金もうけに生きようと決めたのに、愛されることを捨てられない物語の中の人。愛されたいのに金もうけにしか時間を費やせない現代人。


男の権威のドラマもいいけれど、女心が勇敢にざわめいているドラマが観たい!


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親孝行

 あいつぎ日本人からノーベル賞受賞者が発表されました。暗いニュースがつづくなかでの明るいできごとでした。特にご高齢の方の受賞は、たくさんの人に希望の光を投げたことでしょうね。


 ところで、受賞された方はご高齢なので、栄えある受賞を喜んでもらうご両親も、おそらくこの世にはいらっしゃらないことでしょう…と、不思議な感じにとらわれました。なぜならいつも一所懸命シナリオを勉強されている生徒さんがデビューされると、一番にその方のお母さんに喜んでいただけるかなと思うからです。わたしもむかしラジオドラマのデビュー作品がオンエアされたとき、母と一緒にラジオを聴きました。最後にわたしの名前が読まれると、母は拍手して喜んでくれました。そのときの母の笑顔が忘れられません。


 親孝行とはでもなぜ、栄えある報告のときにいうのでしょう。けっして裕福ではなくても、なんとか元気に暮らしてるということが、本当は一番の親孝行なのですが…。


 むかしわたしが生徒だったころの課題に、「人情」という課題がありました。書くのに困り周囲のいろいろな人に「どんなときに人情を感じますか?」と聞きました。


 すると、高齢の或る婦人は、「嬉しいことを一緒に喜んでもらえたとき」と仰っていました。意味深でむずかしいお返事だと思いました。嬉しいことを心からともに喜んでもらえる人は、もしかするとこの世に親をおいて他にないのかも知れません。哀しいかな他人の心のなかには、妬みが生じます。だから栄えあることの喜びは親とわかちあうべきなのでしょうね。


 でもきっとあなたの家族は、近くにいる人は、シナリオを勉強している生き生きしたあなたの姿を、本当はなによりも喜んでいらっしゃいますよ。

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ドラマティック・ソング

ドラマティック・ソングとして思いうかぶのは「喝采」でしょうか? 恋人の死を知り喝采を浴びている彼女のこれからの人生は? 哀しみを乗りこえ、素晴らしい歌い手として人に愛を伝えてゆくのでしょうか? 孤独とともに…

 クミコのシャンソン、「わが麗しき恋物語」より。町でも噂のちょっとした不良で、わりかし美人の部類だったから、ちやほやされていた19歳のあたし。こちこちになって、ふるえさえして好きといってくれたあなた…人生って奇妙で素敵って、少しだけ泣いた。五年が経ち、あなたの浮気が七回目。あたしの浮気は三回目。視線もそらし会話も減って人生ってそんなもの、でも退屈と思い… 半年後、あなたのくちびるから、聞いたこともない病気の名前。いなくなるの、あなた。白い煙が昇った日、空はどこまでも晴れて、あたしは自分でも疑うくらい、大声で泣いた。人生ってなんて愚かなものなの、みんなあとで気づく…

ドラマティック・ソングの「ドラマ」とは? ふたつの歌の共通点は、物語性、死と人生観。では、シナリオでは、死を出せばドラマティックかと云うと、そうではなくて、失うことへの洞察力だと思います。なぜ失ったのか? そして失うまでもなく、自分と、自分の愛する人が、この世に今、在ることをなぜ視つめられないのか? この、「なぜ」を探すことがドラマの発想源だと思います。愛する人への想いを断ち切った。でも、どうしても、ふたたび彼女の元へ駆けずにはいられない…と云う流れは恋愛映画の醍醐味です。映画「ひまわり」で、男が一旦、別れを決意した女をふたたび訪れるシーン…。今はもう昔に戻れないことを二人は識ります。そして、市井の男女の愛が崩壊したことを通して、反戦のテーマが、胸に刻みこまれます。この胸に刻みこまれる深さの度合いが、「なぜ」への洞察ではないでしょうか?


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私の好きなコメディリリーフ

作品がシリアス一辺倒になりそうなとき、脇の人物にコメディリリーフを配置すると、バランスが保てると云います。私の好きなコメディリリーフは、曾根崎心中の天満屋の女中さんです。これからお初と徳兵衛が心中に出発と云うとき、お初は自分が働く遊郭、天満屋が真っ暗な深夜を迎えるのを、今か今かと待っています。徳兵衛は縁の下に潜んだまま、お初のゴーサインを待っています。ところがこの三枚目の女中さんは、大きな団扇で天井からぶらさがっている釣行燈の火を消そう消そうとするのですが、なかなか消せません。店の主に消すように命じられているのですが、彼女は「あ~ぁ、うるさぁ」と思っています。消えそうになれば、恋のヒロイン、ヒーローは道行き決行モードに入るのですが、頓馬な女中さんはそんな事情は知らず、「あ~ぁ、あたいの仕事はうっとぉしい。こんなこと、はよ済ませて寝よ寝よ」とばかりに、大団扇で釣行燈の火を消すパフォーマンスを寝ぼけながら繰り返します。やがて火は消え、女中さんが大の字に大あくびで眠ったあと、ヒロインたちは、恋の道まっしぐらに、天神の森へ死への旅路につきます。

私がどうしてこのコメディリリーフが好きなのかと云いますと、笑うに笑えない人間への視線を感じるからです。笑っているうちに、はたと、「あなたはこの女中さんを笑えますか?」と鋭く突きつけられたことに気づきます。この世のたくさんの人が、この女中さんのように人生を受けとめていませんか? 生活しか目に入らずに、あ~ぁ、つまらん…それこそ、あなたの現実ではありませんか? 現実と非現実。舞台と客席。その狭間が妙味です。フランス映画のような恋愛至上主義を、上方流ヒネリで表現した笑いが絶妙です。大阪と云うと、コテコテやベタベタの文化と連想する人も多いようですが、なんて洒脱な笑いなのでしょう。私はやっぱり、この町、大阪が好きです。