冷ややかなリアリティ
近松門左衛門の『傾城反魂香・土佐将監閑居の場』と云う歌舞伎を観ました。吃音であるが故に絵を巡る争いに破れ、閉居している浪人絵師と、彼を支える妻との夫婦愛のお話です。妻の一途なやさしさに涙し、そして、感動とは、人として当たり前の情を描いたものなのだと思いました。その感動がなぜ映えるのかと云うと、冷ややかなリアリティが一方で描かれているからです。夫婦は精根尽き果て共に自害しようと決意。最期にと一心込めて描いた自画像が、手水鉢を突き抜ける奇跡を生み、一挙に絵師は芸術家に格上げされます。それまでは夫婦揃ってボロ衣だったのですが、絵師はひとり豪華な衣装に着替え、歓喜の中、危難の姫君救出へ向かう処で幕を閉じます。その時、支え続けてくれた依然ボロ衣の女房のおかげと、絵師が露も思わない処が、男と云うものを視つめる、冷やかなリアリティだと思いました。
もうひとつは「放浪記」。このお芝居は女の生き方を教えてくれます。男に恋をしては裏切られる主人公。原作は林芙美子の自叙伝、脚色は菊田一男。菊田一男の本が素晴らしいです。承では芙美子の天性の明るさと絶対に凹まない気性を追います。カフェでどじょう掬いを踊る年増女給の芙美子。男に媚を売ることが嫌いな彼女の勝気さが伝わります。しかし、その場面の場面尻には、生活苦から新たな恋に突入。「放浪記」が出版されることを知り、男女雑居寝の貧しい宿で、大喜びででんぐり返り。有名な場面です。明るく進行するのですが、ラスト、有名作家となった芙美子は文机に小説を書かねばと伏したまま亡くなっていきます。ライバルの女流詩人がそっと毛布を肩にかけてあげて、呟きます。「幸せではなかったのね」と…。男から男へ、そして裏切られ、文筆に命を賭けては這いあがり、それでも彼女は幸せではなかったことを観客に伝え、幕はおります。冷ややかなリアリティと、承での人物像の明るさの表現。菊田一男は神様だと思いました。