ハートのあるシナリオ | シナリオ・センター大阪校 鳩子の日記

ハートのあるシナリオ

 シナリオを読み、「うまいけれど何かが欠けている」と思う時、「ハートのあるシナリオか、どうか」と云うことに行きあたります。


 ハートのあるシナリオとは? 例えば、人の心の痛みを察している。いたわりへのデリカシーがある。背後に人生へのあたたかい思想がある。のようなことでしょうか?


 歌手でもいます。うまいけれど、うまいだけ。別れの辛さ痛み、許されない恋を詫びる気持ちはそこはかないけれど、愛することをとめられない孤独、そんな歌を歌う時、人を真剣に愛して傷つけ傷つき絶望し、それでも人生とともに観客を愛せる歌手は、哀しみへのやさしさが歌えるのではないでしょうか?


 するといつも思うのですが、人は誰もがみんな、劇的で変化と苦労に富んだ生き方をできるかどうかです。「あの人は恵まれているからハートのあるシナリオはね」と云われても、誰が誰と較べて、どう恵まれているのか否か。何を幸不幸とするか。価値観は夫々に異なり、人には一つの人生しか与えられていません。文豪と呼ばれる作家でも、みんながみんな、大変な苦労をしている人かと云うと、そうとは云えません。


 とは云え、できることはありそうです。上質の絵を観て、小説を読んで、映画を観て、感じて、ハートを丁寧に上質に磨くこと。今すぐ使えるテクニックを、などと安直な目的だけで乱暴に向かっていては、ハートは磨かれません。映画は二度観ては如何でしょう? 一度目は感じるために。二度目は学ぶために。


そして、芸術よりもハートが磨けるのは人。人の聴こえない声が聴こえる人になって、初めて、聴こえないハートが聴こえるシナリオが描けるようになるのではないでしょうか?描き手として、上質に人を好きになれますよう、耳を澄ませるステキな秋になれば…