流離の翻訳者 青春のノスタルジア -39ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

渡部昇一「知的生活の方法」に読書に関して以下の記述があった。

 

「読んだことで興味をひいたことは書きとめておくのがよいと言われるが、それは限られた目的のほかは、かえって害がある場合が多い。というのは、ちょっとしたことをカードにとるだけでも、非常な精神的努力と実際のエネルギーが要る。だいいち、読書が中断される。 ……… (読んだこと=本)の感心したところに赤線を引き、特に感心したところは欄外に赤丸を、しかも重要性に応じて一重、二重、三重とすれば、あとでパラパラめくり直せばすぐわかる。 ………」

 

 

以前は、専門書については要点をメモ紙などに書き出しながら読んでいた。確かに時間が掛かっていた。これが挫折の大半の原因だった。

 

今回、一回目の通読については赤線を引くのみとした(赤丸は付けてはいないが)。これでかなり楽に読めるようになった。今は、二回目読むときに書き出しを行おうと思っている。どうせ一回読んだだけでは理解できないのだから。

 

 

「京大」英作文のすべて(鬼塚幹彦著・研究社)は、過去の京大の英作文問題を分析したものである。同書では京大の英作文の問題が日本語のテーマごとに分類されている。その「第5章 読書」に以下の問題があった。

 

本問は随分昔のものだが、最近は電子辞書が普及したので、なかなか「あれこれと眺める」ことは難しくなった。これもデジタル化の弊害の一つかも知れない。

 

 

 

(問題)

特に目的もなく百科事典の項目をあれこれと眺めるのは、ちょうど広大な図書館の書架の中をあてもなくうろつくことに似ている。おもしろそうな題の本が目にとまってふと手がのびるように、われわれは偶然に見つけた事典の記述につい読みふけってしまうようだ。(京都大学・1996年後期日程)

 

 

(拙・和文英訳)

Browsing through various items in an encyclopedia without any specific purpose is just similar to moving around the bookshelves of a huge library at random. Just as when we find a book whose title seems to be interesting, we are apt to pick it up, so when we happen to find an eye-catching description in an encyclopedia, we are likely to be absorbed in reading such a description unintentionally.

 

昭和の頃の冬は寒かった。暖房も石油ストーブと練炭の掘炬燵がメインである。夜寝るときに湯たんぽや行火(あんか)を寝床に入れていたことを思い出す。

 

一冬に二三回は雪が積もって雪合戦ができた。私が小学校に入学する前の1963年(昭和38年)の大雪は三八豪雪とも呼ばれているが、当時の子供にとって雪は「寒い」ものではなく「楽しい」ものだった。

 

 

 

学生時代、京都に下宿してからその考えが変わった。京都の冬は非常に寒い。下宿にはストーブは無く電気炬燵だけだった。朝方、室内の洗面所の金盥(かなだらい)の水の表面に薄く氷が張るほどの寒さだった。明らかに雪は「寒い」ものに変わった。

 

さらに東京で勤務した頃。1983~1984年(昭和58~59年)の冬は記録的豪雪(五九豪雪)となった。アイスバーンと化した道路や駐車場で数回転倒した。雪道に革靴が如何に恐ろしいかを思い知った。雪は「恐くて痛い」ものになった。

 

 

「英文表現法」に昭和の二月を描いた文章を見つけたので英訳する。荒涼とした光景が思い起こされる。

 

 

 

(問題)

前の空地に一本大きな冬枯れの樹木があった。箒を逆さにして空にかからせたようなその梢に、どうしてのこったかたった一枚真赤な楕円形の朽葉がひらひらと動いていた。それが透明な2月の碧空の前に、ぽとりと滴った血のように美しく見える。(宮本百合子)

 

 

(拙・和文英訳)

There was a desolate wintry tree in the front vacant land. In the treetop which appeared to be a broom hanged upside-down on the sky, the only one oval deep-red dead leaf, I don’t know why it remained there, was fluttering. The leaf looked beautiful like a drop of blood dripping down with a plop against the transparent blue sky in February.

 

立春を過ぎて寒波は一旦遠のいたように思われる。今日も15℃近くまで気温が上がり春を思わせる天気だった。

 

 

難解な丸山真男「日本の思想」を読み終えてやっと専門書の講読に戻った。加えて渡部昇一の名著「知的生活の方法」を読み始めた。こちらは随分読みやすい。

 

 

 

音楽でサビの部分だけを覚えているという曲が結構あるものだ。たぶんサビの部分の心地よい刺激が脳に記憶されているからだろう。そんなことを考えながら「英文表現法」をパラパラめくっていたら以下の伊藤 整の文章に出くわした。

 

英訳に挑戦してみたが、相当手強かった。文の内容自体がわかりづらいのである。必死に咀嚼して英訳したが今一だ。もっと上手い英文を書ける方も多いだろう。

 

 

(問題)

音楽の中では、あるテーマがいろいろ変化を示しながら進む。根本的には同じテーマが、繰りかえされることによって快感を人に与えるようになっている。この快感はどこから来るかというと、人が自己の個性や生活条件をもったままで、いろいろなことを繰りかえして生きてゆきながら味わうところの感動が音響に託されて生かされているということから来る。そして反復はリズムというものであり、あらゆる芸術はこの反復によって、その快感を得ることになっている。(伊藤 整)

 

 

(拙・和文英訳)

In a piece of music, a certain theme advances while showing its various changes. Fundamentally, music has the mechanism that the same theme can give people a pleasant feeling by repeating itself. Where does such a pleasant feeling come from? It comes from the fact that the emotions which people have experienced through their lives while repeating various things with their own personalities and living conditions kept as they are, are fully exploited by leaving these emotions to a sound. And, such a repetition is called rhythm. In all arts, people are supposed to gain the pleasant feeling through this repetition.

 

丸山真男の「日本の思想」に関して、本Articleでは日本の「固有信仰」である「神道」「実感信仰」について整理し、同書についての記述を完結させる。

 

「神道」については本居宣長と荻生徂徠の二人の考え方が紹介されている。

 

本居宣長は儒仏以前の「神道」の思考と感覚を学問的に復元しようと試みた。それに対して荻生徂徠は、神道のイデオロギー(教義)について、神道には人格神にせよ非人格神にせよ、究極の絶対者というものは存在しない、すなわち開祖も経典も存在しないと指摘した。

 

……「神道」はいわば縦にのっぺらぼうにのびた布筒のように、その時代時代に有力な宗教と「習合」してその教義内容を埋めて来た。この神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、先に述べた日本の思想的「伝統」を集約的に表現していることはいまでもなかろう。(p.23)

 

これに対し、宣長はこの不存在を認めざるを得なくなり、終には開き直り、あらゆるイデオロギーは虚偽なのだ、すなわちあらゆるイデオロギーの拒否を導き出した。

 

丸山は、この宣長のイデオロギーの拒否により、国学特有の非論理的、感覚的な思考様式が、徳川時代の一国学の範囲を超えて、明治以降の日本人の思考様式を束縛したと考えた。

 

 

丸山は、その束縛の例として日本の近代文学を挙げている。

 

日本の近代文学は、「いえ」的同化と「官僚的機構化」という日本の「近代」を推進した二つの巨大な力に挟撃されながら自我のリアリティを掴もうとする懸命な模索から出発した。(p.59)

 

丸山は、この束縛の与件として、

①感覚的な語彙が多い反面、論理的な語彙が乏しい日本語の言葉としての特徴

②日本語の特徴にも関連して「心持」を極度に洗練された文体で形象化する日本文学の伝統

③合理主義や自然科学の精神を前提に持たない日本のリアリズムの性質など

④日本の文学者が官僚制の階梯から脱落者や家・郷土からの遁走者のような「余計者」として認識されたという事情

を挙げている。

 

丸山は、この国学的思考様式やその日本文学への影響により、日本的思考は、荻生徂徠的な合理主義(「理論思考」)の芽が摘まれ、魑魅魍魎の世界へはまり込んで行ったとしている。また、このような日本的思考の特徴を「実感思考」と名付けた。

 

この「実感思考」の同時代の第一人者として、丸山は暗に小林秀雄に言及している。ここで小林秀雄が出てきた。

 

 

 

「日本の思想」は結局のところ「日本には厳密な意味での思想といえるようなものは存在しなかった」と結論付けている。それを、何故存在しなかったかと言うと ………… について、神道に始まって、徳川時代の国学(本居宣長と荻生徂徠)、明治以降の日本文学、さらに小林秀雄へ至るまで歴史的かつ論理的に説明している。従って、同書の中で言及されている様々な思想家や学者の文献や思想に対する深い知識無くして、結局同書の内容を真に理解することはできない。以上が本書を読み切った私の感想・結論である。

 

「英文解釈難問集」からもう一問**レベルの難問に挑戦する。

 

 

熊本大学は旧制・第五高等学校の栄光を受け継いでいる。また夏目漱石、ラフカディオ・ハーンなど優れた英語教師陣の伝統からか、英語に力を入れている大学という印象があった。

 

 

以下の英文は50年くらい前の日本の家庭における父母(母親は専業主婦)の肖像を記述したものである。母親は「サザエさん」おフネさんみたいである。

 

この問題はとくに語彙が難しい。また意味は取れてもそれをどう日本語で表現するかが迷うところである。前回以上の難問と思われる。

 

 

 

(問題)

In the memory which I retain of my early childhood my father appears clearly as the central figure around whom our family life revolved, whereas my mother’s image is far less distinct. In fact the clearest recollection I have of her from that period, is of a quiet person who moved around slowly in the kitchen as she prepared our meals, and who was always present in time of crisis ―― such as waiting on my father during his periodical attacks of gout and tending my frequent cuts and bruises with calm efficiency. Complete calmness and apparent lack of emotion under any circumstances, in spite of almost constant physical discomfort, remained with her throughout her life. This resolute placidity was almost frightening at times.

Note: gout — 痛風、手足の関節の痛む病気

(熊本大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

私の幼少の頃の記憶では、父は私たちの家族生活の中心的な人物としてはっきりと現れるのだが、その一方で、母のイメージは父よりもずっとはっきりしない。実際のところ、私がその時期の母についての最もはっきりした記憶は、母が我々の食事を準備するときに台所をゆっくりと動き回る人だったこと、また何らかの難局に際して―例えば、父の定期的な痛風の発作の世話や、私の頻繁な切り傷や打ち身に対する冷静で効率的な対応など―いつもその場にいた静かな人だった。母も、ほとんどいつも、なにがしかの身体の痛みや不快感があったはずだが、いかなる状況においても全く冷静だったこと、また感情を表にださなかったことは、母の生涯を通じてずっとそのままだった。この断固たる平静さは、時には恐ろしくさえもあった。

 

※和訳がとくに難しいだろうと感じたところに下線を付した。

 

英文解釈関連の本はあまり持っていない。①「英文をいかに読むか」(朱牟田夏雄著・文建書房1959年)、②「英文解釈難問集」(学生社編集部編・学生社1978年)くらいである。いずれも受験で使ったわけではなくしっかり読んではいない。

 

 

 

 

昨晩②をボーっと眺めていて結構難しい問題が掲載されていることを知った。とくに難しい問題には*、さらに難度の高い問題には**を付しているという。

 

 

**の付された問題の和訳に以下のとおり挑戦してみたい。

 

 

(問題)

In a society devoted wholly to labor, leisure would be thought of as merely rest or spare time: if there is continuous leisure, it becomes idleness or distraction. Idleness and distraction are reactions against the unpleasantness or dullness of labor: they make up for the time wasted on work by wasting time in other ways. A life divided only between dull work and distracted play is not life but essentially a mere waiting for death, and war comes to such a society as deliverance, because it relieves the strain of waiting. It is generally realized that idleness and distraction are very close to the kind of boredom that expresses itself in smashing things, and hence there is a widespread feeling, which is at least a century old, that mass education is needed simply to keep people out of mischief. This is not a very inspiring philosophy of education, nor one at all likely to effect it purpose. (京都大学・1978年以前)

 

 

(拙・英文和訳)

人々が全面的に労働に専念する社会では、余暇は単なる休息または空き時間とみなされる。継続的な余暇があれば、それは怠惰または気晴らしとなる。怠惰と気晴らしは、労働の不愉快さや鬱陶しさ対する反応である。怠惰と気晴らしは仕事で浪費された時間を、他の方法で同じように浪費することにより埋め合わせる。鬱陶しい仕事と気晴らしのための遊びにのみ分割された人生は本当の人生ではない。それは実質的には単に死を待っているだけのことに過ぎない、戦争はそんな社会に「救出」として訪れる。何故なら戦争は待つことに対する緊張感を和らげるからだ。怠惰と気晴らしは、物を破壊することにより表現されるある種の退屈さに非常に近いことが一般的に理解されている。そしてそれ故、少なくとも1世紀も前から、人々にそうした悪さをさせないように大衆教育が必要であるという考え方が広まっている。この考え方は、決して人々を鼓舞するような教育の原理でもなければ、教育の目的を達成するようなものでもない。

 

※和訳がとくに難しいだろうと感じたところに下線を付した。

 

まあ、辞書なしに受験の緊張感・短時間の中で上記のような文を和訳するのだから大したものだ。頑張れ!受験生!

 

先月、学生時代の友人と飲んだときに私の「古書への旅」の話をしてみた。彼の答えは一言「俺は基本的に過去にはこだわらない。過去のことを忘れなければ新しいものは入ってこない」という淡々としたものだった。

 

まあ私の場合、忘れなければならないほどの「過去のこと」が元々脳に入っていないため取り急ぎ詰め込んでいるところなので、とくに問題はなかろう。

 

 

以下、時々感じていたことを書いてみる。

 

彼のような中高一貫型(私立)出身者と私とはそもそも勉強の仕方が異なるように思う。彼らは小学校高学年から受験勉強を経験しており頭の回転が速く合理的かつ効率的に勉強するタイプが多い。私のような公立中学⇒県立高校(中位)とは本来姿勢が違うのである。

 

 

私は大体のんびりと勉強する方だった。勉強に「遊び」の部分が多いということかも知れない。勉強の中に「面白さ」を求めようとするので効率は落ちる。しかし、どんな科目でも「面白さ」がなければ勉強する気にならない。

 

ただ一旦「面白い」と感じたら教科書を超えてとことんやる。とくに人から褒められると調子に乗る。時にそれが大きな成果を生み出すことがある。まさに「快感!」である。

 

 

まあ人それぞれなので勉強は自分のやり方で進めた方がいい。がんばれ!受験生!

 

 

読書について「英文表現法」に武者小路実篤の以下の文章があった。こんな厳しいことをいう人もいるが、時間つぶしの読書も決して悪くない。

 

 

(問題)

血や肉となる読書は本当の読書だ。読んでも血や肉にならない読書は読むだけ損だ。時間つぶしにはいいが、本当の読書家は読めば読むほど賢くなる読書家だ。しかし大事なのは自分の生活が進歩することだ、だんだん本当のことがわかるのが意味があるのだ。物知りになる事も勿論悪くはないが、本当に賢くなるのではないと役立たない。僕は役に立つ読書は大事な事と思う。(武者小路実篤)

 

 

(拙・和文英訳)

It is just the true reading that you can enrich your body and soul through it. Reading that will not become your blood and flesh cannot pay to you. Indeed such kind of reading is good for killing time, but if you are a true reader, the more you read, the wiser you become. Nevertheless, the most important thing is to improve your life through reading. Also, it is meaningful that you come to gradually understand true things through reading. It is not bad of course to become a knowledgeable person, however such knowledge would not be useful unless you become a truly wise person. I think such useful reading is very important.

 

 

以前書いたかもしれないが、小学校3年くらいの頃「クレヨン画」を習ったことがあった。先生のアトリエはバス停で3つくらい離れたところにあった。毎週日曜日の午前中近所の子供たちと一緒にアトリエに通った。

 

コンクリートの壁に白いペンキを塗ったような幾何学的なアトリエだった。描くものは毎回花瓶に差した花。いつも静物ばかりで風景を描くことはなかった。

 

毎回1時間くらいで絵を仕上げ先生が10分くらいで手直しをした。あっという間に絵が生き生きとしてきた。花に少し色を加えたり花瓶の輪郭をはっきりさせたりしただけでこんなにも変わるのかといつも驚いた。まるで「プレバト」の夏井先生の俳句の添削みたいなものである。

 

 

英訳のチェックを主にやっていたころ一次翻訳者の英文(下訳)を一日中添削していた。語句や構文の手直しで済むものもあれば、リメークした方が早いくらい酷いものもあった。

 

そんなときいつもこのクレヨン画を習った頃を思い出していた。先生はどんな気持ちで私の絵を手直ししていたのだろうか …… と。

 

 

 

「英文表現法」に、そんな絵画の描き方に関する文章があったので、以下に英訳を作成してみたい。簡単そうに見えて語彙や構文の構造は難しそうである。

 

 

(問題)

自然の景色や、静物などを描こうとするとき、鉛筆で描くか、墨で描くか、絵の具を使うかは、描こうとする対象の美をどこに見出したかによるだろう。形の美しさに打たれたときには、それを強調した線画がよい。これに反して煙霧の中に見え隠れする樹木や山岳を描くには、墨絵に限る。といってあざやかな色彩の花の絵を墨で描いたのではつまらない。光琳の屏風を黒白の写真で見たのでは興味索然たるものであろう。(山内 恭彦)

 

 

(拙・和文英訳)

Which one do you use, a pencil, India ink or color paints, when drawing a picture of natural scenery or a still life, may depend upon where you have found the beauty in the object you are going to draw. If you are impressed by the beauty in the shape, it would be better to draw it as a line drawing emphasizing the shape. On the other hand, if you intend to draw trees and mountains appearing on and off in a misty rain, the best thing to do is to draw it as an India-ink drawing. However, it must be disappointing if you draw a picture of flowers blooming in brilliant colors with India ink. It is nothing less than devoid of interest if you look at a folding screen drawn by Korin OGATA in a black and white picture.

 

一月は、友人との再会や三月の上京の準備などで慌ただしく過ぎつつある。久しぶりに楽しいひと月だった。

 

 

「古書への旅」を始めてから、何となく生活にメリハリが付いてい来たように思う。現時点で「比較社会史への道」(大野英二(故人)著・未来社)および「日本経済の憂鬱 デフレ不況の政治経済学」(佐和隆光著・ダイヤモンド社)を読み始めた。

 

いずれも学生時代に「経済政策」「計量経済学」の講義を受けた教官の著書である。

 

 

 

 

また、この歳になると友人や知り合いで著書を出版している人も数人おり、可能な限りそんな本も読んでおきたいと思っている。

 

 

丸山真男「日本の思想」の二回目の通読に入る前に「英文表現法」から以下の日本語の英訳に挑戦したい。「日本の思想」に較べれば中身は決して難しいものではない。

 

 

(問題)

物の考え方、とくに価値観の多様化は、実は社会に思想の自由がある証拠だといってよい。それが不安だとすれば思想の自由がまだ日本には定着していないからである。日本人は長い間、全体主義的に価値が統一された社会に生活してきたため、価値の多様な社会での、生き方になれていない。それゆえ現代もっとも懸念しなければならないのは、人々がこうした精神的不安にたえられなくなり、再び画一的な価値への世界への「自由からの逃走」をはかる危険についてであろう。(野間 宏)

 

 

(拙・和文英訳)

It is not too much to say that diversification of a way of thinking, especially a sense of values is in fact the evidence that there is freedom of thoughts in the society. If you feel somewhat uneasy about this, I think it is because the freedom of thoughts has not yet become established in Japan. Since Japanese people have been living for a long time in the society where values were unified in a totalitarian regime, we have not yet been accustomed to how to live in a society with such diversification of values. Therefore, the most concerning thing today is the danger that people could become unbearable to such mental uneasiness, and even attempt an “escape from freedom” back to a world with a stereotypical value.

 

三日間ほど続いた降雪も止み、今日は凍るような星空が冷たい三日月を湛えて広がっている。今年の冬は寒い。

 

 

丸山真男「日本の思想」やっと何とか一回読み終わった。はっきり言って難解だった。理解した部分について以下に書いてみる。

 

ヨーロッパにおけるキリスト教、中国における儒教のような「座標軸」となるものが日本には形成されなかった。明治維新以降、明治憲法の起草時に初代内閣総理大臣、伊藤博文はこの「座標軸」「皇室」に求めた。ここに「国體(こくたい)」という観念が成立した。「国體」とは皇室(天皇)を国家の権威の淵源とする考え方をいう。

 

これにより鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終末まで約700年続いた武家政権の中で半ば傀儡と化していた皇室に権力のみが付与されて猛威を振るうようになった。「国體」がさしたる軋轢も無く導入されたのは、当時皇室に対抗できるだけの勢力が無かったためでもある。

 

そのため、明治政府は日本の固有信仰である「神道」を利用しながら皇室を「神聖にして犯すべからず」として神格化していった。

 

 

また丸山は西洋文化を「ササラ型」、日本文化を「タコツボ型」と比喩している。

 

「ササラ型」とは、ササラ(筅=細かく割った竹を束ねたもの。飯器などを洗うのに用いる。)のように同じ根っこから様々な枝葉が分かれるタイプの文化を言い、根っこが共通だから枝葉同士の対話が成り立つ。

 

一方で「タコツボ型」とは、様々な学問、芸術、社会組織までタコツボのように孤立して存在し、相互の関り合いがなく対話が成立しない。

 

 

また、こんなことも書かれていた。

 

「文科系、理科系のいろいろな学部をもっている大学を綜合大学といいますが、綜合という言葉は実に皮肉でありまして、実質はちっとも綜合ではない。法科とか経済とか、いろいろな学部があって、それが地理的に一つの地域に集中している、各学科の教室や研究室が地理的に近接しているというのを綜合大学というにすぎない。そこで綜合的な教養が与えられるわけでもなければ、各学部の共同研究が常時組織化されているわけでもない。ただ一つの経営体として、大学行政面で組織化されているというだけのことです。ユニヴァ―シティという本来の意味からは甚だ遠いのが実情です。」(p.153-154)