SAPPERの兵隊・抑留記 -5ページ目

Bさんの奇妙な体験(その4)   --宴--

 
 夕食は、上機嫌の頭目始め主立った隊員に囲まれ、Bさんと相棒は客人として扱われ、食事は若い女性二人(頭目の娘?)の世話である。日本酒は燗までしてある。まるで宴会のようである。こんなところで燗酒とは‥‥ 
 翌日、朝食後、頭目と別れて帰路につく。
 
 例により、頭から袋を被された。手は自由、馬の手綱を持たされる。さ迷う如くあちこち引き回され方向音痴となったところで下馬。頭の袋がとられた、草原の真っ只中であった。すっかりなじみになった隊長から所持品を返還され「あそこの丘陵を越えると鉄路が見える」と教えられた。ここで『馬賊』と別れた。
 
 鉄路が見えるところまできた。と、煙が見える。奥地へ向かう列車だ。しかし、こんなところは早く脱出したい。二人は大声をあげながら走った。こんなところから聞こえるわけがない。それでも列車は人影を認めたのか徐行態勢に入った。ところが 後方からか列車に向かって銃声だ。危険を感じたのか徐行態勢の列車は加速され行ってしまった。
 
 ようやく線路にたどり着く。列車通過後、銃声はない。あれは何なんだろう。分からない。次の列車も徐行してくれるが止まらないだろう。足場のいいところを今のうちに捜しておこう。
 
 省都方面行の列車が見えてきた。線路上に出て大きく手を振る。徐行した列車に相棒共々うまく乗ることができた。徐行中列車の後部に数名乗ったようだ。結構利用しているらしい。
 
 “助かった”実感である。
 
 
 
つづく
 
 
 

Bさんの奇妙な体験(その3)   --尋問--

 
 夕食は腹が減っているのにろくすっぽ喉を通らない
 
 夜具は絹布団である。豪勢なものだ。翌朝、なるようにしかならない、と腹をくくったら少し落ち着いた。
 
 朝食はしっかりとることができた。午後になって頭目が帰還した。暫くして、頭目に呼び出された。
 
 案内された部屋が凄い。流石(さすが)「馬賊の頭目」だ。床は絨毯、毛皮の敷物。壁は書画、家具類も豪華だ。戸棚には、洋酒、日本酒、支那酒‥‥
 
 頭目は椅子から立ち上り「遅れてしまって すまん聞きたいことがある」と、いよいよ訊問の開始である。
 
 型通り、国籍、姓名、年齢、勤務先、職種、勤務先の出張所や(支店のある)省都の治安状況など‥‥であった。日本軍の動向などについては、彼らのほうが詳しいらしく、尋ねられたりはしなかった。
 
 緊張していたせいか、何となく雑談形式みたいな雰囲気の中で訊問(?)は終わった。
 
 頭目曰く「すまなかった、今日の終列車に間に合わぬ、明日解放する。又一晩ゆっくりしてくれ」‥‥
 
 
 
つづく
 
 
 

Bさんの奇妙な体験(その2)   --包囲--

 
 どの位かかるか分からないが、まだ陽も高い。日没までにはなんとかなるだろう。二人線路に沿って歩きだした。仕事も順調に済ませたし気分は爽快。ゆったりした気持ちで会話を交わしながら歩いていた。
 
 どのくらい歩いたろう。1時間か2時間くらいか。
 
 ふと前方の馬影に気づき、右にも左にも見えるではないか。皆我々と同じ方向に向かっているようだ。
 
 ハハ-ン、部落が近い。駅ももうひと踏んばりだ位に考えて歩を進めていたら、何となく馬が大きくはっきり見えるようになり、2人共「ヤバイッ」と感じた時すでに遅く、アッと思う間もなく包囲。抵抗もできぬまま 彼ら馬賊の虜になってしまったのである。
 
 両腕を縛られ、頭から袋を被せられた状態で馬に乗せられての連行である。
 
 方向が分からぬように進路を変えて進むので、方向は全く掴めない。ようやく土塀で囲まれた家に連れ込まれた。『馬賊』の捕虜だ。
 
 隊長らしき男が縛を解きながら言う。
 
 「反抗したり逃げようとしなければ、この土塀内は自由にしてよい。首領が明日来る。今日はゆっくりしてくれ」と……。冗談じゃない。ゆっくりもなにも、生きた心地がしない。それでも二人一緒の部屋に軟禁状態だ。 
 
 
つづく
 
 
 

Bさんの奇妙な体験(その1)   --最終列車--

 
 Bさんは「共同住宅建設班」(N准尉の配下)にいた我々の仲間である。彼は娑婆の経験も長く、
建築関係に明るい。

 

 おそらく俺より10歳以上年上だったと思う。キビキビしていて足場の上を鳶職のように飛び動く気持ちいい人だ。
 

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 以下Bさんの体験談である。
 
 彼は満洲北部の某省都に支店を置く某建設会社の僻地出張所の職員であった。
 
 あるとき、出張所からさらに奥地の村の調査に同僚と二人で向かった。途中まで汽車だ。無人駅で下車。あとは徒歩。10キロメ-トル位か。
 
 その村を足掛かりに数日かかった調査も終え帰路につく。ところが、運悪く無人駅に着いたら最終列車が通過した後だったのである。付近に人家も宿泊施設もない。
 
 思案の末、次の駅(有人駅)まで歩くことにした。
 
 
 
つづく
 
 
 

兵隊・抑留記(95)  タバコの種火を保存するには

 
抑留後期 - その16
 
 
 抑留者に嗜好品として《タバコ》が支給されるようになった時期については覚えていない。が、この《タバコ》「マホルカ」という。
 
 「マホルカ」は、乾燥した煙草の葉のいい部分を取り除いた、葉脈部分を細かく刻んだものである。早く言えばタバコのかすである。これを細長く新聞紙などに包んで、紙の端を唾液で貼り付けて、タバコが完成するというわけだ。最初、慣れない内はいくら舐めてもうまく貼れず、タバコ一本にも苦労したものだ。
 
 マッチなどないため、「火」は火打石からとることになる。
 
 火打道具の構成は、火打金(三角形又は櫛形の鋼鉄・鉄片)火打石(石英の一種、火縄と火消し筒(親指位の茶筒状のもの・ブリキ製)である。
 
 左手の親指の付け根に火縄を軽く挟む、次に火打石を親指と人差し指でしっかり保持する。鉄片を右手に持ち、石と打ちあわせ火を発生させる。火花には外側に線香花火みたいにぱちぱちとはねるものと、内側に太く2~3本孤状に走るものがある。この内側に走る火花を火縄の先端にうまく着床、着火といけば成功というわけである。が、火縄に問題がある。火縄の一端は火を付けた後、火消し筒に入れて、消しておかなければならない。火縄を火消し筒から引き出したとき、黒く焦げて炭化した上に白い灰状のものがある。この白い部分に火花が乗ると着火する。白い部分がなく黒い炭化部だけだと、うまく着火しないのである。
 
 建設作業の最初の休憩時には火打道具でタバコの火を得るが、せっかく作った『火』は次の休憩まで持たせるために作業場付近の原に落ちている牛糞(ひと冬過ごした)に火を移しておくのである。牛糞はもぐさ状であり、臭いもなく便利であった。                          

 

 

つづく

兵隊・抑留記(94)  永久凍土

 
抑留後期 - その15
 
 
 この地、ブカチャチャに於ける建築の基礎工事について若干触れてみよう。布基礎(連続基礎)の掘削の場合、夏の最高気温であっても凍った土が溶けない(永久凍土)面まで掘り下げ、そこを布基礎の底面とする。
 
 日本の寒地建築では、一年中凍らない面まで掘り下げ、そこを基礎の底面とする。
 
 どちちらの国も、そうすることによって、凍上被害を防いでいるのだ。
 
 一戸建の住宅では、丸太材を横に積み上げた、いわゆる山小屋式というか平屋が多かった。
 
 
つづく
 
 

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ブログ管理人から。

布基礎(ぬのぎそ)は、逆T字型の基礎で立ち上がり部分が建物の壁面に沿い、地盤に接する底面が建物の過重を分散する構造だそうです。

 

 

兵隊・抑留記(93)  命びろい、ミキサー撤収で事故発生

 
抑留後期 - その14
 
 
 こうして、われわれ作業者は労力削減・体力温存を喜び、ソ聯側は作業能率の向上を喜んだわけである。
 
 かくして、宿舎建設のコンクリート打設は完了し、ミキサーを地上に下ろすことになった。今度は引き上げたときと逆の作業だ。神楽桟のワイヤーを徐々に緩めてゆっくりミキサーを下ろさねばならない。
 
 いよいよ作業開始である。足場上の平らなところは息も合いスムーズに進行した。ところが、登り桟橋の下り勾配に差しかかって、間もなくであった。ミキサーの重心は後部にあるため水平に押し出されて鉄パイプのコロが前部から次々浮いてしまう。ようやく重心が前に移ったときに事件は起こった。
 
 ミキサーは上り桟橋の勾配上に置いたコロにうまく乗らず、コロをはじき飛ばしてしまったのである。この衝撃は、支持ワイヤーを通して神楽桟に達した。神楽桟の作業者はこの衝撃で大きくバランスを崩したため、ワイヤーは緩んでしまったのである。
 
 ミキサーはガクンと左斜めに(宿舎の反対側)に傾いた。進行方向左側、ミキサーの後ろに位置していた“俺”は咄嗟にミキサーを支えようとしていたのである。しかし、凧糸の切れた凧のように、バランスを崩したミキサーを人間の一人や二人で支えられるわけがない。ミキサーは“俺”の手を離れて登り桟橋をはずれゆっくりと転落していった。(あそこに落ちたら〈ナシンキ〉があり、これは痛いぞ)と思った瞬間、ミキサーと神楽桟間に張ってあるワイヤーに接触し、跳ね飛ばされてしまった。
 
 気がついたら、足場上の板の張ってない桁の先にしがみついていたのである。正に軽業(かるわざ)だ。
 
 胸部・両腕打撲、しびれて感覚がない。“俺”を跳ね飛ばしたワイヤーは頭を越えてすぐ左脇にあるではないか。(もしワイヤーが肩や背中で止まっていたら“俺”はどうなっていただろう)。
 
 仲間が駆けつけて足場板のある方に来いというが、しびれたままで動けない。足場を継ぎ足して助け出してもらった。命拾いである。
 
 仲間の一人は“俺”の後ろに居たのだが、同じようにワイヤーに跳ね飛ばされ、仰向けに落下したが途中足場の支柱補強用の筋かい(X状)に背中を打ちつけ、一回転してドシン。地上に尻もちをついたのである。彼は目を白黒させたが、“俺”より被害僅少、異常無し。
 
 主な人身災害はこの二人だけであり、落下したミキサーはハンドルを折損したが、溶接補修・検査の結果、本体の運転に支障のないことが分かった。物的被害は軽微であったと言えるだろう。
 
 3日位してからだった思うが、左足だったか太股の裏側がひりひりする、調べてみたら、大きく縦にミミズ腫れになっているではないか。再度の現場調査で分かったのだが、“俺”の左脇で止まったワイヤーは後ろの桁を前に押し出し、その桁を支えていた支柱を倒してしまったのである。“俺”が桁にしがみつき尻が上がった瞬間、支柱の頭部に残っていた鎹(かすがい)の爪先が、太股を掠(かす)めて通過したのであった。尻が下がっていたら〈グサリ〉。
 
 危なかったァー。
 
 
つづく
 
 

兵隊・抑留記(92)  コンクリート運送作業を軽減するには

 
抑留後期 - その13
 
 
 この方法は、ソ聯側に対しての要求項目がないので、直ちに実行することにした。
 
・ まず、神楽桟(hand winch)〈かぐらさん 〉を作成した。
・ ミキサーを角材の上に固定し、鉄パイプのコロを置く。ミキサーにワイヤーを取りつける。
・ ミキサーに取りつけたワイヤーを、固定した神楽桟に巻き取ることによりミキサーを足場上に引き上げてしまったのである。
 
 これを傍観していたソ聯側は驚いた。〈こんな重いミキサーをいつの間にか高い足場上に引き上げてしまった〉のだから。〈ヤポンスキー・マシン〉と言ったかどうか。ソ聯側は、(日本人はこんな器用なことをする)と、ビックリし、見直したのだろう。それではと、レール(溝形鋼)2本が支給されたのである。ソ聯のやることはどこか抜けている。
 
 こんなことなら、わざわざ、ミキサーを足場上に引き上げるのではなかった。と、いっても始まらない。早速、レールの先端を曲げて、ストッパーをつけ鍋の尻を持ち上がるように加工して、足場に固定。下で鍋に入れられた骨材は、鍋ごと動力により巻き上げられ足場上のミキサーに投入するという改良がなさたのである。これは、作業の効率化、労力の削減に偉く貢献したことになる。
 
 骨材の中、砂利の代用には、ここで産出される石炭(良質の燃結炭)の石炭殻を、又、砂は恐らく山砂(赤茶けていた)を使用した。
 
 いわゆる軽量コンクリートである。
 
 〈ナシンキ〉の絵が《シベリヤ日記・守谷 61頁》にあるが、この絵は間違いである。箱が支え棒2本の上にお神輿状に乗っている絵だ。
 
 が、実際の〈ナシンキ〉は、支え棒は夫々側面上部にあり、地上の〈ナシンキ〉を持ち上げるのに便利であり、重心点が下がるので運搬が神輿状より楽である。
 
 
つづく
 
 

兵隊・抑留記(91)  過酷なコンクリート運搬作業

 
抑留後期 - その12
 
 
 さて、共同住宅建設の話を補足しよう。
 
 宿舎の外壁厚は60Cm位あった。兎に角コンクリートのボリュームがあり過ぎる。いくら打設しても工事は遅々として進まない。それでも、布基礎(ぬのぎそ)など低いときはまだいい。が、だんだん高くなり、登り桟橋を重力に逆らって登るコンクリート運搬はいやが上にも疲労困憊(ひろうこんぱい)する。
 
 そこで、少しでも労力を削減する方法はないかと考えた。
 
 骨材やコンクリートの運搬に蜜柑箱様の箱の両側に棒を一本ずつ、二本取りつけたもの、この運搬用具を〈ナシンキ〉という。前後2人で一組で使用する。
 
・ だが、同じ容量では、骨材単体とコンクリートでは、コンクリートの方が、遥かに重い。
・ 平地での〈ナシンキ〉による材料運搬は、前後の重さが平均しているが、当たり前のことだが、登り桟橋では前は軽く、後を支持する者に重量が片寄る。且つ、液状のコンクリートは、箱が傾くため容量が少なくなる。 
 そこで考えたのが、可傾式コンクリートミキサーに付属する《骨材(石炭殻・砂・セメント)投入用鍋》を利用して《コンクリート受け鍋》とし、ミキサーの巻き上げ装置を使って、《鍋に入ったコンクリート》を足場上のホッパーまで巻上げ運搬することとし、これに必要なレール2本(溝形鋼)をソ聯側に要求・提案したところ、いとも簡単に要求は却下されてしまった。
 
 そこで、次案として登場したのが可傾式コンクリートミキサーを足場上に揚げてしまう方法である。
 
・ 骨材を足場上まで人力で運ぶ労力は残るが、液状のコンクリート運搬(重い・零れる)より遥かに労力の消耗は少くなる。
・ コンクリートはミキサーより直に木樋に移され所定位置に運ばれるので、作業効率は遥かに向上する。
 
 この方法は、ソ聯側に対しての要求項目がないので、直ちに実行することにした。
 
 
つづく
 
 
 
《用語解説》
 
コンクリートミキサー
 
骨材・セメント・水などを所定配合割合に練り混ぜて均質なコンクリートを作る機械、ここでのミキサーは、《可傾式コンクリトミキサー》であった。
 
 
神楽桟(hand winch)
 
木材・石・建物など重量物を牽引、揚上させるための道具、2本の土台、2本の冠木(かぶりき)および4本の柱で構成された枠を地面に固定し、上地板(うわじいた)と下地板(したじいた)の中心にあたる轆轤(ろくろ)という心棒を2本の手木(てぎ)で回転させ、物に掛けてある縄を巻き寄せる。「神楽桟」「神楽」「おかぐら」「車知」ともいい、特に近世初期には「南蛮轆轤」(なんばんろくろ)ともいった。
 
 
ホッパー(hopper)
 
セメント・骨材・コンクリートなどを受け入れて流下させるための漏斗状の装置。
 
 

兵隊・抑留記(90)  I隊ゆかりの人々

 
抑留後期 - その11
 
 
★ N   復員後 静岡・沼津市 昭和37年 没 
 
 
 〔--当時、I隊のN少尉を長とする作業隊が石炭殻とセメントを混合
し2階建の軽量コンクリート宿舎を次々と建てていた。最初ソ連側の指示で、
下で練り合わせ人力で上に運び外壁に流し込んでいたが、N君の発案でレ
ールを2本立て、工場の壊れたモーターを修理し、動力で混合セメントを上
に上げ、木の樋で目的の場所に流し込んだ。-- 〕
 
 《追憶ブカチャチャ - シベリア日記 守谷勝吉著  昭和53年9月20日発行 75頁~より 》
 
 
 その頃のNさんの装いは、将校服に乗馬用の長靴という出で立ちであり、身のこなしが軽く、高所恐怖症なんて何処吹く風、高いところの足場から足場に飛び移っていた。
 
 《危なくないですか》というと《足場の上は交通事故がないだけ安全だ》という。いつも颯爽としていたことが印象に残る。
 
 
つづく