美しい子宮② こうして私達は、セックスレスの夫婦になりました
美しい子宮⑯ 女の下剋上!女はいつもどこかで、人生をリセットしたい
美しい子宮⑳ たかが、子どもを産んだくらいで偉そうにするな!
愛はいつもそこにあった
茶々様と秀頼様が私と秀吉のいる伏見城で、一緒に暮らす生活が始まりました。
秀吉は私に遠慮せず申し訳ながる風もなく、堂々と茶々様や秀頼様のところに渡ります。
そんな時、一人残された私は蚊帳の外です。
「家族三人」という言葉が浮かび、心に冬の冷たい風が吹くのを感じます。
母は息子の家族に入ってはいけないのでしょうか?
やがて秀吉は昼間だけでなく、夜も茶々様のところで過ごすことも多くなりました。
夜、私の布団の横に秀吉の布団も敷かれていますが、そこで彼が眠ることは、ほとんどありません。
暖められることのない冷たい布団を横目で見ながら、寂しくて涙が出そうになるのをこらえます。
秀吉と手をつないで一緒に眠らなくなって、どれくらい経つでしょうか?
もう数える事も止めました。
すっかり女、という性を捨ててしまいました。
秀吉がそうあることを、私に望んだからです。
愛する人の望みを叶えたのに、この現実です。
わ私は独りぼっちで、孤独に耐えています。
秀吉と同じ城に居ながら、彼は百万光年遠く離れた場所にいるようです。
私の心は泣き濡れ、子宮は枯れています。
布団の中で誰にも抱かれたことがないまま渇き枯れゆく年老いた自分の体をそっと抱きしめる哀れな老女。
それが、私です。
その後、自分の死が近づくのを知っているように、秀吉は秀頼様のため自分亡き後のバックアップ体制を整えました。
いつも幼い秀頼様を腕の中に抱きかかえ、大名たちに指図し命じました。
秀頼様に秀吉なりの帝王学を、肌身で学ばせていたようです。
一歩離れた場所で、その姿をじっと見つめました。
もう豊臣は茶々様と秀頼様のものになり、私の元から飛んで行きました。
豊臣の母としての役目を去る時が来たのです。
悲しく寂しい気持ちの内側に、咀嚼しきれない苦い思いも混じっています。
けれど豊臣を茶々様と秀頼様に託すことが秀吉の望みなら、これまでもそうだったように従うしかないのです。
豊臣の母として最期の役目を閉じるため、心の中で秀頼様に豊臣のバトンをお渡しいたしました。
慶長三年三月十五日秀頼様が五歳の時、秀吉は京都の醍醐寺で花見大会を催しました。
それは醍醐の花見として、後世に語り継がれる壮麗な宴会でした。
大きな庭を造らせ、日本各地から七百本の桜を集めたのです。
私や茶々様、他の側室たちもすべて招きました。
艶やかな桜に負けず劣らずの美しい女性達がずらりと並んだ、それはそれは華やかな宴会だったのでございます。
七百本の美しい桜はあたり一面をピンク色の花吹雪で覆います。
ため息が出るほどの美しさでしたが、それが風が吹けば散りゆく儚さもありました。
だからこそ、なお一層美しいのです。
それは、豊臣の栄華を表すようでした。
ですが桜の花が咲き誇る様は、どうしてほんのり悲しみを感じるのでしょう。
この時の桜は、ことのほか心に染み入りました。
久しぶりに秀吉と手を携えた私は、ここにたどり着くまでの道をしみじみ思い出しました。幾多の喜びと悲しみと苦しみを超え、共にここに登って来ました。
おびただしい血も流しました。
近しい身内の秀次達もおりました。
今、私達はこの国の頂点にいます。
その頂点からすばらしい光景を見降ろしています。
ですが頂点にいるということは、これから降りていくことです。
下って行く悲しみや切なさを知っているからこそ、よけいに満開の桜の美しさが響き胸に迫るのです。
この醍醐寺は応仁の乱のあと、荒れ果てていました。
荒廃した醍醐寺を立て直した座主の義演は、長年秀吉とよい関係を続けていました。
秀吉はたびたび醍醐寺を援助し、義演を助けたのです。
義演は秀吉にとても感謝していました。
つき合いの長い彼は、秀吉の衰えを敏感に感じておりました。
このたびの花見が秀吉の最後の大舞台になるかも、という予感があったのかもしれません。
義演は恩ある秀吉のため、壮大な醍醐の花見という舞台を用意してくれました。
宴会中、秀吉はずっとご機嫌でした。
すぐそばに私を置き、話しかけてきました。
「のう、寧々や。
色々あったが、こうやってわしは天下を手に入れた。
お前に約束したことを、叶えたぞ。
お前を日本一のかか、にしたぞ。
ようがんばってくれた。
感謝するぞ」
久しぶりに聞いた、秀吉のやさしくあたたかい声でした。
それだけで胸がいっぱいになりました。
秀吉は私の手を握り、頭を下げました。
そこに「詫び」の気持ちも感じました。
その謝罪の気持ちを受け取った時、自分がまだ秀吉とつながっていた事に気づき、安堵のあまり涙が出そうでした。
そして彼が結婚した時の約束を覚えていてくれたことに、心臓が止まるほどうれしく感じたのでございます。
思わず涙がこぼれ、そっと袂で涙を押さえました。
秀吉はもう片方で握った私の手を、離すことはありませんでした。
そこに確かな「愛」を感じました。
その「愛」は、茶々様や秀頼様に対する「愛」とは別のものでしょう。
「愛」には、いろんなカタチがあるのです。
男が唯一頭が上がらず無条件で愛されている、と感じるのは母親にだけでしょう。
大政所であったお母様が亡くなった今、秀吉の母は私だけです。
そういう意味で、私は一番秀吉に愛され大切にされた女です。
茶々様は、ピンク色の花びらが風に乗ってほろほろと舞い散る姿を見て、誰に言うともなく、つぶやいていました。
「ほんとうに、美しい桜・・・・・・」
私と秀吉も目にしました。
悲しいくらい美しい、一夜の夢のような光景でした。
秀吉はそれを眺め、泣いていました。
私は秀吉の涙も、そっと袂でぬぐいました。
二人で一緒に、花びらが舞い散る様を眺めていました。
その時、カラカラに乾いた心と体は桜色に染まり、潤い満たされました。
心も体も幸せを感じました。
この日だけで、秀吉から何年分もの愛を受け取りました。
いえ、秀吉はずっと私に愛を送ってくれていました。
それは、私が望むカタチの愛ではありませんでしたが、たしかに愛はあったのです。
今、ようやくそのことに気づいたのでございます。
人は望む愛だけ受け取って、愛が足りない、と文句を言います。
愛されていない、と悲しみます。
ですが、愛はいつもそこにあったのです。
その愛を受け取っていなかったのは、自分自身だったのです。
「お前様、もう少し一緒に生きましょう。
秀頼様に関白を譲って隠居し、私とゆっくりお茶を飲みましょう。
どこへでもついて行きますよ。
たくさん昔話をしましょう。
まだまだやりたいことは、たくさんありますよ」
秀吉に囁きました。
うれしそうにうなづいてた秀吉は、赤子のように顔をゆるめ笑いました。
そう約束したのです。
約束したのに、秀吉はこの醍醐の花見からわずか約五ヶ月後、六十二歳でこの世を去りました。
私は一人、この世に残されたのでございます。
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