美しい子宮①　愛と呪い

愛と呪い

結婚は親が決めた相手とするものだ、と思っていました。
そういうものでしたよ。この時代。
結婚は恋や愛などという浮ついた気持ちでするものではなかったのです。

生きていくために家と家とがつながることでした。
けれど私は秀吉、いえ当時は藤吉郎という名でしたが、彼に恋をしました。
１４才でした。

きっかけは信長様、が私の実家の近くに鷹狩に来られたことでした。

帰り道、何を思ったのか信長様は私の義父の屋敷に立ち寄ったのでした。
私は叔母の嫁ぎ先、浅野家の養女でした。
いきなり信長様が来られ、父はあたふたしていました。

が、これが出世の糸口にでもなる、とでも考えたのでしょう。

私にお茶を出すよう命じました。

もちろん驚きましたよ。

私達のような下級武士の家のものが、城主である信長様に直に対面することはございません。

お茶を入れた盆を持った手がカタカタ震えたのを、今でも覚えています。

もし信長様のお気に召さないことがあれば、その場でお手打ちされても仕方のないことです。

気性の激しい方、として有名でしたから。

信長様は。

命がけでしたが、うんぬと度胸を決めると、不思議に笑顔でお茶を運べました。

女は度胸でございます。

信長様は私の運んだお茶を、美味しそうに飲みました。

ほっ、と安心し肩がゆるんだ時、信長様のそばに膝をつき、控えていた男に初めて気づきました。

やはり緊張していたのでしょう。

初めからその場にいた男にようやく気づくなど、なんと失礼な事。

でもその男は私と目が合うと、歯を剥き出し、にっこり嬉しそうに笑うのでした。

その天真爛漫な笑顔が可愛くて、思わず私も笑顔になりました。

さりげない一瞬でした。

ですが、信長様はそれを見逃さなかったようです。

「名は何、という？」

と私に向かって聞くではありませんか。

心臓のドキッとした音が外にもれるかと思ったほど、驚きましたよ。

そばにいた男に笑いかけた事をとがめられるのか、と身を縮こませ答えました。

「寧々、と申します」

「もう、結婚相手は決まっているのか？」

「いいえ、まだでございます」

いきなり信長様に聞かれ、面食らいました。
そばにいた義父は、もしや娘が信長様の側室に？と思い背筋がしゃきん！と伸びました。

浅野の家にとってはチャンスですものね。
でも信長様の思惑は、ちがいました。

そばにいた天真爛漫な笑顔の男に、こう言ったのです。
「おい藤吉郎、お前この娘を嫁にしたらどうだ？」

私を含めその場にいた皆が、絶句しました。

信長様は愉快げに笑っています。

そしてお茶を飲み干すと「邪魔したな」と言い捨て、風のように出て行かれました。

私達はポカン、としたまま、そのお姿に向かって頭を下げるだけでした。

正直、浅野の義父と義母は、身分の低い農民出身の藤吉郎を婿として信長様に勧められ、嫌がっていました。

肝心の私はと言うと、これが嫌ではありませんでした。

けれどなぜ彼と結婚する流れになったのか、未だにわからないのです。
どうしてあの時信長様は、私のことを藤吉郎に勧めたのか。
彼の他にも家来はおりました。

たまたまその時、一番身近に控えていたのが藤吉郎だっただけです。
でも信長様は、わかっておられたのかもしれません。
農民出身の藤吉郎が武家から嫁をもらうことが難しいこと。

このままだと彼が結婚できないかもしれない、ということを。

信長様は当時から藤吉郎のことを評価し、信頼していました。
ですから藤吉郎に見合う嫁候補をリサーチし、探していたのかもしれません。
その的に当たったのが、私だったのでしょう。

今となってはわかりませんが、とにかく信長様が私と藤吉郎のキューピットでした。

これをきっかけに藤吉郎は、たびたび浅井家に出入りするようになりました。
当初、浅野の義父と義母は渋い顔をしていました。
せっかく信長様のお目に留まり、すわ側室か、と色めいたのに、農民出身の男への嫁入りか、と露骨にガッカリし彼に不愛想でした。
ですが信長様のご指名の婿候補であれば、無下にもできません。
にこにこ笑ってやってくる藤吉郎を仏頂面で迎えていました。

が、当時から人たらしの藤吉郎は腰軽く家の用事をし、二人の機嫌を取っておりました。

するとじょじょに義両親も彼を笑顔で迎え、なごやかな雰囲気に変わりました。

私は信長様の命令というよりも、藤吉郎自身に大変興味がありました。
この時代、武士が自分の思いを言葉にせず思いを隠し、本音よりも建て前で生きておりました。

藤吉郎は反対に、私に対して落ち込む姿や健やかに野心を語っていました。

そんな彼が新鮮でした。

お金がない彼は私に会う時、野辺に咲く花を摘み、拾ったどんぐりを持ってくることもありました。

美しい着物や櫛などのプレゼントは、たしかにすてきです。
それらの金額が高いほど、自分への愛情に換算するのが女です。
けれど素朴なプレゼントに込められた自分への思いに惹かれるのも、また女です。
家でささやかな夕食をすまし、私と藤吉郎は手をつなぎ散歩をしました。
ススキに囲まれた野原で、誰にも見られることなくそっと頬に口づけされました。

藤吉郎は当時２５歳。

もちろん女性と経験はあったでしょうが、私はまったく初めてのことでした。
胸は高鳴り、顔は赤くなり、口づけされた左の頬はいつまでも熱かったのです。
口づけの跡など残るわけがないのに、義父と義母にばれるのではないか、とドキドキし家に帰ったものです。
幼い逢瀬が幾度か続き、ついに藤吉郎は義父と義母に私との結婚を申し込みました。

それよりも早く、私は彼にプロポーズされました。

「わしと結婚してもらえないかな？」

彼は私の顔をまっすぐ見て、言いました。

「それは信長様に命令されたからですか？」

聞いてみたくて仕方なかったことを、尋ねました。

間髪入れず、彼は強く首を振りました。

「きっかけは、信長様が作ってくれた。
だがわしは寧々を一目見て、気に入ったんじゃ。
一目ぼれだったんじゃ」
藤吉郎が私の手を取りました。

「寧々、お前が好きじゃ。
ずっと一緒にいたい。
わしは今に必ず天下を取る。
そしてお前を日本一のかかにしてみせる。
約束する。
だから、わしと結婚しよう」

何も彼を知らない人が聞くと、この大ぼら吹きめ！と藤吉郎を不快に思った事でしょう。
ですが私は何の根拠もなく、彼ならそれも夢ではない、と思ったのです。

女の勘でしょうか。
彼の言葉を聞き、彼の才能と運に賭けてみたい！と胸が高鳴りました。

彼と二人で天下を取ることを密かに決意し、プロポーズを受けました。

浅野の両親は藤吉郎のことを気に入っていたので、結婚の承諾はすぐ降りました。
ところがこの結婚に、反対したものがおりました。

私を産んだ母でした。
母は、私と藤吉郎のことを妹である義母に聞き、今でいう占いのような所に行ったのです。
彼が農民出身ということも、母は気にいりませんでした。
村のはずれに住む婆様は、昔から神様のお告げを聞く、と言われておりました。

母は婆様に、私と藤吉郎の結婚について尋ねました。
婆様はしばらく黙っておりました。

そして口重く、こう言ったそうです。
「お前の娘はこの男と結婚し、天下を取るだろう。
だが女としての幸せは、あきらめることになる。
その覚悟があるのなら、この男と結婚してもうまくいく」

母は「女としての幸せをあきらめることになる」という言葉に、不安を覚えました。
私に

「あの男は浮気をし、お前を泣かせるにちがいない！」
と息巻いて言いました。
けれど私は藤吉郎と結婚することを決めていました、
「彼と結婚したら天下を取る、と婆様は言ってたんでしょう！」
と反論し、母の反対を押し切りました。
母の心配はこの後的中するのですが、もちろんその時の私が知る由もありません。

当時の武士の結婚、と言えば、婚礼当日まで親が決めた相手に会うことなく、当日初対面が当たり前でした。
その時代に、お互い好き合って結婚できるのは富くじにでも当たるほどの確立、夢のような出来事でした。
母を説きふせたいっぱしになったつもりの私でしたが、好きな人と結婚できることに胸を躍らせた世間知らずの小娘でした。

祝言の日がやってきました。
お金のない彼は十分な婚礼仕度もできず、藁を敷いただけの粗末な結婚式でした。

ですがたくさんの人たちがお祝いに駆け付けて、集まってくれました。

皆の笑顔に囲まれ、私は彼を日本一の男にする、と幸せでした。
夢を見ていたのでございます。
希望に満ちた新しい生活が始まりました。

婚礼を終えた私達は、彼の住んでいる長屋に向かいました。
畳が何畳か敷いているだけのみすぼらしい部屋。
そこが彼との新居です。

ですが惨めな思いなどみじんもありませんでした。

ここから私と彼の天下取りが始まるのです。

浅野の家から届いた新しい布団と何枚かの着物、鍋などが嫁入り道具でした。
私は新しい布団を敷きました。

彼はすぐに布団に入りました。

私も布団の端を上げ、そうっと足を差し入れました。

これからどんな事が始まるのか、想像しただけでドキドキしました。
初夜のことは、浅野の義母から聞いていました。

「とにかく耐えるしかないね。
初めては、そりゃ痛くて痛くて。
我慢することだね」

初夜とは、そんなに辛いものかしら、と思い身体を布団にすべりこませました。