SHOKEI 'S TIMES -45ページ目

再びドビッシー    11/19


$shokei's time-B.エバンス



ドビッシーのピアノ曲集『子供の領分』の楽譜が
古本屋で100円だったので買ってしまいました。


1908年頃の作曲だから 約百年前の音楽です。

娘のシュシュのことを想い「人形へのセレナード」を書き、
それを3曲目に入れて『子供の領分』を書き上げたそうです。

6曲目の<ゴリウォッグのケイクウォーク>は
シンコペーションによるラグタイムな曲ですが 途中に
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲の旋律が引用されます。

ワーグナー嫌いなドビッシーは 
この旋律を笑い声のような音で邪魔をしているみたいです。
かなりの皮肉屋なのか 遊び心からなのか……




日本人はクソ真面目だから 
作品の中で遊ばないみたいだけれど
絵でも音楽でも 個人的な遊び?が
よくみられます。

バッハの『フーガの技法』という曲の最後が
BACHで終わらせているのも・・・
つまり Bはシ Aはラ Cはド Hはシ♭・・かな

シューマンはこの手のアナグラムを得意としたようです。

『謝肉祭』op.9の11曲目キャリーナ(妻クララ)も
彼女の生地のボヘミアのアッシュ ASCH を音に変えて
Aはラ S→Esはミ♭ Asでラ♭ Cがド Hがシ♭とか
これらを全曲の循環主題にしているそうです。

日本の武満徹の『海へ』も SEA だから ミ♭ ミ  ラ で
テーマを作ったとか・・・

そんな風に個人的な遊びを内包したような
絵を描きたいと思っています。

イラストレーションはコンセプトを言葉の替わりに
伝えるのを使命としていると思いますが
絵画は もっともっと主観的で自由でありたいです。

「素直な独り言」なので 僅かな人にだけ 
共感してもらいたいものだと思います。


自分と人との 間に「隔たり(差異)」があるからこそ、
言葉が生まれ、取り交わされるし、また「表現」もあると思います。

しかし言葉(表現)は他者に届くとは限りません。
それでも呼び掛けるし、
相手も届かないかもしれないと思いながらも
言葉を投げかけてきます。

届かないと思った同志にこそ
「共感」があるのだと思います。

その意味で「共感」は、理解するとか わかり合う とは違うと思います。
ドビッシーもセザンヌも・・・・ 
なんで その作品を作らなければならなかったのかなんて
わかるはずありません。
作者の背後から肩越しに
その秘め事(制作)を覗き
勝手な解釈をするだけ・・・でしょ

反戦歌みたいなメッセージソングや聖画像など
メッセージ性が強いものは、イラストだから 
わかってもらう事が必要でしょうが~

詩や音楽や絵画は
作品の奥に潜む「形而上的なモノ」を 
ただ共感してもらいたいモノだと思います。 









猫の話 2   11/18


猫は どこまでわかっているのだろう?
猫によって かなり違うのは承知している。

犬のような頭の良さはないが
他のペットにはない
何か不思議な能力で
人間に接してくる。


   帰宅し玄関の戸を開けると
   2階でグータラしていた「むー」は

$shokei's time-a



   一目散に二階から階段を凄い勢いで駆け下りてきて お出迎え。

$shokei's time-b


    そして毎回のように「歓迎のポーズ」を披露する

$shokei's time-c


   一通りポーズが終了すると、
   これだけサービスしたからと やたらベタベタしてくる。


$shokei's time-d


   根気負けして しかたがなく、キャットフードをあげると
          野獣のような形相で一気に食べてしまい・・・
             

$shokei's time-e


               何事もなかったかのように立ち去っていく~
              

 さっきまで あんなにベタベタ甘えてきたのに
 スンゴイ、ドライ! 性悪ネコに振り回されてる。



$shokei's time-ネコの夢そんな間食で「太っちゃった!」



赤塚不二夫の『天才バカボン』に
猫にむかって「お前はイヌだぞ」と皆で言い
その気にさせるというマンガがあった。

わが家の猫「むー」もそんな感じで育てた。
仔猫の頃、オモチャを投げると
両手で受け取ったり
投げたオモチャを持って来るようにさせたり・・・

入っていい部屋といけない部屋の区別もできた。
名前を呼べば振り向くし
「カリカリ」と言えば
キャットフードのことだとわかっているので寄ってくる。

しかし それでも頭がいいという感じはしない。
動物的な敏捷性が皆無でドン臭く ナマ傷が絶えない。


    ショウケイ 


今朝は雨が降り、かなり寒かった。
「むー」は 暖かな場所で 、じっとしている。
今日も何か考え事をしているそぶりだが
たぶん ただ眠気と闘っているだけだろう。

時々、かわいらしく私の膝に飛び乗ってくるが
肉球が冷たいからであって
暖まるのであれば 誰でもいいようだ。

私がドアや引き戸を動かすと 
動かしている手を見ないで 
動いた先端だけを不思議そうに見つめて 
小一時間、思考態勢に入ってしまう。
結局、わからないまま寝てしまう。

飼い主も似ていて 考えているように見られる事が多いが、
実際はボ~ッとしている。

しかし、私の子供の頃からのあだ名は「ハカセ」だった。

当時の人気TV番組「ひょっこりひょうたん島」の
ハカセに似ているというだけで
勉強ができたわけではない。

う~~~ん

話が それたので今日は この辺でオシマイ。


今宵は 一人で バーボンちびりながら
ブラック・ロックの
ジェイムス・ブラッド・ウルマーの CD
『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』
『フリー・ランシング』
を聴いています。
やっぱし、エネルギッシュやわ~♪。







猫の話−1  11/15

5年前から猫を飼い始めました。

$shokei's time-至福の時
                  「至福の時」


以前、私は犬を飼いたいと思っていました。

「一枚の繪」から猫の絵の依頼があり、
ノラ猫のスケッチを元にして油彩で描いているうちに
だんだんと猫に興味が湧いてきました。

$shokei's time-猫は「むー」を飼う前に描いたネコの絵
「猫は夜中に散歩する」(題名は田中小実昌さんより無断で拝借) 


BERUKさんも子供達も猫を飼いたいと言います。

そこに獣医をしている叔父から
「茶トラのいい仔猫がいるんだけれど、いるかい?」と。

話はすぐに決まり 生後3ケ月の仔猫を頂いてきました。
 .

飼い始めの仔猫の頃は、気取って「ミューちゃん」と呼んでいましたが、
大きくなるにつれて、私に似たのか、どこかドンくさく、
結局「ムーちゃん」の方があっているということになってしまいました。

最近ではちょっと太って重そうなので「むーちゃん」と
いう感じです。


$shokei's time-お気に入り
              「わたしのお気に入り」



           つづく




$shokei's time-ビクター「まね猫」(叔父の飼い猫トンちゃん)

こんな はずでは・・・   11/12

$shokei's time-MUー「おかえりなさい」のMU-


今朝は雨も上がり、近所のノラ猫が 
サカリの合唱をしています。

わが家の猫のMU-は小さい頃に 避妊手術をしたので
知らん顔で 寝ています。

人間の場合は 手術をしても そうならないと言います。

学生の頃、岸田秀の『ものぐさ精神分析』が出版されブームになりました。
幼児が 何でも口に入れてしまうのは、
本能が壊れてしまっているからだそうで
性欲も本能ではなく後天的な学習によるものだ・・・とか

「性意識」も イメージだという視点が
ショックでもあり、納得する点が多々ありました。

その後、岸田は すべて幻想だ「唯幻論だ!」と唱えたところを
シャープな柄谷行人らに
「すべてが幻想と言うことは、比較対象がないので 
すべてが幻想でないと同じ・・・」とか
攻撃されていた・・ような記憶があります。


絵や美意識は もっと実体がない曖昧なモノだと思います。

「人生は短し、芸術は永し・・」は芸術の価値観が
常に揺れているから(=生きている)とも考えられます。

オタク文化を眺めると まさにフェティシズムを謳歌しています。
ゲイジュツもにたようなモノかもしれません。


$shokei's time-メビウス3


私は、絵を仕上げると毎回のように
「こんなはずでは なかった!」と反省します。
一昨日も そうでした。

子供の頃、テストを終えて廊下に出たとたんに
正解の答を 思い出したりするのに似ています。

なんで制作中に気がつかなかったのかと
頭の悪さやカタさを痛感してしまいます。

描きながら新しいコトに挑戦しようとするのですが、
描いていて 小さな問題にぶつかる度に
無意識に手慣れた安全策に手を出してしまい 
気がつくと描きたい方向から
だいぶ逸れてしまうんだと思います。

昔から同じような失敗を繰り返し、繰り返し
それでも続けているのは どこかに
「気持ちいい」があるのでしょう。
かなりの精神的マゾかもしれません。


『自分の可能性は 誰も邪魔をしていない。』って言います。

進もうとする道を狭めて、首を絞めているのは
自分でしかないのに・・・

後天的に学習した「美術」や「常識」などを
(去勢・避妊手術のように)一時的に取り除いて
おもいっきり 描いてみたいと思います。

でも 私は きっと死ぬ前に
「こんな はずでは・・・」って
言ちゃうんだろうなぁ~



この間からマックさんの影響で
トム・ウェイツばかり聴いています。
今日はデビュー作『クロージング・タイム』を
買っちゃった♡


You Tubeでも検索していたら
ジム・ジャームッシュと大喧嘩して撮ったという(たぶん)
動画がありました。
流石です。

男の子は 男の子らしく 遊びたいものです。




『大人になんか なるものか』トム・ウェイツ

夜ベットに横たわりながら僕は考える
大人になんか なりたくない
だって何ひとつ うまくいかないじゃないか
大人になんか なりたくない
大人たちの世界はわけもわからないうちに
コロコロといつも様子がかわっていく
そんな霧の中みたいな世界に入っていくぐらいなら
いっそ僕は犬でいたいと思うよ
それにあれやこれや払わなきゃならないお金の額
そんなのまっぴらだ
僕は大人になんか なりたくないや




「退会」と「黒い音楽♡」  11/8

11月7日(土)に第43回アンチーム展が無事に終了しました。

$shokei's time-アンチーム


私は今回をもってアンチームを退会することにしました。


21年間も続けてきたので愛着もありますし、
良い先輩や仲間に恵まれた楽しい会でした。

しかし永い年月の中で多くの先輩画家が亡くなられ、
私が好きだった以前の「アンチーム」ではなくなってしまいました。

アンチーム(抒情派展)の創始者、中村伝三郎さんが亡くなり
谷川彰さん、立軌会の村谷壮一郎さん、中神潔さん達が亡くなり
会を支えていた立軌会の熊川昭典さんや松葉良さん、
そして今年は、二科展の原良次さんと織田広比古さんが
次々に亡くなられてしまいました。 とても残念です。

同人の画家、笹沼壯平さんが原良次さんの葬儀の後
「原さんが亡くなると、アンチームも終わりだな・・・」と
呟いていましたが 第43回展を開催して、そのコトを実感しました。

会期最終日の「原良次さんを偲ぶ会」の前日、退会を決意しました。
(木村鐵雄さんは お元気ですが、御高齢の為に今回で退会されます。)

時間が経てば、なんでも変わっていくのは当然ですし、
未来に向かって もっと努力すべきなのは
わかっていますが……個人的に割り切れないものが残りました。

同人の方々とケンカをして辞めるのでは ありません。

自分の非力さとアンチームに対して真剣さが足らなかったことを
反省します。

終了後、打ち上げで皆と酒を飲んで帰路につきました。

ショウケイ

酔っぱらって帰り、パソコンを開けたらマックさんのブログから
トム・ウェイツの歌声が流れ出し~
なんかとても癒されました。

ジム・ジャームッシュの映画で役者として
存在感があり大好きになりましたが
歌もいいで~す。しみ込みます。ぐぅぐぅ



ショウケイショウケイショウケイショウケイショウケイ2ショウケイショウケイショウケイ2ぐぅぐぅショウケイショウケイショウケイショウケイショウケイショウケイ2ショウケイショウケイ


今朝から〆切をすごく延ばしていただいている
「一枚の繪」のお正月の絵を再開しました。

$shokei's time-もっと高く「もっと高く」F4油彩

私は弱気になっている時、絵が具象的になってしまいます。
反対に 強気で生きている時は抽象的な絵を描いているようです。


昨夜のトム・ウェイツが後を引き
今日はブラックな音楽をかけながら
絵を描きます。



まずはCDでトム・ウェイツの『レイン・ドッグ』
次は、トムの声のようなアルバート・アイラー『ゴースト』



どブルースに戻って アーチー・シェップの『The Way A Heead』

ディランの『ミシシッピ』やルー・リード『エクスタジー』をはさんで
saxに戻りローランド・カーク『ミンガス アット カーネギーホール』Cジャムブルース・・・
カークってゲテモノ扱いされるけれど、容姿だけでオンガクは純正だ思います~。



アルバート・アイラーに戻って『スウィング ロウ スウィート』から
Old Man River・・・な・・泣けてきます。








「黒い音楽」でエネルギーを補充。
精神的に だいぶ快復してきました・・・


でも絵は失敗してしまいました。

今回、オクラ入りした絵~
塗りつぶし消してしまう前の最後の お披露目・・・

$shokei's time-空に向かう
「空に向かう」F6油彩 

なんでこんな絵になってしまったんだろう?

「こんなはずでは・・・」と自己反省の記録


アンチーム展(第43回展)続編   11/3

今日は、ちょっと寒い秋晴れ休日です。
『アンチーム展』の午後の会場受付当番日でした。

お客さんが少なかったのでデジカメで動画を撮りました。


画廊の1階の展示作品

画廊の階段と2階の展示作品

ブレブレでわかりずらい動画ですが
会場の雰囲気はこんな感じです。

夕方、自由工作さんと templecat さんが来てくれました。

$shokei's time-工作猫


お二人と いろいろ遊んでいたら
教え子の卒業生二人も来てくれて
楽しい時間を過ごすことができました。

二人の卒業生たちの出会いも
自由工作さん や templecatさんとの出会いも
人の関係って
不思議で 面白いと 
つくづく思いました。



$shokei's time-卒業生の作品
          これは卒業生の二人がデザインした商品。
                 頂きました。

アンチーム展(第43回展)始まる   11/2

第43回『アンチーム展』が始まりました。
11月2日(月)~7日(土)am.11:00~pm.7:00(最終~5:30)
銀座 5-5-12 銀座『文芸春秋画廊』です。

$shokei's time-むー
            「やっぱりNo.1がいい」油彩SM


美術評論家の(故)中村傳三郎先生が中心になられて
少しずつ同人を増やして43年も続いてきました。
私は1989年から出品していますので今年で20回目になります。

今回は、お亡くなりになられた
二科の原良次さんの追悼作品も展示しています。

$shokei's time-はら
               原良次先生の遺作



先月末に悩んでいました絵は 下のようになりました。
結局、仕上がらないまま・・・だが・・


$shokei's time-回想
『回想』F20号油彩

この絵は、夕方の「手賀沼」のスケッチと
新小岩のスケッチの合成をもとにして
先日「水彩人」に出品した『光と隔たり』と
同テーマのつもりで描こうとしました。


$shokei's time-手賀沼手賀沼実景

あと 夕焼けだんだんの絵こと『佇む街』$shokei's time-佇む街Ⅱ
と小品3点を出品しましたので
お時間がありましたら来て下さい。

ドビッシーを聴きながら   10/29

$shokei's time-ドビッシー

ドビッシーの著書『音楽のために』(白水社)や
ミケランジェリの1993年の「ラスト・リサイタル」という中古CDを
安価入手したこともあり ここ数日、ドビッシーばかり聴いています。




好きなミシェル・ベロフの新旧アルバムを聴き比べたり
自由型のコルトーやフランソワ、硬質なミケランジェリや端正なギーゼキングなどを
楽譜を見ながら聴いていると 曲の解釈も様々で 自分勝手に妄想が広がります。

ドビッシーを「印象派」などと言う人がいますが、
もっともっと未来に向かって尖っていた作曲家だと思います。
輪郭線を曖昧にすることは 印象派というより
抽象画のような全体的としての自由な構築性を感じます。

ドビッシーは、インドネシアのガムラン音楽に影響を受けたそうです。
新しいことを始める人は、何も無い所から作り上げるのではなく、
他の人が考えもつかなかったようなモノからインスパイアーされたり、
合体して生み出すことが多いように思います。

弁証法的な発想と言った方がカッコいいかもしれません。

男と女のように相反する人間の両親がいて子供が生まれる・・・・
何かを作り出すことって どこか人間の出産にも似ているなぁと思います。

おたくアニメのつまらなさは、異文化を拒み、
身近な似た者同士の中だけで生み出しているからでしょう。
(所謂、公募展的な絵画と批判される流行作品も同様かな)

ピカソやモジリアニが アフリカ彫刻に影響を受けたのは有名ですが、
パントマイムのマルセル・マルソーは ロダンの彫刻を研究したそうだし・・・
マイケル・ジャクソンはそのマルソーを意識したとか(ムーン・ウォーク)
クレーやマティスが ヴァイオリン奏者だったり・・するのも面白い。
セザンヌは地質学が好きだったそうですが 
誰かその辺の関係を研究発表していただきたいです~。
とにかく遠くの他のジャンルとリンクして進むみたいです。


青柳いづみこさんの著書『指先から感じるドビッシー』に 
「ドビッシーの音楽は対象物を一度記憶の中に取り込んで、
それが十分にこなれて自然に音になり、熟成されて出てきたもの~」
と書いてありました。

絵画と似ていると思いました。

画家の松本竣介が『雑記帳』の中で 
デッサンしてから半年ぐらいしないとと
熟成された自分のフォルムにならない・・・とか 書いてありました。


青柳さんのこの本には「~ドビッシーの作曲方法は、
メロディ・ラインだけ決まっていて
下にどのような響きの和音をつけるかは
流動的だった~」と書いてありました。

JAZZのビル・エバンスが 演奏をする際に 原曲の和音に拘らず
『代理コード』を考えることでアドリブを広げていたのを思い出します。

30年以上 デッサンの講師をしているのですが
一般的に勘違いしているように思うのは
デッサンは現実を写す訓練ではなくて
比例というか「代理コード」を付けることに似ていると考えます。

いくら頑張っても 鉛筆や木炭では 現実の光の明暗の幅は表せないし
光は混ざると白くなるけれど 絵の具は暗い灰色になってしまいます。
遠近法の欺瞞もあり 見えたままではないのが前提になります。

その比例的な変換操作の操作(ヴァルール)が
すごく大切だと思うのですが
学校で教えている所は少ないようです。


あ アンチーム展の油絵を描かなくては・・・
2作目を描き始めたけれど あと描けるのは1日だけしかない
代理作品もないし・・・どうしましょ



$shokei's time-夕焼け
             描き始めたばかりの2作目

「アンチーム展』もうすぐ!   10/27

『アンチーム展』に1989年から出品しています。
今年で第43回にもなる歴史あるグループ展なのであります。

会期は、来月の11月2日から7日まで
銀座5丁目の「文芸春秋画廊」(凮月堂ナナメ前)で開きます。
(因に3日、5日の3時以降が私の会場当番)

え~
毎度のことながら
絵が間に合いそうにありません。

20号を2枚と小品2枚の予定ですが
まだ1枚目を描いています。

モチーフは先日 F6号で描き上げた「だんだん坂」なので
迷わずに ささっと 描けると思ったのですが
迷ってしまいました。ショウケイ

途中の3経過を少々・・・


$shokei's time-0
             赤くなったり青くなったり
$shokei's time-1
迷い道フラフラ

$shokei's time-4
1・ 2・ 3 ・ダ~ッと壊したいのに
すぐ まとめようとしちゃう・・・のね
ココロの弱さと頭のカタさが最大の欠点なり・・・

ん~っ  明日はどっちだ~  ショウケイ2


それに同日〆切の『凧揚げ』の絵もあった・・・
こちらも遠景にするか 人物をアップで描くか・・・
$shokei's time-2
(これも描き始めの途中作)
正月だから空の高さと少年の志(夢)の高さ・・
・・凡庸かな・・・

$shokei's time-3
(これも描き始めの途中作)
凧揚げ→昭和  昭和風な味付け・・・


絵を描くのは とても楽しいけれど
焦ることは 苦手で す。。。

あ~ぁ      間に合わん。

徹夜に つ づ く

No Snow    10/24

$shokei's time-Snow


「Mac Snow Leopardは いいぞ!」と友人が言うので
早速 「シングルユーザー」をワンクリックで購入しました。
3000円ちょい。

そーしたら BELUKさんが「アタシも!」と言うので
計2コ 買ってしまいました。

あとから「ファミリーパック」で買えば良かったと後悔。

ちゃんと調べてから買えばよかった。。。むっ


インストールしたら 開かないソフトがいっぱい出てきました。


iphot内の動画は動かないし・・・
プリンターもスキャナーも繋がらなくなってしまい~
あちこち インストールのやり直し・・・

Mac初心者のアタシには
結構メンドイです。
まいった。