SHOKEI 'S TIMES -46ページ目

まただんだんか     10/19

$shokei's time-再だんだn



     吹けば飛ぶよな
     屁のようなモノを
     重くしてみる
     馬鹿も いる

  これは私が中学生の頃に発行された
  マンガ月刊誌『COM』の表紙の裏に
  (たぶん)書いてあった言葉ですが、
  妙に記憶に残っています。


子供の頃から ずーっと こんな反省を抱きつつ
過ごしてきたからかもしれません。

以前、新潮社の月刊誌にイラストを
毎月20~25枚ぐらい 17年間 描いていました。

電車の中で 気楽に描いたメモのようなアイディア・スケッチを
家に帰ってから 清書することが多かったのですが
何気なく描いた線を もう一度描くのは かなり難しくて
何枚も描き直して 徹夜になってしまうことが
よくありました。

それで いい絵が描けるわけでもないし
人から見たら全く無駄な徒労にすぎません。
本にとっても 特に意味があるのでもなく 
誰からも期待もされていないのも わかっているのですが
グズグズと描いてしまいます。

油絵や水彩画を描いていても同様で
かなり 要領が悪くて 時間ばかりかかってしまいます。

あぁ こんなことの 繰り返しばかりです。
でも やめられません。


「水彩人」展が終わって 次は「アンチーム展」です。
11月2日から7日まで銀座の文芸春秋画廊で予定しています。



$shokei's time-再 街へ         描き始め・・・(未完)


先日まで描いていた「一枚の繪」12月号の
F6号『夕焼けだんだん』で気がついた疑問を
再度描いてみたいと思い F20号で描き始めました。
(10/30までに もう一枚と小品2点も描かなくては・・・)



  「一枚の繪」1月号の〆切の『凧揚げ』の油彩も月末でした。
  こちらも同時進行するしかないけれど  
  構図が決まらず ちと心配。


$shokei's time-お正月
            これも 描き始め・・・

       
     人には「全体を見ろ」と言っているのに
     一番、見れてないのは
     アタシでした。



マッサージ      10/16

$shokei's time-マッサージ1


以前、親戚の鍼灸師から鍼やマッサージを習ったことがあります。
背中を揉む時も 
まず 腎を解してからが良いとか(肋骨の下)

押す時も力で押すのでなく
かるく体重をかけて・・

また 3秒かけて ゆっくり押したら
戻す時も ゆっくり 3秒かけて戻すこと
(これは知られていないけれど 大切)

鍼も習ったので
人に試したかったが
みんな 逃げてしまうのね。
鍼のセットも 腕の方も
サビてしまった・・・かも

東洋医学は、絵の描き方に似ていると思いました。

西洋医学だと 悪い患部を治療し
あるいは取り除いてしまいます。

東洋医学だと その患部でなく
かなり離れた所から治療し始めて
身体、全体の治癒力を高めていくようです。

目が悪い時は、肝臓を疑ったり
耳が悪い時は、腎臓を調べたりします。

とにかく一部を集中的に治療するのでなく
常に「全体」のバランスに気を使うところが
絵の制作と同じだと思います。

「玉にキズ」という言葉の語源は
真珠の小さなキズを治そうとしているうちに
どんどんキズが大きくなって
ダメになってしまうことのようです。

絵を描いていて
一部を治そうと焦り
失敗してしまうことが 
よくあります。

何事も 全体から
見ていきたいと思います。

あぁ 肩 こった・・・






おいしい時間  10/11

$shokei's time-トンカツや


このあいだの日曜日に
自由工作さんと  templecat さんと
老舗のトンカツ屋『井泉』(御徒町)にいきました。


自由工作さんとは同じ職場なのに
出勤日が違うので 久々の再会です。

中国の唐詩選に たしか杜甫が書いた
「衛八処士に贈る」とかいう漢詩があり
人は いったん別れると
オリオン座とサソリ座のように(冬と夏の星座)
同じ夜空にいても 一生会えなくなる・・・
とか ありました。
私が オリオン座だな・・・   うん

               贈衛八処士  杜甫
              人生不相見 動如参興商
              今夕復何夕 共此燈燭光 ・・・
             
              えいはち しょしに おくる
              じんせい あいみざること   
              ややも すれば しんとしょうのごとし
               こんせき また なんのゆうべぞ
              このとうしょくの ひかりを ともにす ・・

               参→オリオン座の三つ星
               商→サソリ座のアンタレス星

              人生に於いて別れると会えなくなることがある。
              庭からニラを採ってきてご馳走し酒を飲み交わす…
              翌朝 別れて また 離ればなれになってしまう。
               ~とかいう漢詩
 (昔々、公立中学で美術教師をした時、国語のセンセイもしたことがあるん。)



この日
猫と娘は お留守番

たまには いいでしょ

$shokei's time-む~ちゃん
                        ふてくされるム~ちゃんのおしり

「水彩人」第11回展Part-1情報

今日は午後から「水彩人」展の会場当番でしたが
台風のため JR電車が止まってしまい、
ちょっと遅れて都美術館に着きました。

午前の会場当番だった笹村さんや郡司さん、清水さんらは
台風の中でも 朝から会場入りしてくれていました。
笹村さんは新幹線を使ったそうです。スゴイッ。

来場者も少なかったので
作品の撮影とともに
簡易カメラで
動画もササッと撮りました。
かなり ユレまくった映像で
スイマセン




地下2階と3階に陳列した作品の一部です。
「水彩人ダイジェスト!」


モデル男  10/7

今日はカルチャーの日。ショウケイ

男性モデル(着衣)をお願いしたのですが
開始時間になっても現れず…… 時計

電話したら電話インフルエンザで行けないとのこと

早めに連絡してくれれば予定を変更できたのにっ!ショウケイ2


しかたがないので 私がモデル代行をしました。

モデルするのは初めての経験です~えっ


$shokei's time-モデル男

しかし やってみると  かなりキツイ。
筋肉が小刻みに痙攣するし 睡魔が襲うし
1ポーズ20分がなんと永いこと。永いこと。しょぼん

休憩時間は講師として生徒さんの間を回り またポーズ。

あぁ 二人分 疲れた。ショック!
それにしても生徒さんが描いた私の姿は
小太りの中年男。

わかっていたけれど
ちょっとショックやね。叫び

絵を見て「バランスがヘンじゃない?」と言いたくても
もしかして こんなふうに見えているかも と思うと
なにも注意できなくなります。

まだ見ぬモデルさん。インフルエンザをはやく治して
次回は必ず来て下さいよね。

シューベルト遺作  10/6

$shokei's time-冬の旅


昨日、仕事帰りに disk union に寄ったら、
田部京子さんの「シューベルトのソナタ21番変ロ長調遺作」が
500円ぐらいで出ていたので つい買ってしまいました。にひひ

以前 何かの本で評論家が
「間違えなく日本で最高のシューベルトの演奏」とか言われた盤です。
早速、聴いてみました。

う~~ん。シラー

素晴らしい演奏ですが~
私には 内田光子さんのちょっと恐ろしい演奏の方が深く感じます。




またこの曲を好きになったきっかけのR・リヒテルの演奏も忘れられません。
アファナシエフの演奏は、ちょっとやり過ぎだし(面白いけれど)
ホロヴィッツは、なぜか物足りないし~。ベルイマンやケンプや・・・

一楽章の冒頭から9小節目にすごく低音の♭ミのトリルが入るのですが
この音を聞く度に 川端康成の小説『山の音』を思い出します。叫び
死を告げる山の音・・・?。
内田光子の演奏では それがピアノの音というより
地の下で唸る「音」のように聞こえます。
ちょとクセのあるフレージングや 間のタメかたなど隅々まで繊細で
技術もすごいけれど 曲の解釈が深く
自分は何を演奏すべきかを捕まえている自信が伝わってきます。
男リヒテルとは反対に 女性ならではの豊かさを感じられます。

内田のシューベルトは音楽を超えて・・何か(彼岸)を見せてくれます。
ちょっと日本の怪談のような恐ろしさも感じます。

その点、田部京子さんは 美しいピアノ音楽のように思えました。

昔、A.コルトーという名ピアニストがインタビューの中で
「私はピアニストでなくアーチストだ。」と言っていました。
絵描きにもペインターとアーチストがいるのと似ています。

ロマン主義の本質は
「永遠を前にして瞬間に失われてしまう
美のはかなさ 時のかなしさ」 のようにも思えます。

31歳で他界したシューベルトの死因は腸チフスと言われていますが、
26歳ぐらいから梅毒で水銀軟膏などの治療を続けていたそうで
体内に蓄積し、水俣病患者のような体調であったと言われています。
瀉血治療などで体力も失われている中で 大量の作曲をしていた・・・
いつも死を意識していたのでは・・・?

シューベルトの音楽には静謐な死のイメージがあるのは
そのせいかもしれません。
(
音楽で意図的に「死」を表現しようとしたのではなく、醸し出たように感じます。)

妙な話ですが、自宅1階で母が亡くなった真夜中に 
私は その真上の2階で寝ようとしていて
耳鳴りのような小さな音楽が聞こえてきたのを覚えています。
楽しい晩餐会のような曲でもあり不思議な音楽でした。
どことなくシューベルトの「ロザムンデ」のようでした。

一般的に美しい曲といわれる『未完成交響曲』って
私は彼岸への行進曲みたいで ちょっと恐いです。

でも上記の第21番のソナタや弦楽五重奏曲(メロスS.Q)をはじめ、
交響曲第9番グレイト(フルトヴェングラー)や
VnとPのための幻想曲ハ長調(ブッシュ)、冬の旅も
弦楽四重奏第15番なども大好きです。
どれも最晩年の作曲です。

絵画に於いても「いい作品」には 
どこか彼岸的な形象が感じられような~
または入り口があるようにも思えます。

絵画は聖画像(イコン)から脱却して育ってきたけれど 現代に於いても
結局、聖画像(イコン)の替わりになっているだけだと思うことがあります。

ゴッホは農民の靴にも ひまわりにも
神を感じたのだと思いますし
セザンヌにとってセント・ヴィクトワール山は
霊的存在(イコン)だったのではないだろうかと
考えています。







[水彩人]第11回展 始まる!

とうとう[水彩人] が始まりました。

上野の都美術館で10月14日までやっています。

$shokei's time-水彩人1

いろいろ協議の末、会員制度が出来上がり、
一般公募で審査をして 56名の方が入選して出品しています。

画廊や同人からの推薦画家が9名と
会員6名と 同人15名と一緒になって 
86名の大所帯になりました。

なんと出品点数も130点以上!

$shokei's time-水彩人2                秋元、小笠原、小野,青木、奥山さん達のフロア


展覧会としては成功し
展示内容も充実していると思えます。

でも 今までの「水彩人」展と全く違う感じです。


私としては ちょっとビミョーな気持ちです。

ヒエラルキーが無かったはずの「水彩人」が
どんどん変わっていきます。


$shokei's time-水彩人3                          栗原、川村さんらの壁面



公募団体って 
どこか宗教団体のような匂いがするから
キライです。

知らないうちに 
ありもしない価値基準が出来上がり
架空のヒエラルキーの中で
一般応募の方々が入選する為に 
会の趣向にあった方向に添うことに必死になってしまう

公募展の中だけで評価をされているような絵もヘンだし
入学試験のように 競い合って得られる満足感て
絵を描く楽しさとは無関係だと思います。

私が尊敬していた末松正樹先生は
水泳と絵が好きだと言っていました。

それらは、人と競い合うことよりも
自分自身と向き合えるからだと
話してくれました.



$shokei's time-講評会

講評会も ありましたが
話をしながら 
いったい何の意味があるのだろう?と
自問しました。

絵の勉強?をしている「気分」を味わうだけ・・?
絵を楽しむって こんなことだっけ

なにか 
空回りしているような・・・



$shokei's time-光と隔たり                                           『光と隔たり』F50×2 松波



私の今回の出品作品は
描き足らないものばかりになってしまいました。

この絵は、夕暮れ時の江戸川で見た光景を
単純にストレートに描きたいと思いました。

描き始めの頃には向こう岸の逆光の風景や
手前の古い水門などもありましたが
描き進むにつれて ほとんど消えていきました。

ちょっと実験のつもりで紙にジェッソを塗ったのが
技術的には 大間違いでした。今回の反省点。


いつもギリギリまでネバって描くのですが
10月4日からなのに
搬入業者さんの都合で9月21日に
急に搬入しなければならなかったのもキツかった。
自業自得だし~。 とても言い訳臭い~。


今日も徹夜あけで・・・
一日中 ボ~ッとしていました。 

$shokei's time-水彩人4

5時から懇親会がありました。
疲れと眠気のパーティ


ここでも ボ~ッとしていました。・・・

御来客の皆様に対しては 
大変 失礼をしました。


$shokei's time-水彩人5   盛況の懇親会                    




すいさい人11回展ダイジェスト(動画)


           



「アセンション」再聴   10/1

$shokei's time-アセンション


Jazzテナーサックスのジョン・コルトレーンに
「アセンション」というアルバムがあります。
コルトレーンのフリージャズ宣言みたいなレコードなのですが
面白いのは エディション1を1000枚プレスし 市場に出回った直後、
コルトレーンが すぐに エディション2に差し替えました。
現在CDでは両方とも聞くことができます。






この2種類を聴き比べると コルトレーンの考えが
わかるような気がします。
よく「言い間違え」の中に 本心が出ているって
聞きますし~。ひらめき電球

Ed.1ではエルビン・ジョーンズのドラムソロがありますが
Ed.2では ありません。

黄金のカルテットと言われた仲間のE.ジョーンズと
ピアノのマッコイターナーが力演を見せてくれていますが
従来のJAZZを引きずってしまいフリーへの「壁」を
超えられないように感じてしまいます。
演奏は、新しさもあり 素晴らしいのですが・・・
でもドラムがラシッド・アリだったら♡

こういうコトは「絵画」に於いても よく感じられることがあります。
私自身は 間違いなく壁を越えられない方で
迷って、悩んで、諦めそうなタイプなんですが・・・

いいとか悪いとかではなく
ほんの些細なことなのに 跨げない。ジレンマ。

「隔たり」ならば間を埋めれば 渡れるでしょうが
この違いは、もっと根っこの部分の「差異」なんでしょう。


「アセンション」は11人のジャズマンによる
集団即興と個々の即興の反復という構成で ハチャメチャで
ジャングルの中の野獣の喧噪みたいな曲でして
学生の頃にこのレコードを買った時には
かなり後悔しました。叫び

数年経って聞き直したら その面白さにやっと気がつきました。

耳からウロコが落ちたみたいに
フリージャズや 現代音楽などの難解と言われる曲や
詩や映画、抽象画などが抵抗無く
素直に受け入れることが出来るようになりました。

プリミティブというか・・巨大なカオスのエネルギーというか
ポロックの大画面の持つ衝撃波のような・・・

最晩年の コルトレーンの音楽は
所謂、JAZZではなくなったと思います。

従来の描画を否定したポロックの絵のように
現れてくるフォルムやイメージを壊していく
吹き捲くる騒音の中に
不思議な静けさが見えてきて
コルトレーンの音楽になっていると思います。

40歳で亡くなったなんて思えない。


最晩年のビル・エバンスもマイルス・ディビスも
すごい人は そのジャンルに収まらない
独自の世界を作り出していて脱帽するばかり・・・

画家のマーク・ロスコだって~


( John Coltrane で好きなのは「エクスプレッション」
              「 Interstellar Space 」)





*先日から描いていた「夕焼けだんだん」と「富士見坂」の絵を
徹夜で仕上げて本日、搬入しました。
だらだら描いて だんだん悪くなっちゃいました。反省。


$shokei's time-暮れ色の街
『暮れ色の街』F6油彩

$shokei's time-二人で歩く
『二人で歩く』F6油彩

妄想に生きる  9/28

朝、満員電車に揺られていて ふと思います。

この人たちは 私と同様に それぞれ自分の考えの中にいて
時々、現実の駅名を確認するぐらいで
すぐまた自分だけの心の中に戻ってしまいます。
満員電車は何千という「幻想」を
運んでいるように思えます。


$shokei's time-満員電車



「幻想」というのは「現実」と別々にあるのではなくて
現実の中に 同時に 幻想があるというか・・・
とにかく分けるものじゃないと考えています。

このことは、ものを作ったり描いたりすることと
すごく関係があると思います。

学生の頃、デッサンの授業で
「もっと よく見ろ!」としか言わない先生がいましたが、
ちょっと違うということが後になってわかりました。
デッサンは現実の模写ということだけじゃないし、
「見る」はイメージ(たとえばモノの裏側とか触った経験とか、
個人的思い入れとか…)を介して「見る」ことだと気がつきました。
そう思うようになったら デッサンの授業も少し楽しくなりました。
(その後、30年以上もデッサン講師をやっているが・・・ヘタ)

大画家の中川一政も
「写実とは見たままを描くのではなく、思ったままを描くことだ。」また
「デッサンもフォルムも見るものは肉眼ではなく心眼である」と言っていましたし~。

「アバタもエクボ」なら「アバタ」とわかったら
「エクボ」に描いてもいいのが絵というか……
主観的に「見る」(幻想?)と客観的に「見る」が同時にあるっていうか……
そんなふうに考えています。

そして 今日もまた 私は、妄想の中で生きています。


先日の水彩人展搬入に間に合わなかった
「Out of Nowhere」をコッソリ
グジグジと昨日まで描いていたのですが
やっぱり無理みたい。
「アノ絵は遠くに行ってしまった。」( J.ポロックの真似 )

毎年、壁面8メートル分くらいは 
出品してきたのに 今回は2点しか出品できないかも…


今日はアルトサックスの
ジャッキー・マクリーンのアルバムを
久々に 引っ張りだして聴いています。

JACKIE McLEAN
   「Let Freedom Ring」 
   「One Step Beyond」(初めの一歩?)

マクリーンの音やフレーズは ギスギスしていて
歳をとってもキズつきやすい青年みたいです。



アタシも
ガンバらねばっ。

水彩人展~ もうすぐ始まる  9/26

$shokei's time-水彩人審査日
         水彩人同人と会員(東京都美術館審査会場にて)


今日は「水彩人」第11回展の為の一般入選作品を選ぶ審査日でした。

このような形式での一般作品の公募は 初めてでしたが
多くの水彩作品が集まり、嬉しくもあり 
また 審査をするのは大変でした。

$shokei's time-審査風景
            話し合いをしながらの審査風景

1999年4月に「水彩人」は始まりました。

それ以前から銀座「あずま」で 定期的に集まって絵の話をしたり、
湯島聖堂に水彩画を持ち寄って 講評をしたりしていました。

6人で話し合い、グループとして
定期的に発表をしていくことにしました。
私以外は水彩連盟の方々です。

その頃、私はまだ水彩を始めたばかりでしたが
仲間に入れてもらいました。

あと、3人に参加してもらい 男9人で
アート・ミュージアム・ギンザという広い会場を決め
その夏、8月に「水彩人」第1回展を開催しました。

同人の関係を密にするために会議や
絵についての話し合いの場を多く持ち、
退会宣告を含む 厳しい「会則」も作りました。
同人同士の鋭い作品批評が重要視され
緊張感ある面白い会になりました。

言いたいことを言える関係を大切にしていこうと
「男だけで行くぞ!」と
女乗せない戦車隊 さながら
勇ましく皆、張り切っていました。

翌年、第2回展 新たに
4人の同人を迎えました。

女性でした。