近代化の大いなる必要性 (2)
こんにちは身体に何らかの支障をきたしているとき、例えば外出します時、― 私の家の玄関ドアを出た後、階下へ降りますにはエレベーターの使用が必要です。 通常の建物は、エレベータードアは自動ではありませんので、結構重い扉の開け閉めを自分でしなければなりません。 健常な時は“面倒!”なぐらいに思っていましたが、“体に痛いところ”ができることによって、“自動化”の必要性を痛感しました。 従って、息を止め、できる限り体に痛みが来ないように、両手で、“ゆっくり”開け、そして閉めることに専念しなければなりません。そして、建物から通りへ出るもう一つの重い扉も押しあけなければなりません。 建物によっては3つの扉を開け閉めしなければなりません。車イスでは通りに降りられない、反対に建物に上れない建造物は万とあります。 ― 地下鉄の入り口も、利用者がひとりひとり自分の手で開け閉めしなければなりません。 居住建物のエレベタードアの重さを遥かに超える“重――い”ドアです。― 改札口を出てから、“エスカレーター”が外の出口まで続いている駅は殆どありません。 必ず、途中から、自分の足で登り降りしなければなりません。 また、だからといってエレベーターが何処にでも便利にあるわけでもありません。体に不都合な点が無い時は構いませんが。 ― 地下鉄のドアが自動で開くことは殆どありません。 これも、体に痛いところがなければ、「仕方ない、これしかないんだから。」で済みますが、胸や背中の痛みには結構ひびいてきます。 腕や肩の痛みにも同じですね(苦笑)。― このドアに関する事で言いますと、個人のアパート内のドアノブもやけに余分な力を必要とするできの物が多いです。