【考察】鞆
【建速須佐之男命之御傳】
又の御名、
須佐之男命と云ひ、
又神須佐之男命と白し、
又勝速日命と白し、
又熊野加武呂命と白し、
又熊野加夫呂岐櫛御気野命と白し、
又八束髪速佐須良命と白す。
開闢の初め、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二神、共に大八州の国及び山川草木の神を生み給ひ、次に日の神月の神を生み給ひて、最後に素戔嗚命を生み給ひき。
命勇悍にして常に哭泣を以て行ひとなし、人民をして夭折せしめ、青山をして変枯になす。
故に、父母二神命に勅して、汝甚だ無道なり。以て天下に君臨すべからず。
当に遠く根の国に適くべし、とて逐に逐ひ給ひき。
是に於いて命は 教 を奉じて、根の国に就かんとし給ひ、天照大神に拝辞せむとして高天原に昇り詣ず。此とき山岳鳴堯し溟海皷盪す。是れ命の神性雄健なるが故に然らしむるなり。天照大神、素より其神の勇猛なるを知り給ふが故に、其来るの状を聞くに至り、勃然と驚き給ひ、吾弟の来るは善意を以てにはあらず、当に国を奪はん志にてあらむ。父母二神、既に諸子に各其境を有たしむ。然るに何ぞ就くべきの国を棄てて、敢えて此処を窺兪するやとて、雄装して以て待ち、直ちに詰問す。茲に命其来たる所以を答へ給はく、吾元より黒心あるにあらず。只父母二神の厳勅によりて、永く根の国に就かんとす。今如し姉命と相見えずは吾如何ぞ。敢えて去るを得ん。是れを以て雲霧を跋渉して遠来せしに意はざりき。却って厳顔に接せん、とて慨き給ひしに、天照大神又問ひ給はく。然らば何を以て爾が赤心を明かさんか、命対へ白さく、請ふ、姉と誓約せん。其誓中に必ず子を産むべし。吾生まらん子、是れ女なれば濁心あり。若し是れ男なれば清き心なり、と。即ち、天照大神は命の十握の剣を請ひ取りて生める所の神、三女まします。命は大神の八坂瓊の玉を乞ひ取りて生みませる神、正哉吾勝勝速日天の忍穂耳の命(天祖)、天の穂日の命(出雲の臣、土師連の祖等を初め、五男ましましき。茲に於いて命、「吾勝ちにき」と大に喜び給へり。
是より後、命は行ひ甚だ無状にして、天照大神が天の狭田長田を以て御田となし給ふとき、春は即ち種子を重播し又畔を毀ち溝を埋め、秋は即ち串を刺し馬を伏さしめ、又大神の神嘗の時は新宮を汚し、神衣を織り給ふ斉織殿に居ます時は天の斑駒を剥ぎて投げ納るなど為し給ひき。此時、大神驚き給ひ梭を以て身を傷け給ふ。此によりて慍りまして天石窟に入りましき。茲に八十萬神等天の安の河辺に会して謝し奉るべき方 を議し給ひき。思兼神深く謀り遠く慮りて、種々の道を竭して大神の御心を和し奉り、手力雄命をして岩戸を開き新殿に還り奉らしめ給ひき。
是に於いて諸神罪を命に帰し科するに、千座置戸を以てして、意に遂ひ降しき。茲に命は、出雲の国、簸の川上に到ります。
一伝に、其時命は其子五十猛命を師いて新羅国に降り到りて、曽尸茂梨の處に居ましき。
然して、命此地に居るを欲し給はずとて、舟にて出雲国簸の川に到りましきと。
此時、老翁老媼あり。一少女を中におきて哭せしかば、命其故を問ひ給ひしに、吾は国神脚摩乳手摩乳と云ひ、此女は奇稲田姫なり。吾は八女ありしが、毎年八岐の大蛇に呑まれて、今此女又呑まれんとして免がるるに由なく、哀傷めりと。命即ち其大蛇を討たんとて、計を設けて酒を八槽に入れ待ち給ひしに、期に至りて果たして大蛇頭尾各八岐なるもの入り来たりて酒を飲み、酔ひて睡れり。依りて命は佩する十握の剣を抜きて寸斬せしに、其尾に一剣ありき。之れ草薙剣なり(本の名は天の叢雲の剱、蓋し大蛇居る上は常に雲の気あり、故に名づく。後に、日本武命、草薙剣と改め、三種神器の一なり)。
是れ神剱なりとて天照大神に献り給ひき。後に稲田姫と婚せんとして清の地に到りて、曰く、吾心清々しとて、彼の地に宮を建つ。其時、瑞雲立ち謄りたれば御歌を詠み給ふ。
八雲たつ 出雲八重垣 つまこみて
八重つくる その八重垣を(これ吾国三十一字の和歌の初めなり)
茲に、妻籠して其御子大己貴命を生み給ふ。
時に、素戔嗚命曰く「韓郷の島は、金 銀あり。もし吾が児の御らす国に浮寳あらずば佳からじ」(舟が無くては良くない)とて、乃 鬚髯を抜き散らす時杉となり、胸毛を抜き散らす時檜となりき。尚種々の木成りたり。依りて其用を定め「杉と槇樟とは浮宝を作るべく、檜は宮殿の材となすべし」云々と。時に、其御子五十猛命、其妹大屋津姫、次に柧津姫、凡て三神亦能く木種を分布し給ひき。然して後、命は熊成の峰に居給ひ、遂に根の国に入り給ひき。
京都祇園 八坂神社 祭神 素戔嗚命
尾張国 津島神社 祭神 素戔嗚命
祇園日牛頭天王と称する祭の祭神 素戔嗚命
新羅明神 祭神 素戔嗚命
【八幡宮誉田別命之御伝】
又の御名品田別命、又大鞆別命と白す。諡して応神天皇と白す。
誉田天皇は仲哀天皇の第四子なり。母は気長足姫命(神功皇后)なり。仲哀天皇の九年(200) 十二月十四日、筑紫の蚊田に生まれ給ひき。幼にして聡達監 深遠、動容進止あり。聖の表異しきことあり。初め、天皇孕にあり、皇后神教を奉じて三韓を征す。天皇生まるるに及んで腕上の肉起きて鞆の如し。皇后雄装して負う所の者の如し。因って誉田と名づく(蓋し古、鞆を保武多と云う)。又、胎中天皇と稱す。
天皇年七拾壱にして天皇の位に即き給ひ、軽島に都し明宮と云ふ。〔神功皇后摂政し給ひし故なり。儲位(太子の位)にあること六十七年〕
皇后摂政の四十七年、百済の使、新羅の使と共に入貢す。皇太子(応神天皇)大に喜んで曰く「先帝の欲する所の国人来服す。痛哉、見る及ばず」と、群臣、皆ために涙を掩ふ。
七年、三韓及任那来朝す。武内宿祢をして、韓人を領して韓人の池を作らしむ。
拾四年(283) 、百済、縫衣女を貢す。
拾六年(285) 、春二月、百済王、王仁をして、治工、呉服、醸酒の諸人を率いて来朝し、論語十巻千字文一巻を献ず。本朝、経営初なり。太子稚郎子以下、皆学す。
四拾壱年(310) 春二月拾五日、戊申明宮に崩じ給ふ。御寿一百十一歳、河内国恵我藻伏山岡陵に葬る。元明天皇、和銅五年(712) 、天皇を豊前国宇佐郡に祀る。號して八幡大神宮と云ふ(或は欽明天皇三十一年、神託ありて広幡八幡と称したりと)。清和天皇のとき山城国男山(男山の山下に流れあり石清水と号す)石清水の社を創立して歳時奉幣す。奉幣使、多く源氏の人を用ふ。
元正天皇、養老四年(720) 九月、異国襲来す。日向、大隅、大いに乱る。朝廷、宇佐神宮に祈りて冦賊を平ぐ。死傷者多かりしを以て放生会を諸国に置く。八幡の放生会これより始まる。孝謙天皇、神護景雲三年(769) 九月、太宰の主神八幡の神教を矯めて、道鏡をして帝位に即かしめば天下泰平ならん、と奏す。天皇、和気清麿に命じて神教を伺はしむ。清麿神宮に詣る。大神託して曰く「我国家、開闢以来君臣の分定まる。臣を以て君とすることは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は、早く掃き除くべし」と。即ち、清麿神教を奏す。
八幡宮は至る所、奉斎し崇敬す。
【若宮大鷦鷯命御伝】
諡して仁徳天皇と白す。
仁徳天皇は応神天皇の第四子なり。母仲姫皇后なり。応神天皇始め宇治稚郎子を以て皇太子となす。応神天皇崩じて、皇太子稚郎子、位を天皇に譲りて莵道に避く。天皇、名分素より定まるを以て聴かず。時に大山守皇子謀反す。天皇その計を知り、密かに皇太子に告げ、兵を設けて之を殺す。而して皇太子は固より天皇をして位を践ましめんと欲し、相譲ること三年。民帰する所を知らず。天皇、志を執ること益々確し。皇太子、其の奪うべからざるを知り遂に自殺す。天皇、大いに驚き、莵道に至りて素服し、哀を発して之を哭す。
天皇尚位に即き給はず、王仁、梅花の歌を作りて以て登祚(即位)を諷す。
なにわずに さくやこの花 冬こもり
いまをはるべと さくやこのはな
仁徳天皇、元年(313) 春正月三日、天皇位に即く。難波に都す。高津宮という。宮室、煙せず梁、楹、飾らず、務めて節倹に従ひ、民の時を奪わず。
仁徳天皇、四年(316) の春二月、群臣に詔して曰く「朕、高台に登りて遠く望むに、烟気域の中に起たず。以為ふに、百姓既に貧しくて、家に炊 ぐもの無きが故なり。今朕、聞かむは、古の聖の王の世には、人々詠徳の音を誦げて、家々に康哉 といふ歌ありきといへり。今朕、億兆 に望みて、ここに三年になりぬ。頌音玲えず、炊烟転疎なり。すなわち、五穀登らず、百姓 窮り乏しきを知りぬ。封畿の内にして、なほ給がざる者あり。況はめや、畿外諸国をや」と詔り給ひき。其三月、詔して、「今ゆ後、三載に至るまでに、悉 に課役を除めて、百姓 の苦しみを息めむ」と詔り給ひき。是の後、宮垣崩れても造らず、茅茨壊れても葺かず。而して風雨時に順ひ、五穀豊穣す。三年にして百姓、殷富聲路に盈つ。
仁徳天皇、七年(319) 夏四月朔日、天皇高台に上り、烟気多く立てるを見て、皇后に謂ひて曰く「朕既に富めり。あに愁ふることあらめや」と大いに喜び給ひ、詠歌して日く。
たかきやに のぼりてみれば けぶりたつ
民のかまどは にぎはいにけり
皇后日く「今宮室朽壊す。何を以てか富と云うや」天皇日く「天の君を立つるは、本百姓のためなり。故に君は、百姓を以て本となす。百姓貧しければ、朕、貧しきなり。百姓の富は、朕の富なればなり」と。
秋九月、諸国請ひて日く「課役免せらるる三年、今百姓富饒して路遺ちたるを拾はず家に餘儲あり。而して宮殿は朽壊して府庫は充たず。諸税調を貢して宮室を修めん」と。聴かれず。
仁徳天皇、十年(322) 十月、始めて課役を科して宮室を造る。百姓、老を扶け幼を携さえ、先を争ひ材を運び簀を負ひ、日夜営造して幾ならずして宮室悉く成る。仁徳天皇八十七年(399) 春正月十六日、天皇崩ず。百舌鳥野陵に葬る。御年百十歳。
天皇幼にして聡明、容貌美麗なり。壮なるに及んで寛仁慈恵夙に起き、夜に寝ね、心を政理に専にし溝渠を通して堤防を作り、効原を墾闢す。是を以て百姓業を楽しみ、海内富庶なり。諡して仁徳天皇と云ふ。
山城国葛野郡平野神社
第一 今木神 日本武尊
第二 久度神 仲哀天皇
第三 古開神 仁徳天皇
第四 相殿比売 天照大神
藤原家隆の歌
なにはずに 冬こもりせし 花なれや
平野の松に 降れる白雪
大正四年十一月 非売品
(以印刷換謄写) 小川青年団
下伊那郡飯田伝馬町
印刷所 吉沢活版所
又の御名、
須佐之男命と云ひ、
又神須佐之男命と白し、
又勝速日命と白し、
又熊野加武呂命と白し、
又熊野加夫呂岐櫛御気野命と白し、
又八束髪速佐須良命と白す。
開闢の初め、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二神、共に大八州の国及び山川草木の神を生み給ひ、次に日の神月の神を生み給ひて、最後に素戔嗚命を生み給ひき。
命勇悍にして常に哭泣を以て行ひとなし、人民をして夭折せしめ、青山をして変枯になす。
故に、父母二神命に勅して、汝甚だ無道なり。以て天下に君臨すべからず。
当に遠く根の国に適くべし、とて逐に逐ひ給ひき。
是に於いて命は 教 を奉じて、根の国に就かんとし給ひ、天照大神に拝辞せむとして高天原に昇り詣ず。此とき山岳鳴堯し溟海皷盪す。是れ命の神性雄健なるが故に然らしむるなり。天照大神、素より其神の勇猛なるを知り給ふが故に、其来るの状を聞くに至り、勃然と驚き給ひ、吾弟の来るは善意を以てにはあらず、当に国を奪はん志にてあらむ。父母二神、既に諸子に各其境を有たしむ。然るに何ぞ就くべきの国を棄てて、敢えて此処を窺兪するやとて、雄装して以て待ち、直ちに詰問す。茲に命其来たる所以を答へ給はく、吾元より黒心あるにあらず。只父母二神の厳勅によりて、永く根の国に就かんとす。今如し姉命と相見えずは吾如何ぞ。敢えて去るを得ん。是れを以て雲霧を跋渉して遠来せしに意はざりき。却って厳顔に接せん、とて慨き給ひしに、天照大神又問ひ給はく。然らば何を以て爾が赤心を明かさんか、命対へ白さく、請ふ、姉と誓約せん。其誓中に必ず子を産むべし。吾生まらん子、是れ女なれば濁心あり。若し是れ男なれば清き心なり、と。即ち、天照大神は命の十握の剣を請ひ取りて生める所の神、三女まします。命は大神の八坂瓊の玉を乞ひ取りて生みませる神、正哉吾勝勝速日天の忍穂耳の命(天祖)、天の穂日の命(出雲の臣、土師連の祖等を初め、五男ましましき。茲に於いて命、「吾勝ちにき」と大に喜び給へり。
是より後、命は行ひ甚だ無状にして、天照大神が天の狭田長田を以て御田となし給ふとき、春は即ち種子を重播し又畔を毀ち溝を埋め、秋は即ち串を刺し馬を伏さしめ、又大神の神嘗の時は新宮を汚し、神衣を織り給ふ斉織殿に居ます時は天の斑駒を剥ぎて投げ納るなど為し給ひき。此時、大神驚き給ひ梭を以て身を傷け給ふ。此によりて慍りまして天石窟に入りましき。茲に八十萬神等天の安の河辺に会して謝し奉るべき方 を議し給ひき。思兼神深く謀り遠く慮りて、種々の道を竭して大神の御心を和し奉り、手力雄命をして岩戸を開き新殿に還り奉らしめ給ひき。
是に於いて諸神罪を命に帰し科するに、千座置戸を以てして、意に遂ひ降しき。茲に命は、出雲の国、簸の川上に到ります。
一伝に、其時命は其子五十猛命を師いて新羅国に降り到りて、曽尸茂梨の處に居ましき。
然して、命此地に居るを欲し給はずとて、舟にて出雲国簸の川に到りましきと。
此時、老翁老媼あり。一少女を中におきて哭せしかば、命其故を問ひ給ひしに、吾は国神脚摩乳手摩乳と云ひ、此女は奇稲田姫なり。吾は八女ありしが、毎年八岐の大蛇に呑まれて、今此女又呑まれんとして免がるるに由なく、哀傷めりと。命即ち其大蛇を討たんとて、計を設けて酒を八槽に入れ待ち給ひしに、期に至りて果たして大蛇頭尾各八岐なるもの入り来たりて酒を飲み、酔ひて睡れり。依りて命は佩する十握の剣を抜きて寸斬せしに、其尾に一剣ありき。之れ草薙剣なり(本の名は天の叢雲の剱、蓋し大蛇居る上は常に雲の気あり、故に名づく。後に、日本武命、草薙剣と改め、三種神器の一なり)。
是れ神剱なりとて天照大神に献り給ひき。後に稲田姫と婚せんとして清の地に到りて、曰く、吾心清々しとて、彼の地に宮を建つ。其時、瑞雲立ち謄りたれば御歌を詠み給ふ。
八雲たつ 出雲八重垣 つまこみて
八重つくる その八重垣を(これ吾国三十一字の和歌の初めなり)
茲に、妻籠して其御子大己貴命を生み給ふ。
時に、素戔嗚命曰く「韓郷の島は、金 銀あり。もし吾が児の御らす国に浮寳あらずば佳からじ」(舟が無くては良くない)とて、乃 鬚髯を抜き散らす時杉となり、胸毛を抜き散らす時檜となりき。尚種々の木成りたり。依りて其用を定め「杉と槇樟とは浮宝を作るべく、檜は宮殿の材となすべし」云々と。時に、其御子五十猛命、其妹大屋津姫、次に柧津姫、凡て三神亦能く木種を分布し給ひき。然して後、命は熊成の峰に居給ひ、遂に根の国に入り給ひき。
京都祇園 八坂神社 祭神 素戔嗚命
尾張国 津島神社 祭神 素戔嗚命
祇園日牛頭天王と称する祭の祭神 素戔嗚命
新羅明神 祭神 素戔嗚命
【八幡宮誉田別命之御伝】
又の御名品田別命、又大鞆別命と白す。諡して応神天皇と白す。
誉田天皇は仲哀天皇の第四子なり。母は気長足姫命(神功皇后)なり。仲哀天皇の九年(200) 十二月十四日、筑紫の蚊田に生まれ給ひき。幼にして聡達監 深遠、動容進止あり。聖の表異しきことあり。初め、天皇孕にあり、皇后神教を奉じて三韓を征す。天皇生まるるに及んで腕上の肉起きて鞆の如し。皇后雄装して負う所の者の如し。因って誉田と名づく(蓋し古、鞆を保武多と云う)。又、胎中天皇と稱す。
天皇年七拾壱にして天皇の位に即き給ひ、軽島に都し明宮と云ふ。〔神功皇后摂政し給ひし故なり。儲位(太子の位)にあること六十七年〕
皇后摂政の四十七年、百済の使、新羅の使と共に入貢す。皇太子(応神天皇)大に喜んで曰く「先帝の欲する所の国人来服す。痛哉、見る及ばず」と、群臣、皆ために涙を掩ふ。
七年、三韓及任那来朝す。武内宿祢をして、韓人を領して韓人の池を作らしむ。
拾四年(283) 、百済、縫衣女を貢す。
拾六年(285) 、春二月、百済王、王仁をして、治工、呉服、醸酒の諸人を率いて来朝し、論語十巻千字文一巻を献ず。本朝、経営初なり。太子稚郎子以下、皆学す。
四拾壱年(310) 春二月拾五日、戊申明宮に崩じ給ふ。御寿一百十一歳、河内国恵我藻伏山岡陵に葬る。元明天皇、和銅五年(712) 、天皇を豊前国宇佐郡に祀る。號して八幡大神宮と云ふ(或は欽明天皇三十一年、神託ありて広幡八幡と称したりと)。清和天皇のとき山城国男山(男山の山下に流れあり石清水と号す)石清水の社を創立して歳時奉幣す。奉幣使、多く源氏の人を用ふ。
元正天皇、養老四年(720) 九月、異国襲来す。日向、大隅、大いに乱る。朝廷、宇佐神宮に祈りて冦賊を平ぐ。死傷者多かりしを以て放生会を諸国に置く。八幡の放生会これより始まる。孝謙天皇、神護景雲三年(769) 九月、太宰の主神八幡の神教を矯めて、道鏡をして帝位に即かしめば天下泰平ならん、と奏す。天皇、和気清麿に命じて神教を伺はしむ。清麿神宮に詣る。大神託して曰く「我国家、開闢以来君臣の分定まる。臣を以て君とすることは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は、早く掃き除くべし」と。即ち、清麿神教を奏す。
八幡宮は至る所、奉斎し崇敬す。
【若宮大鷦鷯命御伝】
諡して仁徳天皇と白す。
仁徳天皇は応神天皇の第四子なり。母仲姫皇后なり。応神天皇始め宇治稚郎子を以て皇太子となす。応神天皇崩じて、皇太子稚郎子、位を天皇に譲りて莵道に避く。天皇、名分素より定まるを以て聴かず。時に大山守皇子謀反す。天皇その計を知り、密かに皇太子に告げ、兵を設けて之を殺す。而して皇太子は固より天皇をして位を践ましめんと欲し、相譲ること三年。民帰する所を知らず。天皇、志を執ること益々確し。皇太子、其の奪うべからざるを知り遂に自殺す。天皇、大いに驚き、莵道に至りて素服し、哀を発して之を哭す。
天皇尚位に即き給はず、王仁、梅花の歌を作りて以て登祚(即位)を諷す。
なにわずに さくやこの花 冬こもり
いまをはるべと さくやこのはな
仁徳天皇、元年(313) 春正月三日、天皇位に即く。難波に都す。高津宮という。宮室、煙せず梁、楹、飾らず、務めて節倹に従ひ、民の時を奪わず。
仁徳天皇、四年(316) の春二月、群臣に詔して曰く「朕、高台に登りて遠く望むに、烟気域の中に起たず。以為ふに、百姓既に貧しくて、家に炊 ぐもの無きが故なり。今朕、聞かむは、古の聖の王の世には、人々詠徳の音を誦げて、家々に康哉 といふ歌ありきといへり。今朕、億兆 に望みて、ここに三年になりぬ。頌音玲えず、炊烟転疎なり。すなわち、五穀登らず、百姓 窮り乏しきを知りぬ。封畿の内にして、なほ給がざる者あり。況はめや、畿外諸国をや」と詔り給ひき。其三月、詔して、「今ゆ後、三載に至るまでに、悉 に課役を除めて、百姓 の苦しみを息めむ」と詔り給ひき。是の後、宮垣崩れても造らず、茅茨壊れても葺かず。而して風雨時に順ひ、五穀豊穣す。三年にして百姓、殷富聲路に盈つ。
仁徳天皇、七年(319) 夏四月朔日、天皇高台に上り、烟気多く立てるを見て、皇后に謂ひて曰く「朕既に富めり。あに愁ふることあらめや」と大いに喜び給ひ、詠歌して日く。
たかきやに のぼりてみれば けぶりたつ
民のかまどは にぎはいにけり
皇后日く「今宮室朽壊す。何を以てか富と云うや」天皇日く「天の君を立つるは、本百姓のためなり。故に君は、百姓を以て本となす。百姓貧しければ、朕、貧しきなり。百姓の富は、朕の富なればなり」と。
秋九月、諸国請ひて日く「課役免せらるる三年、今百姓富饒して路遺ちたるを拾はず家に餘儲あり。而して宮殿は朽壊して府庫は充たず。諸税調を貢して宮室を修めん」と。聴かれず。
仁徳天皇、十年(322) 十月、始めて課役を科して宮室を造る。百姓、老を扶け幼を携さえ、先を争ひ材を運び簀を負ひ、日夜営造して幾ならずして宮室悉く成る。仁徳天皇八十七年(399) 春正月十六日、天皇崩ず。百舌鳥野陵に葬る。御年百十歳。
天皇幼にして聡明、容貌美麗なり。壮なるに及んで寛仁慈恵夙に起き、夜に寝ね、心を政理に専にし溝渠を通して堤防を作り、効原を墾闢す。是を以て百姓業を楽しみ、海内富庶なり。諡して仁徳天皇と云ふ。
山城国葛野郡平野神社
第一 今木神 日本武尊
第二 久度神 仲哀天皇
第三 古開神 仁徳天皇
第四 相殿比売 天照大神
藤原家隆の歌
なにはずに 冬こもりせし 花なれや
平野の松に 降れる白雪
大正四年十一月 非売品
(以印刷換謄写) 小川青年団
下伊那郡飯田伝馬町
印刷所 吉沢活版所
“鞆(とも)”という地名について
鞆の浦検定ブログ、四周年です!
サポートしてくださるみなさまのおかげです!
閲覧していただき、心より感謝します!
これからも、鞆の浦のすべてを老若男女の方々にわかりやすく、お伝えできるよう日々勉強してゆきます。
今後とも、当ブログと鞆の浦検定をよろしくお願い申し上げます!
さて、
四年目を迎え、「鞆」という変わった地名の起源について、今まで触れていなかったので、今回はこれについて諸説交えてご説明します。
※四国にも「鞆の浦」というのがあり、石見銀山付近には「鞆ヶ浦」という地名もあります(豆知識)
ここでは、備後・鞆の浦をご説明します。

医王寺から鞆港へ posted by (C)鳶眼
【鞆の浦(とものうら)】
◎地名の起源
江隈の浦(疫隈の浦)、備後鞆の津、沼隈郡鞆町、福山市鞆町へと変遷して今日に至っている鞆の浦。
<余談>坂本龍馬が妻・お龍に宛てた手紙には「鞆殿」と記されていた。
歴史上初めて地名としての“鞆(とも)”という言葉が出て来るのは、
奈良時代・天平2(西暦730)年に、大伴旅人が九州太宰府から奈良の都への帰路のこと。
詠んだ万葉歌三首が始まりとされ、万葉集巻第三に遺されている。
その注には三首は、鞆の浦を過ぎし日に作れる歌と記されている。
吾妹子之 見師鞆浦之 天木樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
わぎもこが みし鞆の浦のむろの木は とこよにあれど みしひとそなき
鞆の浦の 磯のむろの木見むごとに 相見し妹は わすらえめやも
磯の上に ねはうむろの木見し人を いずらと問はば 語り告げむか
その他、万葉集には遣新羅使人が詠んだ歌や作者不明の五首にも“鞆”という地名として遺っている。
【神功皇后との関わり説:一】
1640年代、初代鞆奉行・荻野重富 著「鞆記」には以下のように記されている。
__________
「仁王捨五代の帝、功皇后、西の國へ御幸なりしに、御船を此浦に寄せたまい、浦の名をと勅ありしに、それまでは名も知らすと奏すれば、御船のとも(艢)をつけたまふなれば、鞆とこそいふけれと勅にまかせ、まさしく帝よりくたし給ふ浦の名也と侍りし也」
__________
【地形説】
1748年、福山藩主・阿部正福の命で編纂された「鞆浦誌」には以下のように記されている。
__________
「渡(わたす)の札場より要害の端を見渡せば中高くして其末拳の如し、○に鞆の形と見ゆ、又平(ひら)の明より要害まで海邊(かいへん)弓の如く、地形自然と射具に似たり、往古より鞆と名づく云々」
※○は解読不能
__________
【神功皇后との関わり説:二】
1912年、沼名前神社由来記にはこう記されている。
__________
「人皇第14代・仲哀天皇2年2月6日、神功皇后が熊襲征伐のため下向途中、備後の南の浜(鞆の浦)に立ち寄った時に海中から霊石が湧き出たという。
神功皇后はこの地に社の無きことを知り、ここに斎場を設け、その石を神璽として「綿津見(わだつみ)命」を祀り海路の安全を祈願したのが神社の起源(本来は渡守神社)であり、また、鞆の浦の「鞆」という地名は、神功皇后が再びこの地に立ち寄った時に渡守の神(綿津見命)に奉納した「稜威(いづ)の高鞆」(武具)に起因し鞆と呼ばれるようになった。」
__________
【神功皇后との関わり説:三】
さらに、
1923年、沼隈郡誌にはこう記されている。
__________
「神功皇后凱旋の時、戦場にて手に巻き玉ひし稜威の高鞆を神璽として渡守の神に奉賽し玉ひしより地名となる」
__________
【考察】
先の万葉歌にもあるように、天平2(730)年から“鞆”という地名が存在したとすれば、「鞆浦誌」の地形説は誤解と推測できる。しかも、1610年頃・福島正則公により大河島と陸続きになるまでは、美しい孤の形ではなく、「平の明(平の明神山)」もまた陸続きではなかったのだ。
そこで、神功皇后との関わり説の三つの説・・・
「沼隈郡誌」には、11年前に刊行された「沼名前神社由来記」を元に少しアレンジされた一文が記されている。ここで又今度は、神璽が「海中から湧き出た霊石」なのか、「戦場にて手に巻き玉ひし稜威の高鞆」なのか、食い違うところがあるというものの、この二つが曖昧な状態で現在の通説となっている。
【新説】
◎鞆→「戸(と)」「茂(も)」説
戸とは、島と島の間の水が出入りするところ。という意味があり
茂とは、多いという意味。
つまりは、戸が多い場所。という意味から
◎鞆→「渡(と)」「守(も)」説
神功皇后が神璽を奉賽した渡守(わたす)大神から、「わたす」を「とも」と読んでしまった。
という説もある。
◎応神天皇との関わり説
応神天皇は別名:誉田(ほむた)天皇と呼ばれる、鞆は古語で「ほむた」と読むことから、応神天皇と大きな関わりを持つのではないかと考察中
それぞれ、ロマンティックで面白い諸説なのだが、当検定では沼名前神社の由緒に記載されていることを通説として検定を作成しております。
なにしろ、地名が“鞆”と決まった時にリアルタイムで生きていた真実を知っている人々は、もういないのですから。氏神さまの由緒を信じます。
ということにしておきます。
鞆の浦の地名の起源は、あまりにも諸説が多いため、これらは検定問題に出題予定はありません。
お弓神事の飾り弓には、「神功皇后」と「その皇子(のちの応神天皇)を抱く武内宿禰」がある。
通説を信じるほかないのではなかろうか・・・?
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「お弓神事のすべて」シリーズ
◎「お弓神事」のすべて/其の一
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10741106081.html
◎「お弓神事」のすべて/其の二
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10741150229.html
◎「お弓神事」のすべて/其の三
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10742546184.html
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<2011年トピックス>
【日本書記から】鞆の浦と神話シリーズ
2011年早々から公開!鞆の浦検定・歴史考察シリーズ
◎鞆の浦と神話/其の一
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746052336.html
◎鞆の浦と神話/其の二
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746052867.html
◎鞆の浦と神話/其の三
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053155.html
◎鞆の浦と神話/其の四
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053298.html
◎鞆の浦と神話/其の五
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053433.html
◎鞆の浦と神話/其の六
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053608.html
◎鞆の浦と神話/其の七
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053772.html
◎鞆の浦と神話/其の八
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053974.html
◎鞆の浦と神話/其の九
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054126.html
◎鞆の浦と神話/其の十
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054282.html
◎鞆の浦と神話/其の十一
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054445.html
◎鞆の浦と神話/其の十二
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054635.html
◎鞆の浦と神話/其の十三
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054887.html
◎鞆の浦と神話/其の十四
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746055128.html
◎鞆の浦と神話/其の十五
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746055516.html
サポートしてくださるみなさまのおかげです!
閲覧していただき、心より感謝します!
これからも、鞆の浦のすべてを老若男女の方々にわかりやすく、お伝えできるよう日々勉強してゆきます。
今後とも、当ブログと鞆の浦検定をよろしくお願い申し上げます!
さて、
四年目を迎え、「鞆」という変わった地名の起源について、今まで触れていなかったので、今回はこれについて諸説交えてご説明します。
※四国にも「鞆の浦」というのがあり、石見銀山付近には「鞆ヶ浦」という地名もあります(豆知識)
ここでは、備後・鞆の浦をご説明します。

医王寺から鞆港へ posted by (C)鳶眼
【鞆の浦(とものうら)】
◎地名の起源
江隈の浦(疫隈の浦)、備後鞆の津、沼隈郡鞆町、福山市鞆町へと変遷して今日に至っている鞆の浦。
<余談>坂本龍馬が妻・お龍に宛てた手紙には「鞆殿」と記されていた。
歴史上初めて地名としての“鞆(とも)”という言葉が出て来るのは、
奈良時代・天平2(西暦730)年に、大伴旅人が九州太宰府から奈良の都への帰路のこと。
詠んだ万葉歌三首が始まりとされ、万葉集巻第三に遺されている。
その注には三首は、鞆の浦を過ぎし日に作れる歌と記されている。
吾妹子之 見師鞆浦之 天木樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
わぎもこが みし鞆の浦のむろの木は とこよにあれど みしひとそなき
鞆の浦の 磯のむろの木見むごとに 相見し妹は わすらえめやも
磯の上に ねはうむろの木見し人を いずらと問はば 語り告げむか
その他、万葉集には遣新羅使人が詠んだ歌や作者不明の五首にも“鞆”という地名として遺っている。
【神功皇后との関わり説:一】
1640年代、初代鞆奉行・荻野重富 著「鞆記」には以下のように記されている。
__________
「仁王捨五代の帝、功皇后、西の國へ御幸なりしに、御船を此浦に寄せたまい、浦の名をと勅ありしに、それまでは名も知らすと奏すれば、御船のとも(艢)をつけたまふなれば、鞆とこそいふけれと勅にまかせ、まさしく帝よりくたし給ふ浦の名也と侍りし也」
__________
【地形説】
1748年、福山藩主・阿部正福の命で編纂された「鞆浦誌」には以下のように記されている。
__________
「渡(わたす)の札場より要害の端を見渡せば中高くして其末拳の如し、○に鞆の形と見ゆ、又平(ひら)の明より要害まで海邊(かいへん)弓の如く、地形自然と射具に似たり、往古より鞆と名づく云々」
※○は解読不能
__________
【神功皇后との関わり説:二】
1912年、沼名前神社由来記にはこう記されている。
__________
「人皇第14代・仲哀天皇2年2月6日、神功皇后が熊襲征伐のため下向途中、備後の南の浜(鞆の浦)に立ち寄った時に海中から霊石が湧き出たという。
神功皇后はこの地に社の無きことを知り、ここに斎場を設け、その石を神璽として「綿津見(わだつみ)命」を祀り海路の安全を祈願したのが神社の起源(本来は渡守神社)であり、また、鞆の浦の「鞆」という地名は、神功皇后が再びこの地に立ち寄った時に渡守の神(綿津見命)に奉納した「稜威(いづ)の高鞆」(武具)に起因し鞆と呼ばれるようになった。」
__________
【神功皇后との関わり説:三】
さらに、
1923年、沼隈郡誌にはこう記されている。
__________
「神功皇后凱旋の時、戦場にて手に巻き玉ひし稜威の高鞆を神璽として渡守の神に奉賽し玉ひしより地名となる」
__________
【考察】
先の万葉歌にもあるように、天平2(730)年から“鞆”という地名が存在したとすれば、「鞆浦誌」の地形説は誤解と推測できる。しかも、1610年頃・福島正則公により大河島と陸続きになるまでは、美しい孤の形ではなく、「平の明(平の明神山)」もまた陸続きではなかったのだ。
そこで、神功皇后との関わり説の三つの説・・・
「沼隈郡誌」には、11年前に刊行された「沼名前神社由来記」を元に少しアレンジされた一文が記されている。ここで又今度は、神璽が「海中から湧き出た霊石」なのか、「戦場にて手に巻き玉ひし稜威の高鞆」なのか、食い違うところがあるというものの、この二つが曖昧な状態で現在の通説となっている。
【新説】
◎鞆→「戸(と)」「茂(も)」説
戸とは、島と島の間の水が出入りするところ。という意味があり
茂とは、多いという意味。
つまりは、戸が多い場所。という意味から
◎鞆→「渡(と)」「守(も)」説
神功皇后が神璽を奉賽した渡守(わたす)大神から、「わたす」を「とも」と読んでしまった。
という説もある。
◎応神天皇との関わり説
応神天皇は別名:誉田(ほむた)天皇と呼ばれる、鞆は古語で「ほむた」と読むことから、応神天皇と大きな関わりを持つのではないかと考察中
それぞれ、ロマンティックで面白い諸説なのだが、当検定では沼名前神社の由緒に記載されていることを通説として検定を作成しております。
なにしろ、地名が“鞆”と決まった時にリアルタイムで生きていた真実を知っている人々は、もういないのですから。氏神さまの由緒を信じます。
ということにしておきます。
鞆の浦の地名の起源は、あまりにも諸説が多いため、これらは検定問題に出題予定はありません。
お弓神事の飾り弓には、「神功皇后」と「その皇子(のちの応神天皇)を抱く武内宿禰」がある。
通説を信じるほかないのではなかろうか・・・?
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「お弓神事のすべて」シリーズ◎「お弓神事」のすべて/其の一
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10741106081.html
◎「お弓神事」のすべて/其の二
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10741150229.html
◎「お弓神事」のすべて/其の三
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10742546184.html
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<2011年トピックス>
【日本書記から】鞆の浦と神話シリーズ

2011年早々から公開!鞆の浦検定・歴史考察シリーズ
◎鞆の浦と神話/其の一
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746052336.html
◎鞆の浦と神話/其の二
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746052867.html
◎鞆の浦と神話/其の三
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053155.html
◎鞆の浦と神話/其の四
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053298.html
◎鞆の浦と神話/其の五
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053433.html
◎鞆の浦と神話/其の六
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053608.html
◎鞆の浦と神話/其の七
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053772.html
◎鞆の浦と神話/其の八
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746053974.html
◎鞆の浦と神話/其の九
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054126.html
◎鞆の浦と神話/其の十
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054282.html
◎鞆の浦と神話/其の十一
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054445.html
◎鞆の浦と神話/其の十二
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054635.html
◎鞆の浦と神話/其の十三
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746054887.html
◎鞆の浦と神話/其の十四
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746055128.html
◎鞆の浦と神話/其の十五
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10746055516.html
鞆の浦の重要文化財一覧
【名勝】
景色の良い土地のこと。名勝地ともいう。
日本における文化財の種類のひとつで、芸術上または観賞上価値が高い土地について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。
庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地の中で、日本国にとって芸術上また観賞上価値の高いものを、文部科学大臣が「名勝」および「特別名勝」の名称で指定することができると規定している。地方公共団体においては、文部科学大臣の指定から漏れたものに対して、それぞれの条例に基づいて教育委員会が指定を行っている。
名勝の保護制度は、大正8(1919)年に施行された史蹟名勝天然紀念物保存法において、風致景観の優秀な土地、名所的な土地を保護する制度として始まった。昭和25(1950)年制定の文化財保護法に引き継がれ、自然保護制度としての性格を強めている。
鞆の浦周辺は大正14(1925)年に名勝・鞆公園の指定を受け、さらに昭和6(1931)年に制定された国立公園法において国立公園として最初に指定された地区のひとつである(瀬戸内海国立公園)。そのため昭和9(1934)年の国立公園指定当時の記念切手や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。 なお鞆の浦に含まれる島には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。
__________
【重要文化財】(じゅうようぶんかざい)※文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties
日本に所在する建造物・美術工芸品等の有形文化財のうち、文化史的・学術的に特に重要なものとして文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した文化財を指す。
地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、単に「重要文化財」という場合は通例国が指定した有形文化財のことを指す。
【国重要文化財】
※略称:国重文
◎安国寺釈迦堂/備後安国寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784719189.html
◎沼名前神社能舞台/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784722345.html
◎太田家住宅/鞆七卿落遺跡
◎太田家住宅朝宗亭/鞆七卿落遺跡
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784724279.html
【県重要文化財】
※略称:県重文
◎弁天島塔婆/名勝・鞆公園(弁天島)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784731855.html
◎沼名前神社鳥居/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784733574.html
【市重要文化財】
※略称:市重文
◎沼名前神社石灯篭/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784741585.html
◎力石/沼名前神社
◎能面・鼓の胴・狛犬・絵馬等(非公開)/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784746573.html
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784747917.html
◎鞆の津商家
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784743500.html
◎岡本家長屋門
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784744453.html
__________
【史跡】(しせき、※旧字:史蹟)
歴史上の事件に関係のある場所、古い建物やその遺構のこと(英:Historic site)。旧跡(きゅうせき)ともいう。
日本における文化財の種類のひとつで、歴史上または学術上価値が高いと認められる遺跡について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。
【国史跡】
◎鞆福禅寺境内・朝鮮通信使遺跡/福禅寺
【県史跡】
◎備後安国寺/備後安国寺
◎鞆七卿落遺跡/湧出町通り
◎鞆対潮楼/福禅寺境内
【市史跡】
◎大可島城跡/円福寺境内
__________
【天然記念物】(てんねんきねんぶつ、英:Natural monument)
動物、植物、地質・鉱物などの自然物に関する記念物である。天然記念物に対して、人間の文化活動に関する記念物を文化記念物(人文記念物)と言う。日本においては文化財保護法や各地方自治体の文化財保護条例に基づき指定される。
【県天然記念物】
◎鞆安国寺のソテツ/備後安国寺
◎仙酔島の海食洞窟/名勝・鞆公園(仙酔島)
◎仙酔島の地層と岩脈/名勝・鞆公園(仙酔島)
__________
【市無形文化財】
無形文化財(むけいぶんかざい)は、広義では、人類の文化的活動によって生み出された無形の文化的所産全般を意味する。狭義では、日本の文化財保護法や地方公共団体の条例における文化財の種類のひとつで、演劇、音楽、工芸技術などの無形の文化的所産を意味する。特に、文化財保護法第2条第1項第2号において規定された「無形文化財」を意味する。
◎お弓神事/沼名前神社
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10765600997.html
◎お手火神事/沼名前神社
__________
【国指定重要文化財】
<建造物>
安国寺釈迦堂
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784719189.html
沼名前神社能舞台
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784722345.html
太田家住宅・太田家住宅朝宗亭
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784724279.html
磐台寺観音堂
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784726329.html
<彫刻>
木造阿弥陀如来・両脇侍立像/木造法燈国師坐像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784730133.html
__________
【広島県指定重要文化財】
<建造物>
弁天島塔婆(九層石塔婆)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784731855.html
沼名前神社鳥居
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784733574.html
<工芸品>
達磨大師位牌
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784735343.html
<彫刻>
木造薬師如来立像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784738688.html
木造十一面観音立像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784739738.html
__________
【福山市指定重要文化財リスト】
<建造物>
沼名前神社石燈籠
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784741585.html
鞆の津の商家
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784743500.html
岡本家長屋門
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784744453.html
<工芸品>
千種作・神楽筒(沼名前神社)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784746573.html
能面並びに箱類(沼名前神社)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784747917.html
銅鐘(福禅寺)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784749227.html
<彫刻>
木造千手観音立像
木造地蔵菩薩半跏像
木造役行者像及び二鬼(前鬼・後鬼)像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784752484.html
木造阿弥陀如来坐像 医王寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784753448.html
木造地蔵菩薩立像 地蔵院
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784754858.html
木造地蔵菩薩立像 大観寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784755567.html
<絵画>
絹本著色聖徳太子像 明円寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784762763.html
絹本著色釈迦十六善神像 小松寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784763494.html
絹本著色親鸞上人像 南禅坊
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784764614.html
絹本著色聖徳太子像 南禅坊
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784765474.html
<典籍>
中村家文書 鞆町個人所有
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784767217.html
【国登録有形文化財】
<建造物>
いろは丸展示館
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784717529.html
景色の良い土地のこと。名勝地ともいう。
日本における文化財の種類のひとつで、芸術上または観賞上価値が高い土地について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。
庭園、橋梁、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地の中で、日本国にとって芸術上また観賞上価値の高いものを、文部科学大臣が「名勝」および「特別名勝」の名称で指定することができると規定している。地方公共団体においては、文部科学大臣の指定から漏れたものに対して、それぞれの条例に基づいて教育委員会が指定を行っている。
名勝の保護制度は、大正8(1919)年に施行された史蹟名勝天然紀念物保存法において、風致景観の優秀な土地、名所的な土地を保護する制度として始まった。昭和25(1950)年制定の文化財保護法に引き継がれ、自然保護制度としての性格を強めている。
鞆の浦周辺は大正14(1925)年に名勝・鞆公園の指定を受け、さらに昭和6(1931)年に制定された国立公園法において国立公園として最初に指定された地区のひとつである(瀬戸内海国立公園)。そのため昭和9(1934)年の国立公園指定当時の記念切手や絵葉書には鞆の風景が描かれているものがある。 なお鞆の浦に含まれる島には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。
__________
【重要文化財】(じゅうようぶんかざい)※文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties
日本に所在する建造物・美術工芸品等の有形文化財のうち、文化史的・学術的に特に重要なものとして文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した文化財を指す。
地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、単に「重要文化財」という場合は通例国が指定した有形文化財のことを指す。
【国重要文化財】
※略称:国重文
◎安国寺釈迦堂/備後安国寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784719189.html
◎沼名前神社能舞台/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784722345.html
◎太田家住宅/鞆七卿落遺跡
◎太田家住宅朝宗亭/鞆七卿落遺跡
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784724279.html
【県重要文化財】
※略称:県重文
◎弁天島塔婆/名勝・鞆公園(弁天島)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784731855.html
◎沼名前神社鳥居/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784733574.html
【市重要文化財】
※略称:市重文
◎沼名前神社石灯篭/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784741585.html
◎力石/沼名前神社
◎能面・鼓の胴・狛犬・絵馬等(非公開)/沼名前神社
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784746573.html
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784747917.html
◎鞆の津商家
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784743500.html
◎岡本家長屋門
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784744453.html
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【史跡】(しせき、※旧字:史蹟)
歴史上の事件に関係のある場所、古い建物やその遺構のこと(英:Historic site)。旧跡(きゅうせき)ともいう。
日本における文化財の種類のひとつで、歴史上または学術上価値が高いと認められる遺跡について、日本国および地方公共団体が指定を行ったもの。特に、文化財保護法第109条第1項において規定された、国指定の文化財の種類のひとつ。
【国史跡】
◎鞆福禅寺境内・朝鮮通信使遺跡/福禅寺
【県史跡】
◎備後安国寺/備後安国寺
◎鞆七卿落遺跡/湧出町通り
◎鞆対潮楼/福禅寺境内
【市史跡】
◎大可島城跡/円福寺境内
__________
【天然記念物】(てんねんきねんぶつ、英:Natural monument)
動物、植物、地質・鉱物などの自然物に関する記念物である。天然記念物に対して、人間の文化活動に関する記念物を文化記念物(人文記念物)と言う。日本においては文化財保護法や各地方自治体の文化財保護条例に基づき指定される。
【県天然記念物】
◎鞆安国寺のソテツ/備後安国寺
◎仙酔島の海食洞窟/名勝・鞆公園(仙酔島)
◎仙酔島の地層と岩脈/名勝・鞆公園(仙酔島)
__________
【市無形文化財】
無形文化財(むけいぶんかざい)は、広義では、人類の文化的活動によって生み出された無形の文化的所産全般を意味する。狭義では、日本の文化財保護法や地方公共団体の条例における文化財の種類のひとつで、演劇、音楽、工芸技術などの無形の文化的所産を意味する。特に、文化財保護法第2条第1項第2号において規定された「無形文化財」を意味する。
◎お弓神事/沼名前神社
http://ameblo.jp/rediscovery/entry-10765600997.html
◎お手火神事/沼名前神社
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【国指定重要文化財】
<建造物>
安国寺釈迦堂
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784719189.html
沼名前神社能舞台
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784722345.html
太田家住宅・太田家住宅朝宗亭
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784724279.html
磐台寺観音堂
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784726329.html
<彫刻>
木造阿弥陀如来・両脇侍立像/木造法燈国師坐像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784730133.html
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【広島県指定重要文化財】
<建造物>
弁天島塔婆(九層石塔婆)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784731855.html
沼名前神社鳥居
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784733574.html
<工芸品>
達磨大師位牌
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784735343.html
<彫刻>
木造薬師如来立像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784738688.html
木造十一面観音立像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784739738.html
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【福山市指定重要文化財リスト】
<建造物>
沼名前神社石燈籠
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784741585.html
鞆の津の商家
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784743500.html
岡本家長屋門
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784744453.html
<工芸品>
千種作・神楽筒(沼名前神社)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784746573.html
能面並びに箱類(沼名前神社)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784747917.html
銅鐘(福禅寺)
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784749227.html
<彫刻>
木造千手観音立像
木造地蔵菩薩半跏像
木造役行者像及び二鬼(前鬼・後鬼)像
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784752484.html
木造阿弥陀如来坐像 医王寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784753448.html
木造地蔵菩薩立像 地蔵院
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784754858.html
木造地蔵菩薩立像 大観寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784755567.html
<絵画>
絹本著色聖徳太子像 明円寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784762763.html
絹本著色釈迦十六善神像 小松寺
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784763494.html
絹本著色親鸞上人像 南禅坊
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784764614.html
絹本著色聖徳太子像 南禅坊
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784765474.html
<典籍>
中村家文書 鞆町個人所有
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784767217.html
【国登録有形文化財】
<建造物>
いろは丸展示館
http://ameblo.jp/tomonoura/entry-10784717529.html