【日本書記から】鞆の浦と神話/其の十三 | 鞆の浦二千年の歴史を紐解く“鞆の浦研究室”/Discovery! 鞆の浦

【日本書記から】鞆の浦と神話/其の十三

第五段 四神出生章

 是に、素戔鳴尊、請して曰さく、「吾、今教を奉りて、根国に就りなむとす。故、暫く高天原に向でて、姉と相見えて、後に永に退りなむと欲ふ」とまうす。「許す」と勅ふ。乃ち天に昇り詣づ。是の後に、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、神功既に畢へたまひて、霊運当遷れたまふ。是を以て、幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。亦曰はく、伊奘諾尊、功既に至りぬ。徳亦大きなり。是に、天に登りまして報命したまふ。仍りて日の少宮に留り宅みましきといふ。少宮、此をば倭柯美野を云ふ。
 始め素戔鳴尊、天に昇ります時に、溟

一書(あるふみ)に曰(い)はく、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、追ひて伊奘冉尊(いざなぎのみこと)の所在(ま)す処に至りまして、便(すなわ)ち語りて曰(のたま)はく、「汝(いまし)を悲しとおもふが故(ゆゑ)に来(き)つ」とのたまふ。答へて曰はく、「族(うがら)、吾をな看(み)ましそ」とのたまふ。伊奘諾尊、従ひたまはずして猶看(なほみそなは)す。故、伊奘冉尊、恥ぢ恨みて曰はく、「汝已に我が情(あるかたち)を見つ。我、復(また)汝が情を見む」とのたまふ。時に、伊奘諾尊亦慙(は)ぢたまふ。因りて、出で返(かへ)りなむとす。時に、直(ただ)に黙(もだ)して帰りたまはずして、盟(ちか)ひて曰はく、「族離(うがらはな)れなむ」とのたまふ。又曰はく、「族負けじ」とのたまふ。乃ち唾(つは)く神を、号(なづ)けて速玉之男(はやたまのを)と曰(まう)す。次に掃(はら)ふ神を、泉津事解之男(よもつことさかのを)と号く。凡て二(ふたはしら)の神ます。其の妹(いろも)と泉平坂(よもつひらさか)に相闘(あひあらそ)ふに及(いた)りて、伊奘諾尊の曰はく、「始め族の為に悲(かなし)び、思哀(しの)びけることは、是吾が怯(つたな)きなりけり」とのたまふ。時に泉守道者(よもつちもりびと)白(まう)して云(まう)さく、「言有(のたまふことあ)り。曰はく、『吾、汝と已に国を生(う)みてき。奈何(いかに)ぞ更(さら)に生(い)かむことを求めむ。吾は此の国に留(とどま)りて、共に去ぬべからず』とのたまふ」とまうす。是の時に、菊理媛神(くくりひめのかみ)、亦白す事有り。伊奘諾尊聞(きこ)しめして善(ほ)めたまふ。乃ち散去(あら)けぬ。但(ただ)し親(みづか)ら泉国(よもつくに)を見たり。此既に不祥(さがな)し。故(かれ)、其の穢悪(けがらはしきもの)を濯(すす)ぎ除(はら)はむと欲(おもほ)して、乃ち往きて粟門(あはのみと)及び速吸名門(はやすひなと)を見(みそなは)す。然(しか)るに、此の二(ふたつ)の門(と)、潮既に太(はなは)だ急(はや)し。故、橘小門(たちばなのをど)に還向(かへ)りたまひて、払ひ濯ぎたまふ。時に、水に入りて、磐土命(いはつつのみこと)を吹き生(な)す。水を出(い)でて、大直日神(おほなほびのかみ)を吹き生す。又入りて、底土命(そこつつのみこと)を吹き生す。出でて、大綾津日神(おほあやつひのかみ)を吹き生す。又入りて、赤土命(あかつちのみこと)を吹き生す。出でて、大地海原(おほつちうなはら)の諸(もろもろ)の神(かみたち)を吹き生す。不負於族、此をば宇我邏磨茸(うがらまけじ)と云う。 <第十>
一書に曰はく、伊奘諾尊、三(みはしら)の子に勅任(ことよさ)して曰(のたま)はく、「天照大神(あまてらすおほみかみ)は、高天之原(たかまのはら)を御(しら)すべし。月夜見尊(つくよみのみこと)は、日に配(なら)べて天(あめ)の事を知(しら)すべし。素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、滄海之原(あをうなはら)を御すべし」とのたまふ。既にして天照大神、天上(あめ)に在(ま)しまして曰はく、「葦原中国(あしはらのなかつくに)に保食神(うけもちのかみ)有りと聞く。爾(いまし)、月夜見尊、就(ゆ)きて候(み)よ」とのたまふ。月夜見尊、勅(みことのり)を受けて降(くだ)ります。已に保食神の許(もと)に到りたまふ。保食神、乃ち首(かうべ)を廻(めぐら)して国に嚮(むか)ひしかば、口より飯(いひ)出づ。又海(うなはら)に嚮ひしかば、鰭(はた)の広(ひろもの)・鰭の狭(さもの)、亦口より出づ。又山に嚮ひしかば、毛の麁(あらもの)・毛の柔(にこもの)、亦口より出づ。夫(そ)の品(くさぐさ)の物悉(ふつく)に備へて、百机(ももとりのつくゑ)に貯(あさ)へて饗(みあへ)たてまつる。是の時に、月夜見尊、忿然(いか)り作色(おもほてり)して曰はく、「穢(けがらは)しきかな、鄙(いや)しきかな、寧(いづくに)ぞ口より吐(たぐ)れる物を以(も)て、敢(あ)へて我に養(あ)ふべけむ」とのたまひて、廼ち剣を抜きて撃ち殺しつ。然(しかう)して後に、復命(かへりことまう)して、具(つぶさ)に其の事を言(まう)したまふ。時に天照大神、怒りますこと甚(はなはだ)しくして曰はく、「汝は是悪しき神なり。相見じ」とのたまひて、乃ち月夜見尊と一日一夜(ひとひひとよ)、隔て離れて住みたまふ。是の後に、天照大神、復天熊人(あまのくまひと)を遣(つかは)して往きて看しめたまふ。是の時に、保食神、実(まこと)に已に死(まか)れり。唯し其の神の頂(いただき)に、牛馬(うしうま)化為(な)る有り。顱(ひたひ)の上に粟生(な)れり。眉の上に(かひこ)生れり。眼の中に稗(ひえ)生れり。腹の中に稲生れり。陰(ほと)に麦及び大小豆(まめあづき)生れり。天熊人、悉に取り持ち去きて奉進(たてまつ)る。時に、天照大神喜びて曰はく、「是の物は、顕見(うつ)しき蒼生(あをひとくさ)の、食(くら)ひて活くべきものなり」とのたまひて、乃ち粟稗麦豆(あはひえむぎまめ)を以ては、陸田種子(はたけつもの)とす。稲を以ては水田種子(たなつもの)とす。又因りて天邑君(あまのむらきみ)を定む。即ち其の稲種(いなたね)を以て、始めて天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)に殖(う)う。其の秋の垂穎(たりほ)、八握(やつかほ)に莫莫然(しな)ひて、甚だ快(こころよ)し。又口の裏(うち)にを含(ふふ)みて、便ち糸抽(ひ)くこと得たり。此(これ)より始めて養蚕(こがひ)の道有り。保食神、此をば、宇気母知能加微(うけもちのかみ)と云ふ。顕見蒼生、此をば宇都志枳阿烏比等久佐(うつしきあをひとくさ)と云ふ。 <第十一>


<訳>
 ある書ではこう伝えられている、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は追って、伊奘冉尊(いざなぎのみこと)のいる所に至った、そして語って、「お前を失った事を悲しいと思って来たのだ」と言った。それに答えて、「あなた、私を見ないで下さい」と言った。伊奘諾尊はそれに従わずに見続けた。それ故に伊奘冉尊は恥じてそれを恨んで、「あなたは私の今の姿を見てしまった。私もあなたの今の姿を見てしまった。そして私はあなたの心も見てしまいました。」と言った。それを聞き伊奘諾尊も恥ずかしく思った。そしてそこを出て帰ろうとした。その時、ただ黙って帰らずに誓って、「離婚しよう」と言った。そしてまた、「お前には負けない」と言った。そこで約束を固めるために吐いた唾から生まれた神を、名付けて速玉之男(はやたまのを)と言う。次にここで関係を断った時に生まれた神を、泉津事解之男(よもつことさかのを)と名付けた。合わせて二柱の神である。その妻と黄泉平坂(よもつひらさか)で共に争う事になって、伊奘諾尊は、「始め私がお前のために悲しみ、思い慕んだことは、私が愚かだったからだ」と言った。(黄泉の入り口に着くと)黄泉の入り口の守人が、「伊奘冉尊のお言葉があります。『私はあなたと共に已に国を生んで来ました。どうしてまだ生きる事を望むのです。私はこの国に留まります。共にここで暮らしましょう』と言われました」と言った。この時に菊理媛神(くくりひめのかみ)からも言葉があった。伊奘諾尊はそれを聞いて喜んだが、すぐに立ち去った。
 伊奘諾尊は自ら黄泉国に行った。これが良くない。この穢れ悪しきものを濯ぎ祓おうと思い、すぐに阿波や豊予の瀬戸を見に行ってみた。しかしこの二つの瀬戸は共に潮の流れが非常に急であった。それ故、橘の瀬戸に帰って、濯ぎ祓いを行った。その時に、水に入って、磐土命(いはつつのみこと)を吹き生んだ。水から出て、大直日神(おほなほびのかみ)を吹き生んだ。また入って、底土命(そこつつのみこと)を吹き生んだ。出て、大綾津日神(おほあやつひのかみ)を吹き生んだ。また入って、赤土命(あかつちのみこと)を吹き生んだ。出て、大地海原諸々の神々を吹き生んだ。不負於族、これをうがらまけじと読む。 <第十>
 ある書ではこう伝えられている、伊奘諾尊は三柱の御子に委任すべく、「天照大神(あまてらすおほみかみ)は、高天原を治めよ。月夜見尊(つくよみのみこと)は、天照大神と共に天を治めよ。素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、海原を治めよ」と言った。すでに天照大神は天上にいて、「葦原中国(あしはらのなかつくに)に保食神(うけもちのかみ)がいると聞く。月夜見尊よ行って見てこい」と言った。月夜見尊はその命を受けて降った。そして保食神の元に至った。保食神は首を巡らすと、国に向って、口から飯を出した。また海に向うと、大小の魚をまた口から出した。また山に向うと、大小の動物をまた口から出した。それらの品々を悉く、数多くの机の上に乗せて並べ差し出した。それに月夜見尊は怒り顔を赤くして、「汚らわしいかな、卑しいかな、何故口から吐いた物を、私に与えようとするのだ」と言って、剣を抜いて切り殺した。そうして後に、報告し、詳しくこの事を告げた。すると天照大神は大いに怒り、「お前はなんと言う悪しき神だ。もう見たくない」と言って、月夜見尊と一日と一夜と、隔て離れて住むこととなった。
 この後に、天照大神は天熊人(あまのくまひと)を派遣して見てこさせた。保食神はすでに死んでいた。ただしその神の頭頂部には牛馬が、額の上には粟が、眉の上には蚕が、眼の中には稗が、腹の中には稲が、陰(ほと)には麦と大豆、小豆が生じていた。天熊人はそれを悉く取って持ちさって奉った。それを天照大神は喜んで、「これらの物は、この世にある草木生物が食べ生きていくためのものである」と言って、粟稗麦豆(あはひえむぎまめ)は、畑のものとした。稲は水田のものとした。またそこで農民の長を定めた。その稲を、初めて天狭田(あまのさなだ)と長田(ながた)に植えた。その秋は垂穂が長く実って、大変な豊作であった。また口の裏に蚕を含んで、糸を引くことを得た。これから養蚕が始まった。保食神、これをうけもちのかみと読む。顕見蒼生、これをうつしきあをひとくさと読む。 <第十一>

 <第十>では黄泉訪問の異伝。
 <第十一>では月夜見尊が働きと、天照大神と月夜見尊との仲違いが語られています。また食物の起源も語られています。またここが朝鮮語の解る人間によって書かれていることにも注目です。
 次回は第六段。やっとだ・・・。



◎族(うがら)、血縁者や身内のこと。

◎情(あるかたち)、実情のこと。

◎族離(うがらはな)れなむ、離婚しようということ。

◎族負けじ、族に負けまいということで、ここでは伊奘冉尊が一日に千人殺すと言った事に対し、伊奘諾尊が一日に千五百人生むと言ったことを指すと思われる。

◎唾(つは)く、唾は約束を固めるために使われた。

◎速玉之男(はやたまのを)、「はや」は美称。「たま」は唾が珠のように光って見えたことからか。

◎掃(はら)ふ、ここでは関係を断つこと。

◎泉津事解之男(よもつことさかのを)、「こと」は「事」、「さか」は「離(さか)」で関係を断つと言うこと。黄泉との関係を断つ神。

◎泉守道者(よもつちもりびと)、黄泉の入り口の守人。

◎言有(のたまふことあ)り、伊奘冉尊のお言葉がありますということ。

◎菊理媛神(くくりひめのかみ)、名義未詳。ここで伊奘諾尊と伊奘冉尊との調停をしようとしていることからそれに関する神。また聞き入る神という説もある。ちなみに菊理媛神が述べた事は書かれていない。

◎粟門(あはのみと)、阿波と淡路の間の海峡か。

◎速吸名門(はやすひなと)、潮流の速い海峡。ここでは豊予海峡か。もしくは明石海峡か。
既に、全く。

◎磐土命(いはつつのみこと)、底土命(そこつつのみこと)、赤土命(あかつちのみこと)、これは一書第六の表筒男命(うはつつのをのみこと)、底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)の音韻変化。

◎大直日神(おほなほびのかみ)、大綾津日神(おほあやつひのかみ)、大地海原(おほつちうなはら)の諸(もろもろ)の神(かみたち)、これは一書第六の中瀬で生まれた大直日神、八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、神直日神(かむなほひのかみ)の変化系か。

◎保食神(うけもちのかみ)、食物の神。「記」での大宜都比売に当たる神。
◎鰭(はた)の広(ひろもの)・鰭の狭(さもの)、「鰭」は魚のひれで、ひれの大きい魚、小さい魚で大小様々な魚のこと。

◎毛の麁(あらもの)・毛の柔(にこもの)、粗い毛の動物、柔らかい毛の動物で、大小様々な動物のこと。

◎百机(ももとりのつくゑ)、数多くのものを並べた机。

◎一日一夜(ひとひひとよ)、隔て離れて住みたまふ、天照大神と月夜見尊の仲違いを表している。

◎天熊人(あまのくまひと)、「くま」は神に奉る米で、この「くま」に奉仕する人間のこと。

「唯し其の神の頂(いただき)に、牛馬(うしうま)化為(な)る有り。顱(ひたひ)の上に粟生(な)れり。眉の上に(かひこ)生れり。眼の中に稗(ひえ)生れり。腹の中に稲生れり。陰(ほと)に麦及び大小豆(まめあづき)生れり、」

ここの身体部位と食物の対応は朝鮮語で初めて解る。頭(mara)と馬(mar)、顱(cha)と粟(cho)など。これは「記」には見えず「書紀」の編者に朝鮮語を解する人物がいたと考えられる。

◎顕見(うつ)し、この世に生きて存在すること。

◎蒼生(あをひとくさ)、青人草で植物や人々のこと。

◎天邑君(あまのむらきみ)、「むらきみ」は「村君」で農民のこと。

◎天狭田(あまのさなだ)、「さ」は神稲で、神稲を植える田のこと。

◎八握(やつかほ)、「八」は数の多いこと、「つか」に一握りで、長いことを表している。

◎莫莫然(しな)ひ、草木の繁茂するさまを表している。



【日本書記から】鞆の浦と神話シリーズ

鞆の浦と神話/其の一
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鞆の浦と神話/其の二
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鞆の浦と神話/其の三
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鞆の浦と神話/其の四
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鞆の浦と神話/其の五
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鞆の浦と神話/其の六
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鞆の浦と神話/其の七
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鞆の浦と神話/其の八
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鞆の浦と神話/其の九
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鞆の浦と神話/其の十
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鞆の浦と神話/其の十一
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鞆の浦と神話/其の十二
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鞆の浦と神話/其の十三
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鞆の浦と神話/其の十四
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鞆の浦と神話/其の十五
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