鞆の浦 お弓神事(無形遺産) | 鞆の浦二千年の歴史を紐解く“鞆の浦研究室”/Discovery! 鞆の浦

鞆の浦 お弓神事(無形遺産)




【お弓神事(ゆみしんじ)
福山市無形文化財/毎年二月第二日曜開催

神功皇后上陸画 素描
神功皇后上陸画 素描 posted by (C)鳶眼


【お弓神事の祭神】
沼名前神社の境内に摂社として祀られている八幡神社の祭儀。

鞆の浦に伝わる伝説によれば、
人皇第十四代・仲哀天皇の后・神功皇后が、江の浦の浜に上陸され、
現・仙酔島(当時は向江島)の田浦沖に浮かぶ皇后島に御船を停泊された故事と、
御膳山で食事を奉った云われから、
皇后が三韓征伐の際に愛用された『稜威の高鞆(いずのたかとも)』を神璽として奉戴した渡守大神(沼名前神社の主祭神)に起因するものである。

八幡神社の創建の由来も、人皇第十六代・任徳天皇の御代に『三柱の神(仲哀天皇・神功皇后・その子・応神天皇)』と併せ祀るために建立された・・・と伝えられている。



【お弓神事の由緒】
起因時代不詳。神功皇后が『稜威の高鞆』を奉納された故事を起因として始まり、後に年頭に、一年の悪鬼(諸悪)を祓い、町民の息災・平穏無事を年初に祈るためと云われている。
※破魔矢・破魔弓の行事の一種

【旧七町の輪番】
旧鞆町内七町が慣例により毎年輪番で奉仕。
当番町からは、推薦またはくじ引きにて以下6名を選出する
◎大弓主(親弓主)
◎小弓主(子弓主)
◎小姓×2名
◎矢取り×2名

<各役割>
◎大弓主(親弓主):射手
◎小弓主(子弓主):射手
 20歳~30歳の若者より各1名、年長者が大弓主(親弓主)となる。

◎小姓:両弓主に従う
 小学生四・五年生(10歳位)の児童

◎矢取り
 2~3歳くらいの幼児

<古式による作法>
祭礼が近づく一週間前より(現在では一日前)毎日朝夕二回にわたり水垢離をとり身体の清浄を保つ。
別火(家人と食事を別にする)までして精進契済に努める。


お弓神事前日__________

<叙位詣>
所役一同は裃姿で高張提灯を先頭に、飾弓*を持ち先頭にたつ。
あとに続く当番町の参拝者一同は、飾弓・弓主・小姓・矢取の順で、総代・氏子・祭事運営委員共々
「申す、申す、お弓を申す」
と連呼しながら当番町内を一巡し、四十七段を早駈けで登り、沼名前神社の拝殿に参拝する。

<大弓主(親弓主)の飾弓>
丈八尺の弓二張の間に雄松の枝を飾る神座に神功皇后の甲冑を装い、弓を手挟んでいる像が安置され、これを大弓主(親弓主)が持つ。

<小弓主(子弓主)の飾弓>
武内宿禰(たけうちのすくね)が、ご生誕直後の幼児(応神天皇)を抱き奉った像が雌松を飾る神座に安置されている。

<譲受の盃・お弓譲渡式>
旧暦1月6日の宵は前夜祭にあたり、前年の当番町所役より弓、刀矢の譲渡式が執り行われ、「譲受の盃」をもらう。盃を返し、神殿を前に所役、世話方一同は宮司の祝詞(のりと)が終わると叙位式に入る。社殿での祭儀には浅蜊が御供えされる。(氏子も浅蜊を食する慣わしがある)

<叙位式>
お弓神事を執り行うためには、殿上人同様の官位が必要とされたので、仮の「従五位の下」を授かる儀式。(現在は譲渡式に引続いて行われる)

<勧盃式>
神職がお神酒を注いでいると、参列者一同が声を揃えて、
「よう呑め!!よう呑め!!」
と、けしかけるように唱和する儀式。
仮「従五位下」の印として、所役の素襖(すおう)びつを受け取り町内へ帰る。


お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ


お弓神事当日__________

午後二時頃、沼名前神社の拝殿より大太鼓が鳴り出し、
当番町所役は参列者に見守られながら飾弓を先頭に、素襖(すおう)・侍烏帽子の礼装で大弓主(親弓主)・小弓主(子弓主)はそれぞれの小姓・矢取りを従えて、前夜同様
「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら
境内の人波を分けて進み、八幡神社に至る。
この時、所役と世話方だけが八幡宮に昇殿。

約20分、宮司・禰宜・神職・所役・世話方の間で厳かに執り行われる神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包<折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)>が授与される。この時も同様に
「よう呑め!!よう呑め!!」
と掛声が上がる。

境内には、前方を残して周囲三方に幕を張られた三間四方の檜舞台が三尺腰高に設置され、舞台前方は十五間を隔て約三間四方の的場の両サイドには縄が張られており、そこに町内外から集まった観衆とアマチュアカメラマンが待ちわびている。

約20分の神前祭儀が終わると、檜舞台には飾弓を先頭に、宮司・禰宜・神職・所役・世話方合わせて20人あまりの人が上がり、いよいよ神事が始まる・・・。

◎お弓神事の檜舞台
お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

禰宜(ねぎ)・神職二名が舞台から降り、禰宜は約1メートルの青竹で作った小弓に白羽の竹矢を番え、神職は径30センチあまりの小的を持ち、弓場の中央で五間ほどの距離から的の上空(東北・東南・南西・北西・天)に向かって軽く竹矢を放ち、矢場を浄める。

◎矢場のお浄め儀式
お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

この時、放たれた竹矢は「家内安全の守り札」とされ、観衆の間で奪い合いになる。
禰宜の持つ小弓も、小高く投げ上げられ、これもまた観衆の間で奪い合いになる。

矢場のお浄め儀式が終わると、二人の矢取りが父親(または付添い)に手を引かれ、的場に向かってヨチヨチと歩き、的の下、両脇に控える。

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

烏帽子をかぶり、背中には白樺と一升入り程度の瓢箪・同じ大きさの銅鈴を背負い、カランコロンを音を立てながら的場の下へと走っていく。


お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

的の台座中央に釣り上げられた径六尺(約180センチ)の標的は、まず裏側を掲げ、その裏側には「甲・乙・ム(なし)」の組み文字が書かれている。

$全国一斉 鞆の浦検定-甲乙ム


これは、お互い相交えて勝負を争うことは無用という意味で、『勝ち負けなし』という啓示である。


お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

$全国一斉 鞆の浦検定-お弓神事的場

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

世話方席から
「出ーかけた、出ーかけた」
という歌うような掛声に、まず大(親)弓主が弓を小脇に抱え、ゆっくりと前に進むと少し遅れて小弓主も同じ要領で前に進む。

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

双方対角線上の位置に立つと、世話方席から
「ニーラミヤイコ、ニーラミヤイコ(睨み合う)」
の掛け声に双方正しく礼をする。

そうすると今度は
「急ーそいだ、急ーそいだ」
の掛け声に双方歩みを早め、位置を入れ替わる。

次に
「セーリヤイコ、セーリヤイコ(競合い)」
の声に促され、双方肩を競合う動作をする

「トン、トン、トン、またトン、トンヤ」
双方三歩進み、また二歩進んで最後の左足は強く前方に踏み出す。

「大テヤ、ウノ首、ワースレナ」
で、弦を上に弓を上げ、先端を上より下に廻しながら弓筈を見る動作をし、右足前に弓を立て右手に持ち替える。

「紐トキヤイコ、紐トキヤイコ」
同時に左手で腹部を撫上げるように紐を押し解く。

「アー寒ム、アー寒ム」
左袖を鼻のあたりに当てがう動作。

「アー温ク、アー温ク」
左肩を外し、左肩を曝して片肌になり、弓を射る位置につく。

「ネーロタ、ネーロタ(狙う)」
一段と熱のこもった掛声と共に、まず大(親)弓主が早矢を。
次いで小弓主が早矢を。

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

続いて大弓主(親弓主)が乙矢を。
次いで小弓主(子弓主)が乙矢を射る。

矢取は矢を持帰り小姓に渡し、再び的の下へと走る。
小姓は矢を矢筒に収め、これで一回目を終了する。

続いて二回目は小弓主(子弓主)から始め、
三回目は再び大弓主(親弓主)から行い、
それぞれ6本、計12本を射る。

終って袖に手を通し衣装を整え、座に戻り、この後も世話方の掛声(囃子)にて順序を間違えることなく終焉する。
これが、二千年の歴史が育んできた鞆の浦独自の伝統神事である。

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

正面の大的が投げ下ろされ観衆は競って奪い合う。
この的の一部をもって家内安全、疫病防除の守り札とする風習がある。


【お礼詣】
神事を終え、所役は一同と共に町内に帰り、小憩の後、裃に着替え、再び行列を整え
「申す、申す、お礼を申す」
と言いながら八幡神社へ参進、無事ご奉仕できたことのお礼と、一年のご加護を祈り、神事全てを終了する。

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

さて、神事当日の神紋について

【三つ巴】
 八幡宮の三つ巴に関して、その由来には諸説あるが、
その中の一つに、弓矢の鞆の形から来ているという。
 八幡神は「武芸の神」・「弓の神」として祀られたという。つまり「三つ巴」は武芸のシンボルである。
同じ「三つ巴」を使用している貴船神社の場合は、祭神が水を司る神ということから、水の紋として「三つ巴」を使用している。

【木瓜紋(もっこうもん)
 木瓜紋(もっこうもん)は、日本の家紋や模様のひとつ。
藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋と合わせて五大紋と呼ばれる。
 五瓜は木瓜の一偏を増やしてできた紋で、外郭が五つあり中に唐花が入っている。木瓜紋には、木瓜や五瓜(ごうり・ごか)や六瓜(ろくうり・むつか)といったものがある。
外郭(木瓜は4つ)の数が5つであると五瓜、8つでは八瓜となる。

◎諸説
<1>木瓜紋は古く御簾の周囲にめぐらした布「帽額(もこう)」につけられた中国渡来の文様が独立した。
<2>本当は地上の鳥の巣をあらわしている。「もっこう」と呼びならされてきたのは、多くの神社の御簾の帽額(もこう)に使われた文様だからという。
この紋は鳥の巣であるから、 卵が増えて子孫が繁栄し、また神社で用いられる御簾から、神の加護があるというめでたい紋。
<2>木瓜と書くので、胡瓜の切り口を模している。

※一般に木瓜(ぼけの花)や胡瓜の切り口を方だったとされるのは誤り、とされているが、京都では祇園祭の日に胡瓜を食べないという風習は現在も続いている。

【「五瓜に唐花」と「織田木瓜」の違い】
  八坂神社の神紋は「五瓜に唐花紋」、織田家の家紋は「織田木瓜(おだもっこう)」といい、よく似ていますが違いがあります。木瓜紋は信長が氏神としていた ところで多く見られます。織田家は尾張に出てくる前は越前の越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神職とされている。そして、この剣神社は八坂神社と同じく須 佐之男命を祀っている。
尾張津島の津島神社(祭神は須佐之男)も木瓜です。
※信長の父・織田信秀は「備後守」でした。




さて、重要なのはここから

お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ


お弓神事には沼名前神社境内につづく階段の玉垣に、「菊の御紋」がいくつも置かれている。


お弓神事2009
お弓神事2009 posted by (C)ロコボーイ

【神紋/菊の御紋】
 祭神が「○○天皇」であるとか「□□皇子」である場合、
神話などに登場し天皇家の祖と考えられた祭神を祀る場合、
つまり皇室と直系である場合は、菊の御紋を使用する。
その意味で応神天皇を祀る八幡宮も菊の御紋を使用する場合がある。
 ただし、八幡の神紋は三つ巴と考えられているように、
他の紋が使用される場合もあるので、なかなか説明は難しい。
 要するに、「皇室直系」は、菊の御紋を使用する「権利」がある。ということ。
 神紋は、基本的には祭神毎に決定しており、神社毎ではない。
通常の神社では祭神は一柱あるいは、一組なので、その祭神の神紋を神社の紋としており、多くの祭神がいる場合では、主祭神の神紋を使用する。

八幡神社に祀られた、仲哀天皇とその后・神功皇后、そしてその子・応神天皇の三柱神。
これだけの理由により「菊の御紋」を使用される。
特に神功皇后に関しては、深く関わりのある鞆の浦(渡守神社)だけに、菊の御紋は遠からず近しい御紋なのだ。


沼名前神社
沼名前神社 posted by (C)鳶眼


さらに、沼名前神社境内には2つの賽銭箱があり、手前には「三つ巴と木瓜紋」の賽銭箱。
拝殿には、金色に輝く「菊の御紋」の賽銭箱がある。

以上が、沼名前神社に「菊の御紋」が存在する理由です。


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大盛況!
ベル「お弓神事のすべて」シリーズ

「お弓神事」のすべて/其の一
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10741106081.html


「お弓神事」のすべて/其の二
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「お弓神事」のすべて/其の三
http://ameblo.jp/thinktomo/entry-10742546184.html