アンサスティナブルな芸術祭 ~第25回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~ | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

アンサスティナブルな芸術祭 ~第25回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~

須々木です。

 

 

先日、第25回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に行ってきました。

 

2011年2月に開催された第14回以降、毎年行って今回が12回目です。

 

 

 

 


◆当ブログ内の主な「メディア芸術祭」関連過去記事◆

 

● 文化庁メディア芸術祭(2012-02-28 by aki)
● メディア芸術祭に行って思ったことなど(2012-02-29 by sho)
● とりあえず忘れないうちに走り書き~第16回文化庁メディア芸術祭(2013-02-22 by sho)
● 何故だろう何故だろう?(2013-02-28 by aki)
● 一区切り…?メディア芸術祭感想(2014-02-10 by aki)
● 偏在する相転移 ~第17回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(2014-02-16 by sho)
● 迷走なのか、迷走の忠実な反射なのか ~第18回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(2015-02-25 by sho)
● 選択を求められる「メディア芸術」 ~第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(前)(2016-02-12 by sho)
● 選択を求められる「メディア芸術」 ~第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(後)(2016-02-13 by sho)
● 第19回メディア芸術祭感想 ― 価値ある無駄の到達点へ(2016-02-14 by aki)
● 第20回文化庁メディア芸術祭感想① ―今、「直感的楽しさ」を見つめ直す。(2017-10-06 by aki)
● 第20回文化庁メディア芸術祭感想② ― 「共感」か「伝達」か、それとも。(2017-10-31 by aki)
● 第20回文化庁メディア芸術祭感想③ ― モノクロで世界を創る(2017-11-06 by aki)
● 第20回文化庁メディア芸術祭感想④ ― 芸術を希求する。芸術に希求する。(2017-11-30 by aki)
● アート界隈の言語表現はなかなか面白いと思う。(2019-06-19 by sho)
● 時勢の影響と試行錯誤 ~第23回文化庁メディア芸術祭受賞作品展雑感~(2020-09-30 by sho)

● メディア芸術祭ざっくり感想(2021-09-30 by aki)

 

 

 

 

 

 

毎年の恒例行事という感覚ですが、継続して見るからこそ感じられる部分もあり、自分の中では「これは外せないな」というカテゴリーに属するイベントです。

 

そんな文化庁メディア芸術祭ですが、受賞作品展のおよそ1カ月前、唐突に「文化庁メディア芸術祭の終了」という情報が出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

ツイートでも書きましたが、「残念」と思うと同時に「分からなくもない」という感覚がありました。

 

この点については、あとで改めて触れます。

 

 

 

 

 

 

まず、今回の第25回について、簡単に感想を書いておきます。

 

※ 受賞作品はこちらからどうぞ

 

 

 

まず全体的として、直感的に分かるものが例年より多めだった印象です。

シンプルなコンセプトを形にしているものが多かったせいなんでしょうか。

もしくは、ますます複雑化していく世界へのカウンターの意味合いもあるんでしょうか。

そのせいか、例年より世の多くの人に寄り添う姿勢を感じました。

と同時に、少し昔のメディア芸術祭っぽさを感じる作品が多かった気もします。

うまく説明しにくいのですが。

 

 

当然、新型コロナの影響は色濃いわけですが、それは決してネガティブなものばかりではなく。

「当たり前のものの価値を見つめ直す貴重な機会」としてポジティブに活用しようとする流れが感じられたのは良かったです。

「メディア芸術」は自動的にデジタルな要素を多分に含みますが、にも拘らず、「癒し」「人間味」「ユーモア」を感じさせる作品が多かったのも一つの傾向でしょうか。

 

 

いずれもそれぞれに面白い点があり、知的好奇心を刺激してくれるのですが、個人的には新人賞で印象に残るものが多かった気がします。

 

アート部門新人賞の「Uber Existence」は、現代の都市を象徴するありふれた光景から連想した果てに、非常に深遠なテーマと不気味な未来の入り口を垣間見る感じに見ごたえがありました。

会場で読むことができた「実際にやってみた人の生の声」は、簡単に言葉で表現できない不思議な感覚を刺激されました。

 

同じくアート部門新人賞の「The Transparency of Randomness」は、「無作為性」「偶然性」といったある意味でシンプルなコンセプトを、視覚的に非常に分かりやすく表現していました。

自然の持つ複雑性を組み込むという分かりやすいアイデア、単純と複雑が一つのシステムに矛盾なく同居する美しさが、うまく一つの作品に落とし込まれていました。

あと、普通に見た目も好みでした。

 

さらに同じくアート部門新人賞の「三千年後への投写術」は、究極的にミニマムな美しさがありました。

石をメディアと捉える作品は過去にもありましたが、キャプションを読まずに一瞬で理解し驚くことができる作品はそうそうないような気がします。

 

エンターテインメント部門新人賞の「viewers:1」も印象的でした。

作品がYouTubeに公開されているので、とりあえずご覧ください(2分20秒版)。

ただ直感的に「これがエンタメだな」と思わされます。

 

 

 

 

 

 

Uber Existence (アート部門 新人賞)

 

The Transparency of Randomness (アート部門 新人賞)

 

三千年後への投写術 (アート部門 新人賞)

 

新宿東口の猫 (エンターテインメント部門 ソーシャル・インパクト賞)

 

Path of Noise (r, theta, phi) (フェスティバル・プラットフォーム賞 ジオ・コスモス カテゴリー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文化庁メディア芸術祭」の終了に関して、個人的な考えを書き残しておこうと思います。

 

様々な立場の人が、様々な意見を持っていると思いますが、僕の場合は「毎年楽しみにしていたただの鑑賞者」の立場から好き勝手書くものです。

 

 

 

◆親切な外部記事◆

 

● 異質なものが同居する場・文化庁メディア芸術祭(2022-09-16 コミックナタリー)

● 芸術顕彰の役割と意義とは? 文化庁『メディア芸術祭』終了によせて(2022-09-25 リアルサウンド テック)

 

 

 

まず思ったのが、「サスティナブル」が時代を象徴する言葉となっているタイミングで、メディア芸術祭の持続不可能性が露呈するのは何とも皮肉なものだなということ。

 

一般人との接点たる受賞作品展は、入場料無料、10日程度の会期、限られた作品展示数。

受賞作品集を見れば、現場で見たかったと思う作品はまだまだ無数にあるにも関わらず。

縛りがあったからこそ回る部分があるのも事実ですが、やがてそれが変化や発展を阻害する要因にもなり得るのではないでしょうか。

その点で考えれば、時代に合わせた柔軟性を発揮できるシステムだったのかは純粋に疑問です。

よって、今回の件を端的に表現するなら、「現代という生態系において淘汰された」ということに尽きるのでしょうか。

 

慈善活動的事業の継続性というのは、どれだけ高尚なものでも、結局こんなものという気がします。

これに対し、ただ泣きついたり根性論を掲げるのは少々時代錯誤に思えます。

 

 

一方で、納得しがたいところもあります。

「文化庁メディア芸術祭、終了へ 今年度の作品募集せず「役割終えた」」(朝日新聞)において以下のように書かれています。

 

文化庁の担当者は「当時に比べてメディア芸術の振興は進み、国内外から公募して顕彰するという現在の方法は一定の役割を終えたのでは。今後は国際的な発信により力を入れていく局面ではないか」と説明。

 

正直な感覚として、役目が終わったのは「文化庁が主催する形式としてのメディア芸術祭」だろうと思います。

「メディア芸術祭」そのものの役割が終わっているとはとても思えないし、むしろ真価を発揮するのはこれからだと思います。

 

 

今回の件に関して文句がないわけではありませんが、ここまでの種蒔きについては純粋に感謝したいとも思います。

本当に多くの人たちが頑張った成果だと思いますし、個人的にも本当に多くの学びを得ることができました。

25回もやったんだから、これはしっかり評価されるべきだし、これ以上を当然のように国に期待する姿勢も違和感があります。

 

これは明治以降の殖産興業における官営工場とその後の民営移管のようなものかとも思います。

一定の流れを掴めば、国の手を離れるのはあるべき流れなのではないでしょうか。

ただ、その引き継ぎまではもう少し綺麗にやって欲しかったと思いつつ、それすら甘えかもしれないとも思います。

普通の感覚として、もう少しマシな後味を求めたかったとは思いますが。

 

 

四半世紀も続けた一つのクリエイティブなプラットフォームが、国の後ろ盾がなくなると途端に消え失せるなら、問題の根本は別のところにあるとも感じます。

次の四半世紀も同じやり方をしたら、野性味を完全に喪失した家畜のような「メディア芸術」になっていく気もします。

継続性の意義というものは多分に感じつつ、「ただ継続する」ことの危うさは近年の開催で仄かに感じ続けていたところでもありました。

その点で、今回の発表に「分からなくもない」と思った次第です。

 

掘り下げればいろいろ言いたいことはあります。

しかし、とりあえず「文化庁メディア芸術祭」は終わりということで確定でしょう。

ここから先は、このまま灯したものが消えるのか、反骨精神が発揮されるのか。

その意味で、少々手荒ではあるものの、ある種の通過儀礼のようにも感じられます。

できることなら、乗り越えた先にある「新しいメディア芸術祭」を見たいです。

 

 



 












sho