穴と橋とあれやらこれやら -258ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

オイッス~!

危うく忘れるとこでしたが(笑)、本日2021年3月1日、拙ブログがヤフーブログで本格稼動してからまる8年となります。いつもお世話になっております(笑)。

 

この年イチの立体人形シリーズ、楽しみにしていただいてるって奇特な方はいないと思いますが、まあ一応…(笑)。

まる2年

まる3年

まる4年

まる5年

まる6年

まる7年

 

同じようなことばっかり書いてますが…。

 

 

 

さて、ひとつ報告なんですが、ちょうど昨日、アメブロ移行以来細々と続けておりました記事内リンクの貼り直しがついに完了したんですね~。正確に申しますと、ヤフーブログのURLのままになっていたリンクを、すべてアメブロのものに入れ替えた、ということなんですが。1年9カ月がかり。まだやってたのかと(笑)。

 

それが終わったはいいんですが、昔の記事はほぼほぼ地図リンクが切れちゃってるので、次はこれも直さないとなんですよね~。また2年くらいかかるんでしょうか(笑)。つうか、直してるうちにアメブロ終了とか普通にありそうで、いやっまったく笑えないっすな…。

 

 

 

 

いや~、しかし

まる8年か…(やりたいだけ)

 

 

 

9年目に突入する拙ブログ、引き続きよろしくお願いしま~す。

 

 

 

 

 

【隧道篇】より続く。

 

 

 

一ノ坂トンネル阿南側旧道入口の、この橋。

これをスルーするわけにはイカン。その理由はほどなくわかる。

 

 

 

 

 

 

一応、旧隧道側から始める。

ちょっと引き過ぎではあるけど、正対写真。念のため現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

右の親柱にお名前が。

「いちのさかはし」。まあ納得。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、左の親柱。これが、この橋をスルーできない理由である。

 

大きな写真でどうぞ。

「至徳島市 五●粁」。

 

なんと親柱が道標となっていて、徳島市までの距離が刻まれていた。一の位が判読できないが、徳島まで五十数キロと。

 

この後にも同じようなケースを見かけたので、これはやはり、この四国特有の事情によるものだろう。すなわち、霊場巡りのお遍路さんたちのための。いいなあ、こういうの。

 

四国以外ではこのパターン、見た記憶がない。あったかなあ…。

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

現道のあの橋も同じ「一ノ坂橋」という名前だった。なのでこの記事タイトルには「旧」と付けた次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら下流側。

ブレブレになっちゃったが、旧隧道開通前の「旧旧旧道」だったはずの道が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

阿南側から正対。

こっちにもありましたぞ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

左の親柱に、

かたつむり…じゃなくって

「至日和佐町 五●粁」。

 

向きからして当然?こちらには日和佐までの距離が刻まれていたが、解せないのは伏せ字にした部分。元画像を拡大してじっくり見て、どうも「参」に見えるのだが…イヤイヤ53キロもないしなあ。5.3キロなら妥当かなあとも思うが。果たしてどうなんだろう。

 

とりあえず自信がないので(笑)、伏せ字にしとく。

 

 

 

 

 

で、右の親柱には、

「一ノ坂橋」。

 

道標兼用の親柱は大変興味深かったものの、これは結局お誕生日がわからない残念なパターン。

 

なので調べてみたら、美波町建設課による「美波町橋梁長寿命化修繕計画平成23年度版」pdfを発見(その表紙写真にもこの一ノ坂橋が使われている)。それによれば、昭和10年架橋とのことで、思ったよりも古かった。

 

 

 

 

 

 

というのも、現道の一ノ坂橋から見たサイドアングルが

この感じ。

 

プレートガーダーの塗装がまだ鮮やかなこともあり、正直そこまで古いものと思ってなかった。少なくとも戦後の橋だろうと。いや~、昭和10年か~。

 

ところで、平成23年度というのは美波町の橋梁長寿命化修繕計画の初年度であり、上記のpdfに掲載されているのは、同町が管理する207橋の中から「防災計画上の重要な橋」として真っ先に選抜された32橋である。その中にこの一ノ坂橋が含まれているのはいささか驚きだった。先になんか重要な施設でもあるのか?

ちなみにこの32橋の中で、もっとも古いのがこの一ノ坂橋だった。また、旧橋擁する道路の正式名は、町道馬路2号線とのこと。

 

 

 

 

つうわけで、隧道後篇と一緒にやれなくもないボリュームながら、単独で語りたいトピックがあったので、こうして別仕立てで記事にしてみた。前回ショボかったことをお詫びして、〆とする(笑)。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

 

反対側に回る前に、現トンネルを確認しておこう。

こちら西側(日和佐側)。

 

ポータルを覆う苔が、なぜか下半分には全然付いてないのが不思議だ。幅員を見るにつけ、この現トンネルでさえもそれなりなオールドタイマーであろうことが窺える。

 

 

 

 

 

 

 

 

銘板。

「1970年3月」。やはり立派なおっさんトンネルだった(笑)。つうか、こんなに早く路線改良された要因はなんだったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、トンネルを抜け、

右手前に鋭角ターンする形で旧道が分岐している。これは振り返り方向で撮影。

 

隊長のアウトバックが停まっているのが旧道の橋だが、道はその先で左へとターンしてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

その左ターンをまっすぐに突っ切る形で、

ドンツキにひっそりと、旧隧道が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、

雰囲気あるな~。

 

人為的なものかどうかは不明ながら、隧道前には倒木などがうずたかくわだかまっており、隧道に接近するのも一苦労。

 

 

 

 

 

 

 

そのせいだったかどうか、記憶は曖昧なんだが、

なんとわたくし、中にはチャレンジせずにこの一枚を撮っただけで撤収している。ヘタレもいいとこですな…。なんてダメなやつ。この迫受石の形状だけ撮っておこうと思ったのかな。

 

 

 

四国の隧道情報のバイブルであるマフラー巻きさんのHP「隧道探訪」によると、この隧道、徳島で現存する最古の道路隧道なんだとか。

 

その竣功は、明治36年。スペックは延長81.8m、幅員3.7m、高さ4.0m。

 

 

 

 

 

 

 

ここで改めて地図をご覧いただきたい。

 

中央に青線で書き加えたのが旧隧道(と前後の道)だが、

隧道が貫くこの峰を囲むように、北河内川が大きく蛇行しているのがわかる。

 

元々の道は、その蛇行する川筋に忠実に通されていたのだろう。旧隧道はこれだけの蛇行をショートカットできるということで、その有用性により隧道掘削という判断がなされたということか。

 

 

ちなみにその元々の川べりの道(最新の日和佐道路を現道とするならば、国道の旧旧旧道ってことになる)、途中途切れてはいるが、今も地理院地図に描かれている。途切れてる部分はガチな弩廃道状態なのかもしれないが、途中に建物表記があってそこから対岸へ渡れる?なかなか気になる道だ。

 

 

 

 

 

 

 

隧道前からの振り返り。

ここらは明治以来ほとんどすの姿を変えてないんじゃなかろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、一瞥。

記事にしてみると妙に消化不良(笑)だが、現場では充分堪能した…のだと思う。隧道に入らずに引き返してるくらいだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

けどまあ、さすがにちょっと尻すぼみ感ハンパないんで(笑)、

この流れであちらもやっときましょうかね。

 

 

 

 

【次回】に続く。

 

 

 

 

2019年7月27日、高知~徳島遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、堀切橋法音寺跨線橋三子生隧道と朝のやつばっかり。

 

今宵から数回に分けてご紹介するのは、一転してこの日の最後に訪ねた物件。

 

 

 

まずはこれ。

国道55号旧道(ではあるが、まだ国道指定は外れていない)一ノ坂トンネル、西側坑口脇にいる。現在地コチラ

 

すでにお察しかと思うが、このトンネルに「旧」があるということで、日没前にやってきた次第だ。

 

 

 

 

 

 

 

旧道はすぐに進入禁止看板があるため、

ここからは徒歩進軍となる。宮川さんよとと隊長が先行。

 

 

 

 

 

 

最初のうちこそ

このように深いダブルトラック(という表現は正しいのかな)が刻まれているが、

 

 

 

 

 

 

 

 

ほどなくして、忽然と消えうせる。

そしてその先は…ガチなグリーン・ヘル。あ~あ、やっぱこうなるのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

グリーン・ヘルの背丈はこんな感じ。

小さくよとと隊長の頭だけ見えてるし(笑)。

 

「旧」は、進行方向左側に開口しているらしい。そちらに注意を払いつつ、黙々と藪漕ぎ。

 

 

 

 

 

 

で、徒歩進軍開始から8分。

隊長のセンサーが反応。

 

 

 

 

 

 

 

果たしてそこには…

目的のブツ、一ノ坂の旧隧道が鎮座していた。

 

一枚前の写真で、隊長が斜面を登っている感じが伝わっただろうか。隧道が廃された後の進入防止のためか、人為的に土砂を盛って目線から隠したような印象を受けた。

 

一見して水没していることが(それも長靴ではアウトっぽいことも)わかったが、まあそれはそれ。

 

 

 

 

 

 

まずは目を引くのが、

非常に分厚いアーチ環。

 

煉瓦アーチの巻厚が六層というのはなかなかだ。道路隧道だとそうそう見ないかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

フラッシュ・オンで。

このマッシヴなアーチ環をガッチリと受け止める要石も含め、この煉瓦部分は非常にいい状態を保っているように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあね、

その煉瓦部分の奥行きは、こんくらいしかないんだけれども(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

その基壇部に這わされていたコイツ、

なんだろうか?廃止後に設置されたもののように見えるが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ洞内の様子についてだが、

完全素掘り…かな。モルタル補修はされてないように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、えーっと。

キミはなにかね?(笑)

 

記憶が定かでないが、わたくしのみならず隊長も深入りしてないってことは、やはり長靴ではアウトな深さだったんだろう。貫通が目視できているので、反対側へ回ることにする。

 

 

 

 

 

 

最後に、

水没隧道・鉄板の構図。…あんまうまく撮れなかったな(笑)。

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

こういう感じの記事、案外久しぶり?

ここんとこ意識的に減らしてますのでね、隧道ネタ。

 

 

 

ウェーダーで思い出した直近のネタ。どんなんかな~?

 

 

 

 

【本篇】に続く。