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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

何が「フォトジェニック」なのかわからなくなって久しい(笑)このシリーズ、今宵はこれ。

 

なんでしょね?

 

 

 

 

ちょっと角度を変えると、

あ、倉庫?

 

扉の前にスロープはない。あったほうが便利そうだけど。

 

 

 

 

また角度を変えると…

今ではあんま見なくなった気がする換気設備があった。

 

めっちゃ堅牢な感じだけど、けっこうコンパクト。いったい何が入ってるんだろう。開口部から覗いたらよかったんだが、なぜかやらなった。

 

 

 

 

 

で、最近このシリーズでやりがちなのだが、【次回】は上の二枚の写真にチラ見えしてるやつを。

 

 

 

 

 

誰も興味ないと思うが(笑)タイトル通り、申し込んでた10月20日の大阪公演@なんばHatch、当選しました~。

 

たぶん外れはしないだろと思ってはいたけど、結果見るまではやっぱ、ねえ。よかった!

 

 

 

なのでさっそくに

お金を支払いまして。

 

 


しかし、めっちゃ久々にチケットって買ったのだが、20世紀とは隔世の感があるなあ。プレイガイドに並ぶとか受付開始とともに電話しまくるとか、若い人にはなんのこっちゃわからんだろうな。

 

 

まあチケット買った…って、正式には「押さえてる状態」ですな。所定の期間にまたローソン行って、チケット現物を発券すると。いや、便利になったもんだ~。

 

 

 

 

 

ほぼほぼ全公演、セットリストが違うという変態バンドさんということなので、”モラトリアム”とか演ってくれたら嬉しいな~。

 

 

この”Puzzle”も、わたくしがぜひ生で聴きたいナンバーのひとつ。

 

…まあ結局、なんでも嬉しいんだけどね(笑)。

 

 

 

 

 

あと4ヶ月半か~。楽しみ~。

 

 

 

 

”穴太衆”(あのうしゅう)というワード、当ブログにおいでくださる皆様におかれてはご存じの方も多いと思う。

 

 

今回はその”穴太衆”というワードだけでいたくそそられる、そんな方に向けての記事である。

 

 

 

 

 

なので細かい解説はしないが、最低限書いておくと…

 

穴太衆とは、自然石の野面積みにより強固な石垣を築く技能を持った石工集団で、中世より全国の城郭や寺社に穴太衆積みと呼ばれる石垣を数えきれないほど築いてきた。

しかし時代と技術の変遷とともにその技術を生かせる場は減り、現代においてはその技術を受け継ぐのは、大津市坂本の粟田建設たった一軒のみ。

現在では各地の城郭や寺社の石垣修復を中心に、その美しさと機能性が認められて海外での施工なども請け負っている。

 

 

 

 

 

…って感じなのだが、過日、本拠である大津市坂本で、実際の穴太衆積み石垣を前にしながら、その粟田建設の代表取締役であり、穴太衆第十五代衆頭の粟田純徳さんのお話を聴く機会があった。

技術的なことや心構え的なことから現代工法との折り合い、文化財に関わる苦労、後進の育成についてなどなど、すべてが興味深いお話ばかり。

 

自然石が相手なので図面なんてものは存在せず、頭の中でどれをどこに置くかを考えながら石を選び、それを現場に運んでピタリと組み上げる…なんでそんなことができるんだろうと、ただただ感嘆。「石選びで仕事の八割は終わったようなもん」とのお言葉、痺れますな~。

 

 

 

粟田さんは「情熱大陸」に採り上げられたり、また「ブラタモリ」でも案内役として登場されたし、「城フェス」のようなイベントでのトークみたいなことはこれまでもあったようだが、今回のように一般人に向けての実地ガイドのようなことはほぼ初めて(業界関係や研究者などに向けては、時おり案内されているよう)という非常に貴重な機会、けっこうな遠方からも来られていて、熱心に質問などされていた。

 

 

 

 

 

で、実はそれが6月にもう一度開催されるんである。

 

前回が満席となったので、急きょ追加日程ってことで。詳しくはこちらを↓

 

 

締め切り近し。ご興味ある方、お急ぎを。

 

 

 

 

 

終了後に撮らせていただいた、現代の名匠とのツーショット。

家宝であります(笑)。

 

 

 

 

 

以上、情報提供でした。

 

 

 

(テーマ分類不可なので「オフ報告、同好の士」で)

 

【前回】より続く。

 

 

 

隧道正面にあるもの。

わかりますよね?

 

 

 

 

 

ハイ、その通り。

吊り橋でございます。

 

 

 

 

 

サイドぎみアングルで。

意外と高い。

 

現地では何の情報もなかったこの吊り橋。永らく詳細不明だったが、愛と信頼のQ地図のおかげで「十津川村道奥里線の千切(せんぎり)橋、昭和23年完成」と判明した。

 

 

 

 

 

では、渡りましょ~。

 

振り返ってみれば、

まさに真正面に隧道。これぞ、往年の正ルートだったのでは?そのへん後ほど。

 

 

 

 

 

昔から

吊り橋では必ずやるこの自撮り(っていうのかこれも?)

 

 

 

 

 

この橋では、珍しく二枚撮ってた。

高かったけど恐怖感の記憶は全然ないので、さほどヤバい橋ではなかったはずだ。まあ、現在は知らんけど。

 

 

 

 

 

渡った先は

なにやらいい感じっぽいですぞ~。

 

 

 

 

 

対岸からの、千切橋全景。

橋長は64mだそうで。

 

 

 

 

 

渡った先の道がイイ感じだったので、少し進んでみたら、

すぐにこのような分岐が登場。

 

 

 

 

 

ここで、Q地図様からの切り出し画像を。

中央上が千切橋で、この分岐から点線道で奥里集落を経て陰地橋で村道滝川奥里線に再合流するのが、村道奥里線である。

 

千切橋は昭和23年完成とのことだが、村道滝川奥里線上にある「黒尾谷橋」は昭和33年の完成と、10年遅い。

これを文字通りに解釈すれば、かつては内原隧道~千切橋~村道奥里線ルートが奥里集落へと至る唯一の道で、車道を開削する際に、滝川に沿った現・滝川奥里線ルートが拓かれた、ということなのではないかと。

ちなみに陰地橋は昭和37年完成とさらに遅いという点も、この推測と矛盾しない。

 

 

 

 

 

たぶん先ほどの写真の分岐を右方向へと向かうのが奥里集落方面だと思われるが、

正面方向、地理院地図では道は一本しか描かれていないものの、実際はこのように上下二段に分岐。

 

ここ、実に雰囲気が良かった。淡白な当時の自分に、なんでもっと写真を撮らなかったのか詰めたいくらいで(笑)。

 

 

 

 

 

近辺に立ってたこんな看板。

「橋ノ谷」って、地理院地図では「才谷」となっている谷のことだろうか?

 

 

 

 

 

戻り際に撮った、

(ちょっとわかりにくいけど)内原隧道とのツーショット。

 

 

ここのほど近くには割と有名な「吊り橋+隧道」コンボがあるけれど、それよりちょっと奥まったこちらは、じゃっかんマイナー?なのかな?

 

でも最新(2023年4月!)のストビューで見たら、なんと内原隧道手前の空き地にきれいな公衆トイレが出来てる。ちょっと雰囲気変わったなあ。

 

 

久々に再訪したくなってきた。千切橋~奥里の道、大した距離もないし歩いてみたいかも。

 

 

 

 

 

以上。

 

2011年7月17日、紀伊半島彷徨2日目。この日のネタで記事にしてるのは、池津川橋清水橋ふれあいトンネル小黒谷の吊り橋(Q地図によると滝之穴橋)、旧・川津大橋五百瀬隧道内原橋芝崎橋小代下トンネル旧道

 

今宵ご紹介するのは、内原橋の直後に訪ねた物件。

 

 

 

まずはこれ。

ここは、この趣味にハマって間もない頃によととさんのところで見た、いつか来たかった物件。場所はここ

 

 

 

 

 

どこに?って?やだなあ、

もうおわかりでしょ(謎)。

 

切り通しのアウト側に隧道が残るっていう、まあまあレアなケースである。

 

 

 

 

 

フェンスにはなにやら掲示されていたが、

都合のいいことになんて書いてあるのか読めない~。

 

 

 

 

 

ならば…と、

反対側に回ってみた…が、こっちもフェンスで封鎖されてるっぽい。

 

ちなみに道路の名は、十津川村道滝川奥里線というようだ。

 

 

 

 

 

封鎖はされてたものの、

まあそこはそれ。

 

 

 

 

 

てなわけで、隙間からするっとお邪魔した。

けど短いのでいきなり鉄板の構図に。

 

 

 

 

 

振り返って、

これが今入ってきた方だ。

 

これはもう12年も前の状態だが、今はどんな感じになってんのかなあ。紀伊半島で我がキャリア初期(謎)に訪ねたっきりの物件たち、再訪してみても楽しそうかも。

 

 

 

 

 

で、【次回】は、

そこに見えてるやつを、ついでに。