巨福呂坂送水管路隧道と巨福呂坂洞門 (神奈川県鎌倉市雪ノ下~山ノ内) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2010年9月14日、初めての鎌倉探索。この日のネタで記事にしているのは、序盤の住吉隧道、中盤の北鎌倉駅裏の隧道扇ガ谷の名称不明隧道二本

 

 

 

今宵ご紹介するのは、北鎌倉駅方面に山越えするところにあった物件。事前に地図で見つけて気になっていたのを確認しに来たのだった。

 

 

 

 

おお。

見えてきた。が…

 

 

 

 

 

 

 

あーなるほど。

このパターンね。

 

実はこの日の前半、同じパターンのものを見ていた。ぁ、現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

この不自然な封鎖。

パッと見、封鎖された旧隧道に見えるが、さっきのは実はそうではなかった。なので、ここもきっと「アレ」かと。

 

 

 

 

 

 

 

 

要石があるということは、

本当はもっとクラシカルなお姿だったんだろうと思うのだが、全面的に改修されているっぽい。

 

 

 

 

 

 

 

 

隙間から覗いた洞内はこんな感じ。

洞床の位置はこんなにも高く、路面とは全く一致しない。よって旧隧道ではあり得ないのである。

 

貫通しているのが見える。あちらへまわってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、あちらへまわるためには絶対に通るのがこちら、

神奈川県道21号横浜鎌倉線のこの洞門。

 

 

 

 

 

 

 

 

その名も、

(ウッ…ボケてる)巨福呂坂(こぶくろざか)洞門。

 

 

 

 

 

 

 

詳しくは

コチラをどうぞ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

書かれているように実際はロックシェッドなのだが、

「切り通しを往く」感を出すために、この横長の六角形を連ねた開口部を設けてあるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

うむ、

なかなかイイと思う。

 

 

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

伝わるかどうか、なかなかの坂。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、写真右外、洞門のすぐ脇にあるのが、

先にご紹介したあの隧道の反対側である。

 

やたら文字数の多い扁額がある。やはりここの前に見たのと同じ「アレ」なようだ。

 

 

 

 

 

 

 

扁額には…

「巨 福 呂 坂 送 水 管 路 ず い 道」。

 

そう、これはかつて水道管を通した、管路隧道だったんである。そして、ここは鎌倉市内にもかかわらず、「横須賀市水道局」というミニ扁額も。どういうことか。

 

 

ネットで素晴らしい解説を見つけたので、少し長いが一部転載させていただく。

https://4travel.jp/travelogue/10656873 での、ドクターキムルさんという方によるものである。ありがとうございます。

 

建長寺から鶴岡八幡宮に向かう途中にある巨福呂坂洞門の横には巨福呂坂送水管路ずい道がある。鎌倉市の真ん中にあるのだが横須賀市水道局(現在は横須賀市上下水道局)が管理している。元々は旧海軍施設であった。
 日露戦争の勝利により、海軍力増強が推し進められ、横須賀海軍工廠をはじめとする横須賀の海軍施設も拡張されていった。その結果、艦隊補給や工廠用水などの水需要も増大し、走水水源では間に合わなくなった海軍は新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画した。これが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の逸見浄水場まで自然流下式で導き、ろ過した後、各施設に配水するものであった。送水線路はほぼ直線に南東に向かい、鎌倉あたりで東南東に少し折れて横須賀・逸見へと続いている。そのため、送水線路上にあった河川や丘陵には水道橋や隧道が何箇所か建設された。この水道管が敷設されたルートは「横須賀水道みち」、「横須賀海軍水道みち」と呼ばれる。
 工事は明治45年(1911年)に始まり、大正7年(1918年)に通水し、大正10年(1921年)には全施設が完成している。
 半原取水口、半原沈殿地や逸見浄水場は現存しているが、平成19年(2007年)4月より送水休止中し、大部分は道路として利用されている。送水管路隧道(水道トンネル)も当時のままにレンガ巻き立てのものが幾つも残っている。今では、所謂戦争遺産なのかも知れない。

 

 

 

というわけで、これはかつての海軍による導水路の隧道なのだった。何も付け加えることはない。

 

 

 

実は当初、文中にある愛川町半原の取水地ほど近くに残る煉瓦隧道(この日とは別の2012年に訪問)を記事にしようと思っていたのだが、諸事情によりコチラをご紹介した。まあ色々考えながらやってますのよ(笑)。

 

テーマ分けに悩んだけど、まあ水路隧道かな、やっぱり。




最後に余談。


今回の記事でも片鱗は伝わると思うが、穴だらけの街・鎌倉はすなわち坂だらけ。レンタサイクルでまわったこの日は日頃の運動不足も祟って、もう足がDEATH(笑)。いないと思うが、チャリでまわろうって人はご覚悟のほど(笑)。

 

 

 

 

以上。みっちりの文章で終わるってのも珍しいな。