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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

昨日2023年2月6日、例によってかりそめの住まい近辺でお散歩に行ってきた。自治体名で言えば、ちょっとだけ小平、おおむね東村山、ギリ東大和、わずかに所沢、って感じ。

 

前の晩までどこに行こうかウダウダ考えていて、当日朝にようやく決めて出発…したものの、今回も最寄り(…でもない)駅まで歩きながら計画修正。オプションをくっつけて2部構成(謎)仕立てに変更した。なので電車~歩き~電車~歩き~電車という込み入った道中。あのあたりの西武線、細かい線区が入り組んでいてめっちゃ楽しい。

 

あ、にしさん、例の物件は今回もまだ行ってません(笑)。

 

 

つうわけで、本日はおよそ15,600歩、約10.5kmの歩きとなった。

 

 

 

以下ダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非常~に地味な写真ばかりだけども、本人はその印象よりもだいぶ楽しんだ。まあ実際小ネタばかりだったけど。

でも個人的に一番楽しみにしていた物件は、ここには出してない。核心に触れる写真ばっかでダイジェスト的な匂わせ写真がなかったので(笑)。かわりに載せたのが、その物件付近から撮った最後の写真。

 

まあこれは、遠からずやる…つもりだけど、気分により寝かせるかもしれない。

 

 

それにしても「武蔵大和」って駅名、乗り鉄時代の昔から超弩級戦艦みたいな名前だと思ってたけど、まさかその駅を利用する日が来るとはね~、このトシになって…。なにか感慨深かった。

 

 

 

2023年1月30日に敢行した、「歩ケ歩ケ川越」からのネタをご紹介。今回の物件は、当日最初に訪ねたやつ。

 

 

 

西武・本川越駅から歩くこと約10分、

JR川越線の踏切にやってきた。ここから望めるはず…。

 

 

 

 

 

おおっ!

アレだな。

 

 

 

 

 

線路沿いの道で接近しての近影~。

ぱっと見はまあ、トンネルだが、こう見えて線路を跨ぐ道路橋である。これが今宵のお題。

 

 

 

 

 

さっそくその道路へ…と?この構造物は?

気になるが一旦スルーして…

 

 

 

 

 

はい、こちらが道路橋としてのお顔である。逆光で見にくいけど。現在地はこちら


現地には何も情報がないが、Q地図によれば橋名は富士見橋。完成年は「不明」ということだ。

 

で、先ほど引っかかった構造物は左側の路肩にあるのだが、同じもののもっと長いやつが右側にもあった。

 

 

 

 

 

これなんだけども、

これ…のっぺりガードレールのコンクリート版?

 

高欄ではなく袖高欄の位置にあるので、橋そのものには直接関係ない存在だと思われるが、ちょっと興味を惹かれた。

 

 

 

 

 

橋上から望む、

上流側…もとい、川越・大宮方。

 

 

 

 

 

そしてこちらは、

高麗川方。横着して渡らずに撮影(笑)。

 

 

 

 

 

渡って、南側より。

うーん、どうもこの時の陽当たり具合がよろしくなく、どっちから撮っても全体が見にくいな。

 

でこちらにもあった、コンクリート版のっぺりガードレール的なもの。ただ高麗川方は普通のガードレールに替わっている。

 

 

 

 

 

川越・大宮方より、なんとかサイド気味に。

ゴツイな。

 

 

 

 

 

最後に、

高麗川方からのサイド気味アングル。

 

 

それにしても、なぜこの跨線橋、このようなトンネル状のゴツイものにする必要があったんだろうか。よほど重いものを通す必要があったから、とかか?例えば…戦車とか。

まあこれは妄想だけれど、必要があったからこそのこの姿であるはずなので。

 

 

上の写真(3枚目の写真も)をよく見ていただきたいが、トンネルとして見たときのポータル部分と道路部分で、コンクリートの風合いが異なっている。

道路部分は直接風雨にさらされない場所なので経年感がつかみにくいものの、川越線の開業は1940(昭和15)年。本橋の完成年は不明ということだが、おそらくはこの時に一体で整備されたものではないかと思われる。つまり、ポータル部分(=高欄部分)は後年の改修で、道路部分がオリジナルなのではないかと。

 

 

 

まあいつものように、単なる想像ですが何か?(笑)

 

 

 

 

 

 

おまけ。

事後に撮った、高麗川方からの遠望ショット。

 

 

 

以上。

 

 

あるあるな、色文字が褪色したパターン。
 

 
大喜利か(笑)。
 
 
 
 
ロケ地:武蔵村山市某所
 
 

【4】より続く。

 

 

 

蕪坂隧道の反対側に到達した。市街地側を後にしてから44分経っていた。

2枚の看板含めて概ね同じような雰囲気だが、細かく見ると市街地側にはあった扁額スペース的な出っ張りがない(ならばあれはやはり扁額だったのではないかと)。それとポータル上のコンクリ土留めのサイズや、水抜き穴の存在などが相違点かな。

 

 

 

 

 

余談だが、

抗口前の電柱脇に立っていたポールは、電電公社のものだった。珍しいものなのかどうかは不明。

 

 

 

 

 

では再び…

お邪魔しまっすー(島田一の介ふう)

 

こちらのほうが、コンクリ巻き立て部が長いかな。

 

 

 

 

 

上の写真右側、

漏水でコンクリが劣化してる。

 

 

 

 

 

こういう金属部材を見つけたりとか。

どういう用途だったかは不明。

 

 

 

 

 

振り返り~の、

鉄板の構図。

 

 

 

 

 

あーさて…

今のところ、こうもりさんは落ち着きを取り戻してくれているようだが…

 

 

 

 

 

と思ったのも束の間、

もう舞い始めたやん(汗)。

 

奥から聞こえる盛大な「囀り」は同様。どうもやはり、中央部あたりが一大コロニーになってるようだ。

 

そして!お気づきになっただろうか?ダブルトラックの轍がくっきりと残っている!

 

 

 

 

 

少なくとも、ここが車道隧道であった証。

ただこの手の残された轍ってかなり古いものまで残っていたりするから、いつのものかは不明だ。

 

ちなみに、市街地側に倒木があったが、もしあれがなければ、ジムニーなら完抜けして市街地側へと降りることは(技術があれば?)なんとか可能そうな気はするが、どうだったんだろう。あるいは抜けたものの隧道内を鬼バックとか…。

 

 

 

 

 

振り返り。

まだこのくらいしか入って来てない。

 

 

 

 

 

こんな岩の割れ目を見つけた。

人工の穴ではなさそうだったが。

 

 

 

 

 

でー、やっぱり、

本格的に乱舞し始めちゃった~(汗)。

 

 

この後もう少し進み、ほぼ先ほどこの辺まで来たかな?というあたりまでは到達したので即時撤収。写真なし。

特に変わり栄えするものは見つけられなかったと思うが、こうもりさんをよけるために頭をかばい、身をかがめての前身だったので、見落としはあったかもしれない…。

 

 

 

 

 

記事を書くにあたり、改めてこの隧道のことを調べてみたが、ごくわずかな同業の先人を除き、驚くほど情報が少ない。観光地に至近な立地だというのに何故?そんな中、唯一隧道の成り立ちにかかわる短い記述を見つけた。

 

「津和野日本遺産センター」のHP内で、津和野藩士・栗本里治が近世の津和野藩内の名所や風俗、食文化を書き残した「津和野百景図」全図の紹介があり、その第二十九図が「蕪坂」。その解説において、こう書かれている。

 

 「(前略)昭和8年(1933)に堀家の出資によりトンネルが整備されたため、この峠は利用されなくなったが、今も峠へ通じる道や峠に遺構らしき場所が残っている。」

 

 

道路施設現況調査における1935(昭和10)年という記録とは2年の開きがあるが、これは着工と完成の誤差なのかも?そして重要なのは、「堀家の出資により」ということ。堀家は近世初期から近代にかけて銅山事業を中心に大きな力と財力を持った、わかりやすく言えば有力者の家系だったようだ。

 

その堀家がなぜ古道・蕪坂峠に隧道を穿ったのかはわからない。ただ、因果関係の有無は不明ながら、堀家がその本拠を構えていたのが、市街地から西へ数kmの津和野川支流・白石川沿いであり、市街地からはこの蕪坂越えが断然最短ルートとなるわけで、ここに車道を通すということには一定の合理性があったようには思われる。

 

 

 

いや、知らんけど。

 

 

 

ちなみに白石川沿いの堀家住宅は観光地となっており、「旧堀氏庭園」は国の名勝に指定されている。

 

 

 

 

堀家が銅山事業から事実上撤退したのが昭和8年のことだったというから、この隧道工事とほぼ同時期となる。その因果関係もまた不明(たぶん偶然?)だが、なんにせよ銅山事業で培ったノウハウで、坑道の掘削はお手のものだったはずだ。

 

 

 

 

 

ぶはー(同じパターン)

美しい掘割に、思わず深呼吸。堪能した、いろんな意味で(笑)。

 

 

 

以上。
 

 

 

 

【3】より続く。

 

 

 

明るい雰囲気でスタートを切った、蕪坂越えの反対側。

先に何やら見えてきた。

 

 

 

 

 

接近してみれば、

市街地側でも見た「この先走行注意」だった。まあ「この先」を見るに、やっぱり「注意」レベルじゃなさそうなんだが。

 

 

 

 

 

こいつの登場を合図としたかのように、

ここまでうっすらと残っていた轍が消えた。

 

 

 

 

 

けど依然として、

古道の香りがしない。なんだろうなあ、いまいち盛り上がらない感じ。

 

 

 

 

 

この景、一瞬だけオッと思ったが、

まあまだ登場するには早い位置だった。

 

 

 

 

 

で、

またしても、先に何かが見えてきた。

 

 

 

 

 

それは、予想していた立札。市街地側にもあったからね。

蕪坂峠道 江戸時代には峠に番所がありました 古道です 大切にしましょう」

 

古道です、をアピールしてくるけど、盛り上がらないんだって(笑)。けど、この峠越えを辿ってみたら、なにかいいものあっただろうか。

 

 

 

 

 

一応、そっち方面も一枚。

そんなに距離もなさそうだし、行ってみてもよかった…とも思うけど、もし行ってたらこの日終盤の平安橋なんかは日没でアウトだった可能性が高いから、まあやめて正解だったか。

 

 

 

 

 

そこからは、割とすぐだった。

右へ緩くカーブし、

 

 

 

 

 

続いて左カーブ

…の先に。

 

 

 

 

 

お出ました~。

なんか皮肉なことに、峠越えの古道が分岐して新しい道に入ってからのほうが、古道的な雰囲気の良さを感じるっていう。このあたりも。実にイイ感じだ。

 

 

 

 

 

つうわけで、

再びの、蕪坂隧道~。

 

 

さて、こうもりさんは静まったかな…?

 

 

 

 

【5】に続く。