年末回顧記事、ただでさえ重すぎたのであえて書かなかったけど、忘れもしない一年前の元旦・夕方。あれは全日本人に少なからずダメージを与えたと思う。
軽い言葉になってしまうが、もう完全にドン引きしてしまった。何もよりによって元旦にこんなこと…って、まさに神も仏もないとはこのことか、と。
というわけで、ちょうど発災後一年となる年頭、輪島市のこの橋を…。訪ねたのは2015年4月30日、初の能登遠征2日目。
まずはこれ。
河原田川に架かる、単径間のワーレントラス橋。通りすがりに、なんかいいなと止まったもの。
西側(鳳至町側)より。現在地こちら。
左側の鉄骨に、大きく銘板が掲げられており、
そこには
以呂波橋。おっ、この名前は?ってなった。
そばの親柱にはにはお誕生日、
「昭和三十七年十一月架」。わたくしより年上だった。
そして反対側、右側の親柱には
達筆な文字で「以ろ波●●」●●は「はし」だろうがよくわからん。
上流側からのサイドアングル。
恥ずかしながらこの時点でもよく気づいてなかった。
では渡ろう。
ボルトの数、凄いなあ。リベット萌えじゃないけど、こういうのも萌えますな。
橋上から望む、
上流側。
ここらでようやく気づいた。
斜材外側に「いろはにほへと」。気づけば各々の斜材にいろは順の書き付けが施されていた。
帰ってから調べてみたら、かつては木造橋で、長さが四十八間あるということで、四十八文字あるいろは順になぞらえて「いろは橋」=「以呂波橋」と名付けられたのだという。
橋の両岸である鳳至町と河井町で交互に行われる朝市と夕市をつなぐ、とてもよく使われる市街地の象徴的な橋、ってところか。
足元のグレーチング処理。
イイねえこういうの。
車道と隔てる柵はなく、
開放的な印象だ。
そしてこちらは下流側。
日本海も近い。
そういえばこのいろは順書き付け、
先代以前の橋からどこかに書かれてたんだろうか?ないよなたぶん。
東側(河井町側) から。
この橋について今さら知った情報なのだが、ここを訪ねたまさにその当時、NHKの朝ドラ「まれ」が放映されていた、らしい。そしてドラマ内でこの橋が、よく登場していた、らしい。
だからこうして写真を撮りまくっていたわたくし、
きっとロケ地巡りの人だと思われてたのかもしれんな。でもこのとき、他に写真撮ってる人がいた記憶はないが…。
この橋に至る手前で、何気なく撮っていた街の景色。
これら、今は変わり果てた状態だろうと思うので、あえて掲載した。
遅々として復興が進まないと聞く。ホントのところはわたくしにはわからないが、ストビューで見る限りはそのように感じるのは否めない。月並みなことしか言えないが、一日も早く能登の地に平穏な日々が戻るように願うばかり。
最後に、この日のネタで記事にしているのは、新旧の鞍崎隧道、在りし日の逢坂隧道、真浦隧道、八世乃洞門旧廃道と麒山道、恋路の不条理な歩行者用シェッド、恋路隧道、真脇隧道、北河内トンネル、夏分橋、木ノ葉隧道、長谷の澗隧道と旧道。