先月記事にした大谷トンネルと同じく、この度の震災で被害の出た隧道を知った(間違いなく他にも多々あるはずだが…)ので、往年の姿と災害の規模を知っていただきたくて記事にすることにした。この件はおろろnさんから教えていただいた。いつもありがとうございます。
2015年4月30日、初の能登遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、新旧の鞍崎隧道、八世乃洞門旧廃道と麒山道、恋路の不条理な歩行者用シェッド、恋路隧道、真脇隧道、北河内トンネル、夏分橋、木ノ葉隧道、長谷の澗隧道と旧道。
今回ご紹介する問題の隧道は、鞍崎隧道と八世乃洞門の間にある、国道249号の隧道である。
東(珠洲側)から接近。
当日は、あの隧道はあくまでおまけ。目指していたのは、海沿いに延びる旧道にある旧隧道だった。
にしても…。「いま」の目で見れば、この辺の地形も恐ろしい。
早朝(5時47分)にもかかわらず
旧道入口には釣り人のものらしき車がたくさん停まっていた。現在地はこちら。
今回特に被災の報を見たのは、こちらではなく輪島側についてなんだが、まあこの珠洲側も決して無傷ではないだろうな。冒頭の写真を見れば、容易に想像できてしまう…。
なんてことないビジュアルの、
これが本日のお題。
その名は逢坂隧道。
特に北陸でよく見る、ひと文字ずつのパネル扁額(勝手に命名)だ。
きれいかつシブい銘板。
昭和58年8月完成。
この記事を書いてる現在からだと40年経ってる隧道だが、この場所において十分なスペックだと思う。
さて、お目当ての旧隧道を目指そうと
旧道へ足を向けたのだが…。
遠いな。
遠い。
まあ歩くのは苦じゃないんだが、写らないようにしてるがやはり釣り人がけっこういて、なんかめんどくせえな、ってなって。
さっきの鞍崎隧道(冒頭リンク参照)と同じく旧道を完歩して現道(逢坂隧道)を抜けて戻ってこようと思ってたんだが、気が変わった。こっちはパスして輪島側からアプローチしよう。
つうわけで車に戻るんだが…
「当時の目」でさえ、このへん怖いなあ…と思って撮ったはずだ。この写真と次の写真と。
あんな高いところまで、
びっしりと巡らされたベルギーワッフル。
あれは、2007年3月25日に発生した「平成19年能登半島地震」(M6.9)の被災痕なのではないかと思われるが、今回の地震でまた崩落してしまったのではないかと…。もしかしたら、今回被災が報じられた輪島側(今からご紹介する)よりも激しく被災している可能性もあると思う。
さて、逢坂隧道を抜けて、
やって参りました輪島側。
以下、在りし日の姿など何枚か。
さて、問題はこっからだ。
これは、輪島側の新旧道の絡みが面白くて撮った一枚。
5枚上の写真を見返していただければ、どこから撮ったかはわかると思うので、おおよそのスケールや距離感はイメージしてもらえるだろう。
で、赤枠で囲った部分の拡大がこれ。
中央の路肩に立っているのは、トンネル内情報を表示する情報表示板。あれを目印として覚えていただきたい。
そして、この動画だ。
石川テレビ公式チャンネルの動画で、2月2日公開時点での情報とご理解いただきたいが、サムネ画に写っている情報表示板が、まさに先ほどのそれそのもの。つまり、隧道からあんなに離れたところまで崩土で埋め尽くされているというのだから仰天した。
ここまでの写真を見返していただければ、珠洲側と比較するとまだ輪島側のほうが山の切り立ち具合は少ない印象。にもかかわらずこんなところまで崩土が押し寄せるっていうのは、これはもう土砂崩れではなく山体崩壊と言って差し支えないだろう。なので余計に、「輪島側でこれなら珠洲側は一体どうなってる?」と思ってしまうわけである…。
この状態では隧道自体がどうなっているのかははかり知れないが、崩落している可能性が高いのだろうな、やっぱり。この現場で巻き込まれた車が残っていたりしないのか、懸念されるところだが…。
動画内情報によれば、国交省は逢坂隧道を諦める判断をしているようだ。まあそういう判断になるだろうし、確認にはかなり時間がかかるだろうな。
それにしても、地元局ならではのこういった局地的情報は貴重だなあと、改めて思った次第だ。
【次回】からは、旧隧道をご紹介していく。