かんながら

かんながら

旅の記録です

私が何度か会ってとてもよくしてもらったインドの聖者であるサイババ、バーラサイババは、

この世界がかわる時に重要な役割を果たすのは、日本人とドイツ人だと言っていた。

 

でもなんだろう、ドイツ人と日本人の共通点って。

私には、ナチスと特攻隊としか思えない、って当時も書いている。

 

人間は、感情のいきものだって思うけど、その影響力は、物販のマーケティングにとどまらず、

金融市場も、「物語」によって動かされている人間の感情で動いてるなってすごく思う。

 

政治や選挙も「劇場型」っていうのかな?

小泉劇場、アベノミクス、村山内閣成立のときなどの「政権交代」

ドラマと同じで、熱狂と失望が繰り返されているように見える。

 

美しい物語は人の心を打つし、影響力がある。

でも、日本には、かつて正義の大戦に向かっていったときの高揚感と、戦後、それらの教科書を黒塗りしたときの虚しさを体験したひとたちがいて、わたしもそのときの話を何度も聞いた。

 

もともと、私は人間の感情が希薄でさめた人間なので、人の展開する物語は好きじゃなく、ドラマも広告も興味がない。

選挙戦で熱い論戦が繰り広げられても、演説ではなく、その人のひととなりや、実績にしか興味はない。

 

理由は簡単で、「口ではなんとでも言えるから」。

ひとは嘘をつくいきものだっていうことも、やっと理解するようになった。

 

ドイツ人も日本人に似てて、真面目で信じやすい人たちだ。

そんなドイツに伝わるひとつの物語、「ハーメルンの笛吹き」。

 

 

 

そして、そこに引用しているグリム童話にもある「ハーメルンの笛吹き」。

前にも書いたことがあるけど、こんな話だ。

 

1284年のことです。

ドイツの小さな村、ハーメルンではネズミの異常発生に悩まされていました。

そこで、市長はネズミ駆除に金貨100枚を懸賞金として提示したのでした。

すると、ひとりの笛吹きの男が現れ、ネズミの駆除を申し出ました。

男が笛を吹くとネズミが集まってきて、ヴェーザー川に誘導され、ネズミは溺れ死にました。

なのに、町の人々は報酬の支払いを拒否。これに激怒した笛吹き男は、6月26日の深夜に再び現れ、ふたたび笛を吹いて130人の子どもたちを連れ去っていきました。子どもたちは男について町の外へ出て、洞穴に入り、二度と戻りませんでした。足が不自由な子供、または盲目と聾唖の子どもたちだけが町に残ったという説もあります。

 

 

私が当時、この話に、不思議な超訳をつけている。

 

 

 

あるとき、従順な民を治める王さまとその一族が暮らしていました。そこへ新たな一族が現れ、土地を治める王さまと人々を惑わせる事態が起きてしまいました。そんなある日、不思議な力(験力)を使う魔術師があらわれて、報酬をくれるなら、人々を惑わす一族を退治してもいいと申し出てきました。これは好都合と、王さまは報酬を約束して、成敗をお願いしたのでした。

 

しかし、王さまは、お金にせこくて、成敗が済んだら用が済んだと、魔術師に報酬を払わずに、験力を使う魔術師を追い出しました。

魔術師は怒って、洞窟に王さまの大事な人を閉じ込めて出られなくしてしまいました。

しかも、魔術師が、自分と同じことをするとご利益があると不思議な奇跡をみせたので、人々は魔術師の真似をするとご利益があると信じて、同じことを真似るようになりました。

そのせいで、王さまの大事な人は、閉じ込められた岩戸から、ますます出られなくなってしまい、それは約束が果たされていない今も、ずっと続いているということです。

 

 

内容からして、日本の成り立ちの天岩戸伝説みたいなものが降りてきたっぽい。

魔術師とは、空海か、安倍晴明か。

 

こうやって、日本という国は呪詛と祈りが張り巡らされた特殊な国である。

それを「神の国」と呼ぶみたい。

相対する勢力がせめぎ合っている国。

 

 

西VS東が戦う相撲はまさに象徴。

月VS太陽

肥後VS出雲

 

富岡八幡宮の相撲の碑に刻まれた通り。

 

 

 

「熊野」と「琉球」のつながりは、この国に紡がれている隠された物語のような気がする。

それが明らかになるとき、時代は本当に変わるのかもしれないね。

 

「月が沈んで日が昇る」、神の交代になるのか、

それとも、人々が目覚めて、神々は眠りにつくのか。

 

 

 

 

満月のころ、キルフェボンをご馳走になった。

お月見バージョンのフルーツは胡麻。

 

今年は新暦10月の満月はまだ旧暦8月だった。

まだ30度近い夏日だったし、8月って感じだった。

 

 

ずっと行こうと思ってたけど、行けていなかった上高地帝国ホテル。

いつみても満室だったのに、3日後に空室があってポチる。

 

部屋は抑えたものの、心配したとおり、上高地へのアシの方は三連休突入前日ってこともあるのか難しく、

新宿からのバスは満席、あずさも遅い時間しか空いてない。

たった1泊しかしないので、朝少しでも早く着きたい。

 

となると、新幹線で長野経由か。

長野経由で松本入りして、新島々まで列車、そのあとバス、っていうルートをとることにしてバスを調べたら、

新島々から上高地のバスすら事前予約制になってる。

 

しかも満席の便もあるじゃない。

新島々からタクシーチャーターしなきゃなんないのか?って焦ったけど、とりあえずバスは確保した。

 

でもその後、乗り換え案内をチェックしていたら、長野駅からも上高地行きのバスが予約制で出ていることを発見。

 

始発の長野新幹線に乗れば、11時頃には上高地に到着できるもよう。

で、長野駅からバスに乗るルートに変更。

 

 

河童橋到着。

前回ここにきたのは、2018年。

穂高神社さんと嶺宮登拝で奥穂まで上った。

学生時代に体力的に無理と諦めたくらいだからきつかったはずだったが、年配の御先達がとてもゆっくり呼吸をあわせて歩いてくださって、上は80代まで40人くらいのメンバー全員が無事登拝できたのだった。

 

それにしても、2018年は不思議な年だった。

この旅のあと、私たちは元伊勢籠神社の神籤で選んでいただいて高千穂神社に正式参拝して、真名井の水を汲み、その水と籠神社の奥宮の真名井の水とあわせて外宮に正式参拝して奉納する神事に出させていただいた。

その旅の途中の八代で、わたしは鎮宅霊符神と、後醍醐天皇の皇子である懐良親王に出会う。

 

 

 

2月は、サイババの真実の著者の瞑想のA先生のツアーで、彼の誕生日をイスラエルで祝った。

初めてのイスラエル。聖書の聖地を共に巡った。

 

しろくまさんの誕生日にインドのバーラサイババのアシュラムに滞在したら、そのA先生がお忍びで来ていて、今度はしろくまさんが祝ってもらう側になった。

わたしたちは何度かそこに訪れたが、彼がわたしたちが会ったたったひとりの日本人。

 

そして、A先生は「千の風になって」を歌い、しろくまさんは、その音源を録って、なくなるほんの数日前にわたしに手渡してあの世に行った。


しろくまさんは、平成の終わりと令和の訪れを見届けて、令和最初の月に旅立ったのだった。

 

 

山賊焼定食タルタルソース添え。

山に登ってもいないのに、こんな高カロリーの食べ物はどうかと思うけど。

 

河童橋は外国人で大賑わい。

思えば長野からのバスもほぼ外国人。

長野はもともと欧米人の観光客が多かったけどね。

 

なんでも沖縄の小さな島々も欧米人の観光客が多いみたいで、

わたしが2年前にバイトさせてもらった渡嘉敷島も、今はフェリーの乗客のほとんどが欧米人の観光客だときいた。

渡嘉敷島。戦争の記憶ががっつり残る場所。

 

 

スサノオは女神とか書いている。

いったい何?

 

 

梓川は昔と変わらず蒼かった。

祖父ともまだ大正池が、枯れ木の木立があった頃に何度かきた。

祖父は自分が撮影したその写真がお気に入りで、

パリの凱旋門の写真と並べて飾っていた。

 

変わったのは、当時からは想像できないくらい観光客が増えたことと、

その構成が日本人主体から外国人へ変わったこととか。

 

海外の旅行者にトレッキング目的の人が多くなった気がする。

もはやマチュピチュも予約しないと入れないくらいだし、

世界中の名だたるトレッキングコースはお金もかかるし、予約の手間もかかるようになった。

 

 

日本はふらっと自然の中に身を休めることができる国だったけど、

斎場御嶽も富士山も自由に入れない観光地になってしまった。

 

 

なんだか、今年はクマがしょっちゅう人間と遭遇するようになっているけど、

コーラと経済が入ってきて人が荒れていく過程ととても似ている気がする。

クマだってどんぐりより美味しいものがあればそれを食べたくなるわよね。

 

 

「貧乏人は麦を食え」に、庶民は納得できないと思うの。

 

 

奪ってでも食べたくなる、っていうのが動物の本能だっていうことに、

人間は気づけるかしらね。

自然界で起きていることは、早晩、人間の世界でも起きるわよ。

 

今のクマ騒動は、慈悲深い神様から人間へのわかりやすい警告だと思うよ。

 

今始まろうとしているインフレはこの不平等をひっくり返す力があるかもしれないけどね。

 

 

10月上旬、ようやく少し気温が下がって紅葉しはじめたところ。

今年の涸沢カールの紅葉はとても綺麗だって話題になっていた。

10月まで真夏日だったからね、東京は。

 

 

河童橋を渡ってバスターミナルと反対側をホテルまで。

約40分の道のりって書いてあったけど、まだ普通に歩けないわたしには1時間以上のみちのり。

 

足が痛くても、川辺を歩くと癒される。

 

 

対岸には大正池から河童橋を目指す外国人旅行者のグループが石を投げて遊んでいた。

 

 

 

そろそろキノコの季節。

 

 

このあいだ、松坂に行ったときもブラタモリがきた後だったけど、

今回は翌日放映だっていう。

別にブラタモリを追っかけているわけじゃないんだけど。

 

もしかしてブラタモリは、ゼロ磁場を追う企画なのか?

 

松坂はゼロ磁場じゃない可能性が高いってAIはいうけど、伊勢外宮は糸魚川からの断層の上にあるんだから、ゼロ磁場でしょ。

歩くゼロ磁場の美志摩かなが無意識に踏む場所はそういうとこよ。

 

中沢新一さんのアースダイバーに書いてあったけど、今宮神社の神人が八坂神社のお地場を見つけたらしいからね。

平家の里はゼロ磁場よ。

 

 

 

 

夕方には雲がではじめたけど、部屋からは焼岳がみえた。

 

 

17時から暖炉の火入れ式をするのできてくださいって案内で、バーに集合。

 

 

 

しばらく森にきていなかったなとふと思う。

 

 

沼津の御用邸。久しぶりの富士山。

 

 

三島でうなぎ。

待ち時間に、お店の敷地にある三石神社。

こちら三石神社の御祭神は豊受姫大神。

 

三石神社は盛岡にもある。

 

わんこ蕎麦の発祥とか。

鬼の手形とさんさ祭。

 

創建の年代は詳らかではないが、

源兵衛川の川辺に三ツ石と称する巨石があって、

その上に社殿を建て稲荷の神を祀り三石神社としたと伝わる。

 

 

三ツ石の巨石に稲荷。

今ようやく気づいたけど、なんか、玉藻前が三つの石に割れたっていう那須の殺生石の話と同じじゃん??

 

 

 

九尾の狐は、ウカノミタマよ。

南方熊楠が昭和天皇のご進講に使ったっていうフジツボが寄生した、セグロウミヘビの絵「ウガの尾」。

 

それが示すのは、間違いなく、「島の女」。

しかも、「三ツ石」は、まんま、沖縄のヒヌカンで、三宝荒神よ。

 

 

 

そういえば、その殺生石すら、真っ二つに割れたんだったね。

2022年 東大寺の修二会の真っ最中に。

 

 

 

本当の日本の花は梅だけど、三島のうなぎは桜家。

 

 

今回も、ぐるっと一筆書ききっぷ。

 

 

ブラタモリの様子↓

 

 

 

 

 

 

 

東京は、今、戦争のまっただ中のようだ。

日々新しい大型ビルができて、過去の記憶を塗り替えていく。

 

わたしの住む街にも、お札爆弾が降ってきて、地元に古くからいた住民は土地を売ったり貸して、

「おカネ」に変えて、街を離れている。

戦中を知っている人たちから聞いた、「疎開」と似てるなって思う。

 

 

たぶん一度出ていった人たちはもう戻って来ないだろう。

戦後、疎開から家のあった場所に戻ってきたら、すでに他の人たちが暮らしていて別の場所になっていた

って話は何度も見聞きしたように、もうこの街は別の人たちの街になっていくだろうから。

 

 

金融商品としておカネで土地を買った人たちは、

ここの土地に空気感を守って来た人たちと同じ思いを共有しているわけではないから、

表参道独特の雰囲気を作っていた住民がいなくなったら、もう青山でも神宮前でもない場所になるってわたしは思うけど、

 

高いおカネを出せば、街が買えるって思う人たちは、まるでテーマパークの場所と建物を買えば、

そのままテーマパークのコンセプトが維持されると思っているかのようだ。

 

 

テーマパークだったら「そこで働く人」がいないと成立しないって想像できるのかもしれないが、

街が「そこで住む人」によってつくられているっていうことには、思いが及ばないものなのだろうか。

 

 

最近は京都の土地も売られて、チャイナタウンができる勢いって聞いている。

 

チャイナタウンは、京都にあってもチャイナタウンだと多くの人は思うだろうけど、

街の人がいなくなって住民が入れ替わった街は、同じ街だって思うんだろうな。

 

 

今、日本は、移民がたくさん押し寄せて日本じゃなくなるとか乗っ取られるとか騒ぎになっているけど、

同じよ、同じ。

 

 

 

移民はダメで、おカネで土地を買うのはいいっていうのはほんとよくわかんない。

どっちも経済の問題でしょ。

 

移民の問題は安い値段で労働力を買おうとする浅ましさが招いた結果。

証券化した不動産をそこに住む予定もない投資家が買うっていうのは、移民の問題より深刻だと思うけどな。

 

今、表参道界隈で行われている大規模な開発は、全部おカネによる空襲の結果だもん。

 

高い値段がついて不動産を売って出ていく人は、本人の意思だからまあいいけど、

近隣の土地が高額で売買されると、土地の評価額があがっちゃって、

固定資産税が苦しくなったり、相続できなくなるっていう悲劇。

 

 

ずっと住み続けるつもりの住人にとって、土地の価値が上がるってことは単純に喜ばしいことではないみたい。

 

 

わたしの住むエリアはもともと住居地域だったけど、店舗の方がお家賃が高くとれるからって商業ビルばっかりになってきた。

ついこないだも、「もう十分儲かったので」ってあっという間に売られていった。

 

転売ヤーは、限定グッズだけをターゲットにしているわけではないのよね。

 

 

「かんながら」の旅を終えた今、こうやって同じ場所から眺めていると、

「日本」っていう国も、刷新してきたって今はわかる。

日本だけじゃなく、世界中で。

 

 

経済から切り離された世界で静かにしているわたしには、バブルがはじけても関係ないけど、

なんとなく30年前を振り返ってみたくて祖父と墓参りで訪れたときに行っていた伊勢。

 

万博記念らしき限定ビール。

多様性って良いことだと思っていた。けど最近多様性って考え自体に嫌悪感をむき出しにする人が多くてしんどい。

アフリカ ホームタウン計画とやらで炎上して「アフリカ人」はひどいみたいな意見をたくさん目にしたけど、

そもそも「アフリカ」って国はないし、ひとくくりにできる規模ではない。

 

文化が大きく違うから、隔たりがあってそう簡単に相互理解に至らないっていうのもわかるけど、

「アフリカ人は厚かましい」みたいな意見には同意しかねる。

 

このような意見の日本人は、「日本人はすごい」って自己評価高いから思いもよらないのかもしれないけど、

わたしは日本人のおじさんたちが、アジアで女性(特に少女)に対してやらかしていた破廉恥行為のおかげで「日本人」とひとくくりにされて嫌な思いをしてきたのでね。

 

一部の人たちの行為を一般化されることだけでおかしいって思うけど、

「アフリカ人は(けしからん)」っていう人たちの大半は、アフリカに行ったこともなければ、直接会ったこともない、

「他人の意見」を「自分の意見」にしてるだけっていうところが危うい。

 

そうやって戦時中の世論はつくられてきたんじゃなかったっけ。

会ったこともない人に対する嫌悪は、単なる妄想に過ぎないと思うんだけどね。

 

大阪にいた30年前までは、普通にお彼岸にはお墓参りに行っていた。

ルーツである津を誇りにしていた祖父と墓参りの帰りに食べるのは、うなぎか松坂牛の和田金。

 

松坂牛にしてみようと、と松坂。

予約もなしにいくものだから2時間後にって言われて街をぶらぶら。

 

そこにある三井家発祥の地。

三越のライオンなんだってさ。

 

 

そういえば、向島(浅草)の三囲神社でみたよ。

あそこも三井だ。

 

三囲神社の草創は定かではない。建立されたのは弘法大師の頃、つまり平安時代初期にまでさかのぼると伝えられている。御祭神は宇迦うが御魂みたまのみことで、「宇迦」は穀物を示す。京都・伏見稲荷大社の主祭神でもあり、広く“お稲荷さん”という呼称に掛けて、“三囲稲荷”という別名でも呼ばれている。三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。それというのも、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角に位置したからである。いわゆる、鬼門だったのだ。

また、三囲神社の“囲”の文字には三井の“井”が入っている。そのため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられた。長く崇敬されてきた歴史があり、今なお三井家とのゆかりは深い。社域の一角には三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている「顕名霊社」がある。没後100年を経た霊だけが祀られる、特別な場所だ。

 

 

三囲神社は、牛嶋神社のそばだった。

牛嶋神社は名前の通り、牛よ、牛。牛嶋神社は三ツ鳥居。

 

なんだかよくわかんないけど待乳山聖天のそばのあのエリアを思い出す松坂。

だって、そもそも待乳山=まつちやま=松山

 

 

待乳山縁起に

「十八日寺変辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」

ってあって、松=金龍の依代、と当時考察してる。金龍は尉殿大権現であり、シナツヒコ。


 

そこに、その待乳山聖天に案内してくれた人が「松原諏方神社」に行ったって話がはいってきて、

松原諏方神社に運ばれたときのことを思い出していた。

そしたら、その回想があるブログにこんなのが出ていた。

テーマは「いざわ」。

 

各地に散らばる「いさわ」。
そこには共通点がある、はず。
 
それをつなぐのは、馬の道。
聖徳太子が駿馬で駆けたという。
 
 
鹿島のある茨城県から、秩父を抜けて、諏訪までは、甲斐(かい=海)国を抜けたらすぐそこである。

 

 

なんて書いてある。

それがサインだということに、このときにはまだ気づいていないのだけれど。

 

 

私の街とクロスする青山通りをブラタモリでやったらしいけど、ここ松坂も最近ブラタモリで取り上げられていたらしい。

伊勢路、ってことで。

 

なんとなく、松坂は純日本ぽい感じがあまりしないって思っていたけど、

西アフリカでみたような藍染の木綿とか、松坂祇園祭(=スサノオ)とかあって、

そもそも、牛肉を食べる文化っていうのも、海外からきたんだったよなって思ったり。

 

まあ、三井でライオンっていうあたりも、外国の匂いがぷんぷんする。

そういえば、ライオンといえば、エチオピアよ。

 

 

 

街中にライオンのモニュメントがあったし、まさに三井家発祥の地でみたのと同じようなのがあったしね。

 

 

ここ和田金にもブラタモリがきたらしい。

こちらが恐縮するくらい丁寧な接客で不満はないけど、

子どもの頃食べたものを上回ることはなく、これが思い出は美化されるっていうことなのかな。

 

 

 
夏の間なかなか見ることがなかった富士山。
 

 

 

 

せっかく伊勢に来たのだから、甘党の祖父が好きだった赤福を松坂駅で買ったら、

中に入っている「伊勢だより」っていうカードが、松坂だった。

 

室町時代から江戸時代にかけて、現松坂市射和(いざわ)町は、軽粉業ー化粧品や薬品製造の盛んなところでした。

近くを流れる櫛田川に沿って栄えたこの産業は、江戸初期何軒もの豪商を生み、江戸に大店(おおだな)を出して「伊勢商人」のはしりとなりました。

その一軒である竹田邸跡は竹田竹斎が人材育成のため、私財をつぎこんで開設した私立図書館です。今も「射和文庫」の名でのこり、歴史資料館となっています。

 十月三日

各位

店主敬白

 
松坂、か。
射和、いざわ、、、
 
イサワ!!!
 
松坂もイサワの地だった。
 
どうもこの日に松坂に呼ばれた理由は、
「松坂祇園祭」って文字をみるためと、「いさわ」を知らせるためだったようだ。
牛と、ライオン。
それと、松。
 
松といえば、長谷川等伯の松林図屏風。
海岸に植える松は、仲間に、居場所を知らせる目的だって思うから。
 

 

そしたら、なんとさらにこんな記事に出会ってしまう。

 

ここにでてくるペルセポリスには、なぜか「スサ」って文字も見える。

 

 

三重県松阪市の宝塚1号墳から出土した船形埴輪。

松坂で船型埴輪が出土していたとは。

 

しかも、これ、何度もみた太陽の船だ!!!

わたしたち太陽族の船。

 

 

思い出すのは富岡八幡宮の相撲の碑。
出雲(日) vs 肥後(月)。

 

なぜかそのまま連れていかれているのは向島の牛嶋神社(苦笑)。

牛嶋神社が三輪山を叫んでいるかのようだ。

三ツ鳥居。

 

 

三輪山はさらにこれもわたしに語らせる。

「崇神天皇は、ミムロ神とアマテル神を放遂した」

 

こうやって日本の歴史は勝者の歴史だけが残っていく。

出雲は国譲りした、ってことになっているけど、存在の記録すら残っていないが遺跡だけが静かに語る丹波王国もある。

タニハ。タニハの話はあまり話題には上がらないが、わたしのところには、是非見てほしいといろんな資料や遺跡や学者さんが差し向けられる。


 

 

外宮にうつされた、豊受大神の元のお宮は比沼麻奈爲神社。

豊受大神は、天御中主であり、国常立尊であり、宇迦之御魂だという。

 

 

 

 

結局いつのまにか、「いざわ」が真名井になっている不思議。

 

って、不思議じゃないか。

 

 

丹後は元伊勢籠神社。

かごめ紋は、六芒星。

 

 

 

わたしの「かんながら」は御鎮座1300年の記念の年に元伊勢籠神社のはからいで高千穂の真名井神社に代参させていただいて、その水を外宮に奉納したあのとき奉納された復曲能「真名井原」からはじまったのだから。

 

 

(参考資料)