東京は、今、戦争のまっただ中のようだ。
日々新しい大型ビルができて、過去の記憶を塗り替えていく。
わたしの住む街にも、お札爆弾が降ってきて、地元に古くからいた住民は土地を売ったり貸して、
「おカネ」に変えて、街を離れている。
戦中を知っている人たちから聞いた、「疎開」と似てるなって思う。
たぶん一度出ていった人たちはもう戻って来ないだろう。
戦後、疎開から家のあった場所に戻ってきたら、すでに他の人たちが暮らしていて別の場所になっていた
って話は何度も見聞きしたように、もうこの街は別の人たちの街になっていくだろうから。
金融商品としておカネで土地を買った人たちは、
ここの土地に空気感を守って来た人たちと同じ思いを共有しているわけではないから、
表参道独特の雰囲気を作っていた住民がいなくなったら、もう青山でも神宮前でもない場所になるってわたしは思うけど、
高いおカネを出せば、街が買えるって思う人たちは、まるでテーマパークの場所と建物を買えば、
そのままテーマパークのコンセプトが維持されると思っているかのようだ。
テーマパークだったら「そこで働く人」がいないと成立しないって想像できるのかもしれないが、
街が「そこで住む人」によってつくられているっていうことには、思いが及ばないものなのだろうか。
最近は京都の土地も売られて、チャイナタウンができる勢いって聞いている。
チャイナタウンは、京都にあってもチャイナタウンだと多くの人は思うだろうけど、
街の人がいなくなって住民が入れ替わった街は、同じ街だって思うんだろうな。
今、日本は、移民がたくさん押し寄せて日本じゃなくなるとか乗っ取られるとか騒ぎになっているけど、
同じよ、同じ。
移民はダメで、おカネで土地を買うのはいいっていうのはほんとよくわかんない。
どっちも経済の問題でしょ。
移民の問題は安い値段で労働力を買おうとする浅ましさが招いた結果。
証券化した不動産をそこに住む予定もない投資家が買うっていうのは、移民の問題より深刻だと思うけどな。
今、表参道界隈で行われている大規模な開発は、全部おカネによる空襲の結果だもん。
高い値段がついて不動産を売って出ていく人は、本人の意思だからまあいいけど、
近隣の土地が高額で売買されると、土地の評価額があがっちゃって、
固定資産税が苦しくなったり、相続できなくなるっていう悲劇。
ずっと住み続けるつもりの住人にとって、土地の価値が上がるってことは単純に喜ばしいことではないみたい。
わたしの住むエリアはもともと住居地域だったけど、店舗の方がお家賃が高くとれるからって商業ビルばっかりになってきた。
ついこないだも、「もう十分儲かったので」ってあっという間に売られていった。
転売ヤーは、限定グッズだけをターゲットにしているわけではないのよね。
「かんながら」の旅を終えた今、こうやって同じ場所から眺めていると、
「日本」っていう国も、刷新してきたって今はわかる。
日本だけじゃなく、世界中で。
経済から切り離された世界で静かにしているわたしには、バブルがはじけても関係ないけど、
なんとなく30年前を振り返ってみたくて祖父と墓参りで訪れたときに行っていた伊勢。
万博記念らしき限定ビール。
多様性って良いことだと思っていた。けど最近多様性って考え自体に嫌悪感をむき出しにする人が多くてしんどい。
アフリカ ホームタウン計画とやらで炎上して「アフリカ人」はひどいみたいな意見をたくさん目にしたけど、
そもそも「アフリカ」って国はないし、ひとくくりにできる規模ではない。
文化が大きく違うから、隔たりがあってそう簡単に相互理解に至らないっていうのもわかるけど、
「アフリカ人は厚かましい」みたいな意見には同意しかねる。
このような意見の日本人は、「日本人はすごい」って自己評価高いから思いもよらないのかもしれないけど、
わたしは日本人のおじさんたちが、アジアで女性(特に少女)に対してやらかしていた破廉恥行為のおかげで「日本人」とひとくくりにされて嫌な思いをしてきたのでね。
一部の人たちの行為を一般化されることだけでおかしいって思うけど、
「アフリカ人は(けしからん)」っていう人たちの大半は、アフリカに行ったこともなければ、直接会ったこともない、
「他人の意見」を「自分の意見」にしてるだけっていうところが危うい。
そうやって戦時中の世論はつくられてきたんじゃなかったっけ。
会ったこともない人に対する嫌悪は、単なる妄想に過ぎないと思うんだけどね。
大阪にいた30年前までは、普通にお彼岸にはお墓参りに行っていた。
ルーツである津を誇りにしていた祖父と墓参りの帰りに食べるのは、うなぎか松坂牛の和田金。
松坂牛にしてみようと、と松坂。
予約もなしにいくものだから2時間後にって言われて街をぶらぶら。
そこにある三井家発祥の地。
三越のライオンなんだってさ。
そういえば、向島(浅草)の三囲神社でみたよ。
あそこも三井だ。
三囲神社の草創は定かではない。建立されたのは弘法大師の頃、つまり平安時代初期にまでさかのぼると伝えられている。御祭神は宇迦之御魂命で、「宇迦」は穀物を示す。京都・伏見稲荷大社の主祭神でもあり、広く“お稲荷さん”という呼称に掛けて、“三囲稲荷”という別名でも呼ばれている。三井家では、享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。それというのも、三囲神社のある向島が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角に位置したからである。いわゆる、鬼門だったのだ。
また、三囲神社の“囲”の文字には三井の“井”が入っている。そのため、「三囲はすなわち三井に通じ、三井を守る」と考えられた。長く崇敬されてきた歴史があり、今なお三井家とのゆかりは深い。社域の一角には三井11家の当主夫妻、120柱余りの霊が神として祀られている「顕名霊社」がある。没後100年を経た霊だけが祀られる、特別な場所だ。
三囲神社は、牛嶋神社のそばだった。
牛嶋神社は名前の通り、牛よ、牛。牛嶋神社は三ツ鳥居。
なんだかよくわかんないけど待乳山聖天のそばのあのエリアを思い出す松坂。
だって、そもそも待乳山=まつちやま=松山
待乳山縁起に
「十八日寺変辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」
ってあって、松=金龍の依代、と当時考察してる。金龍は尉殿大権現であり、シナツヒコ。
そこに、その待乳山聖天に案内してくれた人が「松原諏方神社」に行ったって話がはいってきて、
松原諏方神社に運ばれたときのことを思い出していた。
そしたら、その回想があるブログにこんなのが出ていた。
テーマは「いざわ」。
各地に散らばる「いさわ」。
そこには共通点がある、はず。
それをつなぐのは、馬の道。
聖徳太子が駿馬で駆けたという。
鹿島のある茨城県から、秩父を抜けて、諏訪までは、甲斐(かい=海)国を抜けたらすぐそこである。
なんて書いてある。
それがサインだということに、このときにはまだ気づいていないのだけれど。
私の街とクロスする青山通りをブラタモリでやったらしいけど、ここ松坂も最近ブラタモリで取り上げられていたらしい。
伊勢路、ってことで。
なんとなく、松坂は純日本ぽい感じがあまりしないって思っていたけど、
西アフリカでみたような藍染の木綿とか、松坂祇園祭(=スサノオ)とかあって、
そもそも、牛肉を食べる文化っていうのも、海外からきたんだったよなって思ったり。
まあ、三井でライオンっていうあたりも、外国の匂いがぷんぷんする。
そういえば、ライオンといえば、エチオピアよ。
街中にライオンのモニュメントがあったし、まさに三井家発祥の地でみたのと同じようなのがあったしね。
ここ和田金にもブラタモリがきたらしい。
こちらが恐縮するくらい丁寧な接客で不満はないけど、
子どもの頃食べたものを上回ることはなく、これが思い出は美化されるっていうことなのかな。
夏の間なかなか見ることがなかった富士山。
せっかく伊勢に来たのだから、甘党の祖父が好きだった赤福を松坂駅で買ったら、
中に入っている「伊勢だより」っていうカードが、松坂だった。
室町時代から江戸時代にかけて、現松坂市射和(いざわ)町は、軽粉業ー化粧品や薬品製造の盛んなところでした。
近くを流れる櫛田川に沿って栄えたこの産業は、江戸初期何軒もの豪商を生み、江戸に大店(おおだな)を出して「伊勢商人」のはしりとなりました。
その一軒である竹田邸跡は竹田竹斎が人材育成のため、私財をつぎこんで開設した私立図書館です。今も「射和文庫」の名でのこり、歴史資料館となっています。
十月三日
各位
店主敬白
松坂、か。
射和、いざわ、、、
イサワ!!!
松坂もイサワの地だった。
どうもこの日に松坂に呼ばれた理由は、
「松坂祇園祭」って文字をみるためと、「いさわ」を知らせるためだったようだ。
牛と、ライオン。
それと、松。
松といえば、長谷川等伯の松林図屏風。
海岸に植える松は、仲間に、居場所を知らせる目的だって思うから。
そしたら、なんとさらにこんな記事に出会ってしまう。
ここにでてくるペルセポリスには、なぜか「スサ」って文字も見える。
三重県松阪市の宝塚1号墳から出土した船形埴輪。
松坂で船型埴輪が出土していたとは。
しかも、これ、何度もみた太陽の船だ!!!
わたしたち太陽族の船。
思い出すのは富岡八幡宮の相撲の碑。
出雲(日) vs 肥後(月)。
なぜかそのまま連れていかれているのは向島の牛嶋神社(苦笑)。
牛嶋神社が三輪山を叫んでいるかのようだ。
三ツ鳥居。
三輪山はさらにこれもわたしに語らせる。
「崇神天皇は、ミムロ神とアマテル神を放遂した」
こうやって日本の歴史は勝者の歴史だけが残っていく。
出雲は国譲りした、ってことになっているけど、存在の記録すら残っていないが遺跡だけが静かに語る丹波王国もある。
タニハ。タニハの話はあまり話題には上がらないが、わたしのところには、是非見てほしいといろんな資料や遺跡や学者さんが差し向けられる。
外宮にうつされた、豊受大神の元のお宮は比沼麻奈爲神社。
豊受大神は、天御中主であり、国常立尊であり、宇迦之御魂だという。
結局いつのまにか、「いざわ」が真名井になっている不思議。
って、不思議じゃないか。
丹後は元伊勢籠神社。
かごめ紋は、六芒星。
わたしの「かんながら」は御鎮座1300年の記念の年に元伊勢籠神社のはからいで高千穂の真名井神社に代参させていただいて、その水を外宮に奉納したあのとき奉納された復曲能「真名井原」からはじまったのだから。
(参考資料)