(追記)
今日はしろくまさんの命日です。
彼は亡くなってからもいろんな人を派遣してきて、言いたいことがあるようですが、
私のところには直接きません。夢で見かけたのが1回。話したこともないんです。
この数日、いろんなことがありました。
まず、この記事を見つけた。
しろくまさんが、生まれ変わりと信じた枝幹二大尉の遺書。
記事に書いた知覧特攻平和会館のフォトブックに載っている詩の部分は、知っていたけど前段があるのは知らなかった。
命令が降りた日が彼の誕生日だったこと。
班長になるはずだった上官は不時着で、彼が班長代理となる。
生き残った人は、何らかの形で「行かなかった」人たちだ。
南の激戦地に行くはずだったが、行かずに済んだから生き残った人の話を聞いている。
その人は「戦後」を作るために弱い人を助けて誠実な仕事をした。
戦地への招集を逃れるために、技術の研究者になったという話も聞いた。
病気になった人も、ケガをした人も。
しろくまさんは「弾は前からだけ飛んでくるのではない、戦地では、お前のような奴が最初に死ぬんだ」と生きて帰った人に言われたと言っていた。
戦地では正義とか常識なんか存在しない。
そんな狂気に再び向かうことのないようにと、それを知る人たちは私に語りかけてきた。
この方も、しろくまさんが連れてきたらしい、birdland-natureさま。
彼女の思いは、伝えなければならないことの1%も言語化できない私に苛立ったしろくまさんの思いが届いたのか、
本当にそうなのだ。
そして、彼女の記事にある今彼女が待ち受けに選んだ画像、、、
知覧特攻平和会館に延びる滑走路の向こうにある世界国旗に縁取られた太陽に飛び立つ特攻機。
彼らは、世界と戦うために飛んだんじゃない。
未来に生きる子孫のために世界平和を願って飛んだのだ。
なんかね、それが。
日本神話として消された氏族の思いと私の中では共鳴するのだ。
私は日本全国を美志摩かなとして歩いてきて、各地で「こんな世の中のために死んだのではない」と聞いてきたので。
もう、消された氏族の皆さんも、「口をひらく」ことを選んでいるみたい。
だって、「沈黙と忍耐は、もはや大切な人たちの幸福に貢献していない」からね。
日本人の純粋さと自己犠牲は、もう美しい世界を生み出さなくなってきた。
だから、もうそういうのは終わりにして、純粋に自分と自分の周りの世界の幸せのために生きないとね。
たぶん、ずるい人たちは、ずっとそうしてきたはずよ。
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沖縄にいる夢を見ていた。
最近突然に、この歌が私のところにもたらされたからかな。
「ざわわ」で知られる、「さとうきび畑」。
森山良子さんが歌って知られるようになったようけど、1975年にちあきなおみさんが「みんなのうた」で歌ってた。
夏川りみさんのもYouTubeで見たよ。
「台湾有事」の「存立危機事態」とか、「沖縄の人々は先住民族」っていう国連勧告を巡って飛び交うさまざまな思惑とか、もやもやしかない。「集団自決はなかった(聞いたことがないから)」なんていう人が島出身の人にもいて、そんな話を聞くたびに複雑な気持ちになる。
あたりまえに否定する人を前に語る人って余程の精神力の持ち主だと思うのよ。
恐れ知らずの暴風ミシマでも、違うって言えなかったくらいだもん。
私は、集団自決の島、渡嘉敷島に呼ばれちゃっておばあに聞いたからね。
同じくらいの(子ども)が兵隊さんに行ったのを見たとかも。
少年兵がいたことは、東郷神社の敷地にひっそりとある「海軍特年兵之碑」には香淳皇后の御歌も刻まれているし、少年航空兵学校が武蔵村山にあったってことも書いた。
そしてその昔そこの医師会長は、土御門家の陰陽師だったってことも。
特攻隊の生まれ変わりと信じていたしろくまさんの写真ブック。
知覧特攻平和会館から出ている特攻隊の最後の手紙。
読めないけど。
レムリアの記憶、って記事にbirdland-natureさんからコメントが来て、しろくまさんが話しかけてきている感じがすごくする。
亀さんとの出会いも間違いなくそう感じるし。
戦争の話はここではは書いて欲しくないらしい?
渡嘉敷島で出会ったおばあが語った記事も消えてるし、まだいいたいことを語る前のこの記事もエラーばかりで保存できない。
河瀬直美監督がなら国際映画祭で撮った琉球舞踊諸屯を貼ろうとしたんだけどね。
これすら、政治利用されてる記事をみると悲しくなる。
実際に体験した人がこの世にいなくなったら、あったことごとなくなるってどうなんだろ。
さまざまなことがそうだけど。
消えちゃうからこのまま投稿します。



















