(追記あり)イスラエル ~神と闘う者 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 

エルサレムにかかった虹(壁のところ)。2018年2月。

 

 

わたしが会ったインドの聖者バーラサイババは、新しい時代に重要な役割を果たすのは、ドイツ人と日本人だといって、ドイツ人と日本人を自分のアシュラムに集めていた。


その共通点って何?
ホロコーストと特攻隊って思うのはわたしだけ?
ハーメルンの笛吹きって民話もかなり同国民の特徴を表していると思う。

もしかしてそれなのかしら。
新しい時代を迎えるのに重要な役割って。
 

 

世界は畜殺される者に同情しない。世界が尊敬するのは、戦う者だけである。諸国民は、この厳しい現実を知っていた。知らなかったのはユダヤ人だけである。われわれは甘かった。敵がわれわれを意のままに罠にかけて殺戮できたのは、そのためである。

 

この本の冒頭に引用されているこの短い一文が、かんながらの旅の中でいきついたわたしの結論をみごとに表現してくれていた。

 

これは、メナヘム・ベギン、1977年にイスラエル首相となった人物の回想である。

 

 

 

 

 

ちょっと前、イスラエルって言葉は「神と戦う者」って意味だって知って驚いてそれを記録した。

 

 

 

 

でも人というのは、感情に影響される。

その人の大切な人に不幸が降りかかったとき、その人もあっけなかった。

「かわいそうな人なんていない」って言ってたはずなのに。

 

 

なんて書いている。

力のあるヒーラーがいたんだけど、彼も身内に大変なことがあって消えた。

 

 

最近天竜を案内してくださった縄文家族さんのツイートで思い出した。

 

 

 

プロパガンダの殆どは人々の感情に訴えかけるべきであり、いわゆる知性に対して訴えかける部分は最小にしなければならない 宣伝を効果的にするには、要点を絞り、大衆の最後の一人がスローガンの意味するところを理解できるまで、そのスローガンを繰り返し続けることが必要である アドルフ・ヒトラー

 

 

市場が感情で動くって知ってた?

株価が「投資家心理」で動くっていうのが、学校で習ったことを正しいって信じてきたわたしには衝撃だった。

株価というのは業績とリンクするものだと信じていたからね。

 

そんなあやふやなものに左右されて株価があるっていうのがそもそももう経済っていうものにわたしの考えるリアリティなどないってことなんだって悟った。

かつては株価も業績と間違いなくリンクしていたはずだけど、どおりでわたしの株価予想はある時期からまったく当たらなくなったわけだ。

 

 

わたしは人間の感情を理解しないからね。

不思議でしょうがないもん、なんでそんなつまらないことにこだわるのか、

そんな取るに足りないことに腹をたてるのか。

なんで嫌だ苦しいといいながら、それを続けるのか。

 

 

占いの仕事で人の悩みを2万件くらいは聞いたかな。そのおかげで人間がどんなことを喜んで、どんなことを悲しんだり怒ったりするのか理解できるようになった。

わたしにとっては手にしたお金よりそちらの方がずっと価値があると思っている。

 

 

で、思う。

そうやって感情にエネルギーを浪費しているから、人間はその能力を落としてるんだろうなって。

思いの力の創造力はとてつもなく強い。

というか、人間思えば叶う。

 

 

良くも悪くも、目の前に繰り広げられていることは自分自身の選択の結果である。

 

 

 

 

人間は感情の生き物だから、感情を制するものが世界を制するんだろうね。

 

 

陰謀論を熱く語るヨギの治療師なんかが「アメリカが3S(sex screen sports)で日本を骨抜きにした」っていうけど、もともと日本人はずっと昔から洗脳されやすい。

 

まさに冒頭のベギンのユダヤ人の考察と、日本人は同じだなってかんながらの旅を終えようって今のわたしの結論は同じである。

 

 

ヨギの治療師は、出会ったころ、「美志摩ちゃんは、神を殺そうとしてるの?!」って言ってたけど、

ほんとにわたし神と闘ってきたのかもしれないな。

多くの読者のみなさんは、わたしが神社が好きで神様が好きだと思っているみたいだけど、

わたしは名前のついている神様に対する信仰心はゼロなんで。

 

 

わたしはわたしの元からしろくまさんを連れていった神の正体が知りたかった。

 

 

神の正体。

後ろの正面(謎)。

 

 

わたしとしろくまさんは、新婚旅行でなぜかあの瞬間だけの人間関係から超絶おすすめされて高千穂峯に上った。

坂本龍馬の新婚旅行先。そして日本最初のハネムーンらしい。

 

なんだ、このできすぎ感は。

で、知り合いの霊能者のご婦人から言われたけど、坂本龍馬はその後すぐ死んじゃうんだよね。

 

 

うちのくまさんと一緒じゃん!!!

 

 

こうやってたくさんの「国体維持」の祈りが張り巡らされた日本列島をわたしたち、旅したわけ。

しろくまさんは、今思えばどうもそれを知っていたっぽく、わたしは神様に興味がないから松尾芭蕉か西行か、はたまた寅さんか、裸の大将みたいにぶらぶら旅をしていた。

いや、彼らは目的があったんだろうけどさ。

わたしは単に「旅が好き」ってだけだったのよ。

 

 

ついに、最近「元寇で攻めてきた先は琉球」って話も耳に入ってきて、

なるほど、琉球王が源為朝、って話はそういうことかって腑に落ちた。

 

 

わたしが伊江島でスカウトされてしまった与那原のヒロさんの家のそばにある御殿山も、ようやく理解の悪いミシマの頭の中にも実際に見聞きした「点」が増えてつながってきて、

 

百済の武寧王と、琉球王府のノロ(聞得大王)と、熊野の坊さんがつながってて薩摩に応援を頼んだ、ってところもようやく理解できたわけ。

 

つまり薩摩に単に支配されていた弱い琉球なんかじゃないってことよ。

庶民は薩摩憎しで、敵って思ってるけど、実際はそうじゃない。

 

しかも、この間、宮崎の山奥の西の正倉院を訪ねたとき、みたからね。

百済の王様が持っていた七支刀。

石上神宮の神宝じゃん。

 

いそのかみ、海なし県の奈良にある「磯の神」。

 

で、悟ったわけ。

石上は百済かって。

西の正倉院から済州・八重山とつながっているならいろいろ納得である。

石上神宮は天理にあるからね。ミシマの本拠地の。

 

そこは遺跡だったんだもの。

今は天理教の「おぢば」になっているけどね。

 

天理はとにかく私の勘がくるって迷子になったりやりにくいところなんだけど、

それもこの旅の中で案内人があらわれて、連れられていった。

 

 

 

 

 

 

わたし、神はいらないってコロナまでは思っていたんだけど、

コロナのおかげで、人間ってものの弱さを思い知った。

 

人間は、文句は言っても会社や仕事がないと困るみたい。

コロナのとき、みんな「お金はいらないから働きません」って言えば、なんでもお金で買っているお金持ちはたちどころに困ったはずで、ここでようやくこの世の中の偏りが是正されるって期待した。

 

でもそうならなかった。

 

多くの人は、苦しいって言いながらも今までの生活が戻ってくるのを切望した。

で、今こうなっている。

 

 

コロナのころ、伊勢平氏おじさんに「みんなお金いらないから働かないって言えばいいのに」って言ったら、

おじさんは「そうはならない」って断言したが、

残念ながら、伊勢平氏おじさんの方が人間というものをよく理解していたなって今は思う。

 

 

わたしを支えてくれている心の清い貧しい人たちが困らないように、わたしは考えを変えた。

わたしは神を必要としないけど、神を必要とする人たちのために、神に祝福してほしい、って思うようになった。

 

 

現代の神様はカネさま。

 

共依存と同じで、DV男は自分を強くいさせてくれる縋りつく女を手放してはくれないし、

女の方もそんなろくでもない男に惹かれてしまう自分をどうすることもできない。

嫌だと自分自身が認識してやめたいと思う以外に。

 

酒もたばこも、「やめたい」って自分が依存の対象から切り離す以外に依存を克服することは無理なのである。

 

 

だから、現代のお金をベースにした共依存も、支配される側がお金を必要としている限り解決は無理である。

 

でもせめて、病的な共依存状態から、相互依存というか、支えあいに移行できれば、この世は天国になる。

 

 

コロナのとき、何度も言った。

支配する側の弱い者へのちょっとした思いやりと、

される側の反省と感謝で、この世は天国になるって。

 

 

わたしが伊勢平氏おじさんとの関係でずっとおじさんに望んでいたのは、

おじさんを支えてくれてきた、つまりおじさんが「お金で買ってきた」労働力や品物の創造に、直接手を動かしてきた立場の人たちに対する思いやりと感謝だった。

 

 

彼は結局私から逃げたから彼がそれを理解したのかどうかはわからないけど、

能天気でバカなわたしはいつか彼がそれをわかってくれる日が来ると信じている。

 

 

わたしが願ったことでかなわなかったことはたったひとつもないんだもの。

だってこの世はわたしの思う通りなんだから。

いつも、これからも。