君たちはどう生きるか ~イスラエル 神と闘う者 2 | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

 

からの、つづき。

 

 

 

山賊チームの仕事に行ったらまたしてもいじめみたいな目に遭った。

でさすがに、ふと浮かんだわけ。

そういえば、元ダンナの家も陸軍関係だったなって。

 

あそこの家もわたしのことをまるで狐を追い出すみたいに追い出したけど、

なんかされてることが似てるなってようやく気づいた。

 

今のところ天皇陛下だけが希望である。

隔たりを埋める結婚という取り組み。

 

「雅子様のことは私が全力でお守りしますから」

実際に陛下は雅子さまを守っていらっしゃる。

 

天皇家は大陸からきた陸の方々だなってかんじるけど、

雅子さまは、「おわだ」さまだから。

わだ=わたつみで海を感じる氏族の名前。

 

 

令和という時代を迎えるには、雅子さまが重要な役割をもっているんだろうなって思う。

そういえば皇后陛下もご結婚されて30年ほどずっと「隠されて」きたかもね。

 

 

 

 

わたしがいじめみたいな扱いを受けているのに対して、同じ現場にモンゴルからの留学生がいて、その人はとても居心地がいいといっていて、「陸の人だもんな」って思ったわけ。

 

だから、「あなたには合うと思う」っていったらうれしそうだった。

 

非科学的で怪しいって思われるかもしれないけど、わたしのみえる世界ではそれはとてもあたりまえである。

人間は感情があるから同質のものを好み、異質なものを嫌う。

 

 

昔は「コネ入社」なるものが普通に存在したけど、

そうしておかないといろいろ厄介だったんだろうなとも思う。

社内の調和がとれないというか。

 

でもそこには甘えやなれ合いみたいなものがはびこるから、こうなっちゃったとも思う。

特に陸の人たちにはそれをかんじる。

いいも悪いも仲間意識が強い。

 

 

不当な扱いには、ノーと言って、その理由も明らかにして報告したが、

聞かされる方もどうしたらいいか扱いに困るだろうなと思った。

それもなんか会社員をやっていた時と同じ。

わたし、必ず見てはならない不正をたまたまみつけちゃうわけ。

今になったらわかるけどね、知ってたのに黙ってたんだろうな、ほかの人たちは、って。

 

 

 

見ないふりもできないし、仕方なしに報告する役割。

そんなの社会的に正しかろうが、会社的に歓迎されないので褒められるわけもなく、

そんな会社から給料をもらうわけにはいかないから退職せざるを得ないってことがよくあった。

 

伊勢平氏おじさんにはいつだったか、

「そこに残ることが大事だ」って言われたけど、

その不正で得た利益ではらわれている給料で生きているとしたら

同じ釜の飯というか、同じ穴の狢(ムジナ)じゃん。

 

 

 

 

今回も、起きた顛末を書きながら次の仕事はこないだろうなって思っていよいよわたしのこの生活も長くないんだなと悟ってブルーになった。

 

 

世の中は新しい時代を生み出す方にいってるはずだけど、現実の私の世界は会社員で奮闘していたときとさほど変わってないように思える。

わたしの何かが違うのか?

たしかめたくて、最近公開になった映画を観に行くことに。

宮崎駿監督の 「君たちはどう生きるか」。

 

 

このポスターになってる鳥、アオサギなんですけど。

ええ、伊勢平氏おじさんとのあの夏にでてきたやつね。

 

 

 

「2億円入ってくる」ってメッセージがきたって伊勢平氏おじさんがいってたのは、まさかわたしのこのブログをネタとして売り飛ばしてってことじゃないでしょうね?

 

それくらいわたしにはピンとくるストーリーだった。

 

で、この映画が世に出たってことは遅かれ少なかれ、わたしがイメージしている「令和がはじまる」サインなんだなってかんじる。

 

 

戦時中、飛行機に関わっていた日本人は物部筋だろうからね。

わたしをあの世の住人にした人たち。

元のダンナの家を含めて。証拠はないけどわたしはそうにらんでいる。

 

 

前回の記事に引用したイスラエルの元首相のベギンの回想じゃないけど、だまされた私がバカだったって今のわたしは思うけどね。

 

ちょうどまさにこのアオサギが登場する直前の旅が、滋賀県の鏡神社や伊吹神社に行った旅で、今日はまさにその2周年の日で、Facebookにその写真が上がって思い出していたところだった。

 

 

 

鹿の国から、馬の国へ。

交代ってことか。逆の。

 

 

アカルヒメとヒボコ。

鏡と矛。

アカルヒメは神功皇后らしい。丹後の神人がいうには。

 

闘う女って感じはしなくもない。

横暴ヒボコにしばらく仕えておいしい料理を食べさせていたが、

「あなたのような身分のものに仕えるものではないのです実家に帰らせていただきます」って日本に帰った強い姫だから。

 

どうも他人にはそう思われていないみたいだけど、私伊勢平氏おじさんに対してまさに同じ気持ちでずっといるからね。

世の平和のために、「あなたに悔い改めてほしい」って願っているだけで。

 

 

でも映画のメッセージから察するに、伊勢平氏おじさんは「殉教のイメージがある」って自分自身が言ってたように殉教かな(謎)。

 

 

 

「イエストガナクシテシス」となるんだって。いろはを書いたら。
たしか伊勢の遺跡で出てきた土器かなんかに書かれていたらしいよ。

ほんと、この世の中は正しい人を殺して(失脚させて)間違っている人がはびこる世の中。
そうしているのが、言霊という神のしくみ。
人間の考える神はろくでもない。

 

こんな世の中にした神には失脚してもらう。
でも、人間はまた、新しい神を、必要とすると思う。
あたらしい神は、過去を悔い改めた、まっさらなわたしたちの意識があらたに生み出すのだ。
だから、古い神はもういらない。

そういえば、ドーキンスも言っていた。
「神は妄想である」。

 

 

 

 

 

ドーキンスの話題が最初に出たころに記事は、この記事で、初めて池間島に泊まってる。

そして池間島の勝連荘って宿で、青い羽根が飾ってあるのを見かけてる。

 

 

 

この羽根、きっと映画を見た人たちはわかるよね。

やっぱり怪しすぎる。

伊勢平氏おじさんはわたしのこのブログを元ネタに売ったのではあるまいね。

 

 

 

 

それにしてもなんか変。

それこそ何か月かぶりに小ニーニーから電話がかかってきた。

ここ数か月折り返してくることだってないのに。

 

たしかに、昨日高輪ゲートウェイ近くに仕事にいって一緒に行ったなって思い出してその写真を送ったわけなんだけど。

 

で、ろれつも回んないほど酔っ払って告げてきた言葉が、

 

「あなたには明治神宮の森を守ってもらわないと」

 

なんなんだろ。

たしかに、彼からは明治神宮外苑の森の伐採のニュースもきたけどさ。

 

 

 

でも明治神宮も人柱みたいなものなのかもしれないよ。

裏を支える場所。

皇居は(結果的に)空襲にあっていないけど、表参道も明治神宮も攻撃対象になって消失している。

 

彼はわたしにまだ人柱になれといっている?

しかも、山賊グループの容赦ない理不尽さにもういいかな、って思い始めたタイミングにあえてそれを告げてくるなんて。

 

ま、やっぱりね、というかやたら眠いと思ったら久々にきたもの。

東京に地震。

渋谷は結構揺れて久々に来たなって感じがした。

 

 

人柱になるのはやぶさかではないけど、みんなのしあわせにならない犠牲はお断りだよ。

わたしはやさしい人たちが困らないように、って思ってるけど、いい目してのさばっているやさしさのない人たちだけの利益のために犠牲になるつもりはないからね。

 

伊勢平氏おじさんみたいなろくでもないけど知恵のある人と助け合ってやっていけたら、世の中変わるかもって思ってやってきたわけよ。わたしは。

でも伊勢平氏おじさんは、それをしないで逃げだした。

 

 

彼はリセットを選択したんだなって思う。

映画はそうなってるけど、そんなカタストロフィで一番傷つくのは、何度も言うけど無告の民だからね。

 

伊勢平氏おじさんみたいな人たちは戦争に行かなくてもいいし、お金持ちは空襲に遭う前に安全な場所に避難できる。

映画の主人公もそうだったけどね。

 

 

 

無告の民。

そんな言葉を教えてくれた人も私に差し向けられた人のひとりだった。

 

 

 

 

やっぱり伊勢平氏おじさんのストーリーテラーっぷりはさすが本屋だけあって映画を生み出すくらいの力があるけど、

自分たちは安全圏できれいごとを述べて、無告の民が犠牲になるって今までの構図はわたしは望まない。

 

十字架にかけられるが、咎のないイエスや無告の民であるのは間違っている。

 

 

伊勢平氏おじさんをはじめとする勝ち組のその発想が愛がないとわたしは思う。

 

おじさんたちが磔にあわなくてもいいけど、弱い人たちのかぶる犠牲を「やむなし」は違うでしょ。

それじゃイエスをはりつけにした2000年前と同じじゃん。

 

 

あたらしい世界は、別の選択でなくちゃ。

伊勢平氏おじさんの書いたストーリーに、わたしはイエスといわないからね。

だってこのストーリーを実際に生きたのはわたしなんだからね!!!