きっとこの記事も書けなくなると思う。
だから記録だけでも。
21日春分の日は、淡路島にいた。
丹後のご縁の人が誘ってくれたから。
しかも大阪の女性の社長さん。男ばっかりの業界の。
みえる人だったみたいで、ギョッとされているのは感じたが、現実界にがっちり根ざして生きている人だから逃げないでいてくださった。
みんな逃げたからね。特に男たちは。
わたし魑魅魍魎の世界に封じ込められていたから、どっさり連れているんだなって、伊勢平氏筋にふたり逃げられてから、ようやく気づくようになった。
そして連れていってもらうことになった、伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)。
そういえば、わたし、イザナミさんの場所(黄泉の国)ばかり呼ばれていたことに気づく。
岡山からわざわざ阿波に向かって行った先もイザナミ神社だった。
すっかり黄泉の国の住人だったなって思い出した。
阿波の知人と再会して、不思議な力を持った人たちを紹介してくれ、渦が逆転するかも、って感じがした。
だって潮目が変わるって感じがある日だった。
わたしは興味がないから知らなかったけど、宇宙元旦とか言ってる人もいたんだってね。
実家に帰ったら無造作にアルバムが置かれてて、「みなさい」ってことなんだなって開けたら、祖父とヨーロッパに行った時の写真をたぶん、40年以上ぶりにみた。かっこよかったんだよね。背も高くて。大正生まれだけどスーツの似合う人だった。
職人だったのに、ジャージとかの印象はない。出かけるときはネクタイしていた記憶がある。
関西入りするから、久しぶりに会ってみたかったまさみちゃんに都合を聞いてみたら、前泊する予定の20日は仕事だって言われて翌日の22日に三輪山行こう、ってことになった。
結局20日はなぜか仕事じゃなくなったらしいけど、この日に来ることに意味があったみたい。
だって、祭りなんだもの。三卯大会。
狙ってないよ。うさぎの年、月、日が重なる12年に一度ある祭り。
まさか太陽を感じるこの神社に月を感じるうさぎの祭りがあるとは。
その後訪ねることになる元叔父の川口さんも卯年ってきいて笑うんだけどさ。
「う」って変換したら、鵜ってでるのも、朝カラスが写真撮ってくれってイソヒヨドリの写真撮ってたら主張してきたのもなんか分かる気がする。
三輪山はみーさん(蛇)。
マリアさまが踏んづけている蛇は三輪山の御祭神。
わたしたち大阪の北側から早朝6時半には大神神社にいるという。
しかも豪雨の予定がなんだか晴れの予感。
狭井神社。
御神花はささゆり。
そして水。
枝垂れ桜も見頃。
そしてわたしたちだけの貸切。
ほぼ誰にも会わずのハイキング。
途中引き付けられたら貴船神社で、
石。なんの石?
だれか教えて。
檜原神社。
大神神社よりここの方が落ち着く。
三輪山と鏡のような太陽。
卯の日って東をさすから、朝日がのぼるってことだよね。
ばっちり、ギラギラの太陽あがったよ。
天理まで歩こうと思っていたが、島の太陽女ふたりだったら卑弥呼の宮殿の方がいい気がして、纏向遺跡に移動。
その途中、川口さんちの近くにきたので「こんにちは」と電撃訪問。
事件が起こってから、会えていなかった。
で、川口さんにお茶を入れてもらって、一緒にWBC観戦。
ドラマチックだった7回から。
川口さんのための手作りおやつを遠慮なくいただき、
優勝の瞬間を一緒に体験。
で、川口さんが自然農の畑を最初にしたところから発見された纏向遺跡(卑弥呼の宮殿)。
私が過去に偶然発見したのは、天照御魂神社(卑弥呼と自然農 〜その3 卑弥呼が神殿でみてたもの)。
ちなみに、ここも重要そうだから(蚕ノ社の木嶋坐天照御魂神社と纏向の天照御魂神社と、明治神宮)。
蚕ノ社の木嶋坐天照御魂神社(京都)。
明治神宮遥拝所がある。
この神社のことを聞いたとき、「知らない」って言われたけど、「明治神宮遥拝所がなんであるんですか」って聞いたら「都が変わったから」って返事だった。
白山のサルタヒコと合流して、川合神社。
なにわの審神者(さにわ)が現地調査につきあってくれた(ヨミガエリの旅 その4 〜 熊野・玉置 川合神社編 夢でみた、あの場所へ)けど、あんな山の中、2度と行けないって思ってた。
しかし、なんと白山のサルタヒコにその話をしたら、「ピースが揃うならいってもいい」って話が飛び出した。
そんな話は滅多にあるまい。
何かの力が働いた、とみた。
本当は翌日23日にスケジュール的にドンピシャなので壇ノ浦に夜行の船で行か迷っていたが(3月23日は壇ノ浦で平家が滅亡した日)、23日に川合神社にって、ことになっていた。
が、22日に早めに奈良に来たので、「今からいこう」。
午後なんですけど。
あそこは山の中。
あの「呼ばれた人しか行けない」っていう玉置山のさらに、「はじまりの地」。
往復5時間はかかるけど、、、。そんなことは言ってられない。
気が変わってしまったらこのキャストで出かけることは2度となさそう。
で、行った。夢でみた、あの場所へ。
part2。
波だ。
もしかしてこれは平家の紋のアゲハ蝶の羽のモチーフと相似形?
立派な玉垣。
なにわ狛犬で堺、ってキーワードをもらう。
サルタヒコ視線の考察。
あと、校倉造りの祖霊社。
直会はひとりでいつもの浜鮨。
今日の泊まりを決めてないって言ったら大将とお客さんたちが知恵を出して探してくれて、サンチェリーってペンションへ。
なんと前に飛鳥の祝戸で見た本の作者さんがオーナーだという。
崇神天皇は、ミムロ神とアマテル神を放遂したって書いてあった本。(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その3 飛鳥・纏向編(前編))
こんな本みたりとか。
お寿司屋さんでご一緒した方のご案内で談山神社。
前にも来たけど、やっぱりここがすごい(都をつなぐ旅 2(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))。
なかなか入れなかった談山神社、前回きたときも上北山村で平家の里にいっているという不思議。
大宇陀の又兵衛桜。
大宇陀は、森野旧薬園という薬草園があったり。
仁丹も、田辺製薬も、名だたる日本の薬屋さんはここに関係があるってきいた。
伊勢街道は3本あるってこととか
立花大亀和尚やジョントーラーさんというアメリカ人の最初の禅僧の話とか。
一番古い戎社って川上山若宮八幡宮の宮司さんが言っていたっていう
石津神社
八重事代主神、大己貴神、天穂日神を主祭神として、
誉田別神(応神天皇)、伊邪那美神、白山比売神、水分神、
高野神、高靇神(神石村大字市の村社六所神社の祭神で、
明治42年10月26日に合祀)を併せてお祀りし、
また境内神社には、野見宿祢神、相殿に石津王神、猿田彦神を、
天満宮には、菅原道真公をお祀り申し上げています。
そのあと、阿波のたまちゃんから、阿波の佐那河内から行ったってコメントきたけど。
人とわれ おなじ一九の おもかげを うつせしみずよ 石津川の流れ
与謝野晶子の歌碑。
楠。
今回のならはクスノキのご縁の案内だった。
石津神社を海の方に歩いていくと、石津太神社。
「流れ着いたとき」って書いてあるから、阿波から行ったっていうのはかなり正しめな指摘と思われる。
あれっきりになっていた大阪の兄さんが、わたしのSNSから「大阪にきてるんか」って「今日やったら晩飯だけおごったる」って連絡がきた。
桜井からどこに向かえばいいのかわからなかったが、実家に「時計を預かってる」って1日遅れで連絡がきて、大阪に戻らなくてはならなくなり、時間調整もかねて石津神社にいくことになるのだから、ぴたっとはまるっていうのはそういうことなのかも。
こうして「それっきり」になった人ともちゃんとやり直しの機会をもらえるありがたさ。
この後実家に時計をとりにもどって泊めてもらおうと思ったが、歓迎されてない空気だったのでそのまま最終の新幹線で東京。