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少し前に、とある有名なピアニストのお書きになった本を読んでいて、とても気になる文があり、どういう事だろう?そもそもどうしてそんなことを言うのだろう?と、ずっと疑問に思っていたことがありました。
それは、

自分にとって誰が書いた曲だろうが作曲者には興味がない、その音楽そのものに興味がある

というようなことでした。
特にその理由などは記されておらず、いともあっさりと書かれていた記憶があります。

演奏するにあたって、それを書いた作曲家の意図・背景を知り想うことは大事であるに間違いない・・・と、単純に(当たり前のように)考えていた私にとって、とても衝撃的な言葉だったのです。
そしてその音楽の魅力を引き出すための楽曲分析は、ある程度でも出来る範囲でやった方がいい。理由はそれが作曲家に対する興味や敬意を沸かせ、より精神に近づくというものだから。
・・・と、当たり前のように・・・。

いろいろ考え、時々思い悩んで、そうこうしていると、自分で知らぬ間にアンテナを張っているものなのですね、ひょんなことから「あぁ、もしかしてこういうことか。」と思える情報が入ってきたり、理路整然と語る何かに出会ったりするもので、それにより、最近 自分なりに見えてきたことがありました。


この言葉は、(ご本人はもしかしたらそれに対して意味など特にないかもしれませんが)一見、譜面主義のように見られますが、よくよく掘り下げていけば、前述のように譜面主義=作曲家崇拝という世界にならざるおえない。
演奏家たる者、それではお役目が成り立ちません。そこに存在する音楽(=作曲家が記した譜面)は、演奏の場で演奏家が奏でて初めて成り立ち、現実に生きたものとして届く。
聴く者の感動とは?
そう、作曲家の創作物に、ではなく、その奏者の発する音(声)に反応し歓喜するのです。これは明らかです。

解釈者と表現者では、まるで立場が違う。

演奏することだけ考えてみれば必ずしも、分析できている=表現できる ではない ということです。

「音への興味」
が、まずあるべきで、そこに"演奏者の"気持ちが込められ、その音色を如何にして伝えるか?
これは、
官能的な音の表現を求めていく=聴く人の耳を引き込む
という「自分の発する音(声)があって初めて演奏の場が成り立つ」 が基本としてあっての、それに纏わる練習・学び という訳です。

この、とあるピアニストは、そこをわきまえ、徹底して、表現者・ピアニストとしてのご自身の道を極め続けているが故のセリフなのだと思いました。

要するに極端な話、ドイツ音楽万歳!ベートーヴェンよ、なんと素晴らしい精神!と、いくら心の中で叫んで崇拝していても、聴く人の耳を掴み、虜にしなければ(行動を起こさなければ)、お門違い?な演奏者となるのでしょう。




官能美 > 精神美

たとえばもちろん、ベートーヴェンの音楽は皆が声を揃えて語るように素晴らしいし、崇高な精神で溢れている。
しかし私は崇拝者ではない。いや、崇拝者にはなれない、とずっと感じてきた。
楽曲分析してもソナタを思うように上手く弾けないという、能力に対する劣等感すらあった私は、ベートーヴェンの思想にまだまだ近づいていないからだ、とさえ悩んだ時期は長い。

はたして、
精神美を追求し「こんなにも素晴らしい音楽なのだ」「いいものはいい」と訴えるような演奏をして、その演奏そのものが成功したとしても、ただの押し付けではあるまいか?
まぁ、もちろんその人はそんな押し付けをするために学んできたつもりはないだろうけど。
それぞれの好みは別として、
「いいものはいい」と判断するのは演奏者ではなく、あくまでも聴衆である。

クラシック音楽の、いわゆる敷居が高い感 というのは、こういうところの壁があるからではないだろうか。


囲いをこしらえて、大事に大事に美しい精神世界を育んでいくことを、もしかしたら私たちは比較的好み、容易にできることかもしれない。日本人って勉強熱心だし、小さなお庭でも、整えられた美しい庭園を作ることが得意だ。嵐が吹き荒れたり厳しい寒さによって乱れても、耐え忍ぶことのできる強い精神が美徳である。
それが良いか悪いかではなく、
音を発する行為は、それだけではない、その先の官能的な世界の中で生き生きと実現させること。

ベートーヴェンの音楽とは・・・と語れる先生は多いけど、徹底して官能性を帯びた音作りを目指し、それを中心としたレッスンをする先生は少ないように思う。
私も例外ではない。まだまだひよっこ。
アナリーゼによって表現力を引き出すには限界がある。
講義を受けて、勉強して、それは大いに結構。しかしその時点で演奏そのものに直結するものはそこにはない。
何故なら、自分にしか感じ得ない美しい和音・メロディーの存在の自由がないから。
たくさん学んでも結局は、自分の耳をいかに官能的に使い、感覚器に伝え、ピアノで言えば、いかに豊富なタッチを研究するか、にかかっている。

いろんなものに耳を傾け、耳の体験をたくさんして、想像力を膨らませ、人の声のような美しい音を楽器から引き出そう!

耳よ、もっと開け!





















今月よりレッスンのみ下記日程で再開いたします。


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東京都福生市の拙宅(マンション 一室)でピアノ・レッスンをしております。

今のところ暫くは仙台の教室がメインであるため、月に一度の上京の際 となりますが、
ご都合が合って希望される方がいらっしゃれば、ご予約いただきレッスンを行なっています。






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JR中央青梅線・八高線・五日市線・西武拝島線「拝島駅」北口より徒歩5分





☆3月・4月レッスン予定日 

2019年 3月28,29日
             4月19〜21日
              
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