ベルガマにも古墳がある
ベルガマには3基の古墳があります。
マルテペ、ユーマテペ、タウシャンテペという名前です。
古墳というと古そうに思われるのかもしれませんが、ヘレニズム時代の墳墓で紀元前3世紀頃のものです。1900年にドイツ人たちがこの一帯を発掘し、すでに盗掘されていたそうです。
結構大きな円墳です。
3つのうちの一つには遺体が残されていたそうで60-70歳男性のものだったそうです。
金の葉の冠とニケのペンダント、三途の川の渡し賃、鉄剣、アレクサンダー大王の顔のコインなどが残されていたようです。
実は今年再び発掘調査が行われたそうなのです。アッタロス王朝の関係者の墓であったことがわかったようです。
新羅とステップロードで交易
緑の線がステップロードです。西の起点は黒海沿岸から北を通って今のトルコ-ギリシャ-ウクライナ-ロシア-カザフスタン-モンゴル-ロシア-朝鮮半島-日本です。
幾つかのルートがありますが、一般的にシルクロードはシリアからカスピ海の南を通ってペルシャを通り西安で終点ですが、さらに東の道として韓国慶州まで行くとなっています。
カザフからウクライナがスキタイ(サカ族)、モンゴル一帯が匈奴、フン族(このあたりはまだ仮説らしいですが)。フン族はフンナとも呼ばれトルコ系語族だそうです。
この遊牧民系の馬に跨って戦う民族の戦力が強力なのです。馬に馬車を付けて引かせる戦車に比べたらどれだけの機動力でしょうか。
その文化が朝鮮半島にもたらされて新羅が交易をしていたようです。結局、馬を上手に操り鉄の武器を作る技術を導入した新羅が朝鮮半島を統一しました。
そして、新羅の墳墓も円墳で、黄金の樹木冠が発掘されています。
この本は前に紹介しましたが、由水常雄さんのワクワクする書物
ローマ文化王国新羅
です。(改訂版の方が内容がさらに充実しています。)
東の終点は群馬
このステップロードの東の終点は群馬ではないかと思うのです。
前橋の古墳から発掘されたのが、こちらの冠。
出という漢字のようですが、新羅と同じ樹木冠です。
最初のペルガモンの樫の葉の冠とルーツが同じだそうなのです。
新羅をはじめとして朝鮮半島からの技術者たちが渡来して、朝廷によって群馬・埼玉・栃木に住まわせられたという記録があります。
鉄を作り、馬を飼い、養蚕をして、機を織り、瓦を焼き、そのような先進技術を使っていたようです。
実は私の家のすぐそばにも円墳があります。ここは円墳が沢山あるのです。
そして、すぐ近くの川の名前は白川。新羅の川の意味になるようです。
おそらく、古代の世界は私たちが考えているよりもずっと 国際交流をして 戦争に勝てる方法を導入し 黄金で着飾り美しく権力を持つ方法 を収集していたのでしょう。
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