岡本正
病上手の死下手
星野励温 書
•ー序にかえて
息者学の戦士
――岡本正につづけ
岡本正は若くして東洋文学を志した気鋭の青年学徒でしたが、中途にして結核を患い、結核の闘病を通じて医療・医学の諸問題に首をつきこむようになりました。これは、結核という病気が世紀の国民病であり、医者まかせにしきれない患者参加の業病であったためでした。だから、岡本正は自分の全生涯、全生活を通じて、「病気を生き抜く」必要を感じ、またそれを美事に生き抜いた男でした。
この岡本正が私どもの保健同人の旗の下に結集し参加したのは素晴らしい奇縁でした。
これによって岡本正は、新しい不動の人生を開拓し、保健同人の同志たちも岡本正に多くを学びながら、互いに同志的な研鑽を競い、また喜び合ってきました。
その岡本正は、結核との闘いでは勝利したものの、こんどは思いもよらないガンに蝕まれて、さる一月他界しました。
だが岡本正は、その最後の死の日まで、よき病人として自分を客観化し、医者の医学の立場とは別の、私たちで謂いならわしている「患者学」の立場で、病み通し、生き抜きました。
これは壮烈な戦死にも瞥えるべき、新しい医学記者の死でありました。
本書は、その岡本正の克明な闘病の記録として、岡本正の遺言のままに出版するものです。
かねてから死が迫ってくることは、岡本も覚悟をきめて待っていたことではありましたが、実際に、死と向きあってからは、心身の消耗、病気の進展もあり、彼は「時間切れ」に焦躁しました。意あまって時間足らずであったようです。だから本書は、彼の僅かに残された貴重な遺言書になってしまいました。
病床で必死になって書き綴った彼の原稿や、奥さんや速記者に与えた口述を読むと、彼の患者学的な発想や意欲が、随所に私たちに迫ってきて、「あともう半歳も彼に与えたらば」という気持が胸につかえてきて残念です。だが、それだけに彼の意あまった無念さが、私たちに別の気迫で襲って来るのを覚えます。
それだけに私たちは、いまこれを読んでくださる諸賢に、岡本正の真骨頂を、行間に深く掬みとり、味読してやっていただきたいと切にお願いしたいと存じます。
彼は、在来の医学解説や医事評論が踏みこみ得なかった患者学的な視野を医療評論の中に持ち込むことに成功しました。これは私たち保健同人の代表選手としての岡本正に心からの拍手を贈りたい点です。岡本の場合、患者の運命のトータルが、決してお医者の如何で左右されて終わるものでないことー患者をとりまくT・P・O (Time, Place, Ocasion) への深い洞察が必要だということを示唆したのが、本書巻末の秩父宮と河野一郎氏の二人の療養ルボでしょう。これは岡本正と保健同人の私たちの新しい面目を伝える作品です。私はこれを新時代の医科大学の医学概論の教材に使ってほしいと思います。(もっともこれを教材に使いこなし得る教授は少ないかもしれませんが)
こうした意味で、本書は医学・医療に志す人びと、看護・介護に従事する人びと、医療のすべての関連で立ち働く人びとに対し、直接の教科書的お役に立つでありましょうし、また、一般の国民としても、患者として医療というものを体得するために、沁み沁みとした反省を迫る金字塔となるでありましょう。
私たち保健同人の一同は、この岡本正がきりひらいた登攀口の一角を、さらに、さらに、きりひらいていき、肩車の上に肩車を組んで、健康と医療と福祉の世界に新しい展望と曙光をかちとりたい―そうした念願で一杯です。
昭和五十五年二月
保健同人主筆 大渡順二
目次
序 患者学の戦士―岡本正につづけ・大渡順二
1部
体験記―死にいたる病
痛い(53・11・11~)
順天堂大病院・検査入院/肝膿瘍の疑い/退院
今回は病名がわかっている(54・1・5~
順天堂大病院・再入院/二月の講演旅行にゆけるだろうか/退院をすすめられる/退院/右下腹にしびれ感
これが心因性の痛みなのか(54・2・8~)
順天堂大病院・脳神経内科受診/出勤/熊本・宮崎講演旅行/伊豆長岡二泊の旅/ 「痔痩ですよ」
なぜこんなに痛いのか(54・4・16~)
順天堂大病院・再々入院/光恵めずらしく早々に帰る/なぜしきりに退院をすすめるのか/退院
家族に負担をかけさせまい(54・5・15~)
入院治療を決意/都立豊島病院・入院
先生方はなにか隠しているのではないか(54・6・7~)
ハリ治療/納得しかねる点が多すぎる/「結論はあと一、二か月待ってはしい」/妄想にとらわれる
もういちど人間らしい生活に戻りたい(54・7・2~)
どうしてこう無為に過ごせるのか/退院にそなえて/退院
これも光恵への愛情かと思う(54・8・28~)
やはり丸山ワクチンだったのか/葬式の手配/私は病気上手で死に下手
締め切り日はいつなのか(54・9・12~)
安楽死について/ スモン訴訟に思う/ ハリ麻酔による生/病者のための医学/房州行き
Still living―きょう私はなお生きている(54・10・8)
弔辞ー保健同人主筆・大渡順二
弔辞ー順天堂大学消化器内科・栗原稔
弔辞ー友人代表・菅野正美
御礼ー岡本正
ガンの宣告を受けた夫と共に・岡本光恵
2部
—発病から社会復帰までー
発病まで
私の生いたち
入学試験でわかった結核
無知だった初期療養
絶対安静の八か月
転地療養の時代
浪人五年後の学生生活
保健同入社入社
一枚のはがきが結ぶ縁/創刊号と私
第二次結核療養
保生園入園と胸郭成形
九十九里武田病院
衛星病院の設置運動/思いもかけぬシュープ
再発と結核性腹膜炎
生きる意欲とストマイの援軍/ほんとうの回復へ/結核と共にある人生
十二指腸潰瘍の手術
3部
思い出の医学記事
―― 『保健同人』とともに歩んで――
保健同人社の歩みと私
「結核療養誌」から「家庭の健康誌」へ
結核療養専門誌の葬送/患者の立場でつくる雑誌/取材することの楽しさ・『暮しと健康』誕生前後
「医学記者」という肩書
医療よろず相談所/にわか仕込教の大勉強/日本正を励ます会
秩父宮の療養生活を偲ぶ
鐸々たる保健同人社の編集陣/私のはじめての仕事/秩父宮の遺体解剖/天皇家の健康管理
河野一郎の死と三時間の苦闘
― はたして最高の医療だったか―
新聞報道にもった私の疑問/大動脈瘤は予知できなかったか/寄せ集め医師団が生んだ意見の対立/酸素と輸血が生かした三時間
4部
日本の医療を考える
医療保険と患者
日本医師会を斬る
奥付
岡本正 著
病上手の死下手
〈非売品〉
昭和五十五年六月二十日発行
発行者 大渡肇
発行所 保健同人社
〒101 東京都千代田区猿楽町一・三・六
電話 東京〇三(二九二)八八四一(代)
印刷所 三喜堂印刷所
以上