『にゃんころがり新聞』 -6ページ目

『にゃんころがり新聞』

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ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑭ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

Ⅴ 神様が下さった宝物

 

 

 

 リーベリは二十一歳になっていました。
 今やリーベリは村人たちも驚いてしまうほどの力量を持った魔女に成長していました。リーベリの師匠は依然としてジュリアだけでした。正確に云えば、ジュリアが遺してくれた魔法の教科書だけでした。それを使いひとりで毎日修行を重ねてきました。でもリーベリに対しての村人たちの評判は散々なものでした。何故ならリーベリは病人を治す魔法を使えるのに、それをわざと使わないからでした。村人たちにとって、それは理不尽で訳が分からないことでした。リーベリが自分たちに意地悪をしているようにしか思えませんでした。

 

 毎日、ほとんど同じことの繰り返しでした。
 小間使いのお仕事に出掛けて、帰って来たら家事をこなし、僅かな時間で魔法の修行をする、そして綿のように疲れた身体をベッドに横たえたらすぐに朝がやって来て再びお仕事に出掛け……。
 リーベリはお仕事で稼いだお金のほとんどをケイに渡していましたので、自分の手元に残る金額は微々たるものでした。それでもケイに感謝されたことは一度だってありませんでしたし、むしろ「金額が少ない」といつも小言を云われる始末でした。

 

 今部屋の中でリーベリの傍らにはジョーニーというピエロの人形がちょこんと坐っています。ジョーニーは、赤い鼻、赤い唇、青い瞳を持ち、左目の付近にはハート型の黒い模様が入っています。
「あたしの夢は、世界一の魔法使いになることなの。もっと色んな魔法が使えるようになったら、この家を出るつもりよ。ママが生きていた頃みたいに、また楽しい生活を送りたいの」
 とリーベリが話しかけると、ジョーニーは赤い鼻をぴくぴく動かして、
「リーベリ様なら、きっとなれますよ」と云ってくれるのでした。
 ジョーニーは何時頃からか、リーベリに出来た仲間のひとりでした。村のごみ捨て場に捨てられていたのをリーベリが家に持ち帰り、埃まみれだったので水洗いし、日向ぼっこさせてきれいにしました。そうして、元々この人形には心というものがありましたので、リーベリがその心を解き放つ魔法をかけてあげたのです。現在では、歩いたり眠ったり食べたり欠伸をしたりと、ジョーニーは人間と寸分違わない動作と感情を持つようになっていました。
「もしも、あたしがこの家を出たら、ジョーニーはどうするの?」
  ジョーニーはほとんど即答しました。
「おいらも、勿論、リーベリ様とご一緒します」
  リーベリは相好を崩し、「あら。無理しなくていいのよ。あなたの好きにすればいいんだからね?」
「おいらには、もともと行く場所なんてないですから」
 部屋の隅の藁の上で黒い翼を休めていたカラスが起き上がって数歩隣にある小皿の上に屈み込みました。その小皿がカラス専用のトイレなのでした。
「ストレイ・シープ。ごめんね。起こしちゃった?」
 ストレイ・シープは閉じていた目を眠そうに開いて云いました。
「……いいえ、大丈夫です。僕はいつでも眠れますから。それよりリーベリ様の方こそ、早くお休みになられた方がよろしいのではないですか? 明日も朝早くからお仕事に行かないといけないですよね?」
「ありがとう。そうね。もうこんな時間ね。そろそろ寝ないとね」
 ストレイ・シープは寝床の藁の上に戻ると、再び身体を丸めました。ストレイ・シープは、目を閉じてしまうと鳥というよりただの真っ黒い羽根の固まりに見えました。ストレイ・シープが呼吸をするたび、黒い羽毛で覆われた身体が大きくなったり縮んだりしました。
 ストレイ・シープは、ジョーニーがリーベリの仲間になった少し後にこの部屋に居着くようになりました。或る寒い冬の日に、仲間からはぐれて道に迷い、リーベリの部屋の明り取りの下でクークー鳴いているところを暖かい部屋の中に入れてもらったのです。
 そもそもストレイ・シープはカラスのくせに方向音痴でしたので、ひとりで群れに戻ることも叶いませんでした。ストレイ・シープの身の上話を聞いたリーベリが、「いてもいいわよ」と云ってくれたので、ストレイ・シープは毎日リーベリの部屋で寝起きして、餌ももらえる身分になりました。
  はじめこのカラスには名前がありませんでした。方向音痴で大人しい子羊のようなカラスでしたので、リーベリが迷える子羊(ストレイ・シープ)と名付けました。

 

 

 

 

ー⑮ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑬ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 家に帰り着いた時には、何日も家出をしていた迷い犬のように全身汚れ、傷だらけになっていました。
 皆、寝静まっている様子です。誰もリーベリがいなくなったからといって心配して起きているものもいませんでした。せめて疲れ果てた今は、ケイに問い詰められなくてよかった、とリーベリは思いました。
 水瓶に首を突っ込んで、水を際限なく飲みました。喉が渇いて仕方ありませんでした。
 リーベリは自分の部屋に戻ると、倒れ込むように寝床に横になりました。それから昏々と眠り続けました。

 

「昨日いったい何処に行ってたのよ?」
 翌朝、寝惚け眼のリーベリの枕元にケイが立ちはだかり、キンキン頭に響く声で話しています。「具合が悪いって云うから、休ませてあげていたのに、外をほっつき歩くなんて、いったい何を考えているのよ!」
 サボってないで、さっさと起きなさい! ケイの叫び声がします。リーベリは起き上がろうとしましたが、頭がクラクラします。また熱がブリ返してきているようでした。正直このままお仕事に出掛けると、まずいことになるのは明白でしたけれど、ケイのこの血相では話が通じなさそうでした。視界が歪む中、リーベリは支度をして勤め先に出掛けました。そう気温は暑くもないはずなのに、全身汗びっしょりになりました。お邸で掃除をはじめましたけれど、なかなか帰れる時間にはなってくれませんでした。まだお皿洗いや料理など、やらなければならない仕事は山ほど残っているのです。頭がぼうっとかすんで来て、すこし意識を失ったようでした。気がつくと、目の前にお医者様がいました。
「この子ったら、昨日いちにち外をほっつき歩いて、仕事となると倒れてみたりするのよ」
 部屋の中にはケイもいましたし、伯爵の奥さんの顔も見えました。
「具合はどうかな?」と頭の毛が真っ白の、お爺さんのお医者様は云いました。
「頭が痛くて、吐きそうです」とリーベリは云いました。
「あ?」
 お爺さんのお医者様の隣にはぴったりと太った看護婦さんが寄り添っていて、リーベリの云った言葉をお医者様の耳元で復唱しました。「頭が痛くて、吐きそうだそうです!」
「ふむふむ。他には?」とお医者様は半分眠ったような顔で云いました。
「喉がヒリヒリします」
「ん?」
 お爺さんのお医者さんが眉をしかめると、また太った看護婦さんがリーベリの言葉を大きな声で繰り返しました。「喉がヒリヒリするんですって!」
「なるほどなるほど」
 お医者様は鞄の中から短い銀色の棒を取り出して来て、「はい、あ~ん」と云いました。リーベリが口を開けると、お医者様はその棒でリーベリの舌を押さえて口の中を覗き込みました。「喉が腫れているね」
 診察が終わると、お医者様はお薬を残し、ケイたちに、「しばらく安静にさせなけりゃなりませんぞ」と云って、太った看護婦さんと一緒に隣町まで帰って行きました。ジュリアが亡くなってからは、村に急患が出ると、こんなふうに隣町からわざわざお医者様が一時間以上もかけて診療にやって来なければならなくなっていました。
「先生、ありがとう御座いました」というケイの声がベッドで寝ているリーベリの耳元まで聞こえて来ました。
 夜になるとアイドリとご近所の男の人のふたりがかりで担架でリーベリを家まで運びました。途中、担架がひどくグラグラと揺れてリーベリは吐きました。

 

 

 

ー⑭ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑫ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 しつこく狙ってくる獣達に、リーベリは自分の髪の毛を一本ずつ抜いて投げつけました。髪の毛は空中で黒い光の槍に変わり、羽を持った悪魔たちの身体を貫きました。キュッと小さな悲鳴をあげて、悪魔たちはばらばらと地面に落ちました。そのようにして五、六匹をやっつけると、生き残った悪魔たちは尻尾を巻いて逃げ散りはじめました。けれどもリーベリはそれを見逃そうとせず、黒い光を次々に放って悪魔たちを串刺しにしていきました。リーベリの周囲には、黒い鼠のような死骸が幾つも転がっていました。
 黒い光の矢は、涎を垂らしていた獣にも向けられました。獣をあっけなくやっつけると、リーベリはそれだけでは満足せず、気が違ったみたいに駈け出して行って、黄色い目を持った獣たちを次々と殺していきました。その獣たちは、最初にやって来た獣が呼び寄せた仲間に違いありませんでした。何しろ、自分を食べようとしていた獣たちなのです。復讐の報いを受けて当然だとリーベリは思いました。
 あたしに楯突くと皆こうなるのよ。覚えておきなさい!
 リーベリは溢れ出すような自分の力に夢中になり、箒にまたがって風のように空を飛び回ったり、空中から無差別に光の矢を投げつけたりしました。
 黒い光の矢(元はリーベリの髪の毛一本ですが)は大人しく灌木に寄り添うように身を休めていた動物にも命中しました。それは草食系のノロジカの親子でした。ノロジカの子供は突然降って来た光に親を殺されて、いつまでもかわいそうな鳴き声をあげていました。
 リーベリは空中に浮かんでいて、その様子を見ていましたが、ふと自分の心臓が痛むのを感じました。ジュリアのおかげで、無限の力を与えられたと錯覚していましたが、それは間違いかもしれませんでした。病んだ身体に無理を重ね、相当な負担が蓄積されているように思われました。
 リーベリは家路を急ぐことにしました。
「ジュリアがくれた力が残っているうちに家に帰らないと。この力が消えてしまうと、あたし、きっと飛べなくなるわ。すこし調子に乗りすぎたかもしれないわ……」
 道のりはまだ半分近くありました。眼下には同じような景色が蜿蜒と何時果てるとも知れず続いていました。先程リーベリに殺された獣たちの仲間が虎視眈々とリーベリの力が尽きるのを待っているような気がしました。
 時間が経つごとに、全身に漲っていた無限の力がすこしずつ弱まっていきました。
 何回か、空を飛ぶ鳥とぶつかりました。
 鳥は粉々に砕けて、ぶつかった衝撃と鈍い痛みをリーベリの体に残しました。リーベリの布の服には鳥の足や羽毛がびったりこびりつきました。
 時々、左胸に激痛が走りました。そのせいでリーベリはまったく飛ぶことを中断されました。リーベリは胸の痛みが和らぐまでしばらく空中で静止して気分が落ち着くのを待たなければなりませんでした。
 目に見えて空を飛ぶ速度は遅くなっています。
 時々浮力を失って、地面に落ちそうになりました。
 ようやく村が近付いて来ました。これ以上空に浮かんでいることが苦しくなって、地面に降り立ちました。
 神々しい力はすっかり消え失せてしまいました。リーベリは痛む胸を手で押さえながら歩きました。強く打つ心臓の鼓動が、自分の耳にも聞こえてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー⑬ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑪ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

Ⅳ 不穏な力

 

 

 リーベリは闇の中をひとり飛んでいます。方向は間違っていないはずでしたけれど、ふとした瞬間にまるで見当違いの方角へ向かっているような気になることがあるのでした。
 時々水気を含んだ鳥の体に触れる冷たい感触がして身震いしました。リーベリが飛んで来た方向を振り返ると、既にその動物は何処かに去ってしまっていて、姿が見えなくなっているのでした。
 地上にはたくさんの黄色い光の目が煌煌と並んで輝いているのが見えました。おいしい獲物が落ちて来るのを今か今かと待っている野蛮な狼や憎たらしいハイエナのような動物たちが待ち伏せをしているのだとリーベリは思いました。
 エミリさえいなくなればミーシャは昔のように自分のものになる。自分にとってエミリを殺すくらいわけはない……。気がつくと、リーベリはそのような怖ろしい妄想を頭の中に抱いていました。リーベリは頭を振ってその妄想を払い除けました。
 目眩がひどくなり、どうしても飛び続けていることが出来なくなって地上に降り立ちました。少し休憩を入れよう。灌木がまばらに生えたじめじめとした地面にリーベリは腰を下ろしました。土の水分が布の服を染み通って素肌に冷たく感じられます。
 そこで目を閉じてしばらく休んでいると、リーベリはいつの間にか眠りこんでしまっている自分に気付くのでした。リーベリはやわらかい毛布にくるまれて、ふわふわのベッドの上で寝ている夢を見ていたのでした。
 眠ってはいけないと思うけれど、体が云うことをききません。疲労が払いのけられないぶよぶよの脂肪のように自分のまわりにくっついている気がします。
 動物の遠吠えが意識の隅っこで聞こえて、はっと我に返りました。獰猛な肉食獣に違いありません。ご馳走の出現に喜んでいるような吠え方です。仲間を呼び寄せるように、短く、何度も何度も吠えています。そしてその遠吠えは徐々に近付いて来ていました。
 その時敏捷な羽を持った生き物が、リーベリの鼻先をかすめました。リーベリの頬から生暖かい感触の液体がじっとりと垂れました。
すぐにひりひりする痛さが後からやって来ました。傷つけられた頬から血が流れ出ていました。
 見ると、頭上でリーベリを狙い撃ちするかのようにかなりの数の黒い影が木の枝という木の枝に逆さにぶら下がっています。それは悪魔のような名前も分からぬ動物でした。黒い羽に身を包み、ゆらゆらと風に揺れています。狂った犬のような顔に、吸血鬼に似た牙がのぞいています。
 草を踏み倒す跫音がして、音のする方へ頭を向けると、別の怖ろしい顔つきの獣が涎を垂らしてリーベリを見ながら喉を鳴らしていました。その獣はふたつの目を黄色に光らせています。
 リーベリは最後の力を振り絞るように立ち上がり、獣から逃れるため数歩行きました。けれど、リーベリが逃げようとすればするほど獣は追いかけて来て低い唸り声をあげながらリーベリとの間合いを狭めて来ます。
 リーベリは木の根を背中にして、立ち尽くしました。
 家に帰っても居場所のない自分は、いっそこのまま動物たちの餌になってしまった方がいいのかもしれない。あたしがいなくなっても、誰も悲しまない。生きることは、辛くて苦しいだけだもの。これ以上、それが続いていったい何になるというの?
 リーベリは空を仰ぎました。
 上空には果てしない闇が広がっていて、その中に一点だけ、美しく輝く月が浮かんでいました。
 空を仰いでいると、自然と涙がこぼれてきました。
 ふと気がつくと、目の前に神々しい光に包まれた人間が立っていました。最初その像は涙に滲んでいましたが、若々しく親しみ深いその女性が、次第に亡くなったジュリアその人であることが分かってきました。リーベリは吃驚して声も出ませんでした。
 ジュリアは死ぬ数週間前の姿とほとんど変わっているところがありませんでした。ジュリアは静かに話しました。
「あなたは自分の内なる秘められた力に気付いていないわ。自分の力に自信を持つのよ」
 ジュリアは手をリーベリの胸のあたりに差し伸べました。「これはあなたの中で眠っているあなたの力。私はそれを思い出させてあげているだけ……」
 今やリーベリの胸のあたりがじんじんと熱くなっているのでした。
「さあ。このまままっすぐ家にお帰り」
 ジュリアはそう云うと、微笑みの残像を残したまま消え失せてしまいました。気がつくとあとにはただ何処までも続く暗闇だけが広がっていました。もっと話したいことがたくさんあったのに。リーベリはとても残念に思いました。
 黒い羽を持った悪魔たちはリーベリの頭上を旋回し続けていました。ジュリアが触れたリーベリの胸のあたりは、まだ怖ろしいような力が漲っています。
 帰れる。
 無限の力が溢れて来て、楽しいくらいなのでした。

 

 

 

 

 

ー⑫ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑩ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 部屋の中は掃除が行き届いていて、すべてがあるべき処に収まっていて、しかも清潔でした。塵ひとつ落ちていませんでした。腕白な昔のミーシャのイメージから考えると、それは意外な感じがしました。恋人のエミリさんがいつもこの家に入り浸っていて、何から何まできれいに片付けているのだろうか。
 ミーシャは「元気にやっているのかい?」とか「今は何の仕事をしているの?」などと、しきりと話しかけてきてくれましたけれど、リーベリはただ頷いてばかりで、終いには、ミーシャも無口なリーベリの前に沈黙してしまいました。
 リーベリは自分が何しに此処まで苦労して飛んで来たのか分からなくなってしまいました。
 ミーシャにはミーシャの生活があるのだ。あたしはただのお邪魔虫だわ。あたしはミーシャにずっと会いたいと思い続けて来たのに、ミーシャはあたしが来るのを待っていてくれたわけじゃないんだわ。
 リーベリはパンに齧り付きました。
「泊まっていきなよ」とミーシャが云ってくれました。「ねえ、いいだろう? エミリ。友達がはるばる遠いところからぼくに会いに来てくれたんだ。今日はもう遅いし、これから帰ることも出来ないよ。泊まって行ってもらってもいいだろう?」
 エミリは戸惑っているふうでしたけれど、しばらくすると、「いいわよ」という短い答えが聞こえて来ました。でもそれはミーシャが強く提案したために仕方なくそう答えただけのようにも聞こえました。
 リーベリは涙がこぼれ落ちそうになりましたので、口の中のものをいそいで飲み下すと、出し抜けに立ち上がりました。「ありがとう。顔を見られて良かったわ。近くまで来たついでに寄ってみただけなの。また来るわ」なるべく冷静な口調でそう云うと、あっけに取られているふたりを残して戸口の方に向かい、立てかけてあった箒を手にしました。
 リーベリは後も見ずに家を出るとずんずん歩いて行きました。後ろでミーシャが呼んでいる声が聞こえて来ました。
 リーベリ! リーベリ!
「さよなら」とリーベリは云ったつもりでしたが、声が掠れて、うまく発音することが出来ませんでした。
 リーベリ! リーベリ!
 次第に小さくなるミーシャの声がリーベリを追いかけて来ましたが、リーベリは振り返らずに、一心に歩いて行きました。振り返ってはいけないと思いました。忘れよう。自分はミーシャのことは忘れなきゃならないわ。あそこにあたしなんて、はじめからいるべきじゃなかったんだわ。さよなら。愛しいミーシャ。
 でもリーベリは最後に一度だけ振り返りました。小さくなったミーシャとエミリの姿がぼんやり見えました。もうほんとうに会うこともないかもしれないと思うと、リーベリの目から涙が出て来ました。リーベリは、泣きながら、空に舞い上がりました。

 

 夜は底なしに暗さを増していました。
 リーベリ! リーベリ!
 ミーシャの姿はとうに見えなくなっている筈なのに、リーベリを呼ぶミーシャの声だけがいつまでも聞こえているのでした。
 月の光に照らされて、涙がきらきらと流れ星のように落ちました。
 空は見たこともないほどたくさんの星々の輝きで満ちていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー⑪ーにつづく

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑨ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 リーベリは深呼吸をして、戸口を叩きました。しばらくすると、中から女の人が出て来ました。
 その女性は不審そうにリーベリを見ていました。ミーシャの家は此処じゃなかったんだわ。リーベリはがっかりしました。けれどもこの女性が、ミーシャの家について何か手掛かりを教えてくれるかもしれないと思い、「この近くにミーシャという男の子の家はありませんか?」とリーベリは訊いてみました。すると、女性はするりと家の中へ這入って行って、代わりに戸口にもうひとりの靴音が近付いて来ました。やがて姿を現したのは、男の子でした。目を凝らして見ると、それは紛れもないミーシャでした。リーベリは嬉しくて、声を出すことも出来ないほどでした。けれども、ミーシャの方は、いったい誰がやって来たのか、すぐには飲み込めないみたいです。仕方もありません。それほどの時間がふたりの間には流れていたのです。
「リーベリかい?」やがて雷にでも打たれたみたいにミーシャは云いました。「リーベリじゃないか? いったいどうしたんだい?」
 リーベリは何も云えずに黙って立っていました。
 ミーシャは、「とにかく中に入りな」と云って、リーベリの肩を抱いて家の中に優しく導き入れてくれました。
 リーベリは手に持っていた箒を戸口に立てかけて、家の中へ這入りました。ミーシャの腕のぬくもりに接していると、何もかもが昔のままのように思えました。ミーシャと過ごした日々のことが思い出されました。
 卓子に腰掛けると、さっきの女の子がキッチンに立って紅茶を淹れてくれました。ちっちゃくて、かわいらしい目をくりくりさせている、金色の髪を持ったきれいな女の子でした。歳はリーベリと同じくらいに見えました。
 卓子の上には、パンやシチューの入った皿が並んでいました。どうやらミーシャはリーベリの突然の訪問のために食事を中断されてしまった様子でした。
 リーベリは紅茶の入ったカップを口へ持っていきました。疲労した身体の内側から癒しのあたたかさが広がっていくようでした。リーベリの向かい側にミーシャが腰掛け、その隣の椅子に金髪の女の子が坐りました。
「この子は、昔、ぼくの家にお手伝いさんとして来てくれていたリーベリっていう子だよ。とてもかわいそうな子なんだ。この子の母親がまだ若いのに亡くなって、かわりに意地悪な継母が来てしまったんだ」
「ふうん」とその女の子は云いました。
「こっちはぼくの恋人のエミリだよ」とミーシャはその女の子をリーベリに紹介しました。
 エミリは「よろしくね」とリーベリに云いました。リーベリも挨拶しました。
 リーベリはすぐに紅茶を飲み干してしまいました。テーブルの上の食事が目の中に飛び込んで来るようでした。お腹がぐうっと大きな音を立てて鳴りました。
 ミーシャと女の子が顔を見合わせました。「そうだ、お腹すいているだろう? これ、僕の分だけど、食べていいよ。来るなら来るって前もって云っておいてくれれば、夕食だって用意しておいたんだけどね」
 そう云ってミーシャはお皿を移動させてリーベリの前に置きました。リーベリは昼食も食べていませんでした。お腹の虫がぐうぐう立て続けに鳴りました。エミリというミーシャの恋人がこの夕食を準備したのだと思いました。
「どうしたんだい? リーベリ、ひどく顔色が悪いんじゃないかい?」
 リーベリは気持ちの中では笑顔でいたいと思っているのに、顔は引き攣って、額からはねっとりとした汗が溢れ出してくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー⑨ーにつづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑧ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

 ミーシャの母親と別れると、リーベリはとぼとぼと家に歩いて帰りました。
 何故ミーシャは異国の地に旅立つ時、自分にひとこと声を掛けて行ってくれなかったのだろう?
 会いたいと思い続けてきたのに、今迄一度も会えなかった。こんな毎日を送っていたら、今まで通り会えないだろうし、これからもずっと会えないに決まってる……。
  リーベリにはミーシャがどんどん自分から遠ざかって行くように思えました。
 どちらにしろ、今日一日はお休みをもらったのです。
 家で寝て過ごしても、ミーシャに会いに行っても、同じ一日に違いはありません。
 それならあたしはミーシャに会いに行こう。
 今まで一生懸命お仕事もしてきたわ。
 これくらいの我が儘なら、誰にも迷惑かけないし、いいでしょう、お義母さん?
  リーベリは心を決めると、「すこしおでかけしています。しんぱいしないでください。りーべり」と書き置きを残し、箒に跨がるや否や、空に飛び上がっていました。そして、ミーシャに会いたい一心で空を飛び続けました。途中で力尽きてしまうかもしれないことが気懸かりではありました。何しろ、元気な時ですら、今挑戦しているような長い距離など飛んだことがないのです。

 

 しばらく行くと、眼下に見渡す限りの湿原が広がって来ました。飛行が長引くにつれて気が遠くなり、何度も湿原に吸い込まれそうになりました。そのたびリーベリは自分の頬を打ち、正気を取り戻そうとしました。
「眠っちゃ駄目よ。ミーシャの家に辿り着くまでの辛抱よ」
 何とか自分を励ましながら飛びました。
 リーベリが空を飛んでいる姿を真横から見たら、リーベリの飛行がいかに上下にふらついているか分かったことでしょう。
 陽が傾きかけた頃、地上の世界は草原に変わっていました。キツネや馬や猿など様々な動物たちの姿が地上近くを飛んでいるリーベリの目からも見ることができました。
 まだ道は半ばでした。此処まで来ると、もう引き返すことは考えられなくなりました。でも、帰り道のことを考えると気が重くなるだけでしたので、今はミーシャの家まで辿り着くことだけに集中するようにしました。それ以外のことは頭の片隅にリボンで括って蓋をして置いておけばいいわ……。
 日が沈むと、気温がかなり下がってきました。
 身体は冷えて怠いのに、頭は火照って悪い夢でも見ているように視界がぐらぐらするのでした。
 もう少し。もう少し。
 何度自分に言い聞かせたことでしょう。
 ようやくミーシャの住んでいる町に着きました。
 リーベリは空から舞い降りると、通りがかりの町の人が、「魔女だ!」と叫び声を上げました。リーベリはそんな声など聞こえないように、ひたすらミーシャが住んでいるという白い小さな家を探しながら歩きました。本当のところ、リーベリはこの時倒れ込んでしまいそうなほどへとへとに疲れていたのです。
 そこはリーベリの住む村とは違って、だいぶ開けているようでした。
 往来には野菜売りが使っていたらしい屋台がありましたし、魚屋さんの看板を出したお店もありました。その他には果物屋さん、肉屋さんなども軒を連ねていました。ミーシャがよく通っている店もこの中にあるかもしれませんでした。「ミーシャの家は何処にありますか?」と肉屋のご主人に尋ねたら、「ああ、ミーシャの家はすぐそこだよ」と教えてくれそうな気がしました。
 でも、肉屋はすでに閉店していましたし、その他もほとんどが店仕舞をした後でした。
 通りには家路を急ぐ人の姿が二、三あるだけでした。
 家々には明かりが灯っていました。家の中からは幸せそうな子供の話し声が聞こえて来ました。
 リーベリは石畳の上を、ふらつく足取りを速めて、ミーシャの家を訪ねて歩きました。
 そうこうするうちに夜は更けて来て、通りは薄暗くなりはじめました。
 ミーシャの母親から教えてもらった番地や地図での位置も、あまり役に立ちませんでした。ただリーベリは白い小さな家だけを目当てに夜の闇の中を手探りで歩きました。
 ほんとうに此処がミーシャの住んでいる町なのだろうか? 自分は全く見当違いの場所に来てしまったのではないだろうか? そう思いはじめた頃、かわいらしい木製の手作りの郵便受けにNのアルファベットが彫られている三角形の家をリーベリは見つけました。白い小さな家でした。やっと見つけた。此処がミーシャの住んでいる家なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ー⑨ーにつづく

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑦ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 そう云えばすこし前、リーベリが十五歳になってすこし経った頃のことですが、こんなことがありました。
 あまりケイがリーベリのことを馬か何かのように酷使するので、普段は口を出さないアイドリが、珍しくケイに意見をしたことがありました。それはあんまり可哀想じゃないか、と。
 リーベリは居間に行こうとしていたところに、ふたりが自分のことを話している様子だったので、戸の陰に身を潜めてふたりの会話に耳をそばだてていました。
 その時のケイの怒りようといったらありませんでした。凄い剣幕で、
「あの子の存在理由は、すこしでも仕事をすることしかないじゃないの? それを止めさせるだなんて、いったいあなたは何を考えているのか、私には全く分からなくなったわ。あの子が働く手をすこしでも休めると云うのなら、私はあの憎たらしい子を、今すぐにでもこの寒空の下にほっぽり出したいくらいなのよ」
 外は食べる物もない凍りつく冬でした。吹雪が吹いている中に一時間でも立ち竦んでいると、命に関わる危険性もありました。
 アイドリはケイの怒りに恐れをなして、それ以上その話題を続けることをあきらめたように黙り込みました。
 リーベリは跫音(あしおと)を立てずにそっと自分の部屋の中に隠れました。ケイは子供たちが寝静まっていると思っていたのか、あけすけに自分の本心を晒していましたが、リーベリはすっかりその会話を聞いてしまったのでした。

 

 

 

 

 リーベリはほとんど休みもなしに働いていました。
 そんなリーベリも、或る日、高熱を出して寝込んでしまいました。
 やむなくその日のお仕事はお休みさせてもらって、自分の部屋のベッドの中で眠りました。
 何時間かぐっすりと熟睡した後、リーベリはふと目を醒ますと、身体が随分楽になっていました。
 起き上がって家の中を見回しました。誰もおらず森閑としています。
 あたたかい日差しが明り取りの外に溢れていました。ティータイムをすこし過ぎているようでした。
 再び寝床に横になって、リーベリはまんじりともしないで天井を見詰めていました。
 リーベリはミーシャと別れてから、ミーシャのことを片時も忘れた日はありませんでした。どうにかして会いたい、少しだけでもいいから話がしたい、そう思い続けてきました。
 そんなリーベリの気持ちに歯止めをかけていたのがケイの言葉でした。
 もしミーシャに会いに行ったことがケイに知れると、リーベリはこの家を出て行かなければならないのでした。
 これまでその禁止を犯す勇気も機会もなく今日まで来ましたが、ミーシャと別れてから既に二年が経っていました。
 会うのなら、今日しかチャンスはないとリーベリは思いました。
 そう思いはじめると、どうしても会いに行きたくなりました。もし見つかると、大変な罰が待っているはずでした。でもリーベリはそんなもの、もうどうでもいいと思いました。あたしが会いたい人に、会いに行くのだから。誰にもそれを止めることなんて出来ないわ。
 懐かしいミーシャ。
 リーベリは足元をふらつかせながら、ミーシャの家がある隣村まで歩いて行きました。
 道々の花々が祝福するかのように色取り取りに咲き乱れていました。
 そしてようやく教会の尖塔が見えて来ました。此処まで来るとミーシャの家はすぐそこでした。
 胸を高鳴らせながら呼鈴を鳴らすと、今十五歳になっている筈のミーシャの弟が戸口に現れました。ミーシャの弟はリーベリの姿を見ると、「こんにちわ」と云って、懐かしそうな顔をしました。ミーシャの弟はそのまま家の奥へ消えて行き、代わりに松葉杖をついた、最後に見た時より幾分老けた感じのする奥さんが姿を現しました。
「あら、……リーベリさんじゃない? こんにちわ」
「こんにちわ」
「しばらく見ない間に、すっかりきれいになったわね。幾つになったの?」
「十六歳です」
「亡くなったお母さんによく似てきたわ。あの方はとても美しい方だったもの」
「ありがとう御座います。あの、ミーシャは?」
「ああ、ミーシャね。あの子は今、この家にはいないの。勉強のために外国にいるのよ」
「外国?」
「王宮の募集してる留学第一期生の試験に合格したのよ。あの子、ろくに勉強もしてなかったのに。ついてるでしょ? 今地図を持って来るからちょっと待っててね……」
 ミーシャが住んでいるのは、此処から北東の方角にある国境を越えた異国の町でした。それは歩いて行けば数日はかかる遠い場所にありました。魔法を使って空を飛んでもいいのですけれど、そうするにはかなりの体力が必要でした。病んだ身体にはその飛行は無理でした。

 

 

 

 

 

ー⑧ーにつづく

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑥ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

Ⅲ 再会

 

 

 いちにち一日を懸命に乗り切っていくうちに、いつしか季節は移り変わっていました。
 夏は夏で村の年老いた驢馬が目を回して倒れ込み、二度と起き上がって来られないくらいの暑さでした。リーベリは隣町で水浴びをして遊んでいる子供たちを見かけるたび、ミーシャとふたりできれいな小川で遊んだことを思い出しました。
 冬は冬で井戸の水まですべて凍り付いてしまうほどの厳しい寒さです。吹雪が容赦なく吹き付ける寒い夜には、暖炉のある部屋でミーシャと一緒に卓子を囲んだ記憶が脳裏に呼び覚まされるのでした。
 リーベリは隙間風が這入って来る部屋の中で、薄い布切れ一枚に包まりながら、自力で魔法を使って灯した蝋燭の炎を見つめていました。もしも自分に魔法が使えなかったら、多分生きる気力すら失って死のうと思っていたかもしれない。橙色の蝋燭の炎は、亡くなったママのようにリーベリの冷えきった心も身体も優しく温めてくれるような気がしました。
 居間からミミとケイの笑い声が聞こえて来ました。
 日々の食事ですら、ケイはリーベリの食べる物とミミの食べる物を区別していました。
 ケイは、リーベリには粗末な食事しか与えなかったのに、新鮮な魚や肉があればいつでもミミの前に差し出していたのです。
 いつか妙な臭いのする食事の前で、リーベリがナイフとフォークも持たずに卓子の前に坐って自分の前にある皿の上の粗末な食事を見つめていると、
「食べないの?」
 とミミがリーベリに訊ねました。
 リーベリは自分の笑顔が歪むのを感じながらも、「ちょっと食欲がないのだけれど」と答えました。
 それでもリーベリが我慢をしながら、フォークを手に取り、萎びた野菜の端っこを時間をかけて咀嚼していると、それを見ていたケイが、
「リーベリさん。そんなに不味そうに食べるんだったら、無理して食べなくてもいいのよ」と云いました。
 リーベリは愕いて、「ごめんなさい」と急いで謝りましたけれど、謝ったことが余計いけなかったらしく、ケイは意地の悪い微笑を口の端に浮かべてこう云うのでした。
「あなたの顔には、私の料理が不味いって書いてあるわよ」

 

 たった今も、リーベリは自分の部屋に逃げ込むようにして這入ると、後ろ手で戸を閉め、溜息をついたばかりでした。
 居間でリーベリは魔法の教科書の勉強をしていたのです。
 魔法の教科書の中で一箇所読み方の分からない単語があり、リーベリは長い時間ひとりで首をひねって悩んでいました。
 その様子を見ていたミミがつかつかとリーベリの元にやって来て、「どうかした?」と声をかけて来ました。
 リーベリが魔法の教科書の一文を手で示しながら、「この単語の読み方が分からなくて」と話してみると、しばらくその文章に目を落としていたミミがごくあっさりと、「ああ、これはね、花崗岩って読むのよ。岩の名前よ」とすぐに教えてくれたのでした。
 そこへケイがやって来て(そもそもケイは、リーベリとミミがふたりで話をするのをあまり好まないらしく、ふたりが会話をしているとすぐにやって来て間に割って入って来る傾向があるのでした)、「何してるの? ミミちゃん」
 優しそうな声をかけるのでした。
 ミミが無邪気な笑顔を浮かべて、
「この言葉の読み方を教えてあげていたの」と答えると、
「偉いわねえ、ミミちゃん」とケイがまた大袈裟に褒めました。「学習所のおじいちゃん先生も、ミミちゃんの成績がいちばんだって、感心していたわ」
 ケイはミミに笑顔をふりまきながら、横目で一度リーベリの様子をちらっと窺うと、
「それに比べてリーベリさんは……ミミちゃんよりも年上なのにねえ……」
 こころから軽蔑したように云うのでした。
 リーベリは居たたまれない気持ちになりました。これからは居間で魔法の勉強をするのは止めようと思いました。
 すべてがその調子でした。
 何かと云うと、ケイはリーベリとミミを比較したがりました。ケイはミミのことを褒めないことはありませんでしたし、その埋め合わせに必ずリーベリのことを貶しました。
 ケイは口癖のように、「家族なんだから、仲良くしないとね」とか、「お姉ちゃんなんだから、妹を可愛がってあげてね」などとリーベリに云いました。その癖リーベリがケイに何か話し掛けても、ケイはリーベリの言葉を最後まで聴いてなどいませんでしたし、ろくに目を見て話をしようともしてくれませんでした。
 子供の頃のリーベリは、ケイの言葉を真に受けて、「あたしにも妹が出来たのだから、しっかりしないといけないわ」と自分に云い聞かせて仕事や家事に精を出していましたが、時間が経つにつれてだんだんとケイの腹の内というものが分かって来るようになりました。つまり、ケイは実の娘であるミミには無条件で両手を広げて抱きしめるような態度を示すのに、血の繋がっていないリーベリが如何に献身的に行動したとしても、ケイは自分のことを愛してくれることはないということでした。
 その結論に至ると、リーベリは自分の置かれた境遇を詛わずにはいられませんでした。
 けれども、いくら詛ってもケイと自分の関係が改善することはなさそうでしたし、その詛われたような関係が、今の自分の生活の大部分を規定するすべてなのでした。
 そこから逃れるためには、大人になるしかありませんでした。大人になりさえすれば、理不尽な扱いを受けることから自由になることが出来るのです。

 

 

 

 

 

ー⑦ーにつづく

 


 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー⑤ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 最後のお別れとなる日、五歳の妹の手をひいたミーシャは目に涙を浮かべていました。足の悪い母親以外、六人のきょうだいたちは、家の外に出てリーベリのお見送りをしました。
「リーベリのこと、ぼく忘れないよ。またいつでも会いに来てね。困ったことがあったら、きっと力になるから」
 ミーシャは云いました。
 身を切るような冷たい風が吹き抜けて行きました。そろそろ冬が本格的にはじまろうとしていました。
 二度と会えなくなるわけではないはずなのに、リーベリにはどういうわけかもう永久にミーシャと会えなくなるような気がして仕方がないのでした。
「あたしも、ミーシャのこと忘れないわ。さよなら。また会いに来るわ。きっとよ」
 ミーシャとその弟妹たちはリーベリの姿が見えなくなるまで手を振って見送っていました。リーベリは三歩歩くごとに振り向いて手を振り返しました。
 遠くの梢の方から鳥たちの悲しげに鳴く声が聞こえてきました。まるでリーベリとミーシャが引き裂かれるのを嘆いているかのようでした。
 しばらくすると、リーベリは隣町の伯爵家で小間使いとして働くことになりました。そこはN宅とは似ても似つかぬ家庭でした。主人の伯爵は四六時中気難しい顔をしていますし、伯爵の奥さんはリーベリの仕事振りに鶏のような騒々しさで口出しをしてきます。十四歳のリーベリは大人として仕事の成果を求められました。大きなお邸(やしき)の何から何までを自分ひとりでこなさなければなりませんでした。もちろんそこにはミーシャもいません。さらに、へとへとになって家に帰っても、リーベリにはまだ山のような仕事が待っていました。そんな毎日が蜿蜒といつ終わるともなく続いていったのです。
 リーベリはミーシャの家を訪れることも出来ませんでした。ケイがそうすることを禁止したからです。
「お前は私に隠れてあの家で何をしているの? あそこの不良息子とくっついて、いいことは何も起こらないわ。パパからも厳しく云って頂戴。二度とあの家とあの不良息子に近付かないって約束なさい。さもなければ、あなたはこの家から出て、何処へなりと行くがいい」
 食卓に家族四人で腰掛けていました。アイドリはケイの云うことを傍で聞いている筈なのに、まるで何も聞こえないかのように沈黙していました。いつもリーベリはアイドリを見ると何故ケイと再婚したのかよく分からなくなりました。まるでアイドリはケイのことを愛していないのに仕方なく結婚してしまったように見えるのでした。
 リーベリはケイにそう云われて、いっそこの家から出て行きたいくらいでした。でもそうすると、これから先どうやって生活していけばいいのでしょう? 寝る場所もありませんし、食べる物もすべて自分で何とかしなくてはならないのです。ミーシャを頼っていこうかしら? そうも思いましたけれど、そんなことをすればミーシャが迷惑することになります。所詮、リーベリはまだ子供でした。ひとりで生きていけるほど魔法の実力にも自信があるわけではありません。大人たちがどんなに理不尽でもリーベリは自分の力だけでは何ひとつ自立出来ないのでした。早く大人になりたいな。リーベリは元は物置部屋だった自分の部屋の明り取りから見える暗闇を見上げて思いました。大人になりさえすれば、何から何まで自由なのに。
 この部屋は去年リーベリにあてがわれたもので、物置部屋の名残で、バケツやらモップやら箒やらロウソクやトイレのペーパーやら雑巾などがうずたかく部屋の隅に積み重ねられていました。窮屈な部屋でしたが、此処は唯一リーベリがひとりになれる安息の場所なのでした。
 その部屋から幾星霜もの星の輝きが見えました。その光が部屋の中に降り注いで来ては小さく弾けて消えていきました。

 

 

 

 

 

 

ー⑥ーにつづく

 

 

 

 

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