やほ! ご無沙汰しちゃいました。
プラハを出てベルリンに来て以来、なんでもかんでも、きっかり、しっかり、かっちり動いています。さすがドイツ品質です。
でね、今日トラムに乗ってベルリンの街を探検している時に「ビールで動く車」を発見したんだ。いやホント。とっさの事で、カメラをバッグから取り出す時間が無かったのがすっごく残念なんだけど、この印象が薄れない内に記事にしておこうと思ってさ。
*****
もちろん運転手は居る。たぶん運転手はシラフなんだろうな。この国の道交法とか厳しそうだし。運転手の前には当然だけどハンドルがあって、そしてその前にはビア樽がある。
運転手の後ろの荷台のところには、と言うか荷台じゃなくてそこが本体なんだけど、進行方向に沿って2列のカウンターがあるんだ。カウンターの外側には1列に6つスツールがあって、つまりお客は12人までってことなんだね。
2列のカウンターの間をウェイターが行き来して、 カウンター備え付けてあるビアサーバーから客にビールを提供するってワケ。
客のスツールの足下にはペダルがあるんだよ。
つまり客がビールを飲みながら漕げるワケだね。いや漕げるというよりも、漕がなくちゃ車は前に進まないワケなんだけど。つまりこの車は、ビールを飲んだ勢いでペダルを漕ぐ、その力で進んでいるんだね。
うーん。ボク的には微妙だな。
そりゃ最初の内はいいよ。漕げば漕ぐほど風が気持ちいいだろうし、ビールを飲みながらベルリンの街を見て回るのは楽しいだろうな。何たって飲み始めはパワーが余っている。でも、だんだんと酔いが回って来て、ビールはOK、風もOK、景色もOK、でも漕ぐのはNGってな状況になったら、どうするんだろう……
それにビールにトイレはつきものだろ? この車にはトイレは付いてないみたいだし。ボクに取っては命取りだ。
写真は撮れなかったけど、サイトを発見した。 ●ここ
*****
ボクが感じたこの街のドイツ品質ってのは、つまりホテルのバスルームの扉を閉めると「バフッ!」ってな高級車の扉を閉めた様な音がしたり、トラムやバスまで時刻表通りに来たり、駅ビルの中にSZEX SHOP(ハンガリー語 ●ここ)があったりすることで、なんだかちょっと息苦しいかもって最初は思っていたんだけどね。
でも、しばらく滞在してベルリンはすっごく印象のいい街になった。
トラムやバスや電車のつながりが分かって来るにつれて、すごく自在に動ける気がして来た。停留所に近づくトラムに向かって、路線番号をちらっと確認してダッシュして飛び乗ったりすると、あ、ボクはこの街にだんだん慣れて来てるなって思う。
でも、そんな街とも明日でお別れ。
ベルリン最後の食事をホテル近くのレストランのテラス席で食べていると、隣のマーケットの前のベンチに座った老人がハモニカを吹いている。曲は「Time To Say Goodbye」
泣かせるじゃないか。
そう思って聴いていると、彼は時々音を外す。せっかく心の中で一緒に歌っているのに、その度に「あちゃぁ」って思うじゃないか……
そこのところはぜひドイツ品質で、ビッテ!
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本日は、ウーべーべー(ÖBB)オーストリア連邦鉄道をご利用下さいましてありがとうございます。ハンブルク・アルトナ駅行きユーロシティ172便は、ただいまウィーン・マイトリング駅を31分遅れで出発いたしました。皆様にご迷惑をおかけしていることをお詫びいたします。この遅れを取り戻しますよう最善を努めて参りますので、どうぞご了承下さい。
*****
ども!なつむぎです。旅が順調に進んでいると、ブログに書く事が無くて困るね。
ここらで、なんかトラブルでも起きないかな。でも深刻なトラブルやイヤだな。どうにかこうにか切り抜けられた、あぁだから旅は楽しいなってな、その位のトラブルは無いものだろうか。
そんな気分の時にようやく列車が遅れてくれました。
ボクの乗る列車は、イタリア、スロベニア国境近くのオーストリアの町フィラッハを朝の5時26分に出発して、ドイツの港町ハンブルクに夜の9時48分に到着するという、長距離を走る列車なんだ。ボクはウィーンからプラハまでのほんの5時間弱乗るだけなんだけどね。
こういう長い距離を走る列車が一度遅れ始めると、遅れが遅れを呼び、気がつくと雪だるま的に遅れてしまうのが普通なんだな。以前、アルジェリアのコンスタンティーヌからチュニジアのチュニスまで列車で移動した時は、最初の30分の遅れが最後には12時間の遅れにまで成長した程だもの。
列車が遅れる。乗り換えが間に合わない。次の街に行けない。予約してあるホテルに連絡をして、今晩泊まる宿を確保しなくちゃならない。
そんな具合になるのかなって思っていたら、定時より3分遅れでプラハに着いた。本当に遅れを取り戻しちゃったんだ。
書く事がないんで、順調だって記事を書いちゃいました。
それにそもそも、ボクには乗り換えがなかったんだけど。
*****
土曜日の今日、プラハの郊外で行われている蚤の市に行って、そこで小さなかわいらしい本を1冊買ったんだ。
日用雑貨や、錆びた工具や、すり減ったタイヤや、古着や、エロDVDや、フルーツと野菜や、共産主義時代の身分証明書や、そんなものに交じって時々古本や絵葉書を売っている人がいるんだけど、ボクが買ったそのかわいらしい本の店のご婦人は、なんとも迫力あるご婦人だった。
アバズレ続けてもう半世紀(年齢1桁の少女時代は除く)、あたしゃ世の中の悪いところを全部見てきたのさ。
そんな感じのご婦人でね。人生の辛苦が顔のシワにしっかりと刻み込まれている。服装がまた目立っていて、ヒョウ柄のスパッツに、色違いのヒョウ柄のミニスカート。アッパーは陽光にキラキラと光る生地のタンクトップ。しっかりと描かれた濃いアイシャドウと口紅。全体が醸し出すムードは、威厳をすら感じさせる老娼婦って感じなんだな。
ところが彼女が売っている本は、ほとんどが可愛い絵本なんだ。だから声をかけることが出来たのかなぁ。そうじゃなかったら「坊やは大人になってからおいで」って言われそうなムードだったよ。
電卓のボタンを交互に押しながら、ちょっとだけ値引きをしてもらって、それでも彼女にしては上手い具合に高く売りつけてやったって思える程度の値段で折り合いを付けて買ったその本には、押し花が残ったままだった。
1923年の本なんだけど、いったい何時の押し花なんだろう。
去年このマーケットに来た時には、共産主義時代のマッチのラベルのコレクションを売っている夫婦が居て、そのデザインがとても面白かったのだけど、残念ながらそういうのを今回見つけることはできなかった。
誰かが自分の楽しみのためにコレクションして、でもいつかそれに飽きて、あるいはそのコレクションを受け継いだ人には興味が無くて、蚤の市に出て来たようなものは面白い。雑多だけれど、そのなかにとても面白いデザインのものがある。
そう言えば小学生の時、ボクは牛乳のフタを集めるのが好きだったっけな。まるで合挽肉のような「牛ブタ」集めは当時クラスで流行っていて、夏休みに親の出身地で飲んだ珍しい牛乳のフタなんかを、2学期の初めには友人と自慢し合ったり、交換したりした。
ところが高学年のある時に、急に興味を失ってしまったんだ。百種類くらい集めた牛乳のフタを、あっさりと捨ててしまった。
こんなガラクタだらけの蚤の市なんだから…… あれをここに持って来て売っていれば…… きっと今晩ビアホールで楽しめるくらいの金にはなったんだろうな、って思うとなんだか懐かしい気分がしてね。
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ども!なつむぎです。旅が順調に進んでいると、ブログに書く事が無くて困るね。
ここらで、なんかトラブルでも起きないかな。でも深刻なトラブルやイヤだな。どうにかこうにか切り抜けられた、あぁだから旅は楽しいなってな、その位のトラブルは無いものだろうか。
そんな気分の時にようやく列車が遅れてくれました。
ボクの乗る列車は、イタリア、スロベニア国境近くのオーストリアの町フィラッハを朝の5時26分に出発して、ドイツの港町ハンブルクに夜の9時48分に到着するという、長距離を走る列車なんだ。ボクはウィーンからプラハまでのほんの5時間弱乗るだけなんだけどね。
こういう長い距離を走る列車が一度遅れ始めると、遅れが遅れを呼び、気がつくと雪だるま的に遅れてしまうのが普通なんだな。以前、アルジェリアのコンスタンティーヌからチュニジアのチュニスまで列車で移動した時は、最初の30分の遅れが最後には12時間の遅れにまで成長した程だもの。
列車が遅れる。乗り換えが間に合わない。次の街に行けない。予約してあるホテルに連絡をして、今晩泊まる宿を確保しなくちゃならない。
そんな具合になるのかなって思っていたら、定時より3分遅れでプラハに着いた。本当に遅れを取り戻しちゃったんだ。
書く事がないんで、順調だって記事を書いちゃいました。
それにそもそも、ボクには乗り換えがなかったんだけど。
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土曜日の今日、プラハの郊外で行われている蚤の市に行って、そこで小さなかわいらしい本を1冊買ったんだ。
日用雑貨や、錆びた工具や、すり減ったタイヤや、古着や、エロDVDや、フルーツと野菜や、共産主義時代の身分証明書や、そんなものに交じって時々古本や絵葉書を売っている人がいるんだけど、ボクが買ったそのかわいらしい本の店のご婦人は、なんとも迫力あるご婦人だった。
アバズレ続けてもう半世紀(年齢1桁の少女時代は除く)、あたしゃ世の中の悪いところを全部見てきたのさ。
そんな感じのご婦人でね。人生の辛苦が顔のシワにしっかりと刻み込まれている。服装がまた目立っていて、ヒョウ柄のスパッツに、色違いのヒョウ柄のミニスカート。アッパーは陽光にキラキラと光る生地のタンクトップ。しっかりと描かれた濃いアイシャドウと口紅。全体が醸し出すムードは、威厳をすら感じさせる老娼婦って感じなんだな。
ところが彼女が売っている本は、ほとんどが可愛い絵本なんだ。だから声をかけることが出来たのかなぁ。そうじゃなかったら「坊やは大人になってからおいで」って言われそうなムードだったよ。
電卓のボタンを交互に押しながら、ちょっとだけ値引きをしてもらって、それでも彼女にしては上手い具合に高く売りつけてやったって思える程度の値段で折り合いを付けて買ったその本には、押し花が残ったままだった。
1923年の本なんだけど、いったい何時の押し花なんだろう。
去年このマーケットに来た時には、共産主義時代のマッチのラベルのコレクションを売っている夫婦が居て、そのデザインがとても面白かったのだけど、残念ながらそういうのを今回見つけることはできなかった。
誰かが自分の楽しみのためにコレクションして、でもいつかそれに飽きて、あるいはそのコレクションを受け継いだ人には興味が無くて、蚤の市に出て来たようなものは面白い。雑多だけれど、そのなかにとても面白いデザインのものがある。
そう言えば小学生の時、ボクは牛乳のフタを集めるのが好きだったっけな。まるで合挽肉のような「牛ブタ」集めは当時クラスで流行っていて、夏休みに親の出身地で飲んだ珍しい牛乳のフタなんかを、2学期の初めには友人と自慢し合ったり、交換したりした。
ところが高学年のある時に、急に興味を失ってしまったんだ。百種類くらい集めた牛乳のフタを、あっさりと捨ててしまった。
こんなガラクタだらけの蚤の市なんだから…… あれをここに持って来て売っていれば…… きっと今晩ビアホールで楽しめるくらいの金にはなったんだろうな、って思うとなんだか懐かしい気分がしてね。
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小学校の時、ハンガリー人はヨーロッパの中にあってアジア系の民族で、話す言葉もアジア系。でも白人との混血進んですっかり血が「まじゃって」いるから、彼らは自分らのことを「マジャール」って呼ぶ。
ま、そんな風に社会の先生に教わったワケだね。ハンガリー人が名前は姓+名の順番だってのにもなんか近しいものを感じたけれど、その後、バルトークとベラとどっちが名前なんだ? ゾルタンとコダーイはどうなんだ? ってこの問題はしばらく解決されないままでいた。
*****
実際に来てみると、ハンガリー人の風貌にアジア系の痕跡をみつけることは出来ないし、今ではボクらが思うようなアジア系民族であるとは考えられていないようだね。でもハンガリー語は、確かにヨーロッパで話されている他の多くの言葉(インド・ヨーロッパ語族)と大きく異なっていて、だから旅行をしていて看板や標識を見ても、見当付かない感が強いんだ。
綴りと発音のルールを覚えてないからいけないんだけれど、トラムの停留所の名前を見て発音の見当を付けていても大抵間違ってて、次の停留所のアナウンスが聞き取れることはない。
そんな中でも、時に見て分かる単語がある。たとえば「busz」ね。
なんか、蜂がブンブン言ってる感じもしないでもないけど、これはバス「bus」のこと。
あ、そうなんだ「z」が付くんだってちょっと興味が出て来た。ハンガリー語では「s」は「シャ」行の音で、「サ」行の音は「sz」で表すんだそうだ。なるほど。なるほど。
調べるてみると、 saxophone は szaxofon だし、 tennis は tenisz だし、soda は szóda だった。
興味を持つと、看板を見るのもちょっとだけ楽しくなる。
そんな時に見つけた看板がこれ。
なんか、ちっともエロい感じがしないんだな。
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ボクが泊まってる宿の近くには、けっこうこの手の施設が多いんだ。いや、そういう場所を選んだワケじゃないんだよ。朝ご飯を食べに行った店を出てみたら、その店の隣も、その向かいもストリップのお店だった。ま、朝だからね。営業はしてなかったけどね。
看板は、SZTRIP じゃなかった。
ま、そんな風に社会の先生に教わったワケだね。ハンガリー人が名前は姓+名の順番だってのにもなんか近しいものを感じたけれど、その後、バルトークとベラとどっちが名前なんだ? ゾルタンとコダーイはどうなんだ? ってこの問題はしばらく解決されないままでいた。
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実際に来てみると、ハンガリー人の風貌にアジア系の痕跡をみつけることは出来ないし、今ではボクらが思うようなアジア系民族であるとは考えられていないようだね。でもハンガリー語は、確かにヨーロッパで話されている他の多くの言葉(インド・ヨーロッパ語族)と大きく異なっていて、だから旅行をしていて看板や標識を見ても、見当付かない感が強いんだ。
綴りと発音のルールを覚えてないからいけないんだけれど、トラムの停留所の名前を見て発音の見当を付けていても大抵間違ってて、次の停留所のアナウンスが聞き取れることはない。
そんな中でも、時に見て分かる単語がある。たとえば「busz」ね。
なんか、蜂がブンブン言ってる感じもしないでもないけど、これはバス「bus」のこと。
あ、そうなんだ「z」が付くんだってちょっと興味が出て来た。ハンガリー語では「s」は「シャ」行の音で、「サ」行の音は「sz」で表すんだそうだ。なるほど。なるほど。
調べるてみると、 saxophone は szaxofon だし、 tennis は tenisz だし、soda は szóda だった。
興味を持つと、看板を見るのもちょっとだけ楽しくなる。
そんな時に見つけた看板がこれ。
なんか、ちっともエロい感じがしないんだな。
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ボクが泊まってる宿の近くには、けっこうこの手の施設が多いんだ。いや、そういう場所を選んだワケじゃないんだよ。朝ご飯を食べに行った店を出てみたら、その店の隣も、その向かいもストリップのお店だった。ま、朝だからね。営業はしてなかったけどね。
看板は、SZTRIP じゃなかった。
前回の記事でちらっと触れたけど、モンテネグロのバールとセルビアのベオグラードを結ぶバール鉄道は、欧州屈指の景勝路線って言う割にはボク的にはそうでもなくて、なんといっても11時間ってのは長く退屈でね。
まぁ、アドリア海に面する街から内陸のベオグラードに向かう妥当なルートはそうないからさ。しかた無いんだけどさ~
で、その後、2つ列車に乗ったのでご報告だよ。
1 ベオグラードからブダペストまで
別に特に見所があるって鉄道でもないんだ。だから「1等」個室寝台をとってみた。ヨーロッパで1等車ってのに乗るの、始めてなんじゃないかなぁ。意外と安かったから乗るつもりになったんだけどね。
夜10時10分発の列車は2時間くらい前にはベオグラード本駅の1番線に入線していて、それを知っているってことは2時間前にはボクは駅で列車を待っていたってことなんだけど、牽引する機関車を待って暗いホームに寄り添うように5台の車両が停まっていた。
もっと長い列車を想像していたから、ちょっと拍子抜けしたよ。
ハンガリーの車両とセルビアの車両の混成なんだけど、座席の車両も簡易寝台の車両も、エアコン付きの清潔感のある新型の車両だった。ところがボクの乗る寝台車両だけ、ひときわ目立って古かった。ボロかった。小汚かった。そしてその上、車体には落書きがされたままだった。
いや、そりゃ古いよ。だけど中はきっと居心地が良く整えられていて「1等」車に相応しい快適な列車の旅が出来るはずだよ。歴史のあるホテルのようなものだよ。老舗の料亭のようなものだよ。古くても丁寧に磨かれた調度品は、気品があって美しいものさ。
ボクは2時間、そういう夢を見ていたんだな。
こいつがどのくらいポンコツかについては、いろいろ書きたい事はあるんだけど、書き出すときっと止まらない。だから2つだけ書く。
まずカーテンがタダのグレーの布切れ。丈夫そうだけど味がない清掃員の制服に使いそうなやつ。窓の上側の左右に頭を5ミリくらい出してビスがとめてある。一方グレーの布切れには丁度ビスの位置に合うように2カ所穴があけられている。この穴なんだけど、ちゃんとボタンホール状にステッチ仕上げになってるとかじゃないんだ。ただ破いてあるだけ。適当に穴を開けただけ。で、これを利用して窓に布をたらすようになっている。
そしてベッド。個室だけどベッドは上下2段あるのね。シングルで利用する時は上段のベッドを収納する様になっている。ところがこいつがちゃんと収納できない。壁面に収めてラッチで飛び出さないように固定するはずなんだけど、ラッチがバカになっていてベッドは斜めに飛び出している。いつ上段のベッドがすっかり飛び出して来るのかってヒヤヒヤもんさぁ。巨体の車掌に言ってみたけどノープロブレムって言うだけで、相手にしてくれないんだ。
で、その車掌が、列車が走り出すとすぐに部屋をノックして来た。扉を開けるとすぐに巨体を部屋に押し込んできた。部屋に入って来るなり中にあった鉄の棒を握る。そして扉を閉める。
あ、ボク犯されるかも。
一瞬恐怖がよぎったね。今、大声を出した方が良いのだろうか? ってね。
巨体の彼が説明するに、この鉄道はとってもデンジャラスでありまして、ってかお前の方がデンジャラスだと思ったよ。あ、これは誤解だったワケだけど、で、あんたがもってる大切なドキュメントとか取られるといけないので、寝る前には、こうやって、あ、上手くいかんぞ、ここをこうして、えっとガチャリンコ、そうそう、こういう風にカンヌキをしなさいよ。
ではおやすみなさい。
ポンコツ車両だけじゃなくて、泥棒列車だったとは。
2 ハンガリー子供列車
今日はあれやこれややらなきゃならない事が終わっても、まだ時間が残っていてね。だからブダペストの子供鉄道に乗って来た。
子供鉄道ってのは、ブダペストの西側の丘と言うか、山というか、森と言うか、その中を走るハンガリー国有鉄道の路線なんだ。セーチェーニヘジュ駅とヒューヴェシュヴェルジュ駅との間11.2kmを結ぶちゃんとした鉄道なんだよ。で、この路線は、主な業務を小学生高学年から中学生くらいの子供達が運営している。
駅で切符を売っているのも、列車の中で検札に来るのも、駅の出発時に安全の確認をするのも、次の駅名を乗客に伝えるのも、みんな制服の子供達なんだ。
いやぁ、なんとも可愛い。
そして列車は晴れ渡った空の元、森の中の単線路線を時速20キロくらいで走る。窓がなく屋根だけの車両には、ピクニックの親子連れが多くてね。気持ちの良い風とほのぼのとした雰囲気の、なんとも愉快な45分間だった。
↑ どうか、ロリコンで制服フェチの鉄ちゃんがこの鉄道に集まったりしませんように!
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まぁ、アドリア海に面する街から内陸のベオグラードに向かう妥当なルートはそうないからさ。しかた無いんだけどさ~
で、その後、2つ列車に乗ったのでご報告だよ。
1 ベオグラードからブダペストまで
別に特に見所があるって鉄道でもないんだ。だから「1等」個室寝台をとってみた。ヨーロッパで1等車ってのに乗るの、始めてなんじゃないかなぁ。意外と安かったから乗るつもりになったんだけどね。
夜10時10分発の列車は2時間くらい前にはベオグラード本駅の1番線に入線していて、それを知っているってことは2時間前にはボクは駅で列車を待っていたってことなんだけど、牽引する機関車を待って暗いホームに寄り添うように5台の車両が停まっていた。
もっと長い列車を想像していたから、ちょっと拍子抜けしたよ。
ハンガリーの車両とセルビアの車両の混成なんだけど、座席の車両も簡易寝台の車両も、エアコン付きの清潔感のある新型の車両だった。ところがボクの乗る寝台車両だけ、ひときわ目立って古かった。ボロかった。小汚かった。そしてその上、車体には落書きがされたままだった。
いや、そりゃ古いよ。だけど中はきっと居心地が良く整えられていて「1等」車に相応しい快適な列車の旅が出来るはずだよ。歴史のあるホテルのようなものだよ。老舗の料亭のようなものだよ。古くても丁寧に磨かれた調度品は、気品があって美しいものさ。
ボクは2時間、そういう夢を見ていたんだな。
こいつがどのくらいポンコツかについては、いろいろ書きたい事はあるんだけど、書き出すときっと止まらない。だから2つだけ書く。
まずカーテンがタダのグレーの布切れ。丈夫そうだけど味がない清掃員の制服に使いそうなやつ。窓の上側の左右に頭を5ミリくらい出してビスがとめてある。一方グレーの布切れには丁度ビスの位置に合うように2カ所穴があけられている。この穴なんだけど、ちゃんとボタンホール状にステッチ仕上げになってるとかじゃないんだ。ただ破いてあるだけ。適当に穴を開けただけ。で、これを利用して窓に布をたらすようになっている。
そしてベッド。個室だけどベッドは上下2段あるのね。シングルで利用する時は上段のベッドを収納する様になっている。ところがこいつがちゃんと収納できない。壁面に収めてラッチで飛び出さないように固定するはずなんだけど、ラッチがバカになっていてベッドは斜めに飛び出している。いつ上段のベッドがすっかり飛び出して来るのかってヒヤヒヤもんさぁ。巨体の車掌に言ってみたけどノープロブレムって言うだけで、相手にしてくれないんだ。
で、その車掌が、列車が走り出すとすぐに部屋をノックして来た。扉を開けるとすぐに巨体を部屋に押し込んできた。部屋に入って来るなり中にあった鉄の棒を握る。そして扉を閉める。
あ、ボク犯されるかも。
一瞬恐怖がよぎったね。今、大声を出した方が良いのだろうか? ってね。
巨体の彼が説明するに、この鉄道はとってもデンジャラスでありまして、ってかお前の方がデンジャラスだと思ったよ。あ、これは誤解だったワケだけど、で、あんたがもってる大切なドキュメントとか取られるといけないので、寝る前には、こうやって、あ、上手くいかんぞ、ここをこうして、えっとガチャリンコ、そうそう、こういう風にカンヌキをしなさいよ。
ではおやすみなさい。
ポンコツ車両だけじゃなくて、泥棒列車だったとは。
2 ハンガリー子供列車
今日はあれやこれややらなきゃならない事が終わっても、まだ時間が残っていてね。だからブダペストの子供鉄道に乗って来た。
子供鉄道ってのは、ブダペストの西側の丘と言うか、山というか、森と言うか、その中を走るハンガリー国有鉄道の路線なんだ。セーチェーニヘジュ駅とヒューヴェシュヴェルジュ駅との間11.2kmを結ぶちゃんとした鉄道なんだよ。で、この路線は、主な業務を小学生高学年から中学生くらいの子供達が運営している。
駅で切符を売っているのも、列車の中で検札に来るのも、駅の出発時に安全の確認をするのも、次の駅名を乗客に伝えるのも、みんな制服の子供達なんだ。
いやぁ、なんとも可愛い。
そして列車は晴れ渡った空の元、森の中の単線路線を時速20キロくらいで走る。窓がなく屋根だけの車両には、ピクニックの親子連れが多くてね。気持ちの良い風とほのぼのとした雰囲気の、なんとも愉快な45分間だった。
↑ どうか、ロリコンで制服フェチの鉄ちゃんがこの鉄道に集まったりしませんように!
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ども!
モスタルで博物館に泊まってから、あれやこれやあって、今はセルビアの首都ベオグラードに居ます。あれやこれやについてはいずれ書きたいこともあるんだけれど、要約するとこんな感じ。
1 モスタルからドブロヴニク(クロアチア)に
ドブロヴニクってのは、他のアドリア海沿岸の古い街と同じようにヴェネツィアの植民都市だった所だって思ってた。違うのね。ラグーサ共和国って国で、ヴェネツィアとアドリア海で覇を競っていたらしいんだ。その辺りの歴史的な「なんだかんだ」があって、ドブロヴニクはクロアチアの飛び地になっている。アドリア海沿いにバスで進むと、途中ネウムって言うボスニア・ヘルツェゴビナ領の街を通過するんだ。でも、ちらっと係員がパスポートを見るだけ。スタンプ欲しいのにな。
2 ドブロヴニクからコトル(モンテネグロ)に
コトルはヴェネツィアの植民都市だったところ。複雑に内陸に入り込んだコトル湾の奥の奥にひっそりとある中世の街で、湾には橋がかかってないからバスはぐるっと湾に沿って回り込んでいかなくちゃならない。城壁に囲まれた旧市街は、1時間もあれば散策しきっちゃうくらい小さくて愛らしい。ドブロヴニクのレストランがすっかり観光地価格だったのに対して、ずっとフレンドリーな価格だったよ。ビールもね。
3 コトルからバール(モンテネグロ)へ そしてバール鉄道でベオグラードへ
アドリア海側の街からベオグラードに抜けるのにどのルートを取るべきか迷ってた時、バールという港町とベオグラードを結ぶ鉄道(バール鉄道)がヨーロッパ屈指の景勝路線だって話を聞いて、そういうことなら始発のバールから乗ってやろうじゃないかと思いついてバールに泊まることにした。でもこれは失敗!
バール到着の日、街の南の外れにあるバスターミナルから街の北の外れにあるホテルまで街の様子をうかがいながら歩いて行ったんだけど、日曜日のせいか、日中の暑さのせいか、人気がない。活気のある街並がない。なんかテンションがどーんと下がっちゃったから、気付け薬にビールを購入。うひひ、安い。
バール鉄道は、全線476kmを11時間もかけて走るんだ。昔は7時間だったらしいんだけど、保線状態が悪くてスピードが出せないらしい。モンテネグロ語だか、セルビア語だか、あるいはクロアチア語だか(ほとんど方言程度の差しかないらしいけど)ボクには分からない言葉しか話さない窓口の女性に、ジェスチャーとテレパシーと笑顔とメモとでチケットを購入。期待で張り裂けんばかりになって乗り込んだけど、やっぱり11時間は長いな。90分程度のダイジェスト版にして欲しかったよ。それに50分延長のサービスまで付けてもらっちゃって、夜の8時50分。無事ベオグラード到着です。
トマス・クックの時刻表では食堂車が付いているはずなのに、コーヒーとコーラしか出さない車両が付いていただけ。途中、時間が余ってしかたがない。しかたがないから、地球の歩き方を精読した。ベオグラードの地図に誤植が多すぎです。
*****
さて、そうして到着したベオグラードは、居心地が良い街です。
朝目覚めて、まずは銀行のATMを襲撃して10,000ディナール(約9,000円)を調達し、次の街までの列車のチケットを購入し、地図をホテルに忘れて来たのに気付いたんだけど、まぁ適当に歩いて土地勘を身につけるかなと歩き出すと、13年前のコソボ紛争の時にNATO軍に空爆されたビルがそのままになっていて、その後ベオグラードの目抜き通りを散策して、そうだサヴァ川とドナウ川が合流するあたりにある、なんたら公園にまで行ってみようと思いついたんだけど、その公園の名前がどうも上手く思い出せない。
「金くれ団」公園じゃなくて、「隠れメダム」公園じゃなくて、えっと何だっけ? 地球の歩き方の地図にあった名前は、当てにならないと思って真面目に覚えていなかった。
誰かに聞くにしても、名前がはっきりしないと聞きにくいな。
そういえば旅も長く続いて、疲れもじんわりと背中のあたりに溜まっている。ここらで指10本が全部親指みたいな力強いマッサージ師が来て、身体中揉み解してもらったらすっごく気持ちがいいだろうな、なんて考えて、そっか疲れているんだ。じゃ、ホテルでちょっと一休み。なんたら公園へは夕方涼しくなってから行こう。
そういういきさつでホテルで休憩中です。
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公園の名前は「カレメグダン」が正解。
モスタルで博物館に泊まってから、あれやこれやあって、今はセルビアの首都ベオグラードに居ます。あれやこれやについてはいずれ書きたいこともあるんだけれど、要約するとこんな感じ。
1 モスタルからドブロヴニク(クロアチア)に
ドブロヴニクってのは、他のアドリア海沿岸の古い街と同じようにヴェネツィアの植民都市だった所だって思ってた。違うのね。ラグーサ共和国って国で、ヴェネツィアとアドリア海で覇を競っていたらしいんだ。その辺りの歴史的な「なんだかんだ」があって、ドブロヴニクはクロアチアの飛び地になっている。アドリア海沿いにバスで進むと、途中ネウムって言うボスニア・ヘルツェゴビナ領の街を通過するんだ。でも、ちらっと係員がパスポートを見るだけ。スタンプ欲しいのにな。
2 ドブロヴニクからコトル(モンテネグロ)に
コトルはヴェネツィアの植民都市だったところ。複雑に内陸に入り込んだコトル湾の奥の奥にひっそりとある中世の街で、湾には橋がかかってないからバスはぐるっと湾に沿って回り込んでいかなくちゃならない。城壁に囲まれた旧市街は、1時間もあれば散策しきっちゃうくらい小さくて愛らしい。ドブロヴニクのレストランがすっかり観光地価格だったのに対して、ずっとフレンドリーな価格だったよ。ビールもね。
3 コトルからバール(モンテネグロ)へ そしてバール鉄道でベオグラードへ
アドリア海側の街からベオグラードに抜けるのにどのルートを取るべきか迷ってた時、バールという港町とベオグラードを結ぶ鉄道(バール鉄道)がヨーロッパ屈指の景勝路線だって話を聞いて、そういうことなら始発のバールから乗ってやろうじゃないかと思いついてバールに泊まることにした。でもこれは失敗!
バール到着の日、街の南の外れにあるバスターミナルから街の北の外れにあるホテルまで街の様子をうかがいながら歩いて行ったんだけど、日曜日のせいか、日中の暑さのせいか、人気がない。活気のある街並がない。なんかテンションがどーんと下がっちゃったから、気付け薬にビールを購入。うひひ、安い。
バール鉄道は、全線476kmを11時間もかけて走るんだ。昔は7時間だったらしいんだけど、保線状態が悪くてスピードが出せないらしい。モンテネグロ語だか、セルビア語だか、あるいはクロアチア語だか(ほとんど方言程度の差しかないらしいけど)ボクには分からない言葉しか話さない窓口の女性に、ジェスチャーとテレパシーと笑顔とメモとでチケットを購入。期待で張り裂けんばかりになって乗り込んだけど、やっぱり11時間は長いな。90分程度のダイジェスト版にして欲しかったよ。それに50分延長のサービスまで付けてもらっちゃって、夜の8時50分。無事ベオグラード到着です。
トマス・クックの時刻表では食堂車が付いているはずなのに、コーヒーとコーラしか出さない車両が付いていただけ。途中、時間が余ってしかたがない。しかたがないから、地球の歩き方を精読した。ベオグラードの地図に誤植が多すぎです。
*****
さて、そうして到着したベオグラードは、居心地が良い街です。
朝目覚めて、まずは銀行のATMを襲撃して10,000ディナール(約9,000円)を調達し、次の街までの列車のチケットを購入し、地図をホテルに忘れて来たのに気付いたんだけど、まぁ適当に歩いて土地勘を身につけるかなと歩き出すと、13年前のコソボ紛争の時にNATO軍に空爆されたビルがそのままになっていて、その後ベオグラードの目抜き通りを散策して、そうだサヴァ川とドナウ川が合流するあたりにある、なんたら公園にまで行ってみようと思いついたんだけど、その公園の名前がどうも上手く思い出せない。
「金くれ団」公園じゃなくて、「隠れメダム」公園じゃなくて、えっと何だっけ? 地球の歩き方の地図にあった名前は、当てにならないと思って真面目に覚えていなかった。
誰かに聞くにしても、名前がはっきりしないと聞きにくいな。
そういえば旅も長く続いて、疲れもじんわりと背中のあたりに溜まっている。ここらで指10本が全部親指みたいな力強いマッサージ師が来て、身体中揉み解してもらったらすっごく気持ちがいいだろうな、なんて考えて、そっか疲れているんだ。じゃ、ホテルでちょっと一休み。なんたら公園へは夕方涼しくなってから行こう。
そういういきさつでホテルで休憩中です。
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公園の名前は「カレメグダン」が正解。