/// H A I H A I S M ///

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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

放浪の詩人を目指して、東京の現実の中を漂泊中。 Ver.4.0.1 β


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ブログ的には中南米を旅しているものの、リアルには東京の日常に埋没してる「なつむぎ」です。
あ、どうも。


さてさて10日程前のある日、JR東日本とJR西日本の共同名でボクに封書が届いたんだよね。
来春、長野~金沢間が開業予定の北陸新幹線の、新しい車両「E7系」の試乗会に是非来てね……と。
そう言えば、昨秋ネットをウロウロしていた時にそんなものに応募したんだった。すっかり忘れていたよ。
JRのお誘いはホント嬉しいけれど、でもなんかちょっとスケジュール的に難がある気がするんだな。

というのは、ボクが招待された列車は9日の日曜日の朝9時23分に長野を出て、10時39分に大宮に到着するんだ。だから朝の8時には長野駅に集合してね……と。

つまり前乗りしなくちゃならないってことだよね?
そして、せっかく長野まで行くのに、日曜日は昼前に大宮まで連れて帰られちゃうんだよね?

行きの新幹線代を出して、ホテル代を出してまで乗るべきなんだろか? って結構迷ったんだけどな。ネットのニュースを見たら、試乗会の応募倍率は61倍だったって出てた。

61倍の倍率を勝ち抜いた事なんて、今までの人生にあっただろうか…… そもそも、人より先に何かしてもらえるってな、要するにフライング・ゲット的な事って、あっただろうか?

それにちょうど試乗会前日の8日から、長野市では「第11回長野灯明まつり」ってのが開催されるらしい。善光寺は五色にライトアップされ、門前町はさまざまな常夜灯で彩られ、それはそれは美しいらしい。それはいい。

そう考えた。

*****

で、9日の朝8時にはちゃんと集合場所に集まって、こんな乗車票をもらって、

E7-1

こんな列車に乗って、

E7-2

こんなお土産をもらって、

E7-3

小さな庭に、甥っ子達が作った雪だるまの待つ自宅に戻って参りました。

*****

ん? 灯明祭りはどうだったかって?

東京が45年ぶりの豪雪で機能を失っていた頃、長野も雪だったんだけど、長野にとっても普段では考えられない程の大雪だったんだって。
長野だから雪なんかには慣れっこだろ? なんて思い込んでたけど実はそうでもないらしく、楽しみにしていた長野灯明祭りのイベントは「豪雪のため」ってことで、簡単に中止になっちゃった。

つまり長野では、蕎麦屋で日本酒を飲んで、蕎麦食って、あとはホテルで寝ただけ~。
あ、雪の善光寺参りはしたけどね。



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ん? 午前11時前に大宮で放り出されたボクは、それからどうしたかって?

鉄道博物館に行ったのね。
小学生の遠足で、かつて万世橋近くにあった交通博物館に行ったのが、もう40年以上も前。
通学で乗った当時の中央線の車両や、夏休みの一人九州旅行の時に使った3段式B寝台車なんかに、懐かしさを感じたな。
で、博物館内の「日本食堂」でランチした。


実に鉄分の高い週末でした。
カリブ海に浮かぶ島プエルトリコは、国じゃぁないんだ。アメリカ合衆国の一部なんだな。正式には、アメリカ合衆国自治連邦州なのだそうで、だからATMから米ドル札が出て来る。

今ではカードを持ってさえいれば大抵の国のATMから現地の通貨を引き出すことができるから、海外の旅に米ドル現金を持ち歩くことなんてほとんどないんだけど、ここのATMではプエルトリコ滞在中に使うよりも少し多めに米ドル札を引き出した。
中南米の旅の最初にプエルトリコを持って来たのは作戦だよ。こうすれば日本で両替するよりもレートがいいからね。

少し多めに引き出したのは、この先ドルの現金で支払わなくちゃならない宿もあったし、余って持って帰っても米ドルならば使う機会もあるだろうし、それに場所によっては現金が、しかも現地の通貨よりは米ドルが「物を言う」ところもあるかも知れない。

治安に問題のある中南米の街でチンピラにカツアゲされそうになった時には、彼らが見たこともない1万円札よりも、20ドル札の方がきっと喜ばれるに違いないってね。

一種の保険だな。

そう思って引き出した米ドルの現金なんだけど、これから旅が2ヶ月程進んでからのこと、意外と役に立つ国があったんだ。

ま、そういう話やATMに関するいろいろあったあれこれは、またその機会に話すとして……

*****

カリブ海には、島がごまんとある。

5万あるってことじゃないんだよ。大小あわせて(それに岩も加えると)おおよそ7,000あるらしい。で、国も16カ国ほどある。国じゃない島は、イギリス領だったり、フランス領だったり、オランダ領だったりするんだけど、こういった地域を数えると国以外も20くらいはあるんじゃないだろか?

ボクは今回の旅行で、カリブ海のスペイン語圏の島を全部回ろうって思っていたんだけど、これが、プエルトリコと、キューバと、ドミニカしかないんだな。
たったの3つ。中南米って言うとスペイン語のイメージがあるのにね。

だものだから、サン・セバスチャン祭の大騒ぎの夜を過ごしたサンファンの翌日(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デーの休日)、死んだように静かな街の一日を過ごした後、ドミニカに行くことにした。ドミニカ国じゃなくて、ドミニカ共和国の方ね。

dominica
ドミニカ国は右下にある。左上のでかい島の右半分がドミニカ共和国。

*****

サンファンのルイス・ムニョス・マリン国際空港から飛行機で1時間程で、サント・ドミンゴのラス・アメリカス国際空港に着く。ドミニカ共和国のあるイスパニョーラ島は、プエルトリコのお隣なのだ。

入管係員のお姉さんは、顔が黒くて、目と胸が大きくて、爪が赤くて、白い歯がやたらまぶしいチャーミングなお姉さんだったけど、到着した飛行機に2人しか乗ってなかった東洋人に、なんかいぶかしげな表情を見せていたな……

カウンターの前に娘と二人で並ぶと、ボクと娘と二人のパスポートとを見比べながら、彼女は「フン」と鼻を鳴らした。そして一言「ヴィザは?」って聞いて来た。

----- あ、ヴィザですか。えっと、観光客はヴィザは必要じゃなないって聞いてますが……

----- ヴィザが必要じゃないワケないじゃない。どこで乗ったの?

----- サンファンです。

–---- 国は?

----- 一応、アメリカ合衆国です…… ですか?

–---- そうじゃなくて、あなたたちの国よ。どこの国から来たか聞いてんの。

–---- 日本。

それを聞くと、彼女の大きな胸、じゃなかった目からは突然厳しさが消え、オッケーだわ。日本人ならオッケーだわ。そうして、ポンポンと入国のスタンプを押してくれた。

日本のパスポートを持ってると楽だなって思うのは、こういう時だよな。

目一杯笑顔を作って、お礼を言って立ち去ったよ。
鼻を鳴らされた時は、失礼な女だな。東洋人をバカにしてるな。って思ってたけど……


空港から市街地までの道は、ビーチ沿いにまっすぐに続いている。
左手に見えるヤシの林の向こうに、白い砂と青い海が連なっている。
ラジオからはメレンゲやら、バチャータやらが流れている。


●COMO ABEJA AL PANAL / JUAN LUIS GUERRA(ドミニカ共和国の国民的歌手)

タクシーの運転手は、東洋からの客が面白いらしくて、やたらと話しかけてくる。
日本人なの? あまり乗せたことないね。中国人はどこにでも居るけどね。ほらね。

その頃、ちょうどタクシーはサント・ドミンゴの旧市街の北側にある中国人街の中を通り抜けるところだった。
カリブの青い空に、赤字に黄色の漢字が並んでいた。
店頭には提灯がぶら下がっていた。

こんなところにも中華街はあるんだ。
一方、日本人はドミニカに年間2,000人程度しか来ないらしい。そりゃ、なかなか客として車に乗せることもないだろうな……

ところで、いつまでドミニカにはいるんだい? 帰りも空港までタクシーを使うんだろ? ほら、カードを渡すから呼んでくれよ。

うん、そうですね。その時は、連絡しますよ。と曖昧に返事をしている内に、彼はボクの曖昧な返事に納得がいかない様子だったが、タクシーは宿の前に着いた。●ここ

Santo Domingo Lobby


宿は、16世紀の女子修道院を改装したもので、まるで小さな博物館に入ったかのように気持ちがいい。小さな中庭に面する2階の部屋も居心地が良さそうだ。そしてベッドは……

まただ!

Santo Domingo Bed 1
●ベッド(メイン)

Santo Domingo Bed 2
●ベッド(従者用)


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----- 旦那さま。旦那さま。
どうも、今回も小さなベッドで申し訳ございません。いろいろと探したのでありますが、旦那さまは近代的なホテルに泊まるのをお好みじゃございませんし…… それに、サン・ファンも、ここサント・ドミンゴも旧市街は世界遺産に登録されておりまして、古い建物をやたら改装することはできないのでございます。旧市街の宿では、お二人用の部屋でもダブルベッドの場合が多いのでございます。

セバスチャンはこれでも一生懸命、ホテル側に説明したのでございます。中年男性と若い娘の2人旅ではありますが、決してそういったお忍びの旅ではないのだと。DNA鑑定で父子確率0%とかが最近は流行っているようでございますが、鑑定をしても多分おそらくは親子と判定されるであろう「親子旅」なのだと。

無理を言って、従者用のベッドを用意させたのでございます。
社会の授業に続く休み時間の出来事だったかな。
勉強ができて、気位が高くて、ちょっとクラスメイトに嫌われ気味のH君がボクの方を振り向いてこう尋ねて来たんだよね。

----- 東京から太平洋を東へずっと船で向かうと、どこに着くと思う?

----- えっと……

(と考えながら、世界地図を思い起こすボク)

----- アメリカ!

----- 違うんだな~ 南米のチリに到着するのさ。ほら、これ見てみなよ。東京からこう東に行くと、赤道を越えて南米に行くだろ?

教室の後ろの棚から地球儀を持って来て得々と説明するH君に、東京から東に向かったら千葉があるから進めないじゃないかとか、お前それは東に行ってるんじゃなくて南東に行ってるんじゃないかとか、クラスメイトがワァワァとH君に反論し始めたんだよね。
なにせ、H君はあまり好かれてなかったから。

----- 東京湾を一度出てからの話だよ。あのね、東に向かうってことはね……

その後のH君の説明がどの程度的確だったかについてはあまり記憶が無いけれど、東に向かって船を進め、その後とにかく方向を変えずにひたすらまっすぐに行くと、到着するのはチリのどこかの海岸だというのが彼の主張なのだった。

でもなぁ…… 方向を変えずにひたすらまっすぐに行くってことは出来るんだろうか。海には波もあるし風も吹く。きっとどこかで、ボクは本当に東に向かっているのだろかって不安になってチェックするはずだよね。
その時、星を観測したりして自分の進んでる方向を確認したら、あっ、ボクは東じゃなくて南東に進んでるんだって気がついて、きっと舵を左に切るんじゃないだろか……

ボクはそんな風に考えてた。

「大圏航路」と「等角航路」の違いについて知ったのは、それから数年経ってからのことだよ。
もう中学生になってたんじゃないかな。H君の説明、「タメになったね~」「タメになったよ~」


うん。その時にその隠された意味を把握していれば、きっとその後の人生のタメになってたはずだな。

軌道修正しながらの人生は、予定通りの場所には到達しない。

ボクがその真実を知ることになるまでには、さらに数十年を必要としたのだもの。


*****

地理や地図がきらいな人や立体図形が苦手な人にとっては、「何の事やら」感の強い話で始まった今日の記事だけど、要するに、今回のラテンアメリカの旅をどういうコースで始めようか、迷ったってことなんだ。

旅のメインの目的地はブラジルなんだけど、ブラジルではやることがあるからね。●ここ でも、ブラジルまでの直行便ってのはない。ブラジルって日本のちょうど裏にあるでしょ。だから、北米経由とか、ヨーロッパ経由とか、あるいは中東経由なんて方法があって、それぞれに面白そうなんだな。
ブラジルだけが旅の目的だったら、きっと行き帰りにヨーロッパに寄れるルートを選んだと思う。でも今回はカリブの島にも少し寄ってみたい。まずは、ニューヨークサルサとシャーク団の故郷、プエルトリコ!

そう思って、東京からプエルトリコまでの大圏コースをネットで確認してみたんだ。

tokyo-san juan

ほらね。
東京からプエルトリコまでの最短コースを示す大圏コース(赤い線)は、大きく北側に弧を描いて、五大湖やアメリカ東海岸の上を通ってサンファンにまで繋がっているでしょ?

toronto

拡大するとこう。トロントのすぐ近くを通る。
というワケで、エアカナダで行く事にした。

成田からトロントまでは、約12時間。トロントの空港脇の寒々しいビジネスホテルで1泊して、飛行機を乗り継いでサンフアンまでは4時間。氷点下のトロントから、一気に気温30度越えのサンフアンです。

*****

----- ねぇ、パパ。プエルトリコってさぁ、アメリカでしょ? 飛行機を降りてから、入国審査みたいなのが無かったんだけど、どうしてかな……

----- あ、娘よ。それ、パパも引っかかってたんだよ。思うに、トロントの空港でのパスポートコントロールの係官がESTA がどーのこーのって言ってたじゃん? あれ、カナダの出国審査じゃなくて、アメリカの入国審査だったんじゃないかな。注1

----- へー、不思議だね。よその国で入国審査をしちゃうなんてね。

と、こんな会話が交わされたように、サンフアンの空港ではなんのトラブルもなく、ツルッと思いがけない短時間で空港ビルの外のタクシー乗り場まで着いてしまった。

でも快調なのはここまで。タクシーの運転手にホテルの名前と住所を告げると、セバスチャンがどうしたこうしたと、しきりに我が家の執事の名前を出して何かを説明している。

要約すると、こうなる。
今日は聖セバスチャン祭りをやってるから道がとても混んでて時間がかかる。
タクシーはホテルのある旧市街まで入ることはできない。
旧市街の入り口あたりの何とか広場までなら行けるから、そこから先は歩いて行ってくれ。
これが地図。何たら広場からホテルまでは…… そう20分くらいかな。坂道だけど。


街は人だらけ。
ビールを飲んで太鼓を叩いて、大騒ぎで。
ボクらはついさっきまでダウンのコートを着てたと言うのに、今や灼熱地獄でしょ。
そんな中、思いの外きつい坂道をスーツケースを転がしながら、ホテルまでたどりついた。
なんたら広場は海から離れている場所にあって、ホテルは海に面してある。てっきり坂道ってのは下り坂だと思って居たら、これが上り坂だったのね。

ホテルは、300年以上昔の邸宅を改装したものでね。あぁ、カリブに来たなってムード満点なんだ。 ●ここ
古い調度品と複雑な間取りと、庭で飼っている派手な原色の鳥たちの鳴き声が朝夕騒がしいのも何となく海賊感を醸し出しているな。まぁ勝手なイメージだけど、子供の頃海賊になりたかったボクは大満足なのだった。

そしてベッドはもちろん、天蓋付きの大型ベッドさ。

bed1

ただしこちらは娘用。
ボクは、バスルームに続く控えの間にある、こちらの従者用のベッド。

bed2


----- セバスチャン。旅行の初っぱなからお前の名前の付いた祭りのせいで、坂道をたくさん歩かされたぞ。それにこのベッドの格差はなんだ! お前が勝手に手配するから、こいうことになる!


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とりあえず、今晩は大人しく旅の疲れを取ることにします。
ホテルの中庭にあるレストランには、とっぷりと日が暮れたあとも街の喧噪が聞こえて来る。サルサのリズムや、もっとアフリカンなリズムや、ブラジル系のリズムや……
まぁ、従者用のベッドでも、いつもの一人旅の時のベッドを考えれば極上だもんな~


注1 ボク、娘のことを普段「娘よ」って呼びかけてるワケじゃないんだよ。当たり前だけどさ。
どう書いて良いかわからなかったものでね。これからは、Mちゃん(仮称)って呼ぶことにします。
皆さん、ごきげんよう!

ちょうど1年前に、黄熱病の予防注射で体調を崩し、そのまま中南米へと旅立ったまま行方不明だったなつむぎです。あんた誰? とか言わないで。

あけまして、お・め・で・と・う。おめでとう。

あぁ、このギャグも、もっと旬の時に使いたかったなぁ。


いったいこの1年間ボクは何をしてたかと言うと、ボリビアで金が尽きて塩湖で塩運びのアルバイトをしてたワケでもなく、かといってリオデジャネイロでモレーナ達に囲まれて大列車強盗の逃走犯のようなハッピーな時間を送っていたワケでもなく、3月の末には何事もなかったかの様に無事日本に帰り、その後日々の雑事に追われておりました。

ホント雑事ってやつは、こなせばこなすほど出て来るものだよな。


それでも1年の間にはちょっと変わったこともあって……

【1】 夏に2週間のプチ留学をして来た。

タイのバンコクでタイ語を、1日4時間プライベートレッスンでしごかれて来たよ。
タイ語はさ~ ブログを書き始めたころにはちょっとしたマイブームで、そこそこお勉強したワケなんだけど、その後記憶はあたかも頭髪が抜けるがごとくどんどんと抜けていって、もはや初心者レベルにも達しない入門者レベルにまで劣化してました。
あ、これ比喩だからね。頭髪がどんどん抜けたって言いたいワケじゃないんだな。

どうして覚えるのには時間がかかるようになったのに、忘れるスピードはどんどん早くなるんだろな? 今の目標は、今後10年でタイ人の小学6年生レベルまで話せるようになること!

【2】 で、秋になってみたら、息子が結婚していた。

まぁ、気付いたら結婚していたって言うのはちょっと大げさだけど、でも、子供の結婚とかもっともっとゆっくりと進むものだと思っていたら、思ったより早くどんどんと進むんだよな。一応披露宴もするって言うんで、新郎の父親としてはなんらか正装をしなくちゃならないんだけど、普段だら~とした服で過ごしていて、ビジネススーツすら滅多に着ないボクだから、服に着られちゃうんじゃないかってヒヤヒヤだよ。

アロハはハワイの正装だそうだけど、アロハでオッケーだろか……

【3】 そして冬。ほんの数週間前、右目の軽い手術をした。

手術自体は痛みもなく2~3分で終る、幼稚園レベルの簡単なものだったんだけど、切るとか、痛そうとか、血とか、そう言うのにめっぽう弱いボクは、その短い手術の間に失神しかけたよ。
手術台の隣に設置してある脈拍やら血圧やらを測定する装置が、なんか派手なアラーム音をたて始めてね…… 執刀医の、このアラームは何? の質問に、ナースが「血圧、脈拍が急激に下がっています!!!」って叫んでた 笑

----- 大丈夫ですか~ なつむぎさん。具合悪いですか~?

の医者の問いかけが、遠のきつつあるボクの意識に届いた。ボクは必死に答えたね。

----- 大丈夫です、たぶん。なんとか踏ん張ってます。冷や汗出てるけど……

----- あ、ちゃんと反応してますね。では手術、続行します。

あ、あ、続行しちゃうの? 返事しない方がよかったかな……

その後も血圧はガンガンさがり、三途の川の向こう岸から愛犬かえでが呼んでるかもな~ なんて思っている内に、どうもこのままだとまずい事になるって判断がされたみたいで、急遽麻酔医が手術室に呼ばれることになったんだ。
しばらくすると、誰かが飛び込んで来る気配があって、

----- なつむぎさん。これから○○○の点滴をします。腕をちょっと縛りますよ。

○○○が、なんて名前だったか忘れちゃったけど、救急医療物のドラマで良く聞く名前だった。
緊迫感があるな、って遠くなった意識の中で考えてた。

と、その時、「はい、オペ終了です」の執刀医の声がしてさ。
そうなると、ボクは急に安心してさ。
血圧とか、脈拍とか上昇し始めたみたいでさ。

もう、静脈に点滴の針を刺すばっかりだった麻酔医の先生も、あれ?こりゃ大丈夫かなって感じになって、では点滴しないで様子を見ればいいですね、って引き上げて行った。

いやぁ、ボクはもうヨワヨワだね。
きっと、今日一番のチキンな患者って、ナース達の間で笑い話になってたと思う。

*****

まぁ、そんなこんなで、それなりに色々あった1年だったんだ。

書こう書こうと思ってた、「中南米:お目付役の娘付きの旅」の体験談なんかも、1年遅れで少しづつ書いて行くつもりなんで、どうぞどうぞ2014年もよろしくです。

大変遅ればせながら新年のご挨拶と、ちゃんと生きてますのご報告まで。


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いやぁひどい目に遭ったよ。黄熱病がこんなに辛い病気だとは思わなかった。
このまま死んじまって、平成の野口英世とか言われることになるんじゃないかと思ったな。

----- おやおや、旦那さまはまた大げさでいらっしゃる。黄熱病にかかったワケではございませんでしょ? 黄熱病の予防接種をお受けになった後、ちょっと体調を崩されただけなのでございましょ?

セバスチャンは、事の重大さをこれっぽっちも理解してないな。
ボクが注射されたのは、シワ取りのボツリヌス菌なんかじゃないんだぞ。れっきとした黄熱ウィルスで、ただウィルスを半殺しにして少し弱めてあるだけなんだ。
たとえ相手が手負いの虎であっても、虎と戦ったことには変わりはあるまい。いやむしろ手負いであるからこそ、相手は死にもの狂いだ。普段の何倍もの力を出す。

----- わかりました、わかりました。辛かったのでございますね。

そうなんだよ辛かったんだよ。ようやく分かってくれたか。なんってったって、倦怠感が半端ない。

その…… 何にもやりたくないって気分の時はそりゃしょっちゅうあるんだけど、ボクは今何にもやりたくないんだって気付く気力すらない感じなんだ。今日は何にもしないぞと決めて、そのための言い訳を考える元気なんてさらさらない。
黄熱病のボクに言わせれば、むしろそんな行為なぞは積極的に社会に参加しているようなものだな。

ただひたすらだるくてひたすら横になっていたくて、事実そうしたら寝過ぎて腰が痛くなった。

----- で、もうすっかり快復なされたので?

あぁもう大丈夫さ。腰も大丈夫だ。
ただ寝ていた間に溜まった仕事がな…… ええぃ!無かったことにして、出発しちゃえ!

*****

みなさま、遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
2013年も、良い年を過ごされますように。


ボクの方は、しまなみ海道をポンコツ自転車「空海号」で渡って(●ここ)からと言うもの、可もなく、良もなく、優もない生活を送っておりました。
本来であれば、夏前のヨーロッパから、初の大西洋横断を試みて南米に向かうはずだったんですがね。あっそうそう、ヨーロッパの旅はブリュッセルまでしか記事にしてなかった(●ここ)けど、その後飛行機でエストニアのタリンに飛んでウワサに聞くエストニア美人というのを生まれて初めて見て、フィンランド、スウェーデン、デンマークと夏だというのに肌寒い国々をまわって帰国してたんです。ま、その辺りの国々での不思議な出来事についてはまたいずれ。

ま、そんなこんなの半年間の仕切り直し期間を経て、19日からここ数年の「絵探し放浪の旅」の最終目的地「南米」に行って参ります。
黄熱病の予防接種は、南米旅行のためなのね。

南米に行く前に、ちょいとカリブの島にも行ったりする予定なんだ。
今回は学生の時から憧れ続けてきた南米なんでね。絵探しの合間に、音楽も聴きに行っちゃおうって密かに企んでるんだ。

やっぱり、メインイベントはブラジルだな。サンバも、ボサノバも、ショーロも、アシェーも、聴き放題!
後ね、ブラジルを知るためには3つの事をしなくちゃならないって、これ学生の頃に言われたことなんだけど、ブログを始めたばかりの頃に記事にしたことがあるんだよね。
これをもう一度紹介させてもらうと、

1 カイピリーニャ(caipirinha)を飲め
砂糖キビから作ったピンガあるいはカシャーサって名前の焼酎に、ライム汁と砂糖を入れたカクテル。

2 フェジョアーダ(feijoada)を食え
フェジョンって言う黒豆と肉の煮込み料理で、ご飯の上にかけて、青菜の炒めたものとキャッサバの粉をかけて食べる。

3 モレーナ(morena)と恋をせよ
モレーナってのは黒人と白人の混血女性のことでね。ま、ボクは上品だから「恋をせよ」って訳してるけど、つまりその、はっきり言っちゃえば…… そういう事だ。はっきり言ってないけど。

1と2は、学生の頃にもう経験済みだよん。でも、3はまだ。3はまだ。

******

----- 旦那さま。その3つのお話、奥様にもされたことがございましょ?

うん。そだなぁ。あるだろうなぁ。ボクはずーっと昔からブラジル好きだったし、何かの時に話をしたことくらいあるだろうなぁ。

----- やはりでございますな。奥様は、3つ目のミッションを旦那さまが成し遂げるのを阻止するおつもりでございますな。

ございますなって…… また田中探偵でも送り込むつもりなのか?

----- いえ。そうではございません。田中探偵は、金次第で旦那さまの味方になってしまう男ですからね。奥様はすっかり信用してございません。
今回は、田中探偵よりもっと強力なお目付役でございます。


もっと強力なお目付役?

----- お嬢様でございます。私めが言付かりまして、お嬢様が旦那さまの全行程に同行できるように、既に手配が済んでございます。

*****

げっ!


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