では「奥参道」に入るところからー
しばらく行くと 鹿園がありました。
囲い地の中に 数頭の鹿。(多分 家族)
↓「神鹿(シンロク)について」という説明板。
(やっと 鹿島と 藤原氏 春日大社 奈良の鹿の話がでてきましたー。/ へー、曾良が鹿島神宮を訪れた時に 鹿の歌を詠んでるんですねー。その時の鹿は 放し飼いだったのかな それとも囲い地に飼われていたのかしら?)
近くの玉垣の中には さざれ石が置かれていました。
尚行きます。
右手に末社「熱田社」がありました。
↑御祭神は 素戔嗚尊と稲田姫命。/明治以前は「七夕社(或いは田畑社)」と言われていたそう。「農業守護の社です。」との事。
又行くとー
奥宮前に出ました。
本殿と同じく 北向きの奥宮。
説明板。
↑「祭神-武甕槌大神荒魂(タケミカヅチノオオカミノアラタマ)
社殿-慶長十年(1605)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが元和五年(1619)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が奉建されるに当り現在地に引移して奥宮社殿となった / 重要文化財」
えー?そんなに古い物なの?
(↑いくらなんでも 屋根は葺き替えられてるでしょうし 他も修復の手が入っていそうですが、ベースは当時のまま、なのかな?)
続いては 要石 を見に行きます。
(↑右ハかなめ石・・・/太々(ダイダイ)御神楽講中/ 左ハみ~・・・読めません^^;)
右手に奥宮を見ながら進みます。
又行きます。
辻に_
(↑右の石には 梅と欅が奉納された事が刻まれていました。)
↓こんなオブジェが。
あ、ナマズだ!
(↑ナマズ、泣いてる?)
_なるほど、「ナマズが暴れないように 鹿島の神様が要石を土中深くさして 抑えていますよ」、という事ですね? (できたら 香取の神様と共同で 頭と尻尾を~ という図にしてほしかったけれど・・・)
↓尚これは平成十四年(2002)の「御船祭記念」として「笹本石材株式会社」さんが奉納されたもの、との事。
さらに進みます。
お。ここのようです・・・。
↓説明板。
「要石
神世の昔、香島(=鹿島)の大神が座とされた 万葉集にいう石の御座とも
或いは古代における大神奉斎の座位として磐座(イワクラ)とも伝えられる霊石である。
この石、地を掘るに従って大きさを加え、その極まる所しらずという。
水戸黄門仁徳録に 七日七夜掘っても掘っても掘り切れず、と書かれ、地震押えの伝説と相俟って著名である。
信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。」
↑ここには載りませんが、神社の公式HPの要石のところには「地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています~」と書かれていました。
・・・香取神宮の要石の説明板では 「香取と鹿島の神が要石を使ってナマズを抑えた」 となっていたけど、鹿島神宮には「二柱の神が協力して一匹のナマズを~」という伝説はない、みたいですね?
ともかく、玉垣の内を見てみよう。
おお、おヘソのような窪みのある丸い石だ。(香取が凸、鹿島が凹、で対になっている~ と 香取側の説明板には書かれていましたね?)
近くに一茶の歌が記された板がありました。
「大地震(オオナヰ)に びくともせぬや 松の花 一茶 / 小林一茶は文化十四年(1817)五月二十六日鹿島へ詣で右の句を詠みました。」
(この石の下に大鯰がいる、って事になっているのね^^;)
戻りましょう。
(↑左の石には 芭蕉の「枯枝に 鴉(ア=カラス)のとまりけり 穐(アキ)の暮」が刻まれていました。/ 尚 芭蕉は1687年に鹿島へ来ていますが この歌はその時ここで詠まれたものではない との事・・・)
辻まで戻ってきました。
奥宮前まで戻りー
(↑右の石には 江戸末期の親子の俳人の句が刻まれていました。「月花に和らぎし夜や常陸帯 柿麿(父)」「鶯や神楽拍子になれて鳴く 虎杖(子)」/ おうちは商家で 石畳も奉納されているそうです。)
坂を下って 御手洗池(ミタラシイケ)へ行ってみます。
↑坂を下ると右手に茶店がありー
「御手洗池はどこかな?」と思ったら、茶店のすぐ 先 が池でした!
いきなり現れた「青い」池に びっくり・・・
(この青さはどういうカラクリ?)
奥に湧出口があるみたい。
行ってみます。
(↑茶店との位置関係、こんな感じ)
↑湧出口横の句碑には松露庵雪才いう人の「涼しさや神代のまゝの水の色」句が彫られていました。
↓ここが湧出口。
ここから1日40万ℓもの水が湧いてるんですってー。(よくわからないのですが きっと スゴイんでしょうね?)更に「昔は参拝前にここで禊をしていた」んだそうです。(つまり、御手洗池側からお参りするのが 正式ルート?)
湧出口側から見た池。
池の向こうに祠があります。
末社の「大黒社」でした。祭神は大国主命との事。/鹿島の神が征服した 出雲の神様の祠・・・。ちょっと複雑な気持ちになりましたが(もしかして 香取の神と鹿島の神が抑えている鯰とは出雲をさしているのか、とか) 公式HPによると 明治以降に祀られた~ との事。(そうでしたか)
そうそう、この近くからも 境内を出る事ができました。
そして 出た先には「御手洗(ミタラシ)駐車場」という 神社の無料駐車場がありました。(あらー 私達有料駐車場に入れてここまで歩いてきたのよー^^;)/ 参考まで、に。
さてでは もう一度境内に入ってー
さっきの茶屋でお昼を頂きましょう。/つづく