麦青(バクセイ)でお昼を食べた後は_
一号線を海側へ渡った先の秋葉(アキバ)神社へ行ってみました。(今回「秋」と「穐」がごちゃごちゃしますが 印字として「穐」と打たれている部分は「穐」の字で参りますネ_)
↓「穐葉(アキバ)神社入口」交差点付近から 秋葉神社を見たところ_。

↓秋葉神社の奥に見えるのは「虎御前 縁(ユカリ)の寺」として知られる延台寺の門。/延台寺もこの後訪ねておりますが_

まずは秋葉神社へ。
(↓横断歩道を渡ってから神社へ向かっております。)


↓「縁起」

↑写します_
「秋葉神社略縁起
宝暦十二年(1762)一月十九日 大磯宿に大火があり宿場の殆どを消失したため、当時の町役が願主となり 遠州秋葉山より正一位秋葉大権現を勧請し、同十三年(1763)大運寺境内に穐葉社(アキバシャ)を建立、宿場の安全を祈願した。
明治五年(1872)神仏分離令により社を大磯駅前の梅浦別荘敷地(現ノジマ)内に遷し、秋葉神社と改称した。
大正七年(1918)現在地に遷り、更に昭和十三年(1938)国道拡幅工事に伴い、社を現在の台上に移し北本町の氏神として崇められている。
御祭神は、火之か具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)と申上げ火防の神である。
例祭日 一月十九日
五月十八日 」
改めて_
秋葉神社。


屋根に秋葉の紋。(天狗の羽団扇)



↑扉の上には「穐葉社(アキバシャ)」の文字。
_ご挨拶。
社横から見た延台寺の門。

引き返してー

では延台寺へ向かいましょう。

↓秋葉神社の垣に 絵入りの駒札。

↑写します_
「此辺(コノヘン)大磯宿の史跡/虎御石(トラゴイシ)
曽我十郎の剣難を救った身代石(ミガワリイシ)。また虎御前の成長につれて大きくなったといわれる生石である。江戸時代の東海道名所記に「虎が石とて丸き石あり、よき男のあぐればあがり、あしき男の持つにはあがらずというふ色好みの石なり」とある。この場所におかれていた。」
(↑絵のお兄さんは持ち上げられた、のかな?/石は持ちやすいように「縄の持ち手?」のような物が付けられていますね?石の下に筵状の物が敷かれていた、のかな? 関係ないけど握り方、指を外側にしてて・・・ちょっと変かもー。)
さて その虎御石、今は延台寺が預かっているそうです。見られる、かな?

_つづく。
<順序は逆ですが>
実はこの日は(ランチを食べた「麦青」に向かうより先に) 大運寺(←秋葉社が最初に建てられたお寺_)、ノジマ前(←明治の神仏分離令により秋葉社が移された場所)を歩いております。

さざんか通りを海側へ下る途中、右手に見えたのが、ノジマの研修施設「Nojima Oiso Square」_「梅浦別荘敷地址」です。

(↑明治に入ってここの敷地のどこか に秋葉社が移されたんですね?)
坂の途中の分かれ道を「大磯珈琲庵」の方へ(左手へ)折れましたが_



(↑上三枚は「麦青」の記事にも貼った絵。)
この珈琲庵の隣が

浄土宗「大運寺」。

門の脇に「南無阿弥陀佛」の彫られた石。

お参りしましょう。

本堂脇に 法然上人御尊像。

屋根には葵の紋。

(こちら徳川家の菩提寺、上野の増上寺の末寺だそう。/葵の紋はそこから、でしょうかね?)


寺紋は「抱花杏葉紋(ダキハナギョウヨウモン)」。

↑この日は彼岸の入り、だったので 「彼岸会」の提灯が置かれています。/ 花を持った檀家さん達は お墓へ向かう前に本堂にお参りするので 実はここでお二方のお参り を待たせて頂きました。
↓鐘の向こうに「群生山」と書かれた扁額。(山号_何と読むのでしょう?)

- ご挨拶 -
尚こちらの本尊仏は「定朝様(ジョウチョウヨウ)」の阿弥陀様で 町指定の有形文化財、だそうです。

<おまけ>
現在は銅葺きの屋根の本堂ですが 以前は瓦葺きだったのでしょう。境内脇に立派な波紋(←火伏の力を持つ)の飾り瓦が置かれていました。

(↑瓦葺きの時も葵の紋が使われていたんですね?)
ありがとうございました。

_で この後 一号線沿いの「麦青」へ行った~のでございます。/ おしまい。