法華寺(ホッケジ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

国宝十一面観音菩薩立像 御開帳と聞き、亭主と法華寺へ向かっております。

近鉄奈良駅の一つ手前の駅「新大宮」から てくてく。

↑因みにこの道は「一条通」。今も東は東大寺の転害門(テガイモン)までまっすぐ繋がっていますが、ここから西の道は失われています。敷かれた当時は平城京(第一次大極殿時代の)の南門前に繋がっていたはずですが・・・。

(↑現在地。このMAPではわかりにくいのですが ここはかつて奈良の都の東の端_でメインストリートに面した区画、で 藤原不比等の館があった場所。/これから伺う法華寺は 不比等の娘:光明皇后(初の民間出身の皇后)が 父の屋敷跡に建てたお寺、なんですねー)

一条通の突き当りを北へ向かうと お寺の門が見えました。

少し西に「南大門」がありますが、拝観者はこの「赤門」と呼ばれる門から境内に入るようになっていました。


門の横に「法華寺門跡」と書かれた札。(門跡寺院だったんですねー そんな事も知らずに伺いました)

↓説明板/「光明宗 総国分尼寺 法華寺」

拝観料を納めて中へ。

東に隣接するお庭とのセット券を買いました。(因みに西の名勝庭園の方は4/1からの公開。今回は拝見できませんでした・・・)

境内案内図。


境内、入ってすぐの場所に 鐘楼。

池に浮くように建てられているのは護摩堂。

そして本堂。

古色を帯びた本瓦_ 美しい。

鬼瓦 ちょっと不適な笑みを浮かべてる?

正面。


近くにあった 縁起が記された案内板。

(聖武天皇が建てられた 総国分寺の東大寺に対し 光明皇后は ここに総国分尼寺を建てられた。創建当初は「法華滅罪之寺」と名付けられたが後に略して「法華寺」となって今日に至る~)

中の絵はありませんが_
 国宝の十一面観音菩薩は まるで光背のように蓮の花と葉が全身を覆っている美しい仏様。これまで本などで見て憧れてきた仏像だったので 実際に拝めて感動しました。(モデルは光明皇后という説もありますが 本当でしょうか?)

さて続いては_
東のお庭を拝見します。

一番の見所は「唐風呂(カラブロ)」という建屋。

扉の上の扁額は「浴室」。

説明板

中は公開されていませんでしたが 実は先に見た本堂内に写真が展示されていました。/サウナのような施設だったようです。

さて唐風呂の北には~

月光亭という茅葺の建屋がありました。



これは奈良東部の旧月ヶ瀬村の庄屋 東谷家の住宅だそう。(移築保存されたんですね)

尚 南東の隅の一角は元々は馬屋だったと言います。(家畜が大切にされていた という事かしら?)
↓内部の座敷。

↓天井。

↓更にその上。

土間にはおくどさん。

奥には行けないようになってましたが 流しが設えられているのが見えました。
↓軒下には水車(多分足踏み式の物)も置かれていました。


東室という建屋の前を通って~

華楽園という庭の方へ行ってみます。

これは 源平桃?

道なりに行きます。

藤はまだ芽吹いてもいなかった^^;) でもその奥のミモザはちょうど見頃。


どうやらここからが華楽園のよう。

この池は 夏には蓮が咲くそうなー。

南に花の色が見えます。行ってみましょう。

梅かしらと思って近づいた濃い桃色の花は なんと_

ツツジでした。(早咲きの品種でしょうか?)

芝地にはハナニラ。

混ぜ植えのアネモネ。(青いのはネモフィラだね)



赤門まで戻ってきました。
↓門の東には_薬師堂。

その脇には稲荷社。

喜市稲荷大明神、だそう。

これで 一回り? 
・・・実は 受付裏手にあった横笛堂_境内地内で一番古い鎌倉時代の建屋 を見落としていましたー!(横笛は平家物語に登場する建礼門院の雑仕女。横笛堂は出家した彼女が住んだ建屋と言われているそうなんです。 法華寺本堂内に 小さな横笛のお人形があり 横笛の物語も紹介されていたんですがー )

しかし、境内を出てすぐ南の横笛地蔵は見ております。

ここは 今は法華寺境内に建つ横笛堂が 元々建っていた場所、だそう。 へ~っ。

この後は 平城京跡地を 力一杯(?)歩きました。

つづく。