宇奈多理坐高御魂神社(ウナタリニイマスタカミムスビジンジャ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

法華寺参拝の後は 平城宮跡を抜けて 西大寺の駅まで歩く事にしました。

まず目指したのは「東院庭園」

(↑↓東院庭園の北西の壁です)

(↓東院庭園の北 を歩いてます)


しかし その途中に 神社がありました。

宇奈多理坐高御魂神社(ウナタリニイマスタカミムスビジンジャ)。

_坐(イマス)という字が入ってると言う事は 古い神社なのだろう~ と思い伺ってみる事に。

が、 あれー?扉が閉まっています。拝殿もお賽銭箱もありません。(他の参拝者も困ったと見え 格子にコインが挟まっていました)))

柵の間から見た塀内の社。



↓塀に掛けられていた神社略記。

詳しくはー↓こちら「奈良まちあるき風景紀行」様をお訪ね下さい。
https://narakanko-enjoy.com/?p=19450

ここが式内社・宇奈多理坐高御魂神社かどうか については異論もあるようですが(春日大社の井栗社が有力視されているらしく)、 法華寺の鎮守社であったのは確かのよう。(明治の神仏分離令が出るまで、堂内には 法華寺の本尊と同じ十一面観音が安置されていたと言います。撤去された仏像は今は法華寺に移されているそうです。)

で、もしかしたらこの神社があるところも「不比等の館(法華寺は不比等の死後 その館跡に建てられたといいます)」だったのかも?と思いましたが、 ここは平城宮の門の「内」。不比等の館は「外」でした・・・。
(↓この後行った東院庭園にあった地図/ 宇奈多理坐高御魂神社はピンクに塗られている「東院」(=東宮=皇太子の宮殿)部分の右下の池の少し上。// 東院と法華寺は今の地図では平城宮の県犬養門を挟んで ハスムカイ の位置関係にあったように見えます。が、 法華寺の発掘調査によると 元の伽藍は今より南だったらしい。_すると お隣同士だったのかしら?)

(↑時に この図の大極殿は「第二次大極殿」みたいですねー)
宇奈多理坐高御魂神社は別名「楊梅(ヨウバイ)天神」。/ 楊梅、の名は 称徳天皇(←聖武天皇と光明皇后の娘:孝謙天皇が重祚)が東院に造営した「東宮の玉殿」跡に 次の光仁天皇が造った「楊梅宮」からきているのでしょうから むしろ(法華寺より)東院と関わりがあったんじゃ? 

なーんて、ふら っと立ち寄っただけの観光客が考えても滑稽ですね^^;)

何れにしても、 お訪ねしてみて良かったです。