今日のボクがあるのは、将棋のおかげだと思っている。
引っ込み思案で人見知りのボクが、将棋を始めたのは、
小学校5、6年生の頃。
将棋なら、人と話さなくていいと思っていたら、さにあらず。
将棋道場で、見知らぬおじさんと対局し、
終わったら勝っても負けても「感想」を言い合うことになる。、
その繰り返しの中で、初対面の人とも話せるようになった。
子どもの将棋指導に力を注いでいる高野秀行六段の書いた本を読んだ。この本の冒頭にこう書いてある。
「受験や就活に勝っても、他者を思いやれない、人望とは無縁な人間になってしまったら、人の親として、とても悲しいことではないでしょうか」つまり、将棋にはそうならない人間磨きに要素がたくさんあるという思いが込められた文章だ。
将棋には勝負を判定する審判がいない。勝者が勝ち名乗りもあげない。敗者が自ら負けを認めることで決着がつく。どんな勝負事にもない決まりだ。「負けました」が言えるようになって、謙虚になり思いやりの心が育まれる。言い訳もしなくなる。
将棋の指し手は、10の220乗もあると言われる。宇宙の星の10倍の数。その無数の選択肢から最善手を選ぶ将棋は「選択に連続」だ。
膨大な可能性から1つの道を選ぶことで、生き抜く知恵をもらえる。
状況に応じた優先順位を判断出来るようになる。
自分の得は相手の損、自分の損は相手の得。自分は相手次第。相手も自分次第。将棋で培われる「相対感覚」で相手を察する力がつく。
年齢や性別に縛られず、多くの大人と接する中で、子どもの価値観が広がる。これは、ボク自身が実感している。
落ち着きのない子どもが、礼儀正しくなり、考える力がつき、人に頼らない自立心も育まれる。将棋は、人間力を磨く格好の存在だ。
(子どもを指導する高野秀行六段)