村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。


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新大阪に移った「ことば磨き塾」、早いもので半年経ち、

第一期の修了日を迎えた。

全国のことば磨き塾の中でも、新大阪は大所帯。

メンバーの年齢や職業もまちまち。

このまちまち感が、よき磨き砂となっていると感じる。

 

恒例の「嬉しいことば辞典」制作。

嬉しくないことばを嬉しいことばに変換。例えば・・・

汚い色→見かけない色

段取り悪い→準備に余念がない

子どもだね→無邪気だね

どんくさい→おっとりしてるね

でも→それもいいね

決めつけことば、否定ことば、断定ことばが、

まろやかことばに、やわらかことばに、あたたかことばに変換される。

 

嬉しいことばをテーマに1分プレゼン。

聞いているだけで、嬉しくなってくる。

「3時間話を聞いてあげたら、すっきりしたと言われた」

「踊りを見てくれた人から、自分も踊りたくなったと言われた」

「一緒に仕事したいと言われた」

「小さなケーキ屋を営んでいるが、有難うございますと言う幸せ、言われる幸せを感じている。

お客さんに言ったり言われたり。太陽にも月にも地球にも有難う」

「母の嬉しいことば。この子は頭はよくないかもしれないが、性格のいい子や」

「ゴミ収集のお兄さんに御礼を言ったら、どういたしましてと返ってきた」

「27歳の娘に、お父さんの話を聞くのが好きと言われて嬉しかった」

「きつい厳しい怖いというイメージで仕事してきたが、やさしいんですねと初めて言われた時、

嬉しかった」

「小6の時、転校先の先生に、明朗快活申し分なしと言われて嬉しかった」

「かつての自分は暗く怖い顔していて、自分で鏡見るのも嫌だった。そんな自分が

笑えるようになって、笑顔がステキですねと言われたとき、嬉しかった」

短いことばに、その人の人生、人柄が見える。

嬉しいことばの種を大切にして育んで、笑顔の花を咲かせていることがわかる。

 

新大阪ことば磨き塾は、10月から第二期に入る。

10月24日(月)開講。

留年も続出するだろうが、新規加入者募集中!

申し込みは、

tama55@drive.ocn.ne.jp(石井さん)まで

 

(納会で笑顔満開)

(この日の参加者22人)

(嬉しいことば大賞 平松隆則さん)

(藤岡宏枝さんは、通算4回目の皆勤賞)

(皆勤賞 西口富子さん)

(皆勤賞 土居 止戈代さん)

(皆勤賞 太田久美子さん)

(皆勤賞 藤井順子さん)

(事務局も担当してくれた石井珠子さん)

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1966年9月25日。日本作業療法士協会が誕生した。

きょうで50歳。その節目を祝う式典と祝賀会が開かれた。

のべ4時間の長丁場、その両方の司会を担った。

 

50年前、作業療法士は、

わずか20名でスタートしたが、いまや50000人を超えるまでになった。

人々の「日常」を取り戻すためのサポートをしてきた方たちが、

全国から一同に会した。地道な努力をしてきた方々に、きょうはスポットがあたる日だ。

作業療法士の礎を築いた方々、制度の整備に尽力した方々、臨床現場で協力した医師、

リハビリの専門家・・・多くの関係者も集った。

協会の歴代会長4人も、みなさん元気。初代の鈴木明子会長は84歳。

過去4人は全員女性。5代目の中村春基会長が初の男性会長。

 

式典は、来賓の祝辞、感謝状の贈呈など、ともすれば堅苦しくなりがちだ。

司会者としては、それをやわらかい雰囲気にするよう気を配った。

例えば、こうだ。

祝辞を述べる本人が来られず代読が4人続き、5人目にやっと本人が登場したときは、

すかさず「ご本人です」とコメント。会場の笑いを誘う。

そしたら、本人も「本人です」と受けてくれた。

代読する人が「この近辺にいたから」自分が代読することになったとエクスキューズすれば、

すかさず「この近辺にいたからと代読した○○さんです」とコメント。会場も反応してくれた。

挨拶の中で「先日の台風で、対応に追われた」と話した人がいたら、

すかさず「台風対策の作業に追われた○○さん」とコメント。

会場からも同感の笑いが起きた。

こんなふうに、名前と肩書きの紹介だけでは無味乾燥になってしまう進行に、

一味アクセントをつけることで、雰囲気が変わる。

話をよく聞いていて、どこを生かすか、それも短いことばで、当意即妙に。

それが、司会者の腕のみせどころ。

ことば磨き塾で、塾生に「自分をもっと褒めて」と言っているが、

たまには、自分褒めを許してね。

ここまで書いたら、たったいま中村会長から

「ほんとに、ほんとに、ほんとに有難うございました」と、

ほんとにの三段重ねの御礼電話をいただいた。

こんなに喜んでもらえて司会者冥利に尽きる。

 

 

(記念式典)

(先日収録したばかりの50年史上映)

(会場のハイアットリージェンシー東京)

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きょうは、三重県の伊賀上野まで、日帰りで行ってきた。

三重県教職員組合伊賀地区高等学校支部の研修会の講師として招かれた。

このところ、学校の先生づいている。

今回、依頼があったとき、事務局の佐々木さんに、

ボクを呼ぶ理由を聞いたら、「ミーハーなんです」と。こういうの好き。

そして、ボクの心が動いたのは、伊賀上野という土地柄。

亡き父は、京都の和装小物問屋で働き、「日本一の組紐屋」を自認していた。

組紐生産のさかんな伊賀上野には、何度も足を運んでいた。

ボクも父と一緒に行ったことがある。

伊賀牛の名店「金谷」で食べた牛肉の味は、舌が覚えている。

 

そして、伊賀上野といえば、もう一つ。忍者の里だ。

旧知の時代小説作家の多田容子さんは、忍者好きが嵩じて、伊賀上野に移住した。

15年ぶりに多田さんに会えたのも、時空超えの忍術のおかげかもしれない。

多田さんは、1971年、香川県高松市生まれ。
兵庫県尼崎市に育ち、京都大学経済学部卒業後、
金融関係に就職したが、退職し、作家になった。
99年、柳生十兵衛を主人公にした小説 『双眼』(講談社)でデビュー。

そのころ、インタビューしたのが出会い。
その後、長篇の時代小説を中心に数多くの作品を発表している。
彼女は、実践型の作家。
柳生新陰流や居合道の研鑚に余念がない。手裏剣も嗜む。

古武術にも造詣が深い。

 

多田さんは、小柄だ。

幼い頃、身体の小さな自分は弱いと自己卑下していた。

テレビ時代劇で忍者の活躍を見て憧れた。

強きを挫き、不可能を可能にする存在だった。

忍者になったつもりで生きたら、何でも出来そうな気がした。

久しぶりの再会を果たし、忍者談義で盛り上がった。

ボクの時代小説執筆意欲も掻き立てられた。  

 

(中央が多田容子さん、右が伊賀白鳳高校校長の辻正幸さん

多田さんと辻さんは忍者友達)

 

 

 

 

 

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