村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

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期せずして、東京ことば磨き塾(18日)も、名古屋ことば磨き塾(21日)も、

参加者は6人だった。

ムラカミ塾長は、6人だから出来ることを考えた。

(東京ことば磨き塾 18日)

(名古屋ことば磨き塾 21日)

 
まず、東京。
〇か×で決めつけない△探しのコミュニケーションをやった。
テーマは「義務教育は是か非か」。
最近、適応障害の子の入学を学校側が拒むという例があるらしい。
それで義務教育と言えるのかという問題定義があり、
疑問派、賛成派3人ずつに分かれて話し合った。
「同じ考えの人間を作る平均化画一化教育は怖い」
「先生の度量が狭くなってきている」
「最低限の教育を受ける義務はある」
「均等に教育を受ける機会を奪うべきでない」
互いの意見を述べ合ったところで△探し。
「行きたい人は受け入れる。義務というより権利があるのだから」
「教育を受けることに受け身にならないいいきっかけ」
「9年という義務教育期間を見直してもいいかも」
「完璧な上下関係からは何も生まれない。めだかの学校であるべき」
日頃、あたりまえすぎて考えないことを、改めて考えるいい機会となった。
互いの立場をわきまえ、いろんな考え方を認め合う。
決めつけ、思い込みで判断しない。
やみくもに否定、批評しない。こういうことから△、つまり「知恵」が生まれる。
 

(東京塾 義務教育疑問派)

(東京塾 義務教育賛成派)

 

さて、名古屋。

こちらは、初の試み「リレーインタビュー」。

同じテーマで、AさんがBさんに聞いたら、今度は、BさんがCさんに聞いていく。

テーマは「2月」。

節分、立春、バレンタイン、閑古鳥が鳴く季節・・・そんな2月を切り口に聞き合った。

「2月の・・・」と、2月にまつわる質問を次々出す人、それに次々答える人。

自分の体験を紐解きながら冬の星の話にもっていく人。

2月は閑古鳥かと思いきや繁忙期でキライという人も。

「どんな?」「たとえば?」が具体的な話を引き出す。

いきなり「本命チョコは渡した?」と核心に触れる質問した人もいた。

ワンクエスチョンに対して、いっぱい答えた人もいた。

2月というテーマから、その人の人生観が見える濃い内容となった。

リレーでバトン渡しながら、それぞれ違う味わいの6通りのインタビューになった。

 

(名古屋塾 左は質問受ける伊藤さん)

(名古屋塾 右は質問する伊藤さん)

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泉岳寺には、梅が綻んでいた。

四十七人が語らうように、墓が並んでいる。

彼らが亡くなって315年。いまも線香が絶えない。

熱中しているドラマ『忠臣蔵の恋』が、明後日で最終回を迎える。

急に、墓参がしたくなり出かけてきた。

ここには、何度も来ているが、

今回は、ドラマの主役きよと磯貝十郎左衛門の面影を求めて行った。

 

ドラマは、

四十八人目の忠臣として討ち入りの成功を陰で支えた実在の女性がモデル。
磯貝十郎左衛門と愛し合ったきよ。

吉良家の内情を探り、浪士たちのために奔走する。

討ち入り後、十郎左衛門を失ったきよは、そこで立ち止まらない。

生き残った者の成すべきことのため、立ち上がる。

義士の遺児救済と浅野家再興のため、江戸城大奥への道を求めて歩き出した。

将軍家宣の眼にとまり、世継ぎを生み、ついに念願が・・・。

明後日、その念願成就が描かれるはずだ。

 

磯貝十郎左衛門は、14歳のとき、浅野家に側小姓として仕えた。

美顔で利発だったことから浅野長矩に寵愛され、

物頭側用人(150石)にまで引き立てられた。

だが殿中で刃傷に及んだ長矩は切腹を命じられ、

十郎左衛門は長矩の遺体を引き取り、泉岳寺に葬って、髻を切って仇討ちを誓った。

討ち入り当日、十郎左衛門は裏門隊に属して手槍を持って屋内へ突入した。

夜中だったため屋敷内は暗く浪士たちの進退は自由でなかったが、

機転を働かせて吉良家の台所役を脅して蝋燭を出させ、

それを各部屋に立てて屋敷内を灯した。

後の取調べで、幕府大目付はその機転を大いに褒めたという。

泉岳寺へ引き揚げる際に、十郎左衛門の家が途中にあったので、

大石内蔵助に病床の母・貞柳尼を見舞うよう勧められるが、固持したといわれる。

その後、十郎左衛門は細川家の屋敷にお預けとなる。

元禄16年2月4日、幕府の命により切腹。享年25。戒名は、刃周求劔信士。

十郎左衛門は、幼少から能や鼓に秀でていたが、

主君の長矩が芸事を好まないことを知りやめている。

しかし、琴だけはひそかに続けており、切腹後の遺品に琴の爪があったといわれる。

この琴の爪は、ひょっとしたら、きよのものであったかもしれない。

 

現実は現実として、25で命を散らせた若者に想いを馳せ、空想を巡らすことは自由だろう。

ドラマ『忠臣蔵の恋』も明後日で最終回。あぁ、終わらないでほしい・・・。

 

(磯貝十郎左衛門の墓)

 

 

 

 

 

 

 

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大島紬で東京を席捲する企画を立て、見事成し遂げた仕掛け人。

呉服店『銀座もとじ』社長の泉二(もとじ)弘明さん。67歳。

「蚕が吐き出すたった一本の糸から日本を輝かせたい」という一念がある。

 

昭和24年、まだ米軍占領下の奄美大島に生まれた。

7人兄弟の下から2番目。

小学校には、4キロの山道を歩いて通っていた。

それで足腰が鍛えられ、小学校4年の時、300人参加の校内マラソン大会で優勝した。

将来は、マラソン選手になりたいと夢を抱いた。

高校で陸上部に入り、箱根駅伝に出たいと、東京の大学に進学した。

だが、大学に入ってすぐ、腰を痛め、入院手術することになってしまった。

普通に生活出来るまで1年。みじめな気持ちになり、激しく落ち込んだ。

大学にも行かなくなり、部屋に閉じこもりがちになった。

悶々とした日々を送っていたある日。

島を出るとき母が持たせてくれた父の形見の大島紬を何気なく羽織った。

その時、身震いした。「おまえには、これがあるじゃないか」と父の声が聞こえた気がした。

21歳のときのことだ。着物の世界で生きよう、30までに銀座で店を持つと決めた。

 

日本橋の着物問屋で修業を始めた。

ぞうきんがけから、反物の巻き方、物差しの使い方、一から覚えた。

昼は行商、夜は着付け教室に通った。

開店資金集めのため、ちり紙交換をした時期もある。

身を粉にして働いた甲斐あって、29歳で念願通りの銀座に店を出せた。

とはいえ、貸し事務所の共用スペースに机と電話を置いただけのものだが…。

ここを拠点に、行商をした。何度も何度も門前払いを受けながら、愚直に続けた。

泉二さんを気に入ってくれた客が客を紹介し、少しずつ得意先が増えていった。

一分の隙もないそつのない接遇は、このころから培われたものなのだろう。

3年目に年商1億円を達成した。9年目には路面店を出せた。

 

2002年、業界初の男の着物専門店も開いた。

2012年、大島紬専門店も開いた。

「業界の常識は、一般の非常識」と、仕立て代込みの総額表示にした。

いまや、この試みは、業界の常識になろうとしている。

たった一人の行商から始めた店が、いまや従業員26人。

年商10億の店に成長した。

 

銀座といえば柳。泉二さんは、柳染めに取り組んだ。

柳の命を草木染めで表現した。

地元・泰明小学校の子どもたちにも、柳染めを教えて20年になる。

泉二さんは、「柳の枝のように、しなやかに生きたい。どんな強い風に吹かれても、

支える根がしっかりしている柳のような店でありたい」と、

柳通りに面した店で、いつも思っている。

 

(大島紬店5周年パーティで挨拶する泉二弘明社長)

(締めの挨拶をする二代目 泉二啓太さん

 父のバトンをしっかり受け継ぐ)

 

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