家族の中の死。人生の避けて通れぬ一大事だ。だからこそ、芸術の普遍的なテーマになる。中野量太監督は、この壮大なテーマを、大上段に構えることなく描き続けてきた。
『兄を持ち運べるサイズに』という不思議なタイトルの映画は、ダメな兄と妹の物語。といっても寅さんを「帰ってきて」と慕う妹と違い、この妹は兄を「いなくなればいいのに」と願い続けてきた。
疎遠だった兄(オダギリジョー)の死を知らされ、作家の理子(柴咲コウ)が後始末のため東北に向かう。元妻の加奈子(満島ひかり)と落ち合って葬儀を仕切り、残された中学生の息子良一(味元耀大)の落ち着き先を決めなければならない。
浮草のような役柄はオダギリジョーしかいない。物語が進むごとに柔らかになっていく柴咲コウ、満島ひかりもいい感じ。
子にとって、兄はことごとくダメ人間。身勝手でウソつき、仕事は続かず都合良く理子に金を無心する。良一と暮らした部屋は荒れ放題、下着も満足に与えられない。子供の頃、自分より母親に可愛がられたことも気にいらない。
だが、兄の生きた痕跡をたどるうちに、理子はその意外な一面を知ることになる。愛想を尽かして別れた加奈子も食うや食わずの生活だったはずの良一も、兄を憎からず思っている。
そして理子の心の声が、兄の姿で現れる。
理子は兄の痕跡をたどるうちに、自分とも向き合うことになる。そして兄を否定することで自分を保つという意味でも、よりどころであり掛け替えのない存在だったと気づく。
家族といえど誰もその実像を知らない。本人すらも自分のことがわからない。亡くなった兄の後始末をしながら、それぞれの思いの中の故人と出会いながら、自己を見詰めていく。「この人はこういう人だ」と決めつけることは出来ない。決めつけないことが優しさに繋がるような気がする。
セリフのやり取りだけではなく、死んだ兄の唐突な登場や、新幹線車内での唐突な分骨、ラストシーンの駅での家族スクラムなど、涙と笑いが同居する。中野監督に言わせると「笑いと涙は反対ではなく隣にある」ものらしい。人間がおかしくて滑稽だからこそ、笑えるし泣ける。ボクもこの映画を観ながら、よく笑い泣いた。なかなかの佳作だ。






















