村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

これまでたくさんの本を出版してきた上野千鶴子さんだが、プライベートな暮らしについては、ほとんど書いたことがない。

『八ヶ岳南麓から』には、今まで知らなかった上野さんの素顔が描かれている。

 

上野さんは、20年前、八ヶ岳南麓、山梨県北杜市にある標高1000mの高原に別荘を建てた。以来、東京と山梨の二拠点生活をしている。

花々を愛で、虫や野生動物を観察し、地元の新鮮な食材で料理をされ、ガーデニングに挑戦し、またゴミ問題の現実にも直面する。

一方で地域コミュニティ活動にも力を入れ、さまざまな交流を持ち、八ヶ岳での四季を楽しんでいる。

八ヶ岳の東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない。

一方、八ヶ岳南麓は年間日照時間が全国1、2位を争うほど日当たりが良いうえに、掘れば水が出ると言われるほど伏流水が豊かな土地だ。

そもそもは、定住している友人から「一夏、イギリスで過ごすから家が空く。借りて住まないか」と誘われたのがきっかけだった。

都内の暑さに閉口していたこともあって、渡りに船と話に乗ったが、一夏過ごすうちにすっかりはまってしまい、夏の終わりには地元の不動産屋に飛び込んでいた。

標高1000メートルに建てた山の家は、ツーバイフォーの輸入住宅で、できるだけ凹凸のないシンプルなつくりにして、内部空間を広くとった。天井の高さは最大4メートルあり、吹き抜けの上部にも窓をつけたため、自然光で一日中家の中が明るい。

「雪が溶けて山里の春が訪れ、新緑が芽吹いて、いきおいよく夏の緑に変わる。小鳥のさえずりがやがて耳を聾するような蝉の声に変わり、気がつけば虫のすだく秋が来ている。目を奪うような色とりどりの紅葉がすっかり葉を落とすと、やがて森が明るくなり、雪の上を小動物が足跡を残して往来する」

山の家で味わう四季の移ろいは格別だ。

 

大学時代はワンダーフォーゲル部に所属していた。八ヶ岳に来て以来、周囲の山はほとんど踏破したあとは、スキーを楽しんでいる。

冬のぬけるような青空の早朝、誰もいないゲレンデにヴァージン・シュプールを描くのは、住民ならではの特権だ。

クルマ道楽でもある。BMWを「ノーブレーキでカーブにつっこむのがひそかな楽しみ」と豪語する。日産スカイラインGT4 ホンダCR―Xデルソル BMWオープンカーなどなど。2台持ちのときもあった。

アクティブな田舎暮らしというか、上野さんの快活な人生の断片が目に浮かんでくる。

 

おひとりさまの山暮らしについても取り上げている。
ひとりものにとって、盆と正月は孤独を感じる時間だが、上野さんには大晦日を共に過ごす仲間がいる。名付けて「大晦日家族」。

夕方から鍋料理を食べながら紅白歌合戦を観る。

9時を回るとご近所の蕎麦打ち名人から打ちたての蕎麦が届き、カウントダウンを始めて、日付が変わると共にシャンパンを開ける。

ちづこさん、ちづこさんと、ファーストネームで呼んでもらえる。損も得もなく、一緒にいるのが楽しいという理由だけで招いてもらえる有難い人間関係が出来た。

 

コロナ禍をきっかけに八ヶ岳界隈に移住者は増えたが、多くが60代以上の高齢者だ。医療や介護の懸念があった。

だが、そこに東京から還暦カップルが移住してきた。夫は医師、妻は看護師で、しかも訪問看護師のパイオニアだった。

この宮崎和加子さんという女性がパワフルだ。グループホームを立ち上げ、訪問介護と訪問看護も事業化した。

認知症デイホームも開設し、リハビリに特化したデイサービスも始めた。彼女のつくった一般社団法人だんだん会は、6年のうちに7事業所、計75人のスタッフを擁するまでになったという。

いまや医療・介護の充実した「おうちでひとりで死ねる」地域に生まれ変わったのだ。

察するところ上野さんは、山の家を終の棲家とし、この地に骨を埋める覚悟でいるようだ。

 

「元京大ワンゲル女子」の上野さんらしく、あとがきに「長い間憧れだった山と渓谷社から、初めて本を出すことになってうれしい」とあるのがなんとも微笑ましかった。

 

 

上野千鶴子さんと12人の女性論客が、2012年に「3・11後の日本」を語り合う。

「こんな日本に誰がした! もう男には任せられない!」と。

多くの犠牲者を出した東日本大震災をどう受け止め、前へ進んでいけばよいのか…。

フクシマの悲劇を二度とくり返さないために、私たち、そして日本社会はどう変わればよいのか…。その答えを求めて、上野千鶴子が尊敬する12人の女性を訪ねる旅に出た。それぞれのフィールドで大きな問いに真摯に向き合い、語り合う。読み応えのある本だった。

 

12人の論客とテーマ。手厳しい意見もあれば、諦観もある。

●崖っぷちからの希望(作家・高村薫)

 科学者の理想、理念、良心は信じてはいけない。

 震災後の現実は、土建国家の再来。

●死の意味がほしい(作家・瀬戸内寂聴)

 知識があれば反対する力も生まれる。

 終戦後の日本人は、自分のことしか考えていない。
●それでも生きていく(劇作家・永井愛)

 絶望の中にこそ希望がある。絶望の反対語はユーモア。

 事故には「まさか」と「やっぱり」の両方がある。

●マスメディア不信を越えて(キャスター・国谷裕子)

 政府の情報コントロールと東電の隠ぺい体質に、

 メディアも自己規制で協力した
●新しい「幸せの形」とは?(政治家・田中眞紀子)

 国民の民度を上げるには基礎教育と情報開示が絶対条件。

 選択肢のある社会を目指す。
●“差別の再生産”を許さない(人材育成コンサルタント・辛淑玉)

 外国籍女性のDV被害率は、震災後高まった。

 非常時には、国籍での線引きが起きる。
●イギリス流「老いらく社会」をめざせ(経済学者・浜矩子)

 3・11を寄ってたかって、

 成長論理を復活させる手段に使おうとしている。
●敗戦と原発、その失敗の本質(歴史学者・加藤陽子)

 戦略の失敗は戦術で補えない。戦術の失敗は戦闘で補えない。

 絶対戦争に負けない意識と原発の安全神話はオーバーラップ。
●リスクを選んで生きる(環境リスク学者・中西準子)

 意見の言える本物の専門家を排除するのは、日本の宿痾。

 安全は確率、相対。安心は絶対。
●女性リーダー育成が次世代の鍵(横浜市長・林文子)

 女性リーダーが育てば政治も企業も日本も変わる。

 男性の立場を考え褒める。存在を認める。
●戦争のない未来を守るために(ノンフィクション作家・澤地久枝)

 次の世代にツケを残してはいけない。

 不安があっても希望を持とう。
●水俣にも福島にも花は咲く(石牟礼道子)

 日本は終わった方がいい。

 本当の希望は絶望の中からしか生まれない。

 

「いまの日本は、泥船の上でバクチを打っている状態」だと上野さんは分析する。ゆえに、必死に水をかきだし、体勢を立て直し、船の行き先を変えなければならない。

男は踏み切れずにいるとき、ゆらぐことなく頼りになるのは、女たち。

日本の舵取りは女性に任せた方がよさそうだ。

 

このたび、上野千鶴子さんと対談するにあたって、彼女の著作を5冊読んだ。それなりに上野千鶴子さんに詳しくなったつもりだ。

 

上野千鶴子さんは、2024年4月、アメリカのタイム誌の

「世界で最も影響力のある100人」に選出された。

40年あまりにわたり日本の女性学・ジェンダー研究をけん引してきた。

 

最近では、2019年、東京大学入学式での祝辞が脚光を浴びた。

「頑張れば報われると思えるのは、努力の成果ではなく環境のおかげ」

「恵まれた環境と能力を、自分が勝ち抜くためだけに使わず、恵まれない人々を助けるために使ってください」

「強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」

その呼びかけが、新入生だけでなく、多くの人の心に響いた。

 

1967年、京都大学文学部哲学科に進学して、社会学を専攻。

「バリケードの内側」の露骨な性別役割分担に幻滅した。

同世代の団塊世代の男たちは、頭はリベラルでも、首から下は家父長制で固まっていた。

「母親のようにはなりたくない」という思い、学生運動の苦い経験が、フェミニズム、そして「女性学」の道に進む土壌となった。

女性学は、60年代の女性解放運動(ウーマン・リブ)の影響を受けて米で生まれた「女の女による女のための」学問だ。自分自身を研究対象にできることが「目からうろこ」で、夢中になった。

 

「男女雇用機会均等法」が分断の始まりと、上野さんは喝破する。

女性団体は雇用平等法を求めていたのに、政府は機会均等法にすり替えた。男並みに働く機会を君たちにも均等に与えてやるから、競争に参入して勝ち抜けということ。

「自分の身体に合わない紳士服を、無理やり身に着けることが出来た女だけが職場で生き延びられる」というのが均等法。

フェミニズムは、女が男のようにふるまいたい、弱者が強者になりたいという思想ではない。弱者が弱者のまま尊重される社会を求める思想だ。

「総合職、一般職、正規、非正規」と、女性は分断された。雇用の規制緩和が進んで非正規雇用が増加し、その多くは女性だった。規制緩和は格差拡大に繋がった。いまや働く女性の10人に6人が非正規雇用だ。

 

「こんな時代に誰がした!?」がこのたびのテーマ。

現代は、安心して弱者になれない社会だ。自分の身に起きたことは、すべて自己決定・自己責任。だが、努力でなんとかならないのが世の常だ。

若いころから、ずっと世の中の理不尽に直面して、上野さんは「こんな世の中に誰がした?」と問い続けてきた。

この数十年で格差が広がり、ジェンダーギャップ指数の世界ランキングでは毎回、先進国で最下位の日本。頑張っても報われないなら、あきらめるしかないのだろうか…。

誰もが弱者になっていくのだから、みんな一緒に下り坂を支え合っていく社会にしたい。弱者になっても安心出来る社会を作っていきたい。

自分が主人公の人生を歩んでほしい。

選挙権を持つオトナには、政治家の人災を許して今の世の中を作った責任がある。後から来る世代に『こんな世の中に誰がした?』と責められないようにしなければならない。

ごめんなさいって言わないで済む世の中を手渡したい。