法律家ではなくまったくの素人ですが、
だからこそ、素人の私が裁判所で知り得た思いを記録として綴って行きたいと思います
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民事訴訟で判決まで行くのはあまり多くないそうです。
理由はたくさんありそうですが、結局のところ、
「和解」がすべての収束であり、あとくされがないから
ですかね。
「和解」と聞くと「仲直り」みたいに聞こえてしまいますがそうではなくて、
お互いに折り合いをつけて事件を終わらせるということ。
当然ながら控訴はできないので完全なる決着。
裁判官も面倒な判決文を書かずに済む上、控訴もされずに済む。
関係者全員にとって1番しっぽりくる最終形なのです。
そういう私も、損害賠償請求をされて和解解決をしたひとり。
私の場合は完全な不当訴訟で引きずり出されたので、
裁判官もこちらに損害を賠償をする必要がないと認めてくださいました。
(そもそも損害じゃなくて、原告の言動が間違っていたのにそれを逆恨みして訴訟を起こした)
本音を言えば「完全敗訴」で相手をコテンパンにしてやりたかったです。
だってそれができる状態だったから。
じゃあ、なぜ和解を???
それは、相手を敗訴に追い込んだところで”勝って終わり”になってしまうから。
それよりも和解条件として、
今後2度と裁判を起こさないという包括的清算条項
をとりつけた方が今後の生活が安心できるからです。
そもそもが逆恨みで訴訟を起こすような相手ですから、
敗訴になれば意地でも控訴上告をしてくるでしょうし、
それが終わっても、またなにかをでっち上げて別件の訴訟を起こして来る可能性もありました。
だから、和解で抑え込むのが得策だと誰しもが考えたのです。
もしかしたら、原告の代理人すらもそう思っていたかも知れません。
それにこれ以上裁判沙汰が長引けば、私はともかく、認知症の母が耐えられなかったでしょう。
もちろん「和解」というからには、当然相手からの条件もありました。
とは言え、しょーもない条件なのでここでの公表は控えますが、
本人にとってはそのしょーもないことが訴訟を起こす発端だったのだから意味があったのでしょう。
こちらからしたら、「はいはい。それで気が済むならご自由に」というレベルの内容です。
無事に和解解決で決着してよかったと思う反面、
自分が正しいと思って訴訟まで起こしたんだから最後まで貫けよという思いもありますが、
結局はそれが彼女の人となりなんですよね。
絶対に自分は正しいと信じて疑わない
自分を辱めた相手を血祭りにあげなくては気が済まない
当然代償として高額のお金を払わせて当たり前
なんなら、どれだけお金を積まれようと私の心の傷はそんなものじゃないと更なる要求
なのに敗訴がみえると、
「お金と時間をかけて訴訟を起こしたのに負けるだけなら意味がない。
だったら少しでもメリットのある和解の方がマシ。
でも私は負けた訳じゃない。好意で取り下げてあげるだけのこと」
と自分を正当化。
不当訴訟を起こしておきながら和解に応じる輩なんて多かれ少なかれそんな人間だと思います。
もう起きてしまったことは仕方がないので事故にあったと諦めて、
とにかく今後一切交流しない関係を作る事に尽力するしかありません。
ちなみに私は彼女の事を「人生のあたり屋」と呼んでいますw
【結論】
和解と言っても仲直りをしなくてはいけない訳ではありません
あくまでも、後腐れなく裁判を収束するための手段だと割り切る事が大切です
とにかく1日も早く裁判を終わらせて相手との関係を断ち切ること
例え血縁であったとしても、訴訟を起こして来るような相手とは関わらない方がよいでしょう
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