六人の嘘つきな大学生
浅倉秋成著『六人の嘘つきな大学生』を読みました。今回で2回目。とても読みやすく、テンポよく進んでいく展開に、どんどんと引き込まれてしまったのですが、一つだけ「なんだかなー…」と感じてしまう部分があってひさしぶりにブログを書きました。どうしても作品のなかで引っかかったところを感じてしまうのは、たぶん自分が人事という仕事に就いているから。今回はどうしてもネタバレを含んでしまいますが、感じたことをそのまま書いてみようと思います。なので、ちょっと物語から逸れる部分もありますが、お許しいただければと思います。------物語は2部構成になっていて、最初は波多野祥吾の視点で描かれ、後半は嶌衣織の視点で書かれています。どちらも主観で描かれているので、そこにミスリードする部分も含まれるわけですが、怪しいと思ってはいても、文章のテンポが良いので、ついつい深読みせずにそのまま読み進めてしまうくらいにはすんなりと物語の世界に入り込むことができました。人事という仕事の立場で言えば、「そういう選考も面白そうだな」とか「学生の気持ちを鼓舞するのが上手いな」とか思いながら読んでいたのですが、自分が一番引っ掛かりを感じたのは犯人である九賀蒼汰の動機の部分。優秀な人材が選考過程で落とされ、採用のシステムがきちんと機能していないのではないか、嘘つきな大学生が最終選考に残っているのは正当な評価ができていないのではないか、という身勝手な復讐心とも思える動機。確かにいるんですよね。「優秀な人材が落とされるのはおかしいじゃないか!」という人。しかも、だいたいその人の言う「優秀な人」というのは自分のことを言っていたりする。つまり、「自分より"あの人"の方が劣っているのに、どうして自分は採用されないんだ」というような主張。こちらとしては「そういう非論理的な思考だから落とされるんでしょ…」と言いたくもなるわけですが笑今回の九賀の場合は、優秀な友人という他人のことを指しているので、まだ部分的には理解はできるのだけど、こうした人たちに一貫して見られる特徴は、就職活動を「優秀な人材コンテスト」のような認識をしてしまっていること。人事の立場からすると、確かに優秀な人かどうかをみるけども、それは「自社にとって優秀な人かどうか」であって、「世間一般でいう優秀な人」というのとも少し違う。例えば最近でいえばコンピテンシーなどという言葉に置き換えられるけど、その会社で活躍できる人材というのは「その会社との行動特性や能力、特性などの相性が合う」ことで初めて"優秀な人材"となる。つまり、A社にとって優秀な人材がB社にとっても優秀な人材とは限らない。九賀がどれほどその友人のことを優秀だと思ったところで、就活中の会社がそんな能力や特性を求めていなければ、その会社にとっては優秀な人材とはいえないんですよね。結構、この部分については勘違いしている人が多い。確かにね、面接じゃわかんないです。その人の人となりなんてものは。結局、入社後に失敗したなーと思える人も少なくはない。だけど、この人はこういう場面に遭遇した時にどんな思考で行動するんだろうか?どんなことにストレスを感じるんだろうか?どうやって人とコミュニケーションをとる傾向があるんだろうか?そういう部分を周りくどい質問を繰り返しながら、それこそ発掘作業のように少しずつ丁寧に"人となり"を浮き彫りにしていく。採用面接という仕事はそんなことの繰り返しだと思います。この小説を選考や採用における矛盾や問題に一石を投じる批判的なものとして認識する人もいるけど、個人的にはそうは思いませんでした。どちらかというと、採用や選考という人生の一大イベントを少し俯瞰しながら、選考する側もされる側も、それぞれを皮肉ってみたり、滑稽に見せたりしていて、シリアスなストーリーではあっても、そこには良いも悪いもなく、いろんな意味での"おかしさ"を感じたように思います。でも、やっぱり九賀という人物を少し許せなかったりする自分もいる。他の五人はすごく愛らしくて、自分だったら五人全員を採用にしたいくらいだけど、九賀はちょっと違うかな…と。あれで自称「フェア」は違うだろと。。この事件の犯人としての責任を波多野に押しつけ、信用を失墜させ、採用・選考自体も混乱に陥れる。しかも、その他の関係者たちは何年経ってもずっと波多野が犯人だと思い込んでる。九賀は嘘をつき続けてる。それのどこがフェアなんだと…笑ましてや、自分から悪事をカミングアウトするのと、他人が勝手に公表するのは違うよね、と。物語がどんなまとめ方をされても、九賀だけは絶対許せないかな、と思ってしまいました笑たぶんね、不採用になった人が嫌がらせをしてくることがたまにあって、そういう人はまさにこういう「優秀な人コンテスト」みたいな勘違いをしているタイプのイタい人なので、九賀をそういう人たちと混同しているからかもしれない笑こういう変な勘違いが減ったら、採用する側もされる側も、もっと肩の力を抜いて選考にあたれるのにね。その人の自然体が面接で見られたら、選考もずっと良いものになるし、そういう面接がこれからは増えてほしいな。