今日父が亡くなりました。

 

とはいえ、このブログを書いているのは10月の6日。

 

気持ちの整理がつくのにだいぶ時間がかかり、振り返りながら今このブログを書いています。

 

7月は2回実家に戻ってきていましたが、死に目には立ち会うことができました。

 

当日も親戚が多数面会に向かい、夕方くらいまでは長話ではないにしても、会話を行うことができていたそうです。

 

その後、私が病室に就いた頃には20時を回っていて、既に眠っていました。

 

特に異変もなく、仕事が終わってそのまま駆けつけた私を気遣ってくれ、伯父が付き添い、私は家に帰りました。

 

ところが、深夜の2時頃に病室に付き添っていた伯父から電話をもらい、呼吸が徐々に弱くなっているとのことで駆けつけました。

 

病院に着いた時もずっと眠った状態でしたが、徐々に呼吸が弱くなっているのは気づきました。

 

また、腕をずっとさすっていたのですが、徐々に末端から体温が下がっているのが感じられました。

 

体温が下がったらそのまま亡くなってしまうと思い、ずっと暖めようと手を握ったりさすったりして、体温を維持しようと努めました。

 

それでも、どんどんと体温は奪われていくばかりで、自分の無力さとふがいなさと悲しみで涙が止まらなくなりました。

 

徐々に空が明るくなってくるにつれて、脈が少なくなり、心拍の音も乱れてきました。

 

そのとき、うっすらとではありますが、父の目が開いていることに気がつきました。

 

起きていれば父に声が届くと思い、必死に声をかけました。

 

最初は私以外の家族も伯父も、起きてはいないと言っていましたが、徐々に目が大きく開いてくるにつれて、全員で声をかけ続けました。

 

ありがとうと今後もがんばって家族を引っ張っていくと約束を伝えました。

 

最後に、ダメな息子でごめんなさい、とも。

 

その後はだんだんと呼吸が荒くなり、苦しそうに目を見開くようにして、瞬きもなく、徐々に弱っていくのが感じ取れました。

 

呼吸の感覚が長くなり、次の呼吸が無くなってしまった瞬間、涙が込み上げ、一方で苦しまずに亡くなったことへの安心感があって、不思議な感覚でした。

 

ナースコールで看護師を呼び、医師に死亡確認をしてもらいました。

 

実際に呼吸が止まったのは6時14分。


長く苦しむことなく旅立つことができて、家族としては、安心した気持ちです。