過ごしやすい季節ですね。皆さまいかがお過ごしでしょうか?
青年会員の和田孝真です。
春は卒業、入学のシーズンであり、うちの長男も早いもので今年から小学校へ入学となりました。
これからの6年間でたくさんのことを学び成長してほしいと思います。
さて、大人になりますと人からものを教わるという事も少なくなってきますが、私は声明師を目指すべく、毎月行われている月例勉強会や声明講習会には積極的に参加し、日蓮宗声明についてを学ばさせていただいております。
声明の勉強会では「日蓮宗宗定法要式」をもとに宗定法要式の理念や声明の実唱、坐作進退や式具作法など法要儀式全般の知識や技術を教えていただいております。
その勉強会において初年度や節目には改めて注意をされることがございます。
それは宗定法要式の中に書かれている「跋」(ばつ)という文章にございます。
その中には
「法要式は芸術である。(中略)芸術としての法要式もまた布教や教化を目的としたものではなく、三宝帰依(さんぽうきえ)の純一無雑(じゅんいつむざつ)なる信仰が、芸術として最高度に具現されたものでなければならない。
そこにこそ、その芸術を創る人、これを鑑賞する人が、無礙(むげ)の三昧境(さんまいきょう)に涵ることが出来るのであり、そしてそこにこそ、期せずして教化というような副次的効果も生まれてくるのである」
と記されております。
この文は法要式が乱れてきた事から、昭和25年12月8日に教学部長の中西本秀上人より作られたものです。
法要を営む上で技術やテクニックを磨くということは、もちろん大切な事ではありますが、それだけではなく、法要は法要の為にある、信仰をしっかりと持つことが最も大切であり、その副次的な効果として参列者や檀信徒また未信徒の方々に菩提心を啓発することが出来るのでございます。
声明を学ぶ上で、「跋」の教えを常に心に留め、僧侶の骨格となる法式声明をこれからもしっかりと学び、私も僧侶として日々、成長していきたいと思っております。