主人曰。其文繁多。其証弘博。

主人の曰く、其の文、繫多にして、其の証、弘博なり。

 

【意】主人が答えます。その経文は非常に多く、その証拠は広く一切経にわたります。

 

以下、「災難の原因は、人々が正しい教え(正法)に背き、善神や聖人が国を去り、悪鬼が押し寄せるからである」ということについて、主人(日蓮聖人)がその証拠となる経文を挙げていきます。

ここから先、『立正安国論』の本文はかなり長く続くのですが、ここでは引用された経文の内容の概略のみ述べることとします。

 

1 『金光明経』

 四天王が次のように仏に申し上げた。「正しい教えが広まっていない国においては、われら四天王や天の神々は、正しい教えを聞くことができないので、勢力がなくなってしまい、人々の悪い精神ばかりが増長してしまう。われら四天王や天の神々は、このような国を護らなくなり、その国にはいろいろな災難が起こり、国中のどこにも安住の地はなくなってしまうでしょう。」と。

 

2 『大集経』

 仏法が隠没する時には、人々は礼儀作法を失い、地震、干ばつ、人々の悪行が盛んになり、人々を救おうとしていた善神も、この悪国を去って他の国へ行ってしまう。

 

3 『仁王経』護国品

 正法が失われ国土が乱れる時は、すべての善神が去って、悪鬼が力を得て万民を悩ませる。外国からの侵略、内乱、天変などが起こる。

 

4 『仁王経』受持品

 仏の目から見れば、国王は過去に善行を積んだ報いによってその座にあり、その功徳によって、聖人がその国土に生まれ、国土に利益を与える。しかし、国王が正法に背いた政治を行い、過去の善行の功徳が尽きて国王たる資格がなくなれば、聖人らはその国土を去り、その国には必ず七つの難が起こる。

 

5 『薬師経』

 国王が正法に背くことによって、疫病、外敵の侵略、内乱、星の運行の異変、月や太陽の光の喪失、時ならぬ風雨、干ばつの七つの難が起こる。

 

6 『仁王経』受持品

 国王が正法に背くことによって、日月の運行が狂って季節がひっくり返ったり、星の運行が乱れたり、大火災が起きたり、大水害が起きたり、大風災が起きたり、日照りの大災害が起きたり、外敵の襲来や内乱が起きたりする。

 

7 『大集経』

 国王が過去に積んだ功徳も、仏法が滅んでいくのを見捨てて護らないということであれば、すべて消滅して、その国には三つの不祥の事が起こる。飢饉、戦乱、疫病である。善神が国を捨て去った後、民は国王に従わず、外国から侵略を受ける。火、風、水の大難が重なり、人々はみな苦しみを受ける。

 

以上が経文の引用で、第二答の最後にこれらをまとめます。

 

夫四経文朗。万人誰疑。而盲瞽之輩。迷惑之人。妄信邪説。不弁正教。

夫れ四経の文朗(あきら)かなり、万人誰か疑わん。而(しか)るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて、正教を弁えず。

 

故天下世上。於諸仏衆経。生捨離之心。無擁護之志。仍善神聖人。捨国去所。是以悪鬼外道。成災致難矣。

故に天下世上、諸仏衆経に於いて捨離の心を生じて、擁護の志無し。仍(よ)って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道、災を成し難を致す。

 

以上が主人による答となります。

 

 

前回までで『立正安国論』の第一段を終えました。

今回から第二段に入ります。

今回はまた客の問いです。

 

客曰。天下之災。国中之難。余非独嘆。衆皆悲。

客の曰く、天下の災、国中の難、余独り嘆くに非ず、衆皆悲しめり。

 

【意】客は尋ねて言います。世の災いや国の難については、私一人だけが嘆くのではなく、皆が悲しんでいることです。

 

要は、それだけ大変な問題であるから、是非ともその原因を突き止めて解決しなければならない、という趣旨の言葉です。

 

 

今入蘭室。初承芳詞。神聖去辞。災難並起。出何経哉。

今蘭室に入りて、初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し、災難並び起こるとは、何(いず)れの経に出でたるや。

 

【意】今あなたのお家に伺って、初めて尊いお言葉を承りましたが、善神や聖人が去ったために災難が連続して起こるとは、何の経典に説かれているのでしょうか。

 

「蘭室」というのは、蘭の香りのするような家という意味で、つまりは相手の家を褒めた言葉です。

同じく「芳詞」も、芳しい言葉という意味で、敬語的な表現です。

 

 

聞其証拠矣。

其の証拠を聞かん。

 

【意】その証拠をお聞かせ願いたい。

 

 

主人「経文を開いて見てみると、世の災難の原因は、人々が正しい教えに背いているがために、善神や聖人が国を去るためだと分かった」

旅客「ならばその証拠を挙げよ」

 

ということになります。

客の問いはここまでで、次回、主人の回答が始まります。

こんばんは。

いよいよ「主人」が災難の原因を明かします。

 

 

倩傾微管。聊披経文。世皆背正。人悉帰悪。

倩(つらつ)ら微管を傾け、聊(いささ)か経文を披(ひら)きたるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。

 

【意】そこで、小さな考えしかできない自分ですが、経文を紐解いて見てみますと、世の人々が皆正しい教えに背き、悪い教えに帰依しているからであると分かりました。

 

 

「微管」というのは、「管の穴から天を覗く」ということわざがあるように、自分の小さな考えという意味で、謙遜の表現です。

「経文を披きたるに」とありますが、これは『立正安国論』の執筆にあたり「主人」すなわち日蓮聖人が実際に行われたことです。

すなわち日蓮聖人は、うち続く災難の原因を仏典に求めて、当時天台宗の寺院であった駿河国岩本の実相寺の経蔵に入られ、改めて一切経を閲読されました。

幕府に提出する正式な著作を書くにあたって、もう一遍一切経を読んで、自分の信じていることに間違いがないか確かめられたのです。

 

そして「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」と、災難の原因を明らかにされるのです。

 

 

故善神捨国而相去。聖人辞所而不還。

故に善神は国を捨てて相(あい)去り、聖人は所を辞して還(かえ)らず。

 

【意】それゆえに、善神はみなこの国を捨て去り、聖人も去ったまま帰ってこないのです。

 

 

主人は、それゆえに「善神」も「聖人」もこの国を去って、心細い状態になるのだと仰るのです。

「聖人」というのは概ね、悟った人という意味です。

人々が「正に背き、悪に帰」して、世の中があまりに頼りない状態であるから、神も悟った人もこの国を去ってしまうというのです。

 

 

是以魔来鬼来。災起難起。

是(ここ)を以て、魔来り鬼来り、災い起り難起る。

 

【意】このために、悪魔・悪鬼が押し寄せ、次々に災難が起こるのです。

 

 

そういう心細い状態のところへ、悪魔や悪鬼がやって来て、災難が起こる。

 

 

不可不言。不可不恐。

言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。

 

【意】このことは、言わずにおくことはできず、恐れなければならない重大事です。

 

 

旅客の問いに対し、主人の答えは以上の通りとなります。

この後はまた旅客の問いになり、それに対して主人がその証拠を挙げていくということになります。

このところ更新が滞っておりますが、気長に見ていただければ幸いです。 合掌

こんばんは。

更新が遅くなりたいへん申し訳ありません。

 

間が空いてしまいましたが、今回からいよいよ、災難の原因についての旅客の問いに対して主人が答える、という流れになります。

それでは進めて参ります。

 

 

 

主人曰。独愁此事。憤悱胸臆。客来共嘆。屢致談話。

主人曰く、独り此の事を愁(うれ)えて胸臆(くおく)に憤悱(ふんぴ)す。客来りて共に嘆く。屢(しばし)ば談話を致さん。

 

【意】主人が答えます。私も一人このことを愁い、深く思い悩み、やる方なく心を痛めていました。そこへあなたが来て、私と同じように嘆かれています。そこで、しばらくこの問題についてお互いに語り合いましょう。

 

 

「胸臆」は胸の内、心の中という意味。

「憤悱」は心の中で思い悩んで口にもうまく言えず苦しむ、という意味になります。

よいところに来た、ちょっと話を聞いてくれ、という具合です。

 

 

夫出家而入道者。依法而期佛也。

夫れ出家して道に入るは、法に依りて佛を期す也。

 

【意】そもそも、出家をして仏道に入るのは、仏の教えによって悟りを開き、仏に成りたいと思うからです。

 

 

仏道修行の目的は、「仏に成ること(仏の境地に至ること、成仏)」です。

「道に入る」という表現がありますが、これは仏教の本質を示しています。

仏教の本質は、受動的に教えを受けるのではなく、その教えを日々の生活に生かして能動的に修行していくこと、すなわち「道を歩む」ことにあるのです。

「宗教」というと「教え」の方に意識が向かいますが、「宗教」という概念は、元々は西洋の概念です。

仏教は、江戸時代までは「仏法」と呼ばれていました。

こう呼んだ方が、「道を歩む」というイメージがしっくりくるように思います。

それを「仏道修行」というのです。

 

 

而今神術不協。佛威無験。

而(しか)るに今、神術も協(かな)わず、佛威も験(しるし)無し。

 

【意】しかし今、世の中を見ると、神への祈りもかなわず、仏の御加護もありません。

 

 

ところが今の世の中を見るに、神様も仏様も救ってくれない有様です。

 

 

具観当世之体。愚発後生之疑。

具(つぶさ)に当世の体を観るに、愚にして後生の疑いを発(おこ)す。

 

【意】このような今の世の状況を見ると、未来の成仏も疑ってしまいます。

 

 

仏教では「三世」といって、過去世・現世・未来世にわたって人の生命は永遠であると説きます。

「後生」というのは未来世のことです。

仏に成ろうと思ってせっかく修行しているけれども、神も仏もないような世の中の状況を見れば「愚にして」愚かな心を起こして、「後生の疑い」未来世における成仏への疑いを起こしてしまう。これではせっかく修行した甲斐もない。ということです。

 

ところで日蓮聖人の教義では、「成仏」は未来世に限ったことではなく、現世の心のありようが仏様と一致するとき、それが現世における「成仏」(即身成仏)であると説きます。

にもかかわらずここで「後生」と述べておられるのは、当時隆盛を極めた浄土宗の教えを意識したものと考えられます。

浄土宗の教えは、来世に極楽浄土に生まれることを救いとして考え、「後生」に望みをかけるものです。

北条時頼に読んでもらう上で、いわば当時の仏教理解の主流を前提にする必要があったこと、それと同時に浄土教に対する批判を含意した表現と思われます。

 

 

然則仰円覆而呑恨。俯方載而深慮。

然れば則ち、円覆(えんぷ)を仰ぎて恨みを呑み、方載(ほうさい)に俯して慮(おもんばか)りを深くす。

 

【意】そうなるとただ、天を仰いでは恨みに思い、地に伏しては深く憂うばかりです。

 

 

天は「円」いもので、地は平らで四角いので「方」です(これは『易経』に「天は円にして地は方なり」とあるのを引用したものです。)。

また天は物を「覆」い、地は物を「載」せます。

そこで天を「円覆」、地を「方載」と表現したのです。

 

 

今回は前座です。

次回、いよいよ主人が災難の原因を答えます。

こんばんは。

 

皆様にお詫びしなければならないことがあります。

 

今週、事情により、更新することができませんでした・・・

 

大変申し訳ありませんお願い

 

実は途中までは書き進めてあり、来週は更新できると思いますので、お待ちください!

 

 

さて、その代わりに、平日の私のささやかな楽しみをご紹介いたします。

 

そう、お昼ごはんです笑

 

職場の近くに、カレー屋さんがあるのですビックリマーク

 

そして、月替わりで限定カレーを出しておられるのです。

 

一昨日、月末最後の平日に、滑り込みで行ってまいりました!

 

 

レモンチキンカレーですメラメラ

 

ルーの中に小さく切ったレモンが入っています。

 

上に載っているのは、なすびとポテトサラダのようなもので、辛さが中和されました。

 

とても美味しかったです照れ