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MY LIFE AS A PIG

山と農業と旅を愛するAkihisaのブログです。
高崎高校→北海道大学農学部→銀行員(札幌・鹿児島・福岡・US)→旅人(日本縦断・世界一周)→大分大学医学部(編入)→明日は何処…
大分朝読書コミュニティBunDoku主宰/NPO法人NICE GWCコーディネーター/財務経営アドバイザー

TAOの公演に行ってきましたー。

「DRUM TAO 百花繚乱 日本ドラム絵巻」(@iichikoグランシアタ)

大分生活3年目にして、初TAO。
今のフルタイムの仕事がない身としては、ちょっとチケット代もお高くはあったのですが、やっぱり行って良かったです。

「TAOは太鼓を演奏する団体ではなく、太鼓を使ったアートパフォーマンス集団である。」

との言葉通り、演奏でもミュージカルでもない、ライブのアートパフォーマンス。
大分からの、「世界で通用するエンターテイメント」。

今回はけっこう急に「観に行こう!」と思い立って行ったのですが、それは今後を冷静に考えたとき、自分が大分に居れるのってきっとあと2年なんだなと気付いて。そして来年はさすがに忙しいだろうと思うと、こうして大分(あるいは九州)のあれこれを観たり聞いたり吸収したりできるのって、きっと今しかないんです。
だから大分にいるうちに大分のものを、というのが今回急遽TAOを観ようと思った一番の動機ではあったのですが、TAOは、「大分の~」以上の何かを感じる舞台でした。
今回は宮本亜門(ミュージカル界トップの演出家)とコシノジュンコ(世界のファッションデザイナー)とのコラボという超豪華舞台でもあったのですが、それを差し置いても十分行く価値のある公演でした。

やっぱり、日常の節々にこうして音楽や芸術や感動があるというのは良いものです。
今の生活スタイルでは、どうしても頭でっかちになりがちだもの。

札幌に住んでた頃は、札響の定期演奏会やPMFに行ったり、ジャズフェスや映画フェスもあったりして、
鹿児島で働いてたのはごく短期間だったけど、それでもコンサートに行く機会もあって、
福岡で働いてたときは、ちょっとだけだけどミュージカルにはまって博多座に出入りしたりして…。
大分に来て2年が過ぎて、ようやく「本」と「映画」に関しては潤いが出てきているので、あともう一歩、今の日常から踏み出せたらいいなと思います。

ミュージカルもまた観に行きたいし、今度東京に行ったら宝塚とか歌舞伎とかも観に行きたい。
来年のアルゲリッチはちゃんと事前にチケット確保しておこう。
それ以外にも、多少お金はかかるけど、行けるときに行けるだけ行っておきたい。

TAOを観て、今ふつふつとそんな気持ちが湧いています。
まだピリリとした寒さの残る(マイナス5度)、長野の高遠。
一年振りのフリーキッズ・ヴィレッジへ行ってきました。
ここは様々な背景を持った子どもたちが、フリーキッズのスタッフやボランティアたちと一緒に共同生活を営む、オルタナティブな暮らしと学びの場です。
2012-12-23 「子どもたちのもうひとつの居場所 ~NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジのこと~」



今は年に一度、数日間くらいしかお邪魔できないのだけれど、何度訪れても心が落ち着きます。


ココに限らず、何度も訪れるようになって、自分にとっての一つの故郷のようになっていく場所は日本中世界中にいくつもあって、
それは言葉では正確に説明できないのだけれど、しいて言えばそこは「暮らし」や「生活」がある場所なんだな、と最近思っています。

自然に囲まれている暮らし。
農的な暮らし。
自分たちのことは自分たちでする暮らし。
まわりに温かい人たちがいる暮らし。





きっとこれまで、日本や世界のあちこちを旅したり、農業をしたり、色んなトコロに関わってきたりしながら探し続けていたのは、出会ってきたのは、結局はそういう場所なんじゃないかな。


こんな暮らしが、どこでも自然にできたらいいなぁと思います。
「活動」はそれはそれで大切で、出会いや学びやあらゆるコトのチャンスで、きっとこれからも何らか続けていくのだと思うけど、「暮らす」ということの中には、ひと時のイベントにはない何かが必ずあります。

最初に来た頃に1歳だった子が、もう4歳になります。
あの時はまだいなかったその子の妹は、2歳。
2年前にフリーキッズを卒業して、今も時々遊びに来てる子もいました。
あの頃からいるフリーキッズのスタッフにもまた会えました。



「今日一日の出来事は、私の心がつくるもの」

…って、またちょっとこうしてココでチャージさせてもらって、しばらくは走っていけそうです。


自分の周りの人たちの多くは、元々は何らかの「活動」で出会ってきた人たちのはずなのに、何だか最近、自然とそんな「暮らし」方にシフトしている気がします。

それは実は、自分の関心がそちらに向いているからバイアスがかかって目立って見えているだけなのかもしれないけれど、でもたとえそうだとしても、自分の足元を見つめて、自分の生き方を考えて、暮らしを吟味して、そちらにシフトしている人たちがいることは確かです。

そして自分自身も、以前は「やりたいこと」が人生選択の中心にあってそのための「場所」は後からついてくるものだと思っていたのだけれど、
今は「暮らし」の優先順位が上がってきていて、その暮らしができる場所や環境を探す方向に重心が少しずつだけど移ってきています。



先日ラオスで久しぶりに再会したMr. Leeが言ってた、「疲れた若者が休める場所」。
2015-3-17 Mr. Leeに会いに
それはきっと自分にとって、こうして時々帰ることができる、世界中の心の故郷たちにあります。


農も、山も、旅も、仕事も、そして野外教育も。
ずいぶん人生遠回りしてきたけど、すべては自分の血肉になっているんだなぁと思います。
これまでの遠回り全部で出会い吸収してきた嬉しい楽しいのカケラたちが、心のなかで自分をつくり、自分を支えています。

…この道の最後には、きっとそんな心の故郷に還ることができますように。


---
まっすぐ大地に立つと 私の芯が育っていく
美しさは自然に満ちていて 私を養う
なにも感じられないとき 風がそっと優しくなでてくれる
私はここにいるからね そう草木や花たちが励ましてくれる
---
(フリーキッズ・ヴィレッジ ニュースレターより)


(一般社団法人日本ギャップイヤー推進機構協会(JGAP)への短信記事)
2012-12-23 「子どもたちのもうひとつの居場所 ~NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジのこと~」

(フリーキッズ関係のブログ記事一覧)
2012-06-29 フリーキッズ・ヴィレッジへ (6/29 長野県高遠町)
2012-06-30 生きていくチカラ (6/30 フリーキッズ)
2012-07-01 もうひとつの家庭 (7/1 フリーキッズ)
2012-07-02 フリーキッズに集まる人たち (7/2 フリーキッズ)
2012-07-04 フリーキッズの日常 (7/4 フリーキッズ)
2012-07-06 「キレやすいコドモたち」 (7/6 フリーキッズ)
2012-07-07 自分の立ち位置と存在価値と (7/7 フリーキッズ)
2012-07-12 藍染め (7/12 フリーキッズ)
2012-07-14 農作業と風呂焚きと (7/14 フリーキッズ)
2012-07-16 天日干し (7/16 フリーキッズ)
2012-07-17 生きる力が輝く「村づくり」を目指して (7/17 フリーキッズ)
2012-07-18 フリーキッズを終えて (7/18 フリーキッズ)
2013-03-10 言葉では伝えられないけれど (3/4~3/6 フリーキッズ)
2014-03-29 フリーキッズへ (2014/3/27-29 長野県高遠町)
2015-03-26 フリーキッズ再訪 (2015/3/23-26 長野県高遠町)
1月はうっかり骨折して飛べなかったのでw、久しぶりの東北。
今年に入ってようやくの1回目です。

今回の子どもキャンプは、スキーキャンプ。
一期一会のスタッフと子どもたちで、1泊2日を共にします。


毎回いろんな子どもたちと関わって、いつもいつも新しい学びがあります。

例えばグループ行動が苦手な子は、いつのキャンプにもいます。
でもそれはその子の個性として、周りがどう関われるか。
引っ張っていくことが正解なのか、待つことが正解なのか、見守り続けることが正解なのか…。

そーゆーことに一つの正解なんてきっとなくて、ケースバイケースでその子を見ながら手探りで関わっていくことなのだと思います。そしてそれは時間と労力のかかることではあるけれど、でも少なくとも、ここにボランタリーで集まるスタッフたちは皆が同じ優先順位を共有しています。
万事において、「こうした方がその子のためになるよね」だけで会話し行動できるということは、なんて健やかな気持ちでいられる環境だろう。



子どもたちの変化には、毎回驚かされます。
最初は緊張でいっぱいいっぱいだった子が、初日が終わる頃には他の子と大声で笑い合えるようになっています。
そして彼らは、大抵のことは自分たちで何とかする力を持っています。新しい環境に放り込まれてもそれぞれが自分のペースで馴染み、関わり、楽しんでいくし、そのペースが子ども毎にまちまちだとしても、彼らはちゃんとお互いが準備できるまで辛抱強く待っていてくれます。
そんな光景を見るにつけ、そこに大人の介入なんてホントはほとんど必要ないんだよな、と改めて教えられます。



また、「英語」という点でも今回はいつにも増して良かったです。
いつも通り各グループにインターナショナルスタッフが1人以上いるというだけでなく、プログラム中にも子供たちが楽しみながら英語で話す、話そうとする機会があって、最後の感想でももっともっと英語を頑張りたいという感想がいつも以上にたくさんありました。

彼らはちゃんとこっちが思っている以上のものを吸収してるし、それ以上に学び成長しています。きっと。



こうして来るたびに、ハジメマシテな子もいれば「わー久しぶり!」な子もいて、そういう意味でもやっぱりこの子どもキャンプに継続的に関わることができるのは嬉しいです。
最初にスタッフに入ってから、4年目。少なくとももう2年は、こうしてできたこの繋がりを大切に、定期的に東北を訪れながら過ごしていきたいです。



(復興支援関係のこれまでのブログ記事:NICEでの活動)
2012-05-22 陸前高田市へ (5/22 陸前高田市)
2012-05-23 広田湾のいかだ作り (5/23 陸前高田市)
2012-05/25 震災ボランティアのいる意味 (5/25 陸前高田市)
2012-05-27 被災地の心の復興に向けて (5/27 陸前高田市)
2012-05-28 遠野へ (5/28 陸前高田市)
2012-05-29 まだ一年 (5/29 陸前高田市)
2012-06-01 若いチカラ (6/1 陸前高田市)
2012-06-02 陸前高田での生活 (6/2 陸前高田市)
2012-06-02 ゼロからプラスへ (6/2 陸前高田市)
2012-06-03 意味のないニーズはない (6/3 陸前高田市)
2012-06-04 平泉とNICE寺のおかあさん (6/4 陸前高田市)
2012-06-05 地域の復興を支援するということ (6/5 陸前高田市)
2012-07-23 NICE東北事務局 Mihoインタビュー (7/23 陸前高田市)
2012-07-30 NICE & HSBC えいごdeサマーキャンプ! (7/30 陸前高田市)
2013-03-10 東北再訪 (2/28-3/3 陸前高田市)
2013-08-08 うごく七夕 (7/31-8/8 陸前高田市)
2013-10-14 NICE & HSBC えいごdeキャンプ! (10/12-10/14)
2014-02-02 NICE & HSBC えいごdeスノーキャンプ! (1/31-2/2)
2014-03-23 NICE & HSBC えいごdeスノーキャンプ! (3/21-3/23)
2014-07-30 NICE & HSBC えいごdeサマーキャンプ! (7/23-7/30)
2014-08-08 うごく七夕2014 (8/6-8/8)
2014-08-20 NICE×HSBC 高校生のためのグローバル体験キャンプ(8/16-8/20)
2014-10-13 NICE & HSBC えいごdeキャンプ!(10/11-13)
2015-03-22 NICE & HSBC えいごdeスキーキャンプ! (2015/3/21-22)

(NICE以外)
2012-06-06 気仙沼遊び場あそびーばー@宮城県気仙沼市
2012-06-07 シャンティ国際ボランティア会@気仙沼市
2012-06-08 気仙沼市立本吉病院@宮城県気仙沼市
2012-07-21 黄金浜ちびっ子広場@宮城県石巻市
2012-07-23 岩手県立高田病院@岩手県陸前高田市
2012-09-29 一歩一歩、前へ (9/29 陸前高田市)

(JGAP短信記事)
2013-04-15 JGAP短信「あのとき、いま、これから ~東北被災地での活動報告~ 」
10年振りのMr. Leeに会いに、ラオスはバンビエンVang Viengまで。
彼は、自分にとって人生の一つのターニングポイントになった韓国IYC(UNESCOユースキャンプ)のディレクターです。

've met Mr. Lee again in Laos!
10 years has passed from the 40th IYC. People and the world may have changed some. But he is same as before. That make me very relieve and happy.
Thank you so much :)

久しぶりに会った彼は、昔と変わらずカッコ良いおじさまでした。韓国のユネスコを辞めて、今はラオスのバンビエン近郊の農村中心にスローライフとコミュニティ開発支援等をしつつ暮らしています。
(たぶん本人は開発developmentという言葉は好きじゃないんだけど、他に上手い表現が思い当たらず…)



普段はOrganic Farmの奥の小さな家を借りて、必要最低限の暮らし。
小さなキッチンと、トイレとシャワーと、パソコン一台と小さい本棚と…。



ユネスコでもyouthの仕事をしていましたが、ラオスに来てもそれは変わってないみたいで、今はラオスの農村のyouthと、そして韓国から訪れるyouthのために情熱を持っていました。



「…今コーヒーを入れてくれた子は、高校を中退して家の農業を手伝ってたんだ。ラオスでは子供がそうやって学業を諦めるのは今も普通にたくさんあることなんだけど。
ここ(YOUTH CENTER)でスタッフを募集したとき、英語が全く話せず、コーヒーを飲んだこともなくて、とてもシャイで初対面の人と話せないような女の子が母親に背中を押されて応募してきてくれた。それから2年経った今、その子はぼくらの予想を遥かに上回って成長してくれた。
ただそれを、待つことが大事なんだ。急かしたりすぐに結果を求めてはいけない。その子の成長を、ちゃんと待ってあげられること。見守ってあげられること。そうして初めて、人はこんなにも学び、成長していくんだ」




「ラオスには孤児院がない。親のいない子どもたちは、どんなに遠い親戚であっても連れてきて育てるし、隣の人たちでも面倒をみてくれる。一人の子どもを村が育てるというのがここではとても当たり前のように行われている。1、2歳の子どもも一人で村中を歩き回り、遊ぶ」



「ラオスは早いスピードで変化していて、人々はその変化を受け入れている。だが、変化への期待と不安が同居している。変化の方向が正しいかどうか、少し立ち止まって考えなければならないと思う。経済発展だけでなく、社会、環境、経済、精神がバランスよくともに発展する道はないのだろうかと」



「「なぜ?」と私は聞く。IYCの若者たちにもそうだったし、今ラオスで関わる村人たちにも必ず聞く。何度も聞く。ラオスの人々は、そう考えることに慣れていない。普段「なぜ?」と問うことなく生きている。でも、その問いを考えながら生きていくとき、彼らは自分の人生を生きることができるはずだ」



「ここにも一緒に行動をして働く青年がたくさん居る。そして、ここは韓国の青年たちが疲れたらやって来て休む場所でもある。
人の暮らし方を教わる場所を作りたい。韓国の青年たちにはこんな場所が必要なのに、韓国にはこれ以上の場所は無い」




「今でも私は旅をする。去年は中国の内陸部に3ヵ月。何週間も同じ村に滞在して、朝からずっと市場にいた。そこで何をするわけでもなく、場所を決めて座って、ずっと見ている。例えばある女性が自分の畑で採れた野菜を売りに来る。ほんの数個だけだけど、市場の一角にそれを並べて座る。売れる日もある。全く売れない日もある。でも、特に彼女はそれを気にする風はない。売れたら良いし、売れなくても良い。それはただそれだけのこと。彼女は自然に生きていて、自分に起こることを受け入れている」

「持っているものは何もないが、ないものも一つもない」

「貧しいのは不便だが、その小さな不便がわたしたちを人間にしてくれる」


…たくさん話したいことがあって、たくさん吸収したいことがありました。
一日だけだったけど、日程を切り詰めてでも会いに行けて良かったです。

近いうちに、もっとゆっくりと滞在したいです。
そしてラオスのことももっとたくさん知りたいです。




追記:

2007年に韓国の田舎で農作業をしてたときに(←謎)たまたま近くを通って知り合った日本希望製作所さんで、Mr. Lee(本名イ・ソンジェ)の韓国語記事が日本語訳されているので、興味がある方はぜひ!

ラオスの話 (1) 地元を守る若者たち
ラオスの話 (2) だれが地域を守るのか? 世間の‘水’をちょっと飲んでみた若者たち
ラオスの話 (3) ラオスを訪れる韓国人たち
ラオスの話 (4) 韓国の青年達の感受性を育てる
ラオスの話 (5) 現場の言い分
ラオスの話 (6) システムではなく人が生きている
ラオスの話 (7) 垂直の人生から水平の人生へ
ラオスの話 (8) ラオスは何処へ行くべきか?
ラオスの話 (9) 開発か、発展か?
ラオスの話 (10) ミスター・リーではなく アイ・タムディとして生きる
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タイとの国境沿いのタナレン駅からタクシーで30分。
ラオスの首都ビエンチャンVientianeは、穏やかなメコン川と緑に覆われた街です。


歴史的に見ると、ラオスの歩んできた道は決して平穏ではなかったはずなのです。
過去には幾度も隣国のビルマやベトナムやタイに攻められ、帝国主義時代にはフランスの植民地となり、戦後はベトナム戦争同様アメリカと旧ソ連の板挟みの内戦があり、ラオス人民民主共和国を樹立したのは1975年になってから。
でも、ラオスの人々はとても穏やかで優しく温かく、そして信心深いです。


正味3日間のラオスでしたが、歩けば歩くほど好きになる国でした。

とまぁ気持ち的に書けることもたくさんあるのですが、ひとまず旅の記録は旅の記録として残しておきますw

午前中のうちにビエンチャンの中心部には着いたので、とりあえずATMで現金をゲットして(通貨が変わるので致し方なし)、旅行代理店をいくつか歩いてルアンパバーンへの夜行バスチケットを購入。
ビルマの古都がバガンだったなら、ラオスの古都はルアンパバーンなのです。

ビエンチャンには泊まらないのでチケットを買った旅行代理店に荷物を置かせてもらってw、半日だけの街歩きへ。観光的な見どころはある程度街に集中しているので、レンタサイクル借りて半日で十分。
20,000Kip(300円、10,000Kip=150円換算)


博物館。10,000Kip(150円)。




ワット・シーサケートWat Sisaket。5,000Kip(75円)。



パトゥーサイPatousai。(凱旋門を模してますが戦没者慰霊塔だそう)


タート・ルアンThat Luang。レンタサイクルで街から20分くらい。5,000Kip(75円)。

昼過ぎは暑すぎるのでカフェで休憩してwifi拾って、ルアンパバーンの宿を予約したりしつつ…。
という感じでビエンチャンは良いかと思いますw

夕方に代理店に戻ってピックアップ待ち。周辺で一緒にピックアップを待ってる旅人はヨーロピーアンが多いけど、たまたま近くに座ってて話したのが東北大生(法3)、それも相当旅慣れしてるイッちゃってる系だったので色々と旅の情報交換をしながらバスターミナルへ向かいましたん。
そうかー、中国南部から山岳地帯に入ったトコロにチベットとは別にチベット文化が残ってる地域があるのか。そこは今度行ってみたい…(・ω・)


3/16

早朝5時にルアンパバーンの郊外のバスターミナルに着いて(早いから…汗)、トゥクトゥクで中心地へ。
最初のトゥクトゥクのあんちゃんが一人30,000Kipって言ってきて、一緒の夜行バスに乗ってきた若い子がえらい勢いで値切って別の人探しに歩き出したりして結局15,000Kipにw
すげぇなぁこうして安旅を続けてるんだなぁ。でももうその若さはないなぁw

宿は高山のNaokoさんオススメのCold river Guesthouseへ。


朝6時にもかかわらず無理やりチェックインをお願いするという。ご対応いただき多謝。
東北大の子は別の宿へ。FBどころか名前も聞かなかったね。まぁ縁があればまた会うし、なければもう二度と会うこともないのかもしれないねw

夜行明けなのでシャワー浴びててくてく街歩き。暑くなる前に主要どころは見ておきます。お寺と丘の上と博物館。お寺系はそろそろ過食に過ぎるので写真カット気味でw



ルアンパバーンから郊外へのツアー(滝とか象とかcaveとか)に参加したりするなら長期滞在もアリですが、一人旅でそーゆーニーズは特にないので、街自体は1~2日で回れる規模感ですネ。
翌日のバンビエンへのバスチケットも今日のうちに代理店で購入。日中で5時間なので安いミニバン12,000Kip(180円)で。

あとは午前中限定の市場を散歩したり。
市場と言ってもルアンパバーンの街のど真ん中の裏通りで繰り広げられますw




午後はのんびりとカフェでビール飲んだりハガキ書いたり郵便局に出しに行ったり。



またカフェに戻ってビール飲みながら読書したりメールチェックしたり…。
これくらいのまったり感が良いですねw



メコン川の夕暮れ。







そして最後は、今回の旅で初めて行ったナイトマーケット。
(夜行移動が多過ぎてようやくw)


3/17

朝の托鉢を見に、6時から街の方へ。
一応カメラも持ってったんですが、写真は撮らずずっと眺めてました。
今もこういう風景が、残ってるんだなぁ…。

午前のバスでバンビエンに向かうので、何人かcold riverに泊まってる旅人と話したりしつつcold riverで朝ごはん。ゲストハウスのおばちゃんに適当にお願いしたら適当に作ってくれますw
マジでココ居心地良いなw

移動は宿までピックアップが来てくれて(このピックアップ制はとても便利で助かりますね。楽ちん♪)、ミニバンで5時間のデコボコ道をバンビエンへ。
バンビエンでは北バスターミナルに着いて、トゥクトゥクを値切って22,000KipでOrganic farmへ。
さて、ここが今回の最後の目的地です。




…ココまで来ちゃったけど、ワタシは無事にMr.Leeに会えるのかしら(・ω・)