「だいしょうしゃたくどうとうもくしょとうを、あるいはてんきのぼせ、あるいはれ、そらにはおおいなるひかりものび、にはとうりょうみだれたり。ひとびとをもころし、ぎょうをゝたふれぬ。あくふうなれどもあきときなればなをゆるすかたもあり、れはなつがつなり。うえほんこくにはかず、ただかんとうはっこくなり。はっこくにもさし相模さがみりょうこくなり。りょうこくなかにはそうしゅうつよく、そうしゅうにもかまくらかまくらにもしょわかみやけんちょうごくらくとうつよけり。たゞことともへず。ひとへにこのいのりのゆへにやとをぼへて、わらくちすくめせしひとびとけうさめてありしうえどもゝ『あらや』としたをふるう」

 そのたいふうがいかにすさまじきあくふうであったかを示す模様ですね。
 だいしょうしゃたくどうとうふるたいぼく、そして、かまくらばくの将軍の住まいたるしょ、これらの建物をあるいはてんきのぼせて舞い上げて、あるいはれて大地にどっと叩きつける。
 恐らく、風速7,80mの竜巻のようなだいあくふうだったにちがいないですね。
 そして、空には大きないなびかりが光り、大地には太い柱がそこら中に散らばっておる。
 人々をも吹き殺し、ぎゅうを多く倒れてしまった。
 たとえあくふうであったとしても秋であるならばなお許す理由もある。
 なぜか、秋にたいふうが来るのはほんれっとうせいがくてきなくせですよ。
 ですから、そういう時にたいふうが来るというのはれっとうのくせであるからなお許す理由もある。
 ところが、これはたいふうの来るべからざる夏4月ではないか。
 その上、ほんこく全体には吹かず、ただかんとうはちこくだけである。
 しかも、かんとうはちこくの中にもさし(現在の埼玉県)・相模さがみ(現在の神奈川県)のりょうこくだけに吹いた。
 さし相模さがみりょうこくなかにもそうしゅうにもかまくらかまくらにもしょわかみやけんちょうごくらくとうつよいた。
 要するに、かまくらばくの中心地であるはちまんだいさつの周辺とじゃきょうの本拠地であるけんちょうごくらくとうこれらの場所に強く吹いた。
 たいふうには道というのがあるんです。平等に吹くんじゃないんですね。その何メートルかの通路でもってさーっと強く吹くんですね。
 『普通のたいふうとは到底おもえない。ひとえにしんごんの祈りのゆえではないか』とこうみんながおもったというんです。
 よって、だいしょうにんさまことちょうしょうしておった者達もみんな興ざめてすっかり白けてしまったというんです。これは、かまくらじゅうの諸人ですね。
 そして、だいしょうにん達も「何と不思議ふしぎことなのか」とこう舌をふるったというんですね。
 まさに、このたいふうは普通のたいふうとはちがうんですね。仏法ぶっぽうじょうどうから発するしょてんの現われであります。
 たいふうだっていろいろある。しんだっていろいろある。
 仏法ぶっぽうじょうの原因から起きてくるしんもあれば、そうではない普通のしんもある。たいふうもそうであります。
 でこのだいあくふうこそこくしんぴつぜんちょう(前触れ)であったんですね。
 もうが責めてきてほんが亡ぶという時にぜんちょうのないことはない。そのぜんちょう(前触れ)としてこのたいふうがあったわけであります。
 ですから、弘安4年にいけがみ殿どのくだされただいしょうにんさましょの中にこういうことおおせになっておられる。

 「ぬるぶんねいじゅういちねんがつじゅうにちだいふうきて、としこくよりおそきたるべきぜんそうなり。
 かぜてんつかいなり、まつりごとあらければかぜあらしともうすはれなり。
 またとしがつじゅうはちにちむかえてかぜきたる」

 「この文永11年4月12日のたいふうこくからほんの国にしゅうらいしてくる前相である。
 風はしょてんの使いである。すなわち、せいが曲がってくれば風も曲がってくる。
 いっこくせいだいしょうにんさま怨嫉おんしつし憎んでくれば、すなわち風もまたおかしくなってくるのである」と。

 文永11年のもうしゅうらいの前に一回、それから弘安4年のもうしゅうらいの前にまたもう一編。二度が二度とも大変なだいあくふうが吹いてきた。
 これが、もうしゅうらいの前相であったということなのであります。
 これが、しんごんどうほういんの雨の祈りの直後にこのだいあくふうが吹いてきた。不思議ふしぎことでしょう。


平成15年 4月8日 『下種本仏成道御書』御書講義