これを聞いたさしのぜん(前には「さしのこう殿どの」と書いていましたが、実はこの時ほうじょうのぶときはこの立場をやめておったんですね。しかし、退任してもなお依然として実力者であったから取り計らう力があったんですね。よって、皆が色々と集まってきて讒言ざんげんをしたわけなんです)、その讒言ざんげんを聞いて何とったかというと「そのようなことかみへ申すまでもあるまじ」「ほうじょうばくの主であるほうじょうときむねにそんなこといつける必要はない。自分が決める」とったんですね。
 まずの国の者がもしだいしょうにんについてしまったならば、その者はから追放してしまえ」「あるいはろうれよ」と勝手な命令を下したというんですね。
 かまくらばくの正式な命令でなくて、さしのぜんが自分勝手な命令を下した。
 そして、再度下文が下った。かくのことく三度もにせぎょうしょ(要するに、にせの公文書)を出したんです。
 これは、さしのぜんほうじょうのぶとき)からそのにんであるの守護代のほんろくろうもんに宛ててその公文書を出したんですね。それがのこっております。
 だいしょうにんさまが『きょうのぎょうじゃほうなんのこと』にそのそらぎょうしょを記録として記し留めておられますね。それをみますよ。

 「くににんそうにちれんとういんそつしてあくぎょうたくらむのよしこえり。
 しょぎょうくわだはなはもっかいなり。
 いまよりそうあいしたがわんのやからにおいてはへいかいくわへしむべし」

 この「へいかい」というのは「きつきおしおき」ですね。「厳罰に処する」と。
 「だいしょうにんさまを引き連れて悪行を企んでいる」こういうことう。どういうことか。
 前にぎょうびんというねんぶつぼうだいしょうにんさまけいはんとして告訴しようと企てた。
 その中にだいしょうにんさまが凶悪な徒を集めて武器をたくわえて謀反を企んでいる」などというでたらめをった。それをこのまま引いている。
 これもりょうかんぼうの入れ知恵だったわけなんですね。
 このような者に従った者は厳罰に処するということにせの公文書を出した。
 これが文永10年12月7日ですから、文永8年の暮れにざいされて2年後ですね。
 ですから、いかにその間においてもずーっとこういうことが行われておったかということなのであります。
 で、このにせの命令書が出たことによってその間どんなことが行われたか。
 「もうさざるにこころをもてはかりぬべし」「申さなくても心をもってっはかってほしい」と。
 具体的な一例をげれば「つかわらさんまいどうの前を通っただけでもってろうに入れられた」「だいしょうにんさまに物をよう申し上げたということでもっての国を追放された」「女房・どもを人質に取られた」こういうようなことをやったならばだいしょうにんそばに怖がって誰も近寄る者はいないでしょう。
 だいしょうにんさましょくりょうもなく誰も助ける者もいない。自然と死んでしまうではないですか。かくのごとくにしてこういう理不尽なことをした。
 ほうじょうときむねは「こういうことをしろ」とはっていないですね。ほうじょうのぶときが勝手なことをやっておって、しかもそのことを申さずにいた。
 ですから「このことを少しも報告しなかった」というんです。殺してしまおうということですよ。
 このようなにせの命令書があって権力を持つ者が勝手に命令を下すならば誰がしょくりょうを献ずる者があるであろうか。だいしょうにんさまして当然であります。


平成15年 4月8日 『下種本仏成道御書』御書講義