しかし、その中にぶつぼうが、そして妻のせんにちあまがそれこそ身の危険をかえりみずだいしょうにんさまよる密かに度々ようを申し上げた。
 しょにはこうあります。

 「ぶつぼうひつわせなかおんわたりありしこと、いつのにかわすらむ。ただくにまれわりてあるか」

 「ぶつぼうにご飯を入れるひつを背中に背負わせて、夜中に度々つかわらさんまいどうに来てくれたことをいつの世にか忘れようか。
 亡き自分の母がこのに生まれ変わって自分をまもってくれるのではないか」

 こうおおせになってせんにちあまにお手紙をくださっておられる。
 まことに、ねんぶつごうしんじゃだったぶつぼう、そしてせんにちあまが一目だいしょうにんさまにお遭いするやそのお徳に服して、それ以来死ぬまで命かけてだいしょうにんさまにおつかえしたてまつった。
 の国だけではない、だいしょうにんさまからお帰りになってのぶの山におこもりになる。
 そうすると、ぶつぼうは相当の年で最後の時には80歳を超えておったんですが、から千里の道を踏み分けてのぶまで参詣をしてだいしょうにんさま御許おんもとようけんじているんです。
 でだいしょうにんさまが妻のせんにちあましょくださって「今ぶつぼうのぶの山に来られたのは、何よりもだいな自分の夫をこうして送り出すせんにちあましんじんである」とおおせになっておられるおことが何度も何度もしょの中に出てくるんですね。
 そのように、死ぬまでぶつぼうせんにちあま夫妻がだいしょうにんさまにおつかえをした。
 これはもう、だいしょうにんさまの御威徳がいかに高かったかということなんでしょう。
 そして、ぶつぼうが亡くなった後せんにちあまが自分の長男のとうろうを指揮しての島の折伏だけではなく海を渡って東北・北陸まで折伏を進めているんですね。
 ですから、今顕正会であそこの方で折伏が進んでおりまするが、まことにその最初の種をまいたのはせんにちあまの弘通だったわけであります。


平成15年 4月8日 『下種本仏成道御書』御書講義